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われわれは時折、われわれから離れて休息しなければならないーー自分のことを眺めたり見下ろしたり、芸術的な遠方[künstlerischen Ferne]から、自分を笑い飛ばしたり嘆き悲しんだりする[über uns lachen oder über uns weinen] ことによってーー。われわれは、われわれの認識の情熱の内に潜む英雄と同様に、道化をも発見しなければならない。 われわれは、われわれの知恵を楽しみつづけることができるためには、 われわれの愚かしさをも時として楽しまなければならない!(ニーチェ『悦ばしき知』第107番、1882年) |
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さていくらか休息したい気分なのだが、芸術的な遠方かどうかはいざ知らず、好みの映画をいくつか観賞してみた。侯孝賢と塩田明彦の作品だが、ここではいくらか芸術度は劣るやも知れぬが後者について。 |
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塩田明彦の『月光の囁き』はYouTubeにも落ちてるんだな、➤Moonlight Whispers (1999)。 以前ロシアのサイトにあったのを繰り返し観たんだが、これはやたらに名作だよ。胸キュンになりっぱなしだね。 訓育の物語でもあってボクの趣味にひどく合うということもあるんだけど、そこの享楽好きのキミの趣味にも合致する筈だから是非とも観賞をオススメするよ。 |
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マゾヒストは専制的女性を養成せねばならない。〔・・・〕マゾヒストは本質的に訓育者なのである[Il faut que le masochiste forme la femme despote. ... Il est essentiellement éducateur. ](ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介ーー冷淡なものと残酷なもの』GILLES DELEUZE , Présentation de Sacher-Masoch Le froid et le cruel, 1967) |
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フロイト的に言えば、次の物語でもあるよ、 |
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マゾヒズム用語は、性生活および性対象に対するあらゆる受動的な態度を包括しており、その極端なものとして現われるのが、性対象からうける肉体的または心的な苦痛を耐えしのぶことに満足が結びついているものである[die Bezeichnung Masochismus alle passiven Einstellungen zum Sexualleben und Sexualobjekt, als deren äußerste die Bindung der Befriedigung an das Erleiden von physischem oder seelischem Schmerz von seiten des Sexualobjektes erscheint. ](フロイト『性理論三篇』第一篇、1905年) |
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マゾヒストは、小さな、寄る辺ない、依存した子供として取り扱われることを欲している[der Masochist wie ein kleines, hilfloses und abhängiges Kind behandelt werden will.](フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年) |
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マゾヒズムは、生命にとってきわめて重要な死の欲動とエロスとの合金化が行なわれたあの形成過程の証人であり、名残である[Masochismus ein Zeuge und Überrest jener Bildungsphase, in der die für das Leben so wichtige Legierung von Todestrieb und Eros geschah.](フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年) |
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ラカンによる享楽とは何か。…そこには秘密の結婚がある。エロスとタナトスの恐ろしい結婚である[Qu'est-ce que c'est la jouissance selon Lacan ? –…Se révèle là le mariage secret, le mariage horrible d'Eros et de Thanatos. ](J. -A. MILLER, , LES DIVINS DETAILS, 1 MARS 1989) |
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享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを見出したのである[ la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il (Freud) l'a découvert] (Lacan, S23, 10 Février 1976) |
なおラカン派においては、サディズムは自我の審級、マゾヒズムはエスの審級にあり、フロイト自身の記述からもそう読める[参照]。
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◼️谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』より |
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十三日 「颯チャン! 痛イヨウ!」ト、覚エズ叫ビ声ガ出タ。ヤッパリコンナ声ハ本当ニ痛イノデナケレバ出ナイ。痛イ振リヲシタンデハ斯クノ如ク真ニ迫ッタ声ハ出ナイ。第一彼女ヲ「颯チャン」ナンテ呼ンダコトハ一度モナイノニ、ソレガ自然ニ出タ。ソウ呼ベタコトガ予ニハ嬉シクッテ溜ラナカッタ。痛イナガラ嬉シカッタ。「颯チャン、颯チャン、痛イヨウ!」マルデ十三四ノ徒ッ子ノ声ニナッタ。ワザトデハナイ、ヒトリデニソンナ声ニナッタ。 |
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「颯チャン、颯チャン、颯チャンタラヨウ!」ソウ云ッテイルウチニ予ハワア〳〵ト泣キ出シタ。眼カラハダラシナク涙ガ流レ出シ、鼻カラハ水ッ洟ガ、口カラハ涎ガダラ〳〵ト流レ出シタ。ワア、ワア、ワア、―――予ハ芝居ヲシテルンジャナイ、「颯チャン」ト叫ンダ拍子ニ俄ニ自分ガ腕白盛リノ駄々ッ子ニ返ッテ止メドモナク泣キ喚キ出シ、制シヨウトシテモ制シキレナクナッタノデアル。アヽ己ハ実際気ガ狂ッタンジャナイカナ、コレガ気狂イト云ウモンジャナイカナ? 「ワア、ワア、ワア」気ガ狂ッタラ狂ッタデイヽ、モウドウナッタッテ構ウモンカ、予ハソウ思ッタガ、困ッタコトニ、ソウ思ッタ瞬間ニ急ニハット自省心ガ湧キ、気狂イニナルノガ恐クナッタ。ソシテソレカラバ明カニ芝居ニナリ、故意ニ駄々ッ子ノ真似ヲシ出シタ。 |
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「颯チャン、颯チャン、ワア、ワア、ワア、―――」 「オ止シナサイヨ、オ爺チャン」 サッキカラ少シ薄気味悪ソウニ黙ッテジット予ノ表情ヲ見ツメテイタ颯子ハ、偶然眼ト眼ガ打ツカリアッタラ、咄嗟ニ予ノ心ノ変化ヲ看テ取ッタラシイ。 「気狂イノ真似ナンカシテルト今ニホントノ気狂イニナルワヨ」 予ノ耳元ヘ口ヲ寄セテ、ヘンニ落チツイタ、冷笑ヲ含ンダ低イ声デ云ッタ。 「ソンナ馬鹿々々シイ真似ガ出来ルト云ウノガ、モウ気狂イニナリカケテル證拠ヨ」 |
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声ノ調子ニ、頭カラ水ヲ浴ビセルヨウナ皮肉ナモノガアッタ。 「フヽン、アタシニ何ヲサセヨウッテ仰ッシャルノヨ。ソンナ泣キ声ヲ出スウチハ何モシタゲナイワヨ」 「ジャア泣クノヲ止メル」 予ハイツモノ予ニナッテ、ケロリトシテ云ッタ。 「当リ前ヨ、アタシ強情ッ張リダカラ、ソンナ芝居ヲサレルト尚更依怙地ニナルワ」 |
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モウコレ以上クダ〳〵シク書クノハ止メル。接吻ニハ遂ニ逃ゲラレテシマッタ。口ト口ト合ワセナイデ、互ニ一センチホド離レテ、アーント口ヲ開ケサセテ、予ノ口ノ中ヘ唾液ヲ一滴ポタリト垂ラシ込ンデクレタヾケ。 「サ、コレデイヽデショ、コレデイヤナラ勝手ニナサイ」 「痛イ、痛イ、痛イコトハ本当ナンダヨ」 「コレデイクラカ直ッタ筈ヨ」 「痛イ、痛イ」 「又ソンナ声ヲ出ス! アタシ彼方ヘ逃ゲテクカラ、一人デ勝手ニ泣イテラッシャイ」 「ネエ颯子、コレカラ時々『颯チャン』ト呼バシテオクレヨ」 「馬鹿ラシイ」 「颯チャン」 「甘ッタレ坊主ノ嘘ツキ坊主、誰ガソノ手ニ載ルモンデスカ」 プリ〳〵怒ッテ行ッテシマッタ。 ……………………………………………………………………………………………… |
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◼️潤一郎より渡辺千萬子 |
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九日附お手紙拝見 |
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あなたは「私には意地の悪い性質がある」と自分でも云っておられましたが病院のおじいちゃんも熱海の二人のバアバも君を尊敬し畏れている反面 君にそう云う短所のあることを認めているようです、あなたが自分でそう云う以上それは事実かもしれませんが私はまだ実際にあなたのそれを見せて貰ったことがありません あなたが私に遠慮しているのだとすれば私はむしろあなたを水臭く感じます あなたに意地悪されるくらいで私の崇拝の情は変るものではありません 橋本家高折家を通じて故関雪翁の天才の一部を伝えている人はあなた一人だと思います あなたの顔や手脚には その天才の閃きがかがやいて見えそれ故に一層美しく見えるのです しかし天才者には大概意地悪のような欠点があるものなのであなたの場合もそれなのでしょう |
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つまりあなたは鋭利な刃物過ぎるのです その欠点は直せるものなら直すに越したことはありませんが 少なくとも私だけには遠慮する必要はありません 私はむしろ鋭利な刃物でぴしぴし叩き鍛えてもらいたいのです そうしたらいくらか老鈍さが救われるでしょう あなたのことは正直に書き出すと際限がありませんから今日はこれだけにしておきます あまり無遠慮に書き過ぎて赦して下さい 二月十五日 潤 |





