篠田英朗くんはなかなか良いこと書いてるじゃないか。
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◼️篠田英朗「アメリカ一辺倒では大きなリスクになるのに…日本のイラン戦争認識はなぜこんなにも歪んでしまうのか」2026.05.03 |
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残念なのは、日本のメディア露出度の高い「専門家」層が、「アメリカでそう報道された」という理由だけで、あたかも確証済の事実であるかのように、怪しい情報を広めることに貢献してしまっていることだ。メディア露出度の高い日本のアメリカ「専門家」層が、アメリカの政府やシンクタンク関係者から聞いてきた話などを、あたかも確証済の事実であるかのように広めてしまうときにも、同じような残念な事態が起こる。〔・・・〕 たとえば今回のようにアメリカが深く関与する戦争が、非欧米の地域大国との間で行われるような場合、どうしてもアメリカ発の情報をアメリカ人の視点で受け止める傾向が強くなる。そしてイランの視点はもちろん、イランの実力評価の軽視の危険性すらも目立ってしまう可能性がないとは言えない。 そのとき、目に見えない形で、アメリカ経由で、イスラエルの利益に基づくイスラエルの視点が、日本の専門家層に意識的・無意識的に及んできてしまうことも、指摘せざるをえない。 もちろん日本には地域研究者など安全保障の専門家以外の専門家もいる。しかし日本社会の権力構造が、アメリカ依存の形態になってしまっているので、特にアメリカが戦争に関わっているような場合、アメリカ人の言説を代弁するような専門家ばかりがメディアで取り上げられるような傾向も生まれがちになる。 |
とはいえいささか微苦笑せざるを得ないところが私にはある。この文は宇露戦争、少なくともその初期の日本のマスメディア状況にもほとんどそのまま当てはまるのだから。彼はのちに「転向」したとはいえ、2022年からの2023年の半ばあたりまで、ロシア絶対悪の急先鋒だった。彼は西側プロパガンダの拡散に耽っていた。
それとも篠田英朗くんはこのように書いて意識的か無意識的にかはいざ知らず「自己批判」しているのだろうか。
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◼️浅井基文「東アジアの平和に対するロシア・ウクライナ紛争の啓示」3/21/2022 |
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(ロシア非難・批判一色に染まった日本) 伝統的にロシア(ソ連)に対して悪いイメージが支配する日本の政治・社会がロシアのウクライナに対する武力侵攻に対してロシア非難・批判一色に染まったのは、予想範囲内のことでした。しかし、一定の肯定的評価を得ている学者、研究者、ジャーナリストまでが一方的な非難・批判の側に組みする姿を見て、私は日本の政治・社会の根深い病理を改めて思い知らされました。〔・・・〕 日本の政治・社会の際立った病理の一つは、「赤信号一緒に渡れば怖くない」という集団心理の働きが極めて強いということです。ロシア非難・批判一色に染まったのはその典型的現れです。今日の日本の政治・社会を支配している反中・嫌中ももう一つの現れです。1989年の天安門事件以後、日本人の中国に対するイメージが急激に悪い方向に向かってきたという事情があり、そこに「巨大な中国が目の前に現れた」ことを素直に消化できない複雑な感情が合わさって、反中・嫌中・親台としての集団心理が自己主張する形を取ることになっているのです。 |
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ちなみに、「鬼畜米英」を唱えていた日本人が敗戦と米軍による占領を契機に一夜にして「徹底親米」に豹変したことはよく知られています。この現象も集団心理の働きを抜きにしては理解不能なことです。ちなみに、アメリカに対する印象に関する内閣府による世論調査結果は、ほぼ一貫して80%前後の日本人がアメリカに対して好感を持っていることを示しています。直近(2021年)の調査では実に88.5%です(ちなみに、ロシアについては13.1%、中国は20.6%でした)。しかも、日本のメディアは圧倒的にアメリカ・メディアの影響力の下にあります。したがって、アメリカ発のロシア情報が垂れ流しかつ土砂降りで入ってきて、日本の政治・社会を徹底的に洗脳しているというわけです。 |
※追記
この元外交官浅井基文氏の指摘以外にも、もっと根に下って、ラカン派精神分析家ポール・バーハウは、冷戦終了後、つまり新自由主義の時代以降の世代の大学人に関して次のような問いを提起している。
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◾️ポール・バーハウ「アイデンティティ、信頼、コミットメント、そして現代の大学の失敗」2013年 |
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私のテーゼは、ほとんどの大学は新自由主義的言説の餌食になっているということだ。これは大学にとっても社会にとっても悪である。大学にとって悪なのは、創造性と批評精神を崩壊させるから。社会にとって悪なのは、学生に新自由主義のアイデンティティを書き込むから。 |
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It is my thesis that most universities have fallen prey to the neoliberal discourse as well, and that this is bad both for the universities and for society. It is bad for the university because it destroys creativity and critical thinking. It is bad for society because it endorses a neoliberal identity in students. 〔・・・〕 |
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より高度な教育にとっての機関の現代的使命言説は「生産性」「競争性」「革新」「成長」「アウトプット資金調達」「コアビジネス」「投資」「ベンチマーキング」等々である。これらの中いくつかの表現はかつての時代の、例えば「多様性と尊敬の育成」、「精神の修養」等を指し示しているかに見える。だが欺かれてはならない。これは単に粉飾に過ぎない。新しい言説の核心は経済である。 |
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The contemporary mission statements of institutions for higher education are crammed with expressions such as ‘productivity', ‘competitiveness', ‘innovation', ‘growth', ‘output financing', ‘core business', ‘stakeholders', ‘bench marking' etcetera. Some expressions in these mission statements refer to former times – e.g. ‘fostering diversity and respect', and ‘cultivating the mind' – but don't let that mislead you, this is just window dressing. The core of the new narrative is economic. 〔・・・〕 |
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長いあいだ、大学は自身の小宇宙のなかの静的な社会だった。〔・・・〕しかし、状況は劇的に変貌した。大学人は不可視の行政機関の音楽に踊ることを余儀なくされている。 |
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For a long time, universities were static societies in their own microcosm (…) however, this situation changed dramatically, …they are compelled to dance to the music of an invisible administration. |
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(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, Identity, trust, commitment and the failure of contemporary universities, 2013) |
先の篠田英朗曰くの《日本社会の権力構造が、アメリカ依存の形態になってしまっている》とは、ネオリベ時代には大学人においてもいっそう顕著になっているのではないか。例えば、日本なら科研費取得システムなどを通して。