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2015年4月12日日曜日

「人工的捏造物」として「聖痕」を抱えた『枯木灘』の秋幸

蓮實重彦の『小説から遠く離れて』には、中上健次の『枯木灘』論とでもいうべきいくつかの章がある。それは「Ⅸ 過失と告白」、「Ⅹ 完璧な捨子を求めて」、「ⅩⅠ 継承と反復」、「ⅩⅡ 小説の無根拠な生成」と名付けられた四つの章ととりあえずしておく。”とりあえず”としたのは、他の章にもいくらかの重要な言及があるためである。

ここでは、Ⅸ章に見られる次の文章にまずは注目することにする。そこには、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に引き続いて、『枯木灘』を分析する文章があり、まずはこう書かれている、《導入部にみられる物語的な設定の自然さにもかかわらず、あるいはその自然さ故に、秋幸がキクやハシにおとらぬ人工的な捏造物にほかならぬという点だろう》。

ここで、秋幸、すなわち『枯木灘』の主人公は、「人工的捏造物」とされている。一見、奇妙な表現である。蓮實重彦自身も《導入部にみられる物語的な設定の自然さにもかかわらず》と書いていることから分かるように、われわれは通常、秋幸を、物語のなかの、ごく「自然な」登場人物として読むだろう。

では、蓮實重彦の「人工的な捏造物」という表現は、どのような意味合いをもっているのか。それは次ぎの文に見られる「超=感染性」という言葉が示している。

では、秋幸にはいかなる人工性がみられるのか。それを、ひとまず「染まりやすさ」と呼ぶことにして話を進めるなら、『枯木灘』の登場人物の中で、おそらく彼一人が、驚くべき容易さで外界の事象に感染するという特殊な体質をかかえこんでいることが明らかになる。もっとも、この超=感染性ともいうべき資質を、作者はことさら病的な畸型性として提示してはいないし、また読む側も、そこに一つの捏造性を感じとったりはしない。事実、秋幸の振舞いを物語の展開に従ってたどってゆくわれわれは、その染まりやすさを、小説の主人公としての許容範囲におさまりのつく一つの性格として受けとめる。たとえば、冒頭の、現場へと急ぐトラックのハンドルを握る秋幸の朝の感覚を次ぎのように描写するとき、作者の側に主人公の病的な一面を強調する意図などなかったに違いない。

《トンネルを抜けるとすぐに川の蛇行にあわせてカーブがあった。川は光っていた。水の青が、岩場の多い山に植えられた木の暗い緑の中で、そこだけ生きて動いている証しのように秋幸には思えた。明るく青い水が自分のひらいていた二つの眼から血管に流れ込み、自分の体が明るく染まっていく気がした。そんな感じはよくあった。土方仕事をしている時はしょっちゅうだった。汗を流して掘り方をしながら秋幸は、自分が考えることも判断することもいらない力を入れて堀りすくう動く体になっているのを感じた。土の命じるままに従っているのだった。硬い土はそのように、柔かい土はそれに合うように。秋幸はその現場に染まっている。》(中上健次『枯木灘』)(蓮實重彦『小説から遠く離れて』pp.140-141) 

この「染まりやすさ」の感覚、あたかも素肌を愛撫する母性的な環境における甘美な快楽をめぐるかのような文章に、中上健次の読者なら、初期の作品から続く同じ中上健次を、ひょっとして戦慄したり鳥肌を立てたりしながら、読みとるのではないか。

たとえば、初期中上健次の短篇には、《水の中にはいっていると、皮膚がなくなってしまい、体がとろけたようになってしまう》(『一番はじめの出来事』)とある、あるいは、《ぼくは寝そべったまま、耳の穴に舌を入れてくすぐってくる海の波音を感じていた》(『眠りの日々』)とある。

これは密着と愛撫の環境を全的に受け入れようとする仕草である。中上の文章を読み進めるわれわれも、いつか遠い日々にはこんな感覚をもったことがある、とひそかに共感をこめて頷くことになる。

……ところでこの静かな水は乳である/また 朝の柔らかな孤独にひろがるすべてのものである。/夜明け前、夢の中のように 曙を溶かした水で洗われた橋が空と美しい交わりをむすぶ。そして讃うべき陽光の幼い日々が いくつも巻いたテントの柵をつたって じかにぼくの歌に降りてくる。/…/いとしい幼年期よ、追憶に身をゆだねさえすればよい…あのころぼくはそう云ったろうか? もうあんな肌着などほしくない/…/そしてこの心、この心、ほらあそこに、心は橋の上をずるずると裾ひきずって行くがよいのだ、古びた雑巾ぼうきよりもつつましく 荒々しく/くびれ果てて…》(「サン=ジョン・ペルス詩集」より 多田智満子訳)

それはさらに遡れば、われわれの記憶の底の薄明のなかにふんだんに残っている幼児型記憶のような感覚でもあるだろう。かりにそれらがうっすらとした何かの痕跡、「影」のようなものとしてだけでしかなくとも、あるいは、われわれの成長の歴史の彼岸の、遠い「先史時代」のようなものとしてだけではあるかもしれぬが、その「先史時代」の記憶が、何かの拍子に、甘美ではありながら鋭い痛みも伴なって突如襲ってくる感覚。

その瞬間とは、思いがけずも奇妙なものを見出してしまった「考古学者」の驚きをもって茫然自失するかのごとくである刻限である。それは、われわれの成長の歴史の、それなりに確たる記憶の表皮を破るかのようであり、癒された傷のかさぶたが突如開くかのようにして、唐突に突き刺さってくるような印象を与える「一瞬よりはいくらか長く続く間」(大江健三郎)の刻限であるが、中上健次はまずは、初期からその感覚をくり返し表現してくれる作家のひとりだった。

そして中上健次は、その創作活動を詩人とて出発したことを忘れてはならない、《昭和二十一年/飢餓の喜びにふるえた/女の/陰部から/ビロードの不幸をまとって/父のない/流動体のスピロヘータが/とびだした》(中上健次、「履歴書」)。

それから幼年時代をふちまで一ぱい満たしていた
あの悩みが、どんなに個性もなく、
すべての人々の上を過ぎていったかを予感し見ぬくこと……
そうして、それでも出て行くこと、手から手をふりほどき、
癒やされた傷口をあらためて裂くように。(リルケ「放蕩息子の家出」(高安国世訳

ところで、冒頭近くに掲げた文に引き続き、蓮實重彦は次ぎのように書き綴ることになる。

この「現場に染まっている」感覚は、その後、何度もくり返し現われることで、外界と存在との特権的な一体感を語るこの小説のライトモチーフとさえなっており、そこに病的な不自然さは含まれていないかにみえるのだが、このやわらかな通底性、あるいはむしろ解放感の表現とさえうけとめるこの相互感染性は、まぎれもなく一つの宿命的な聖痕として秋幸を冒してゆくのである。というのも、たんに外界の光りや色彩のみならず、あたりにゆきかっている言葉にも感染することで、秋幸は、徐々に身動きのとれない状態へと自分を追いこむことになるからであり、その意味で、「染まりやすさ」は、積極的な資質というより、まさしくそれは、受動的な生の消耗と無関係でないばかりか、危険な徴候だとさえいえる脆い均衡であって、断じて調和ある安定性ではない。そもそも日雇いの人夫たちをてきばきと働かせ、義父の繫蔵から「組をもったら、文昭よりええ親方になる」と頼もしがられる状態そのものが、秋幸のかかえこんだ超=感染性という受動的な資質の現われにほかならず、本来であれば自死や狂気の誘惑に身をまかせても不思議ではない不幸で複雑な家系を背負ったものとしては、むしろ不自然な振舞いだとさえいうべきだろう。また、そうでない限り、『枯木灘』の物語は進展しないはずであり、だから、川の水の青さを瞳から体内にとりこみ、シャベルの先で、土の反応に自分をなぞらえようとする秋幸の振舞いは、世界の物質的な表情と快く一体化せんとするための汎神論的な恍惚の表現というより、自分には解消しがたい弱さの現われにほかならないわけだ。(pp.141-142)

ここには先ほど注目した「人工的捏造物」という表現と同じように注目したい表現がある。それは「宿命的な聖痕」である。これは前者と同様に「染まりやすさ」と関連づけられての文脈で使用されている表現である。

「人工的捏造物」として「宿命的な聖痕」を抱えた秋幸は、《徐々に身動きのとれない状態へと自分を追いこ》まれるのであり、《「染まりやすさ」は、積極的な資質というより、まさしくそれは、受動的な生の消耗と無関係でないばかりか、危険な徴候だとさえいえる脆い均衡であって、断じて調和ある安定性ではない》ものとしての「聖痕」を抱えた秋幸。この秋幸の際立った美質とも思える「相互感染性」が、危険で脆いものであるのはなにゆえなのだろうか。

ここで唐突にラカンのサントーム概念を持ち出してみることにする。

サントームsinthomeとは、①症状symptom ②聖人saint home ③聖トマスSaint Thomas (〈大他者〉、あるいはキリストを信ぜず、独自の道を歩んだ者) ④罪人sin-homme ⑤模造人間、人工的に人工的に自己創造した人間 synth-homme である(参照:「ラカン派の二種類のサントーム・症状」)。

これ以外に、⑥サントームとは、もともとラカンのジョイスのセミネール(セミネールⅩⅩⅢ)で多様に語られたものであり、ジョイスにおけるサントームとは、父の名(正確に言えば象徴的ファルス)の介入が排除され、前エディプス的な母性的、すなわち「母なるオルギア」(距離のない狂宴)のなすがままにある前精神病的環境にある人物が、精神病を発病しないための、支柱としてのサントームである。すなわちサントームは父の名の代替の機能を果たす。

母性のオルギア」とそれを支えるものを、ラカンは次ぎのように表現する。

母はあなたの前で口を開けた大きな鰐である。ひとは、彼女はどうしたいのか、究極的にはあんぐり開けた口を閉じたいのかどうか、分からない。これが母の欲望なのだ(……)。だが顎のあいだには石がある。それが顎が閉じてしまうのを支えている。これが、ファルスと名づけられるものである。それがあなたを安全に保つのだ、もし顎が突然閉じてしまっても。(Le Séminaire Livre XVII, L’envers de la psychanalyse, 1960-1970, Seuil, p. 129ーー「鰐なる母=女の口、あるいは象徴的ファルスと想像的ファルス」)




ところで、ラカンの上に掲げた多様な意味をもつ「サントーム」を“しょうじょう”と読ませつつ「聖状」との訳語をつけるラカン派の研究者もいる(参照:「サントーム=聖状(しょうじょう)」)。


ここで中上健次の話に戻れば、人工的捏造物synth-homme である『枯木灘』の主人公秋幸は、「聖痕」を抱えた密着と愛撫の脆い環境に染まる「超=感染性」の人物である。そして、この長篇小説の書き手である中上健次は、「路地」というシニフィアンを絶えず口にした。

路地では、いま「哀れなるかよ、きょうだい心中」と盆踊りの唄がひびいているはずだった。言ってみれば秋幸はその路地が孕み、路地が産んだ子供も同然のまま育った。秋幸に父親はなかった。秋幸はフサの私生児ではなく路地の私生児だった。(中上健次『枯木灘』)

この「路地」というシニフィアンが、中上健次のサントーム(⑥の意味における)、すなわち「父の名」の代替物としての支柱であると断言することはしないで置くが、蓮實重彦の指摘する中上健次の「聖痕」が、ラカンの「サントーム=聖状」に限りなく近い概念であることは否定できない。ひょっとして中上健次の作品、あるいは彼自身の境遇のある局面は、ラカンのサントーム概念を通して、読み得るのではないか。

路地では父親、母親の事を、男の親、女の親と呼ぶならわしがあるのだった。もちろん、あの子の男の親は、とは、決して市民社会で呼ぶようなあの子の父親というものと同じものではない(略)市民社会で呼ばれるような父親は路地にはないと言ってよく、男の親女の親とは、むしろ生物としての親という言い方に近い。(……)

何度も何度も路地の雨は小説に書いてきた。玄関の戸を開けると、小説の世界がひらける。私がそこで一人、自分で手首を斬り喉首を斬り血まみれになって死んでいても誰も疑わない。小説の中の登場人物がそうなるように路地という幻の中で人は納得する。だが子供を道づれにする夢のような考えを持った事など一度もなかった。(中上健次“桜川”-『熊野集』)
俺はどこにもいない。それが機嫌のいいときの口癖だった。そのあとにはかならず、路地はどこにでもある、という言葉が続いた。(四方田犬彦『貴種と転生 中上健次』“補遺 一番はじめの出来事”)

とはいえ、蓮實重彦は、《これらの長篇を精神分析的に解読した場合になる解釈……そんな解釈を得意がって提起するほどわれわれは文学的に破廉恥ではないつもりだ。そうした事実とは、どんな不注意な読者でも見逃しえない図式として、そこに露呈されているだけなのである》(p172)と書いており、この文章は禁止の命令として響かないでもない。だがここは敢えて精神分析的に解読する「破廉恥」さを引き受けて、ラカンを持ち出したということだ。それは《どんな不注意な読者でも見逃しえない》形で露呈されているのだから。

私生児として生れた中上健次は、「父の苗字」を三度変えている。彼は「父の名」の分離機能(母性的環境からの)が働かない幼年時代を送ったのではないか。

初期の理論でさえ、ラカンはエディプスの父の機能における象徴的側面を強調した。父の名の隠喩は実にその名を通して作用する。この仮説とは次のようなものである。すなわち、子どもに父の名との組み合せによる彼自身の名前を与えることは、子どもを原初の(母子の)共生関係symbiosisから解放する。後期のラカン理論では、ラカンは名づけることのこの側面をいっそうくり返し強調した。したがってラカンは複数形で使用したのだ、the NAMES of the father(Les Noms-du-Père引用者)と。疑いもなく文化人類学の影響を受けて、ラカンは次ぎの事実を分かっていたに違いない、母系制文化においてさえ、分離の機能は名づけるnamegivingことを通して作用することを。それは伝統的な欧米の核家族の外部でさえもである。主体に独自のシニフィアン、すなわち母のそれではなく異なったアイディンティティのシニフィアンを提供することは、分離を惹起し、こうして保護を与える。これはわれわれに重要な結論を齎してくれる。すなわちエディプスの法は、古典的なエディプス、たとえば家父長制の外部でとても上手く設置することができる。――これは重要である。というのはそれが意味するのは、われわれは、基本的な信頼を取り戻すために、古き良き家父長制に戻ることを承認する必要はないということだから。(社会的絆と権威(Paul Verhaeghe)

(続く)