さて前回、中井久夫の『治療文化論』(1990年)から引用したが、さらにその当時前後のいくつかのエッセイを読み返してみた。中井久夫といえば、一般には「いじめの政治学」(1997年)が最もよく読まれているのではないか。それについては、「いじめと権力欲」にいくらか長く引用してある。ここでは1986年の「精神科医からみた子どもの問題」を冒頭の1、2のみを割愛して長く掲げておこう。
あらためて読み返すと、ある意味で自戒を迫られる。私たちは気づかずにいじめ加害者をやっていることがあるのではないか、特に「日本文化に内在するいじめのパターン」にて。そう思わせる記述の箇所に特に惹きつけられた。
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◼️中井久夫「精神科医からみた子どもの問題」初出1986年 |
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3 いじめの問題には、いくつかの層を区別する必要があると私は思う。 第一に、ある発達段階において意地悪あるいはいじめの現象には、人間あるいはそれ以前の動物において広くみられる永遠の問題だという部分がある。一九二二年にシェデルップ=ヘッペがニワトリのつつき順位を報告して以来、動物の集団には順位があり、それを確認する行為がいろいろな形でみられることが知られている。 ここで、最近強調されていることは、天然に生きる動物では、必ずしも、順位制による差別や虐待が絶対的・単線的なものではないことである。離れになると利点がいくつもある。群の中でも逃がれ道はいくつもあり、ボスの地位は絶対的ではない。飼育によって順位制の論理が非常に強く貫徹するようになるということである。 動物園の動物はじめ飼育動物が一種の神経症状態になっていることがわかっているが、いささか気になることは、人間は自分で自分を動物園にとじこめ飼育している奇妙な動物である、というモリスの指摘である。人間は、攻撃性の処理を社会的にどう行うかが、そもそものはじめから大問題であった動物のようだ。数百万年前の原人の頭蓋骨に石の斧が食いこんだ跡があると聞かされると、まことにうんざりするが、事実は正視せざるをえまい。 |
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教育とくに初等教育における対人関係発達論的な大課題を、アメリカの精神科医サリヴァンが三つのC、すなわち競争(コンペチション)、協力(コーベレーション)、妥協(コンプロマイズ)であるとしたのは、攻撃性を手なずける上で深い意味があるのであろう。これは校庭でも教室でも第一の課題とされるべきものである。これに成功しない人は、思春期の混乱をとおりぬけて成熟した成人になることが困難になる。 家庭教育でやりにくいのが、この三つのCである。第一に、家庭には同年齢の仲間は普通いないからである。年齢の接近したきょうだいは、母の愛をめぐって、むしろ強い葛藤関係にある。 第二に、家庭はあまりに密接な人間関係である。密接な人間関係はすべての人間関係の代表ではない。たとえば、食うか食われるかの関係になりやすい(嫁姑問題など)。ある距離をおいた人間関係にはそれ自身の価値があり、安らぎと遊び(創造性)がある。家庭の中だけで育った子どもには味わえないものだ。そういう子は重力の強すぎる星で育った人のようなものである。 第三に、最近特にそうであるが、家庭はごく少数の人間から成りたっているから、その人たちが偏っている確率は決してすくなくない。そもそも「人類の代表」を父母だけで演じるわけにゆかない。これを修正するという仕事も初等教育にまかされている。 教育の前段階において若者をあつめて何らかの集団をつくるようにしている部族は多いはずである。ブッシュマンの社会においては、親族関係によって冗談を言ってよい相手ーージョーキング・パートナー ーーと言ってはいけない相手がきまっているというが、これは攻撃性を放電する一つの回路としての冗談(からかい)の制度化という、すぐれた解決法である。 |
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冗談、からかい、地口、皮肉ーーこれらの中には攻撃性が薄められてはいっている。しかし、薄められた攻撃性は遊びに接続しており、むきだしの攻撃性にたいする一種の免疫効果がある。冗談と言葉遊びと遊戯との三者の間に密接な関係があるのは、遊戯の多くが冗談的な言葉遊びを伴奏として行われること一つを考えてもわかる。これらは、先の三Cを教えるものである。他者との妥協は自分(の欲望など)との妥協でもある。それなしには他者と交わることができないのを遊びは教える。 私は、思春期の問題が声たかくとりあげられていた時に、たとえは悪いが、破産する会社は破産の時点での運営が問題であるよりも、その前の時期の放漫経営こそが破産の素地をつくったのだろうから、そのように、思春期に先行する児童期精神分析でいう「潜伏期」がどうなっているかを調べる必要があると主張したことがある。当時は、児童期はいちばん問題のない時期とされていた。私は、児童期の子が大人顔まけのいやらしい現実主義者であり、政治的動物になれると述べた。今は問題が思春期をまたずにあらわれて児童期のいじめになっていると考えることができる。 |
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4 ここで、第二の側面、すなわち時代の流れの中での問題にはいろう。一体何が問題を即座に破綻させるようになったのか。多くの指摘があって、いずれも一面をとらえていると思う。 学園紛争の中にも、校内暴力の中にも、不登校の中にも、家庭内暴力の中にも、いじめ的要素はあった。いずれも「無理難題」を吹きかけて相手を追いつめるという戦略が主流だった。ただ、思春期の新しい問題が上を表土のようにおおっていた。ただそれだけだったのか。それが、思春期をとおらないで即座に出現したので何の粉飾もない「殺風景」な「いじめ」というものになったのか。 学園紛争が、全世界同時的に、一九六八年を中心に起こったのには、多くの者は説明にくるしんだ。私は、結局、第二次大戦からの時間的距離しかアメリカから日本、フランス、さらに中国に至るまでの共通項はなかろうと考えた。戦時中から戦後にかけての兵役、捕虜などによる父親不在があり、さらに日本では敗戦による成人の価値変換をまのあたりに見てそだった世代の子どもたちである。 親が戦後の社会改革の中でもまれて中心的価値をみうしなったことが問題なのか。両親の家庭中心主義。 大量出産が示す家庭指向(ベビーブームはどの国の戦後にも起こった)への反発か。 あるいは親の挫折感(戦後には「世直し」期待が戦勝国でも敗戦国でも発生したが失望におわった)を継承しているのか。とにかく、青年として戦争をすごした親から生まれた子が紛争世代であった。 |
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では、今の小・中学生は? ちょうど高度成長時代に小・中学生時代を送った親の子ではないか。高度成長時代は生活の基盤そのものが移動した時代であった。将来こうもあろうかと予想していなかったものが次々にあらわれた。ヨーロッパの一国ギリシャだったかポルトガルだったかをついに追いこしたと、通産省が誇らしげに発表したのは一九六〇年ごろだったと思う。その直前まで日本は確実に第三世界に分類されており、その指導者たちの集まるバンドン会議に代表を送ることを不思議に思う者はいなかった。 生活が急速に向上した家庭の子どもは、特殊な自己規定困難を背負いこむ。 幼児期は民間アパートで、小児期は団地で、思春期はマンションで、青年期になって豪邸で過ごした人は、その都度なじんだ環境に別れ、友人を失うだけでなく、自分にたいする周囲の目も、呼び方も、しかるべき服装も言葉も振舞いも換えねばならない。こういうことに耐えて成長する子があることも確かだが、混乱と混沌に陥る者の比率も増大する。病気にはならなくても、弱点をしょいこむ者はずっと多いだろう。 高度成長時代の日本人の大部分がそうだったと言えるかもしれない。いわゆるニュー・ファミリー世代である。 海外旅行は一九六〇年代半ばまでは上級階級のものであった。外国に旅行することは少年時代の人生計画の予定外だった。 |
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高度成長は終わったが、生活の変化はつづいた。普遍的職業としての「サラリーマン」は消えた。文系の高等教育を受けて帳簿をつけて会議にでて一生を送るという、江戸時代の武士の延長のよう存在は決定的になくなった。平均的な人間が生きにくい時代になった。「こつこつやっていれば報いられる」という教えを説くことが、家庭でも学校でもむつかしくなった。さらに、単身赴任者が三分の一に及ぶという時代になった。都会人でも田舎の人でもない、住宅地人、団地人、つまり「あなたの故郷は?」ときかれて答えられない人が大量に発生した。 これが単身赴任を心理的にやさしくしたのであろう。一方、持ち家政策で一戸建の家に住む日本人は有史以来の率にたっした。単身赴任は、労働の能率化・流動化と持ち家政策との矛盾に発生したともいえる。ニュー・ファミリーを待っていた試練である。 こういう時代の人の子が、今小学生から中学生になっているのである。 |
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5 しかし、今問題になっている「いじめ」の内容には新しさがほんとうにあるだろうか? 新しさとしてあげられているものは、そのしつこさ、限度の知らなさである。昔はそうでなかったという。しかし、それは戦前の陸軍の新兵いじめ、戦時中の疎開学童いじめを知らないものである。 ここに一つの調査がある。 東京都精神医学総合研究所の社会精神医学部門の吉松和哉氏らによるもので『社会精神医学』一九八六年一月号)、 現在五十歳のある学校の卒業生約一五〇人をアンケート調査している。この世代は、少年期以来自殺率が高く、三十年前の自殺のピークが二十歳代であったのも、一五年前には三十代後半から四十代だったのも、今五十歳であるのも、別に日本人が全体として変わったのではなく、この世代の自殺率が一貫して高いだけだということが最近わかった。調査では、いじめられたものが六〇パーセント、いじめられていない者といじめられた者とは自殺にたいする考え方が大いに異なり、いじめられている者は「自殺者の気持がわかり」「特別な人でなく誰でも自殺しうる」という返事の者が、いじめられなかった者にくらべて格段に多い。 いじめの体験でいちばんつらいのは、成人に訴えても甲斐ないことであり、友人も巻きぞえを避けることであり、しかも一つ一つを取りあげれば些細な事件とされることである。時には被害者の気力がないせいにされる。「出口なし」という状況である。こういう体験を社会への出発にあたって持った人が人生に悲観的になりやすいとしても、それは当然であろう。 |
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この世代の戦争体験は、空襲で逃げまわり、空腹に耐える体験であり、少し年長の世代のように、精神的に戦争に賛成したとか積極的に参加したという意識が希薄である。私もこの世代だが、空襲は台風に近い天然現象であって、恐怖ではあったが、アメリカにたいする敵意は実感がなかった。物心ついた時はすでに戦争であったから、そもそも戦争していない日本というものが考えにくかった。いじめのほうが空襲とちがって毎日のことであり、空襲よりも対応策がなく、空襲の時よりも周囲からみすてられていた。先の調査でも、戦時中の恐怖体験の有無と自殺親近性とは、被虐待体験の有無ほど相関性がないのである。 この世代の子は紛争以後の比較的平穏な学園時代を作ったともいえる。親の教育指向が強いのは、教育への機会が急速に増大した時代に青少年期を生きたからかもしれない。一方では、教育ママを生み、不登校児をも生んだ。しかし、教育への信頼はまだあったと思う。今の小・中学生の親は教育にたいして何を期待してよいか、わからなくなっているような感じを持つ。いわゆる教育ママは減少して当然である。階級が教育によってこえるには厚すぎる壁になりつつあるから。 |
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6 第三の側面がほの見える。つまり、日本文化に内在するいじめのパターンがあるのではないか。戦時中のいじめ新兵いじめをさらに遡れば、御殿女中いじめがある。現在でも新人いじめがあり、小役人の市民いじめがあり、孤立した個人にたいする庶民大衆のいじめがある。医師の社会にもあり、教師の社会にもあるだろう。ねちねちと意地悪く、しつこく、些細なことをとらえ、それを拡大して本質的に悪い(ダメな)者ときめつけ、徒党をくんでいっそうの孤立を図る。 完全に無力化すれば、限度のないなぶり、いたぶりに至る。連合赤軍の物語で私を最もうんざりさせたのは、戦時中の新兵いじめ、疎開学童いじめと全く同じパターンだったことである。そういえば、シベリアの捕虜の間でも「暁に祈る」という、死に至らしめるいじめがあった。忠臣蔵という芝居が江戸時代を通じて上演記録の一、二を(佐倉宗五郎とともに)争い、今日もくり返しテレビに登場して高い視聴率を挙げているのは、いじめに対して反撃して挫折した者の感情がこめられているのではないか。幕府は冷酷だった。しかし(実際の被害者は通常もてないところの)家来たちがかたきをとってくれる。幻想の中の解放感である。 この第三の側面は、私には日本人のいちばんいやな面である。戦時中の日本兵の残虐行為も、このパターンであったろう。 |
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こういうものは何によって生まれるのか。私には急に答えられないが、思い合わせるのは、実験神経症である。些細な差にたいする反応のいかんによって賞か罰かが決まるような状況におけば、無差別的な攻撃行為や自分を傷つける行為が起こる。新兵いじめでは些細な規律違反が問題になった。御殿女中では些細な行動が礼儀作法にかなっているかどうかが問題になった。連合赤軍では些細な服装や言葉づかいが、かくれた「ブルジョア性」のあらわれではないかと問題になった。いずれも、閉鎖社会であり、その掲げる目的を誰もほんとうには信じていない状況であった。 戦時中の教師はよく殴ったが、それで日本精神を注入して戦争に勝てるとはほんとうに思っていなかったにちがいない。人間は、自分が信じていないということを自覚しないで、信じているぞと自他に示そうとするとかなり危険な動物になる。 もちろん、信じていないことをしなければならないことはしばしば起こる。誰もが英雄ではないし、英雄には英雄の問題がある。最低、必要なのは、自分の影をみつめることのできるユーモア精神だと私は思う。 誰にも攻撃性はある。自分の攻撃性を自覚しない時、特に、自分は攻撃性の毒をもっていないと錯覚して、自分の行為は大義名分によるものだと自分に言い聞かせる時が危ない。医師や教師のような、人間をちょっと人間より高いところから扱うような職業には特にその危険がある。 |
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いじめの現象は、時代をこえた永遠なものがあり、時代の流れによるものがあり、一世代前の影響がある。流行さえあるだろう。 流行の部分は「いじめなんてダサイ」という噂を流すだけでなくなるかもしれない。しかし、それだけでは、いじめが外にむかって「障害者いじめ」「老人いじめ」になる可能性がある。すでに「浮浪者いじめ」がでた。そして、すでに引用した例からも、少年期のいじめられ体験が生涯の終わりにまで影響することをみた。このことを思えば、われわれは少なくとも、してはよくないだろうことはしないようにしたいものである。荒れた精神病棟を再建するには、まずどの患者をも無視せずにていねいにあいさつし、なるべく病棟への滞在時間を長くし、スタッフにはユーモアをもって対し、性急に一致を求めず、そしていつも楽観論を心にもっていることである。有益なことをしようとあせるよりも、人間の自然回復力を信じて、有害なことをしないようにしようと心掛けることである。これは今でも通用する方法である。教育の世界にも多少は他山の石になるだろうか。 |
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(中井久夫「精神科医からみた子どもの問題」初出1986年『記憶の肖像』所収) |
もうひとつ、これは翌年のエッセイからも、これは短く引用する。
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◼️中井久夫「意地の場について」初出1987年 |
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意地について考えていると、江戸時代が身近に感じられてくる。使う言葉も、引用したい例も江戸時代に属するものが多い。これはどういうことであろう。 一つは、江戸時代という時代の特性がある。皆が、絶対の強者でなかった時代である。将軍も、そうではなかった。大名もそうではなかった。失態があれば、時にはなくとも、お国替えやお取り潰しになるという恐怖は、大名にも、その家臣団にものしかかっていた。農民はいうまでもない。商人層は、最下層に位置づけられた代わりに比較的に自由を享受していたとはいえ、目立つ行為はきびしく罰せられた。そして、こういう、絶対の強者を作らない点では、江戸の社会構造は一般民衆の支持を受けていたようである。伝説を信じる限りでの吉良上野介程度の傲慢ささえ、民衆の憎悪を買ったのである。こういう社会構造では、颯爽たる自己主張は不可能である。そういう社会での屈折した自己主張の一つの形として意地があり、そのあるべき起承転結があり、その際の美学さえあって、演劇においてもっとも共感される対象となるつづけたのであろう。 |
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そして現在の日本でも、「民主的」とは何よりもまず「絶対の強者」がいないことが条件である。「ワンマン」がすでに絶対の強者ではない。「ワンマン」には(元祖吉田茂氏のような)ユーモラスな「だだっ子」らしさがある。「ワンマン」は一種の「子ども」として免責されているところがある。 二つには、一九八〇年代後半になっても、いまだ江戸時代に築かれた対人関係の暗黙のルールが生きているのではないかということである。われわれの職場にいくらコンピューターがはいっても、職場の対人関係は、江戸時代の侍同士の対人関係や徒弟あるい丁稚の対人関係、または大奥の対人関係と変わらない面がずいぶんあるということである。政治にも、官僚機構にも、変わっていない面があるのではないか。非公式的な集まりである運動部や、社会体制に批判的な政党や運動体においても、そういう面があるのではないか。 |
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いじめなどという現象も、非常に江戸的ではないだろうか。実際、いじめに対抗するには、意地を張り通すよりしかたがなく、周囲からこれを援助する有効な手段があまりない。たとえ親でも出来ることが限られている。意地を張り通せない弱い子は、まさに「意気地なし」と言われてさらに徹底的にいじめられる。いじめの世界においても、絶対の強者は一時的にあるくらいが関の山であるらしい。また、何にせよ目立つことがよくなくて、大勢が「なさざるの共犯者」となり、そのことを後ろめたく思いながら、自分が目立つ「槍玉」に挙がらなかったことに安堵の胸をひそかになでおろすのが、偽らない現実である。そして、いじめは、子供の社会だけでなく、成人の社会にも厳然としてある。 日本という国は住みやすい面がいくつもあるが、住みにくい面の最たるものには、意地で対抗するよりしかたがない、小権力のいじめがあり、国民はその辛いトレーニングを子供時代から受けているというのは実情ではないだろうか。(中井久夫「意地の場について」初出1987年『記憶の肖像』所収) |
江戸文化の特徴については後年の次の簡潔な記述を掲げておこう。
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江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。特に家康の決めた「祖法」は変更を許されなかった。その下で、江戸期の特徴は航海術、灌漑技術、道路建設、水道建設、新田開発、手工業、流通業、金融業の発達である。江戸は人口百万の世界最大都市となり、医師数(明治二年で一万人)も国民の識字率もおそらく世界最高であった。江戸期に創立された商社と百貨店と多くの老舗は明治期も商業の中核であり、問屋、手形、為替など江戸の商業慣行は戦後も行なわれて、「いまだ江戸時代だ」と感じることがたくさんあった。(中井久夫「歴史にみる「戦後レジーム」」初出2007年6月「神戸新聞」『日時計の影』所収) |
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