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2026年6月18日木曜日

言語の甘えと身体の甘え

 

以前にも「土居健郎の甘え概念とフロイトの欲動」で記したがね、最近も「あのエライセンセ」が土居健郎をめぐって投稿を連発してるようだが、何か根本的な「知的問題」があるんじゃないかね。


たぶん前意識と本来の無意識の区別がついていないんだよ、自我とエスの区別がね。言語と身体、欲望と欲動と言ってもいいが。


言語と身体


土居健郎の云う「甘えという依存性」だって、言語の甘えと身体の甘えがある。根にある甘えは母への身体的依存性であり、後年の甘えは他者への言語的依存性だよ。この認識さえあれば、あのエライセンセが何やら言ってることは即座に解決する筈だがね。

そこのキミーーエライセンセの言葉にウンウン頷いているように見えるがたしか神戸大学医学部のセンセだった筈ーーはどう思う?

もっとも自我とエスのあいだには常にエスに置き残される固着の残滓がある[参照]。




中期フロイトはこう言ってるがね、

前意識体系にはさらに、表象内容が、たがいに影響しあうことができるように、相互の交流を行なうこと、それを時間的に秩序づけること、 一つまたはいくつかの検閲の実施、現実吟味と現実原理、これらのことがその役割である。 意識する記憶もまた、すべて「前意識」にかかわるものと思われるが、それは固着された無意識の出来事の記憶痕跡とはきびしく区別される。

Dem System Vbw fallen ferner zu die Herstellung einer Verkehrsfähigkeit unter den Vorstellungsinhalten, so daß sie einander beeinflussen können, die zeitliche Anordnung derselben, die Einführung der einen Zensur oder mehrerer Zensuren, die Realitätsprüfung und das Realitätsprinzip. Auch das bewußte Gedächtnis scheint ganz am Vbw zu hängen, es ist scharf von den Erinnerungsspuren zu scheiden, in denen sich die Erlebnisse des Ubw fixieren (フロイト『無意識について』第5章、1915)



甘え概念に関して言えば、この文の後期フロイトからの遡及的意味合いは、言語の甘えには常に身体の甘えの残滓があるんだよ。この残滓がエスに置き残された固着としての本来の無意識だ。ーー《最初に母への固着がある[Zunächst die Mutterfixierung ]》(フロイト『嫉妬、パラノイア、同性愛に関する二、三の神経症的機制について』1922年)



常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスに置き残されるdas Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand geho-ben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück.(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年)


で、現在の主流ラカン派(フロイト大義派)の臨床のベースはこの固着だ、ーー《分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ]》(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)