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2019年1月11日金曜日

けげんそうなまなざし

【何も知らないような顔】
相手の男が近寄ってくるのを待ち、しばらくお前のまわりをぶらつかせておくこと。誘惑してきたら、すこし驚いてみせなくてはいけない。相手を見て、何も知らないような顔をすべきかどうか判断することが肝心だ……(ジャン・ジュネ『泥棒日記』朝吹三吉訳)


【おどろいたようすをしたいという欲望をあらわしている、あの一種のけげんそうなまなざし】
夕闇がおりてきた、ひきかえさなくてはならなかった、私はエルスチールを彼の別荘のほうに送っていった、そのとき突然、ファウストのまえに立ちあらわれるメフィストフェレスのように、通路の向こうの端にーー私のような病弱者、知性と苦しい感受性との過剰者には、およそ縁のない、ほとんど野蛮残酷ともいうべき生活力、私の気質とは正反対な気質の、非現実的な、悪魔的な客観化であるかのようにーーほかのどんなものとも混同することのできないエッセンスの斑点のいくつか、あの少女たちの植虫群体をなすさんご虫のいくつかが、ぱっとあらわれたが、彼女らは私を見ないふりをしながら、私に皮肉な判断をくだそうとしていることはうたがいをいれなかった。(……)

折から私たちが通りかかっているアンティックの店のショー・ウィンドーのほうへ、まるで急にそれに興味をおぼえたように、身をかがめたが、そんな少女たちよりもほかのことを考えることができる、というふりをするのは自分でもわるい気がしなかった、そしてエルスチールが私を紹介しようとして呼ぶとき、おどろきそのものをあらわしているのではなく、おどろいたようすをしたいという欲望をあらわしている、あの一種のけげんそうなまなざしを自分がするだろうことを、私はすでにひそかに予知していたしーーそんな場合、誰しもわれわれは下手な役者であり、相手の傍観者は上手な人相見だーーまた指で自分の胸をさしながら、「私をお呼びですか?」とたずね、知りたくもない人たちに紹介されるために、古陶器の鑑賞からひきはなされた不快を顔につめたくかくし、従順と素直とに頭をたれ、いそいで自分が走ってゆくであろうことを、私は予知していた。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」井上究一郎訳)



【ぼんやりと気のなさそうなようすをあらわそうとした】
彼(シュルリュス男爵)はポケットから手帖を出し、ポスターにある芝居の外題を写しとるふうを装い、二、三度時計をとりだし、黒のむぎわら帽を目深におろし、誰かきたのではないかと見るようにして手をかざして目庇をつくり、ずいぶん待たされたことを人に見せつけるような、実際に待っているときはけっしてわれわれのやらない、不満そうな身ぶりをし、それから、こんどは帽子をあみだにして、頭の上は短く平に刈りあげているのが両側にはかなり長い鳩翼状のウェーヴがついた鬢を残しているその髪形を見せながら、あまり暑くもないのに暑くてたまらないようすを見せたいと思う人がよくやるように、ふうっと音を立てて息を吐いた。

私はホテル破落戸〔ごろ〕かと思った、その男なら、まえから祖母と私とをつけねらっているらしいので、何かわるいことをたくらんで私の隙をうかがっているところを不意に見つけられたことに気がつき、私の目をごまかすために、おそらく急に態度を変え、ぼんやりと気のなさそうなようすをあらわそうとしたのだが、それがあまり強く誇張されたので、彼の目的は、すくなくとも、私が抱いたと思われる疑念を一掃することにあったと同時に、私が無意識のうちに彼に加えたかもしれない侮蔑のしっぺいがえしをやること、おまえは人の注意をひくほど大した人間ではない、そんなおまえをおれは見ていたのではない、という考えを私に植えつけることであるように思われるのであった。

彼は挑戦的な態度でぐっと肩を張り、唇をかみ、ひげをひねりあげ、そのまなざしのなかに、冷淡な、冷酷な、ほとんど侮蔑的なと思われるものを溶けこませていた。したがって、そんな表情の特殊性が、彼をどろぼうではないか、それとも精神病者ではないか、と私に考えさせるのであった。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)

…………

私は監獄で「花咲く乙女たちのかげに」を読んだ。最初の巻だ。我々は監獄の中庭にいて、こっそり本を交換していた。戦争中のことだった。さほど本に気を取られていなかったので、私は後回しだった。「ほれ、おまえのぶんだ」と言われた。それがマルセル・プルーストだった。私は独語した。「こりゃ、きっとうんざりさせられるぞ」。ところがだ。どうか、私のいうことを信じて欲しい。かならずしもいつも私があなたに対して誠実ではないとしても、これだけは信じてもらいたい。私は「花咲く乙女たちのかげに」の出だしのフレーズを読んだ。それはプルーストつまり書き手の父母の家に、夕食に招かれたノルポワ氏を紹介する場面だ。そのフレーズはとても長い。そこを読み終えたとき、私は本を閉じ、自分に言い聞かせた。「もう、心配無用だ。これから私はめくるめく想いをするに違いない」。最初のフレーズは密で美しかった。この胸の高鳴りが燎原の火をもたらす最初の炎だった。元に戻るのにほとんど丸一日かかった。夜になって、ようやく私は再び本を開いた。そして、まさしく、めくるめく想いが押し寄せてくるのだった。(Jean Genet L'ennemi declare)

2015年7月6日月曜日

現代日本の「自由のアマゾンヌ」たち




いい女がそろってるねえ
デモというのは、どうして女たちのほうが絵になるんだろ




おい、若い男ども、写真を撮りにいくだけでもいいから参加しろ!




総理がSEALDsを非常に気にしている。これまでネットの意見で若い世代に憲法改正を望む声が強いことから、総理は自分の路線が若者に支持されていると考えていた。選挙権の年齢引き下げも自民党に有利に働くとの読みがあった。

 しかし、渋谷のデモに多くの若者が参加するなど、予想に反する動きが広がっている。このままでは70年安保の新宿フォークゲリラ、神田カルチェ・ラタンのように、今後は渋谷が若者の反対運動拠点になりかねないと心配している。(裸の首相 裸だと指摘する者はメディアでも子供でも黙らす

現代日本版「自由のアマゾンヌ」に魅了されてヘボ男どももーーシツレイ!--参加すれば、こうなるのも夢じゃないぞ。





‏@bcxxx 7月3日この連ツイ、さっき途中で電池が切れてしまった。なぜこれを書いたかと言うと、TLで「15日に強行採決だとするとあと金曜日は2回しかない!」みたいな悲痛な声をいくつか見たからです。…全然違う。むしろ衆院で強行採決されてからが本番です。

衆院で強行採決をすれば、安倍の支持率は猛烈に低下する。そこからさらに参院で「みなし否決」までの60日を、安倍政権は国民の猛反対に晒されながら過ごすことになる。与野党共に政界にも様々な軋みが出てくる。政界地図に激変が起きるかも知れない。

安倍はこの夏を、民衆の怒りの炎に焼かれて火だるまになりながら進む道を選んだわけです。その間に、恐らくよほどのことがなければ安倍は総裁に無投票再選されるでしょう。そこまではもうレールが敷かれている。まずゆらがない。しかしその後がいよいよ安倍降ろしの本番です。

強行採決はガソリンです。安倍が頭からガソリンをかぶってくれる。火を点けて煽りまくり、焼き尽くすのは国民です。だから本当に衆院の強行採決は過程でしかない。むしろスタートラインでさえある。そして安保法制が最終的に可決されても、それもまたスタートラインであり、プロセスの途中に過ぎない。

学生さんたちは、他の世代が決して経験しなかった、凄い夏休みを経験することになる。一生の思い出に残る、日本の歴史の1ページに残る夏休みです。思う存分青春を爆発させてください。勤労者のおじさんたちも頑張って頭数になるよ。やってやろう!

それともお前らこっち系か?

@hazuma: 安倍政権にNOはいいけれど、というかぼくもそりゃNOなんだけど、それでつぎだれ/どの政党に政権任すの?という具体的な名前がないままに運動しても、それはやっぱり無責任のそしりは免れないわけでね。。(東浩紀)

ようするにデモに参加しないことの言い訳だな、これは。

※「野田やめろデモ」に向けての声明 (柄谷行人起草)

 野田が辞めたら、もっとひどい者が出てくる、自民党に戻ってしまう、という意見があります。しかし、そのときは、もっと反対すればよい。また、前任者が大衆的な反対運動で辞めた場合、新任者は同じことをやれないでしょう。それに対して、われわれが現政権をバカにするだけで、何もしないでいるなら、結局、マスメディアにおいて大衆的な人気のあるデマゴーグに政権を与えることになる。それこそ最悪です。




 Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better.--Samuel Beckett "Worstward Ho" (1983)

何度やってもダメだったからって、それがどうしたのだ。もう一度やって、もう一度ダメになればいいのだ。以前よりマシならば、それでいいのだ。(ベケット)

昔、哲学者の久野収がこういうことを言っていました。民主主義は代表制(議会)だけでは機能しない。デモのような直接行動がないと、死んでしまう、と。デモなんて、コミュニケーションの媒体が未発達の段階のものだと言う人がいます。インターネットによるインターアクティブなコミュニケーションが可能だ、と言う。インターネット上の議論が世の中を動かす、政治を変える、とか言う。しかし、僕はそう思わない。そこでは、ひとりひとりの個人が見えない。各人は、テレビの視聴率と同じような統計的な存在でしかない。各人はけっして主権者になれないのです。だから、ネットの世界でも議会政治と同じようになります。それが、この3月11日以後に少し違ってきた。以後、人々がデモをはじめたからです。インターネットもツイッターも、デモの勧誘や連絡に使われるようになった。

 たとえば、中国を見ると、「網民」(網はインターネットの意味=編集部注)が増えているので、中国は変わった、「ジャスミン革命」のようなものが起こるだろうと言われたけど、何も起こらない。起こるはずがないのです。ネット上に威勢よく書き込んでいる人たちは、デモには来ない。それは日本と同じ現象です。しかし、逆に、デモがあると、インターネットの意味も違ってきます。たとえば、日本ではデモがあったのに、新聞もテレビも最初そのことを報道しなかった。でも、みんながユーチューブで映像を見ているから、隠すことはできない。その事実に対して、新聞やテレビ、週刊誌が屈服したんだと思います。それから段々報道されるようになった。明らかに世の中が変わった。しかし、それがインターネットのせいか、デモのせいかと問うのは的外れだと思います。(柄谷行人「反原発デモが日本を変える」



ーー「エジプト革命」後4年経ってどんな具合になっているかだって? 
では、あの「奇跡」はなかったほうがよかったとでもいうのだろうか。

季節の空気、空の、土の、樹々の色、それも語れぬわけではないだろう。だが、あの軽やかな酩酊、埃の上をゆく足取り、眼の輝き、フェダイーンどうしの間ばかりでなく、彼らと上官との間にさえ存在した関係の透明さを、感じさせることなど決してできはしないだろう。すべてが、皆が、樹々の下でうち震え、笑いさざめき、皆にとってこんなにも新しい生に驚嘆し、そしてこの震えのなかに、奇妙にもじっと動かぬ何ものかが、様子を窺いつつ、とどめおかれ、かくまわれていた、何も言わずに祈り続ける人のように。すべてが全員のものだった。誰もが自分のなかでは一人だった。いや、違ったかも知れない。要するに、にこやかで凶暴だった。(……)

「もう希望することを止めた陽気さ」、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた。この女たちの目は今も見ているのだ、16の時にはもう存在していなかったパレスチナを。(ジャン・ジュネ『シャティーラの4時間』)


2015年2月3日火曜日

「さあお前たち、呪われたやつらめ、この美しい観物を堪能するまで味わうがよい!」(プラトン)

ソクラテス) 諸君、ひとびとがふつう快楽と呼んでいるものは、なんとも奇妙なものらしい。それは、まさに反対物と思われているもの、つまり、苦痛と、じつに不思議な具合につながっているのではないか。

 この両者は、たしかに同時にはひとりの人間には現れようとはしないけれども、しかし、もしひとがその一方を追っていってそれを把えるとなると、いつもきまってといっていいほどに、もう一方のものをもまた把えざるをえないとはーー。(プラトン『パイドン』60B 松永雄二訳)

《2001911日後の数日間、われわれの視線が世界貿易センタービルに激突する飛行機のイメージに釘づけになっていたとき、誰もが「反復強迫」がなんであり、快楽原則を越えた享楽がなんであるかをむりやり経験させられた。そのイメージを何度も何度も見たくなり、同じショットがむかつくほど反復され、そこから得るグロテスクな満足感は純粋の域に達した享楽だった。》(ジジェク『 〈現実界〉の砂漠へようこそ』)


(Fallujah is the cemetery for Americans)


いつかぼくはある話を聞いたことがあって、それを信じているのだよ。それによると、アグライオンの子レオンティオスがペイライエウスから、北の城壁の外側に沿ってやって来る途中、処刑吏のそばに屍体が横たわっているのに気づき、見たいという欲望にとらえられると同時に、他方では嫌悪の気持がはたらいて、身をひるがそうとした。そしてしばらくは、そうやって心の中で闘いながら顔をおおっていたが、ついに欲望に打ち負かされて、目をかっと見開き、屍体のところへ駆け寄ってこう叫んだというのだ。「さあお前たち、呪われたやつらめ、この美しい観物を堪能するまで味わうがよい!」(プラトン『国家』439c 藤沢令夫訳)





蠅も、白く濃厚な死の臭気も、写真には捉えられない。一つの死体から他の死体に移るには死体を飛び越えてゆくほかはないが、このことも写真は語らない。
その臭いは年寄りには親しみやすいものらしい。それは私を不快にしなかった。だが、何という蠅の群……ところが、死体の側に身をかがめるなり、腕か指を動かすなり、死体に向けてちょっとした身ぶりを示すと、途端にそれは非常な存在感を帯び、ほとんど友のように打ち解ける。(ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』)

The Sabra and Shatila massacres


※別のシャティーラの画像は、「レヴィナスの滑稽な大失態(ジジェク)」を見よ。


……残忍ということがどの程度まで古代人類の大きな祝祭の歓びとなっているか、否、むしろ薬味として殆んどすべての彼らの歓びに混入させられているか、他方また、彼らの残忍に対する欲求がいかに天真爛漫に現れているか、「私心なき悪意」(あるいは、スピノザの言葉で言えば、《悪意ある同情》)すらもがいかに根本的に人間の正常な性質に属するものと見られーー、従って良心が心から然りと言う! ものと見られているか、そういったような事柄を一所懸命になって想像してみることは、飼い馴らされた家畜(換言すれば近代人、つまりわれわれ)のデリカシーに、というよりはむしろその偽善心に悖っているように私には思われる。より深く洞察すれば、恐らく今日もなお人間のこの最も古い、そして最も根本的な祝祭の歓びが見飽きるほど見られるであろう。(……)

死刑や拷問や、時によると《邪教徒焚刑》などを抜きにしては、最も大規模な王侯の婚儀や民族の祝祭は考えられず、また意地悪を仕かけたり酷い愚弄を浴びせかけたりすることがお構いなしにできる相手を抜きにしては、貴族の家事が考えられなかったのは、まだそう古い昔のことではない。(……)

――序でに言うが、このような思想でもって、私はわが厭世家諸君のぎしぎしと調子はずれな音を立てている厭世の水車に新しい水を引いてやる気は毛頭ない。私は却って残忍をまだ恥じなかったあの当時の方が、厭世家たちの現れた今日よりも地上の生活は一層明朗であったということを証拠立てようと思う。人間の頭上を覆う天空の暗雲は、人間の人間に対する羞恥の増大に比例してますます拡がってきた。倦み疲れた悲劇的な眼差し、人生の謎に対する不信、生活嫌悪の氷のように冷たい否定――これらは人類の最悪時代の標徴ではない。それらはむしろ、沼地の植物として、その生育に必要な沼地が出来るとき初めて日の光を見るのだ。――私の言っているのは、「人間」獣をしてついにそのすべての本能を恥じることを学ばしめたあの病的な柔弱化と道徳化のことなのだ。「天使」(ここではこれ以上に酷い言葉は用いないでおこう)になる途中で人間はあのように胃を悪くし、舌に苔を出かしたために、ただに動物の歓びや無邪気さを味わえなくなったばかりか、生そのものをも味気ないものにしてしまった。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 p73-76)

さあて、この「わたくし」はこうやって引用して何が言いたいというのか。《今日もなお人間のこの最も古い、そして最も根本的な祝祭の歓びが見飽きるほど見られ》たではないか? 今年になって起こったふたつのムスリムによる事件により。

そして、ドゥルーズがある種の「知識人」にひどく激怒をしたように、ーー「強制収容所と歴史の犠牲者を利用して」いる、あるいは「屍体を食い物にしている」とーー、あの事件を餌にもっともらしく「正義」を語る評論家連中よりは、無邪気に興奮して「無意識的に」祝祭気分になっている公衆のほうが天真爛漫で好感がもてるということはないか。まず「出発」はここからだ。よおく考えてみよう。「似非知識人」のルソー派たちよ、→「ルソー派とニーチェ派

ーー《とにもかくにも、嘘を糧にしてわが身を養って来たことには、許しを乞おう。そして出発だ。》(ランボー)

…………

2004年の浅田彰による発言「イラク人質問題をめぐる緊急発言」(憂国呆談)は、リンク切れになっているが(http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/20040416/index.html)、その「コピペ」に行き当たったので、ここに貼り付けておこう。



Photos from Fallujah, March 31, 2004

イラクで日本の民間人3人がイスラム過激派と見られる連中に拘束され、3日以内に日本政府が自衛隊を撤退させなければファルージャで黒焦げの死体を吊るされた4人のアメリカ人よりひどいやりかたで生きたまま焼き殺すっていう脅迫状とともにヴィデオが送りつけられてきた。最悪の事態になっちゃったね。ただ、自衛隊派兵の時点でこういうことが起こることは当然予想されたわけで、いまこの事件に衝撃を受けるなんて言ってるやつがいることに衝撃を受ける。イラクの人々を助けるためと称し、実はブッシュ政権に従う姿勢を示すために自衛隊を派遣して、現実にイラクの人々を助けるために行動してた民間人なんかの命を危険にさらす結果になっちゃったわけだから、本当に最低だと思うよ。前に「自衛隊」は小泉"X-JAPAN"純一郎が玩具として振り回す「J隊」だって言ったけど、これではむしろアメリカのための「他衛隊」じゃない? いや、自分たちだけを守るために基地にひきこもりを決め込んでるんだからこれこそまさに「自衛隊」というべきか「自閉隊」というべきか。

 ところが、政府は最初から、テロリストに屈することはない、ここで引いたらテロリストの思う壺だから自衛隊は撤退しない、と言い切って、アメリカのドナルド・ラムズフェルド国防長官やディック・チェイニー副大統領からさっそくお褒めの言葉にあずかってる。要するに、日本政府は日本国民を守るよりアメリカ政府の歓心を買うために行動するってことがはっきりしたわけだ。そもそも断固としてテロリストと戦うと称してアメリカがイラクに攻め込んだために、それこそオサマ・ビンラディンの思う壺で、かえってイラクがテロリストの巣窟と化しちゃったわけでしょ。そのアメリカのお先棒を担ぐことで、誘拐犯の脅迫状にもある通りもともと親日的だったアラブ人を敵に回したちゃったんだから、愚かと言うほかない。

 その意味でもともと自衛隊派兵は大間違いだし、われわれは一貫して反対してきたわけだけど、今からでも遅くはないんで、むしろ今度の人質事件をきっかけに撤退する勇気をもつべきじゃないか。1977年にダッカで日本赤軍のハイジャック事件が起きたとき首相だった福田赳夫は「人命は地球より重い」っていう「迷言」を吐いて超法規的にテロリストの要求を呑んだわけだけど、実はあれはなかなかの「名言」でもあるんで、アメリカやイスラエルをはじめとする各国の批判と軽蔑を浴びつつあそこまで踏み切ったのは大したものだとも言える。ところが、その息子である現・官房長官の福田康夫は、ブッシュ・ジュニアがサダム・フセインを倒せなかったブッシュ・シニアを乗り越えようとしてイラク戦争に突入したように、ダッカ事件のトラウマを埋めようとするかのごとく従米強硬路線一本やり。小泉も前言を訂正したり撤回したりする勇気のないナルシシストだから福田と同じだし、川口順子なんてのは外相って言ったって北朝鮮拉致被害者の面倒を見てる中山恭子内閣官房参与程度のお飾りでしかないしね。

 だいたい、今回は超法規的どころか、完全に合法的に撤退できる──というか、撤退すべきなの。幸か不幸か人質事件の起きる直前にサマーワの自衛隊の野営地が砲撃された。本格的な攻撃じゃなく、被害もなかったとはいえ、これで明らかにサマーワは(実はイラク全土が)戦闘地域になり、「非戦闘地域」というイラク特別措置法の要件を満たさなくなった。だから、法律に従って一時的に撤退する。で、防衛庁としては、これは人質事件とは別問題なんで脅迫に屈したんじゃない、人質事件についてはわれわれは直接関知しない、二つがリンクしていると見るのは勝手だけれど、われわれはたんに法律に基づいて粛々と行動しているだけだ、とか何とか、むりやり強弁しとけばいいわけよ。それも、自衛隊をすぐ帰国させるんじゃなく、クウェートあたりで半月ほど待機し、再び「非戦闘地域」という条件が満たされればただちにサマーワに復帰する、とか何とか、適当に恰好をつけとけばいい。いや、もちろんわれわれはもともと派兵反対だけど、最低いまの政権でもその程度のことは言えるんじゃないの?

 もちろん、いちばん悪いのは民間人を人質にとる武装集団だよ。だけど、妥協なしにテロと戦うっていうだけでは、問題は解決しない。だいたい、アメリカの始めた「テロとの戦争」に加担した日本政府が、アメリカに義理立てするため結果的に日本国民を見殺しにしちゃうんだとすれば、自国民の保護っていう最大の目的を放棄したに等しい。いやまあ、国家なんてものはもともとそういう怪物なんだけどさ。

 ……っていう話をしてから一週間たったところで、イラクのイスラム聖職者(法学者)協会の仲介が効を奏して、日本人の人質3人が解放されたし、彼らの後で拘束された日本人2人も解放された。本当によかったと思うよ。ただ、各国の人質を合わせると何十人にもなって、とくにイタリア人の人質は4人のうちまず1人殺されてるから、状況はまだまだ厳しい。とにかく、アメリカの占領政策が完全に失敗して事態が泥沼化する一方なのに、まだ力で押さえ込めると思ってるところが救い難いよ。

 そもそも、今回の危機の発端は、ファルージャでアメリカ人4人(イタリア人の4人の人質同様、民間人といっても警備担当者で、いわばセキュリティ関係のアウトソーシングが進んでる証しだけど)が殺され、黒焦げの死体が引き回されて橋から吊るされた事件だった。ソマリアのモガディシオで同じように米兵の死体が引き回されたときは、世論が耐えられなくなってクリントン政権はアメリカ軍を引き上げたわけだけど、それよりひどい事態になり、しかもソマリアからおめおめと逃げ帰ったトラウマは繰り返せないってんで、ブッシュ政権はヒステリックな報復攻撃に出て、ファルージャを包囲し、一説では600人もの死者を出す「ファルージャの虐殺」を引き起こしちゃったわけね。モスクまでミサイルで攻撃しちゃって、その結果、犬猿の仲だったスンニ派とシーア派を反米の一点で結束させる始末。イスラエルがハマスの指導者のアハマド・ヤシン師を殺したのもえげつないけど、あのときでさえモスクは攻撃してない。ヤシン師がモスクから出てクルマか何かで移動中にミサイルを撃ち込んだ。後継者のアブドルアジズ・ランティシ師をさっそく殺した手口もそれと同じ。モスクを攻撃するのは、いたずらに宗教的反感を煽るし、そもそも個人をヒットするには精度が低すぎる、と。それと比べてもアメリカのやりかたは乱暴で粗雑としか言いようがない。この件も含め、ブッシュ政権は軍の増派で反対派を押さえ込み、スケジュール通りにイラク人への政権移譲を進めようとしてるけど、そう簡単にはいかない。むしろ、短期的には「ヴェトナム化」とさえ言われる泥沼化の様相が強まる一方じゃない? さすがになりふりかまわず国連にすがることになり、自分たちが勝手に選んだ統治評議会じゃなく国連が主体となって選ぶ暫定政府が来年1月の選挙まで政権を担当するっていうブラヒミ提案を呑んだけど、それでさえうまくいくかどうかはまだわかんないよ。

 そういう意味では、日本がアメリカの尻馬に乗ってイラク軍事占領の片棒をかつぐんじゃなくあくまで人道支援に徹するんだってことを明確にし、まずイラク国民から支持されることがいちばん大事でしょう。そのためにもやっぱり「非戦闘地域」という要件が満たされなくなったサマーワから自衛隊を少なくとも一時的に撤退させるのがいいんだけどな。撤退要求をしてた誘拐犯が人質を解放したんだから、要求に屈するのではなく法的要件が満たされなくなったので撤退するっていう詭弁が通じやすくなったわけだしさ。でもまあ、来日したチェイニーに釘をさされただろうし、小泉は相手の要求に屈しないまま人質解放を勝ち取ったつもりで舞い上がってるだろうから、とてもそんなことはしないだろうけど。