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目の前で家の、自分の家の燃えるのを見た子供の恐怖に、既視感がまじり、それがまた恐怖を共振させた。あの既視感はどこから来たものか。 遠く近くの空襲の凄惨さを伝え聞いて、この家もいつか焼かれると、その炎上を想像しかけては怯えて押さえこんだせいもあるだろうが、恐怖にはおのずと既視感が伴うものなのかもしれない。 人には厄災の予兆にどこかで感じる本能が備わっていて、意識に留まらなくても、恐怖の至った現在の中に、由来の知れぬ既視感となって露呈するものか。(古井由吉『ゆらぐ玉の緒』「後の花」2017年) |
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震災で一切を失った人たちの、喪失感はいつか癒える時がくるものだろうか、と人にたずねられて、それは生涯、抱えこむよりほかにないのだろう、と答えていました。七十三歳の私の身心の内にも、戦災で家も土地も焼き払われた七歳の小児がいます。〔・・・〕 戦地の凄惨な境から帰還した人たちはおしなべて、その後三十年ほども、その体験について口が重かった。現に暮らしている日常の中の言葉ではとうてい伝えられない、口にしたところから徒労に感じられる、ということだったのでしょう。話さずに亡くなった人も多かっ たはずです。(古井由吉『言葉の兆し』2012年) |
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いまだにね、消防車のサイレンを聞くと、ドキッとして不吉な気持ちになるの。30歳を過ぎる頃まで、敵機襲来で東京中が火の海になる夢を見てはうなされた。〔・・・〕 あの光景は、僕の中に深く深く刻み込まれていますから、どうしようもない。ごく最近のことですよ、戦争体験を小説に書けるようになったのは。( 古井由吉「サライ」2011 年 3 月 号) |
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古井由吉の熱心な読み手にはいまさらかもしれないが、上で言ってるのは明らかに外傷性戦争神経症 [traumatischen Kriegsneurosen]のことだ。
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私は古井由吉の熱心な読者ではまったくないのだが、2015年の阿部公彦氏によるインタヴューで(YouTube:飯田橋文学会 〈現代作家アーカイヴ〉 文学インタヴュー 第2回 古井由吉(収録日:2015年5月28日)本編)、自らの重要作品を、『辻』(06年)、『白暗淵(しろわだ)』(07年)、『やすらい花』(10年)としているのをごく最近知って、『白暗淵』の冒頭の「朝の男」を読み、ああ、幼少の砌にひどい傷を受けたのだな、と「あらためて」感じて、今この記事を書いている(なお『辻』に関しては蓮實重彦の名インタヴューがある)。 |
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昭和二十年五月二十四日の未明から始まって東京の西南部を芝、青山、渋谷から広く郊外まで焼き払った空襲の、その朝のことになる。後の記録によれば警戒警報の発令が一時五分、空襲警報が一時三十五分、敵の全機海上離脱が三時三十分とあるから、警報の解除は四時前になるか。私の家ではその夜も父親が会社のほうに詰めていて母親と女学生の姉と国民学校二年生の私と三人、家が焼夷弾の直撃を受けて燃えあがってから防空壕を飛び出して、避難場所の大通りへくだる坂道に出た時には、一面白煙の中に人影もほとんど見えず、燃えて倒れかかる板塀の脇をすりぬけて大通りでひと息ついた頃には頭上から敵機の爆音も引いて、遠くからも来たらしい避難者たちの足も滞りがちになっていたところを見ると、敵の海上離脱の間際の、もう最後のほうの被弾であったようで、それがもう数分遅れていれば、煙を吐く家々はある境から一斉に火を噴くそうなので、逃げ場を失っていたところかもしれない。五月二十四日の日の出は暦から割り出すと四時三十分頃になるようだ。(古井由吉「朝の男」『白暗淵』2007年) |
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空は黄身を含んだ暗色に閉ざされて、明けたともつかず、地表から白み出す。それにつれて道の両側の煙の中から残骸がつぎつぎに集まってくるように現われる。黒く焦げた柱が大小さまざまな得体の知れぬ杭のように立ちあがる。頭を焼かれた樹が手先の欠けた腕を天へ伸べて、焼け跡をさまよう人影に見える。まれに難を逃れた家屋の、無事のたたずまいがなまじ、まがまがしい。さらに明けてくる中を歩くうちに、つい未明に焼け落ちたばかりの瓦礫の原が、もう十年も二十年も昔からそのままにひろがっていたかのように、昨日までのことが遠くへ断たれる。家へ向かうこの歩みだけが昨日を繋ぐ。急いではならない。急ぐほどに道は遠くなる。急いで踰えられるような距離ではない。時間も空間も永遠の相を剥いている。歩調を乱してもならない。立ち止まるのはまして危ない。足を止めて辺りを見まわしたら最後、魂が振れて、昨日と今日とのあいだにぽっかりとあいた宙に迷い出し、妻子の安否も忘れることになりかねない。 |
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血の赤さの太陽がいきなり行く手の中空に掛かった時には、ただ今の今を踏む足取りになっている。焦げた柱も樹木も、崩れた壁も赤い光を受けて、やわらかな影を流している。変わり果てた姿ながら、静かにあけた早朝の雰囲気に変わりない。長閑だ、狂ったように長閑だ、とつぶやいては、その声の長閑さをまた狂ったように感じる。先のことは見えず、過ぎたことは過ぎたところから消える。それでも何歩めかごとに、運命がそこで定まる境目へ踏み込むような、この一歩に妻子の安否が掛かっているような、空恐ろしさがひざ頭から走り股間に迫る。乳の匂いが鼻の奥へのぼる。 戦慄となりかかるものを爪先からそっと抜いて、置いて行く。つれて背が平らかに、まるで寛いでいるかのようになる。(古井由吉「朝の男」『白暗淵』2007年) |
実は私の母ーー古井由吉より5年前に生まれているーーも外傷性戦争神経症だった。32歳のとき分裂病と誤診されたのだが、当時は外傷神経症を分裂病と誤診することは比較的多かったようだ。
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なお古井由吉は大きな災害があるたびに自らの戦争体験を思い出している。 |
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戦争や病気の危機も迫らなくなってから、かなり忘れていたことを阪神の大震災で思い出しました。それから、東日本大震災の時に二万人近い人間が一瞬のうちに亡くなるというのは 凄いことです。(「キノノキ」古井由吉×平野啓一郎 特別対談) |
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これもフロイトの記述通りである。 |
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経験された寄る辺なき状況をトラウマ的状況と呼ぶ 。〔・・・〕そして自我が寄る辺なき状況が起こるだろうと予期する時、あるいは現在に寄る辺なき状況が起こったとき、かつてのトラウマ的出来事を呼び起こす。 eine solche erlebte Situation von Hilflosigkeit eine traumatische; (…) ich erwarte, daß sich eine Situation von Hilflosigkeit ergeben wird, oder die gegenwärtige Situation erinnert mich an eines der früher erfahrenen traumatischen Erlebnisse. (フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926年) |
つまり地獄を喚起しているのである、《焼跡とひと口に言われるが、たとえば昭和二十年三月十日の江東深川大空襲の跡は、すくなくともその直後においては、焼跡と呼ぶべきでない。あれは地獄であった。同様にして広島長崎の原爆の跡も、すぐには焼跡とは呼ばない。/初期の空襲に家や地域を焼きはらわれた人たちもやはり、その跡に立って、いわゆる焼跡の感情はいだけなかったかと思われる。もっとまがまがしい、悪夢の光景だったはずだ。》(古井由吉「太陽」1989 年 7 月号)
なお、先に古井由吉の『辻』をめぐるインタビューで名前を挙げた蓮實重彥は「固着の反復」の批評家ジャン・ピエール・リシャールーー『マラルメの想像的宇宙』で名高いーーに強い影響を受けている▶︎愛の技法と固着の反復(リシャールと蓮實重彦)。リシャールの固着概念がフロイトのトラウマ的固着とまったく等価だと言うつもりはないが、作家が、いや作家でなくても人が、強度を持った出来事に固着し、それを反復しているのはしばしば見られることだろう、ーー《出来事がトラウマ的性質を獲得するのは唯一、量的要因の結果としてのみである[das Erlebnis den traumatischen Charakter nur infolge eines quantitativen Faktors erwirbt]》(フロイト『モーセと一神教』3.1.3, 1939年)
ここでもうひとつ、西部邁ゼミナールでの古井由吉の発言を掲げておこう。
◼️2015年03月22日 西部邁ゼミナール 古井由吉2 歴史と文学 YouTube |
古井由吉:一九四五年、敗戦の年に僕はまだ満で八つにもならないんです、幼児ですよ。でも空襲ということに関しては自分を戦中派と感じています。幼児にもかかわらず切羽詰まった体験をしてしまった。さてその記憶の問題なんです。恐怖の記憶を維持するのは難しい。もろに維持したら生きられない。 特に火の中を逃げ惑う。目の視覚的記憶は保たれる。見るということは対象化することですから。そのぶん突き放すことができる。怖いのは耳です。これは物凄い恐怖に押し入られる。耳を塞いで走るわけにはいかないでしょう。 耳を塞げないので遮断するんです。特に記憶の中で遮断する。その記憶を中年に入ってから少しずつ掘り出していって、まだ掘り出し切れない。これが僕の現状です。〔・・・〕 音にもろに押し入られたら動けない。立ってもいられない。だからそのときからしてどこかで遮断しているんです。幼児の記憶だとなおさらのことです。これをだんだんに掘り出すのは、実はあまり嬉しいことではありません。でもこれは僕が生きるのに必要なことだろうと思う。 でないと自分というものがわからない。人に対する態度もとりにくい。へたをすると気が狂う恐れもある。そういう意味もあって少しずつ掘り出した。何かの大きな音を聞いて空襲のときのことを思い出すのではなくて、むしろ音が静まったときにどこか耳の奥から聞こえてくる。 |
(『西部邁発言①「文学」対論』所収) |