ようやく蓮實重彦の「恥を知れ」の文脈を貼り付けてくれる人が出てきたな、
以下は上の投稿を拾うなかでたまたま行き当たったものだが、ついでに貼り付けておく。
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この際、文字起こししとくよ
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◼️蓮實重彥×工藤庸子 対話 第八回「読むこと」がひたすら回避されているこのご時世に、いったいどこへ行ったら「文学」と出会えるのでしょうか? 『群像』2026年11月号 |
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工藤庸子:さて、深々と寝そべった病人のひとりとして、ウルフは《私たちは直立人たちからなる軍勢の兵士であることをやめ、脱走兵になる》 we cease to be soldiers in the army of the upright; we become deserters と宣言します (一三頁)。さらに《直立人たちは戦闘へと進軍してゆくけれど》、逃げだした者は《たとえば空を》見上げ、《神々しいほど美しい》 その光景に眼を奪われる、あるいは地上に咲く《静謐な花》に強く惹きつけられる、というのですが、 それにしても、寝そべった人がどうして 「脱走兵」になれる? じつはテクスト上で uprightに対立するのは recumbent という言葉。 この単語があらわれるのは「風景描写」のあと、《空がいくら無関心でも、花たちがいくら取り澄ましていても、直立人たちの軍勢は蟻か蜂みたいなヒロイズムを発揮して、戦闘へと進軍していく》と強調したのち、ただ 「横臥する者」だけが、 《自然は自分が最後に勝つことを隠そうともしないと知っている》という(一一六頁)。つまり自然界の美と摂理、 人の生命のはかなさを実感できるのは、蟻や蜂のように働く「アップライト」の連中ではなく、怠惰に寝そべった「リカンベント」のほうだという主張です。 こうして片仮名で並べてみると、気づく方がいそうだけれど・・・・・じつはこれ、両大戦間には広く普及してい自転車スポーツの用語をチラリと仄めかしての、高級な言葉あそびじゃありません? 雲と光が活動する広大な空や地面に貼りついた小さな花々を語る、 素晴らしく詩的な断章は、客観的な「風景描写」ではなく想像されたイメージとして呈示されたものではありますが、どことなく 「脱走兵」の動く視点を思わせる。 ご存じのように「寝そべり自転車」 などと訳される「リカンベント」は、背もたれシートに寝そべって漕ぐタイプ、 「アップライト」は直立しサドルにまたがるタイプであって、直立して頭上の空や地面の小さな花に見とれるのは無理だから、大自然との親和性も、それこそ人生観も世界観も、全然ちがうでしょう、というわけです。 |
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蓮實重彦:ここでひとまず『三ギニー』を離れ、これまた素晴らしいというほかはないウルフのエッセイ「病気になるということ」に移ります。 驚くべきことに、このテクストもまた、恥ずべきことに、まともに読まれてはいないといわざるをえません。庸子さまは、《私たちは直立人たちからなる軍勢の兵士であることをやめ、脱走兵になる》という文章に注目され、そのテクストで upright に対立する語彙として、ウルフが recumbent と書いている事実を正しく指摘しておられる。にもかかわらず、《ウェブ上におびただしく流通する「ケア論」では、いつのまにか「直立する人」 と 「横臥する人」の引用が、 vertical と horizontal に置き換えられていたりすると指摘されながら、庸子さまはその苛立ちを改めて表明しておられる。その苛立ちには、確かな理由が存在しております。 ここでも、 文学的なテクストが、概念の操作に従属してしまうからです。 しかし、事態はさらなる深刻さを増しております。 ウエブ上に氾濫しているのみならず、『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社、二〇二一年)の著者である小川公代にいたっては、その書物でウルフの「病気になるということ」を引きながら、《エッセイ「病気になるということ」 (On Being III, 1926) でも横臥する (horizontal) 病人と直立する(vertical) 健康な人々を対比させながら、後者の「親切そう」な「見せかけ」の同情がいかに前者を辟易させるかを暴露し、この序列関係を解体するのである》(四七~四八頁)と呆気にとられるしかない文章を涼しい顔で書きつけている始末です。恥を知れ、と思わず声を荒だてずにはいられません。 |
この二人の対話の抽出箇所を読んでいて、さらにXでの大学教員を初めとする有象無象の反応を垣間見て、大江健三郎の《ビラビラ》を思い起こしたね、ーー《自分の頭と心とを通過させないで、唇の周りに反射的な言葉をビラビラさせたり、未消化の繰り返しだけやる連中がいるけれどーー学者に、とはいわないまでも研究者にさーー、こういう連中は、ついに一生、本当のテキストと出会うことはないんじゃないだろうか?》 (大江健三郎『燃え上がる緑の木』第三部「大いなる日」)
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※追記







