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2015年4月13日月曜日

中上健次と「父の名」

「人工的捏造物」として「聖痕」を抱えた『枯木灘』の秋幸」に引き続く。

表題を《中上健次と「父の名」》としたが、ここで「父の名」について説明をするつもりはない。

ただし,ラカン派にて「象徴的ファルス」の介入によって「父の名」の隠喩が機能するといわれる場合に、「象徴的去勢」という用語が使われるが、この「去勢」は、まずは子どもの去勢ではなく、「母の去勢」が本来の意味であることは念押ししておこう。

すなわち、「父の名」が機能していないということは、まずは母が去勢されないままであるということである(参照:「母のファルスの去勢ーー象徴的ファルスによる想像的ファルスの去勢」)。

それ以外に、ジジェクの比較的新しい書(2012)から、次の表現を拾ったので、ここに掲げておく。

①le‐Nom‐du‐Père父の名→le‐Non‐du‐Père父の禁止

②le‐Nom‐du‐Père父の名→les non‐dupes errent
 (二つの言葉は同じ発音であり、後者は(父の名に)騙されない者は間違えるという意味)

③le‐Nom‐du‐Père→le‐Nom‐du‐Pire悪化の名→ 死の欲動

…………

自分には名前が三つある、と秋幸は昔思ったことがあった。実際にそうだった。秋幸はフサの私生児としてフサの亡父の西村という籍に入り、中学を卒業する時に義父の繁蔵が自分の子として認知するというカタチで竹原に籍に入った。その男は浜村龍造と言った。(中上健次『枯木灘』)

中上健次自身、『枯木灘』に書かれているのと同じように、「父の苗字」を三度変えている。

図を描いたほうがわかりやすいのだが、母は三つの姓名(木下・鈴木・中上)を名のったのである。僕の兄や姉たちは最初の木下勝三(病死)の血をつなぎ、末っ子の僕だけが鈴木留造の子であった。放蕩者でバクチ好きの鈴木は、他に二人の女をつくって妊ませ、結局、僕には母千里の産みだした郁平、鈴枝、静代、君代の四人と、鈴木留造が女どもに産ませた一人の妹と二人の弟、そしてどこにいるのか生きているのか死んでいるのかわからない幻の妹が一人と、血のつながった兄姉妹でも九人いる計算になる。かくて幼い僕は母につれられて、最後の「父」である中上七郎の庇護をうけ、「父」の子である中上純一らと家庭を構成することになる。(中上健次「犯罪者宣言及びわが母系一族」)

このような状況で育った子供は、「父の名」の分離機能、すなわち母親との密着した共生関係、距離のない不安定な関係からの分離機能が、十分には働いていないはずである。もっとも「父の名」の機能は、父の不在とはあまり関係がない。たとえば場合によっては祖母でさえ父の名としての役割を担うこともある(三島由紀夫の祖母のように?)。

問題は父親にたいする母親の関係、《単に母親が父親にいかに対応するかだけではなく、母親が父親の言葉、正確には父親の権威、にどのような地位を与えるか、いいかえれば法のプロモーションにおいて母親が父の名のために空けてある場所をどうするか》である(ラカン『エクリ』 p.579

中上の母千里が中上純一にどのような態度であったのかはよく分からないが、小説から読み取れる範囲では、ある程度の「地位」を与えていたとすることもできる。ただし「弱い父」である。

そして中上健次の場合、義父の苗字を与えられて、原初の(母子の)共生関係symbiosisから解放されるということが全くなかったと断言するつもりはないが、「中上」という「父の名」は、十分な分離機能を果していたとは思われない。

僕はすべてのものを憎んでいる。姉を悲しませ、兄を殺し、僕をまでも辱しめ苦々しく窒息させたすべてのものを憎んでいる。あの頃から僕は僕自身のための神話をなくしたのだ。僕の体には、人々にみすてられた廃屋の井戸のように雑草がぴっしり生えはじめたのだ。(……)

僕はあの時のことを忘れない。怒りと狂気を妊んだ海のことも、二十六歳のにいやんの惨めな屍のことも僕は忘れない。(中上健次『海へ』)
兄が死んだ。朝、僕は仲間たちと山学校する約束があったので、いそいで朝食をたべている時、姉とヒロポン中毒が体をふるわせながらとびこんできた。姉は台所にはいってくるなり「母やん!」とどなり、朝の光をうけたまま朝食をたべつづけている僕をおどろかせた。母は姉の叫ぶ声をきいただけでみんなわかったように、顔を苦しげにゆがめている姉の体を抱き、そして二人で犬のうめくような声をだして泣き始めた。

「兄やんがくび、つったんよ……」(中上健次『犯罪者永山則夫からの報告』 )
僕は子供なのだ。涙でまぶしくみえる台所の中に、僕の母と兄と姉と、嘘の父がいる。みんなそれぞれ黙りこんでしまった。兄と母が喧嘩をしようと、母と姉が喧嘩をしようと、母と父が喧嘩をしようと、子供の僕にはまったく関係ないことだ。なにひとつわからない。次第に酔いがさめてきたらしくしきりに台所の水を飲んでいる兄をみながら、僕はみんなで劇をやっているような感じを抱いた。ほんとうの母とほんとうの父と、おおきくて強い兄と、賢い姉と、僕の五人でつくる、平凡な家庭があって、金曜日の夕食後、深刻だが間の抜けた劇を、演じている。いま僕らは仮面をかぶって、それら各々の役柄に合った服装をつけた名俳優たちなのだ。(中上健次『一番はじめの出来事』)
生き残っている者はすべて裏切った、子供の時のぼくはせっかくうまくいっているこの家での父と母と父の子と母の子の四人の生活を、誰にも壊されたくないと思った、そして鉄斧や出刃包丁を持って、ぼくたち四人をほんとうに惨殺することもできないくせに「殺したる」と言って暴れに来る兄を憎悪した。それは本当なのだ、嘘いつわりない十二歳の時のぼくの感情なのだ。(中上健次『眠りの日々』)

さて、ここでいったん「父の名」を文字通り、すなわち父の苗字ーーあるいは父によって名付けられた名ーーとして取ることもできるというポール・ヴェルハーゲ=ラカンの見解を復習しておこう。

初期の理論でさえ、ラカンはエディプスの父の機能における象徴的側面を強調した。父の名の隠喩は実にその名を通して作用する。この仮説とは次のようなものである。すなわち、子どもに父の名との組み合せによる彼自身の名前を与えることは、子どもを原初の(母子の)共生関係symbiosisから解放する。後期のラカン理論では、ラカンは名づけることのこの側面をいっそうくり返し強調した。したがってラカンは複数形で使用したのだ、the NAMES of the father(Les Noms-du-Père引用者)と。疑いもなく文化人類学の影響を受けて、ラカンは次ぎの事実を分かっていたに違いない、母系制文化においてさえ、分離の機能は名づけるnamegivingことを通して作用することを。それは伝統的な欧米の核家族の外部でさえもである。主体に独自のシニフィアン、すなわち母のそれではなく異なったアイディンティティのシニフィアンを提供することは、分離を惹起し、こうして保護を与える。これはわれわれに重要な結論を齎してくれる。すなわちエディプスの法は、古典的なエディプス、たとえば家父長制の外部でとても上手く設置することができる。――これは重要である。というのはそれが意味するのは、われわれは、基本的な信頼を取り戻すために、古き良き家父長制に戻ることを承認する必要はないということだから。(社会的絆と権威(Paul Verhaeghe)

中上健次の置かれた環境において、この「父の名」の分離機能が上手く働いていなかったのではないかという想定のもとに、わたくしは今こうやって書き綴っている。もし「父の名」の隠喩が働かなければ、母は貪り食う全能の〈大他者〉として露われる、というのがラカン派の主流の考え方である。

いわゆる"去勢されていないnon‐castrated"全能の貪り食う母、真の母に関して、ジャック=アラン・ミレールは次のように注釈している。

満足していない母というだけでなく、またすべての力をもつ母である。そしてラカンの母の形象のおどろおどろしい様相は、彼女はすべての力を持ちかつ同時に不満足であることである。(Miller, “Phallus and Perversion,”)

ジジェクはこのミレールの文を引用して(『LESS THAN NOTHING』)、次ぎのように言っている。

ここには、パラドックスがある。母がよりいっそう"全能"として現れば現れるひど、彼女は不満足(その意味は欠如である)なのである。「ラカンの母はquaerens quem devoretと一致する。すなわち彼女は貪り食うために誰かを探し求める。そしてラカンは鰐として母を言い表す、口を開けた主体として。」(Jacques‐Alain Miller, “The Logic of the Cure,”)

ここでもまたポール・ヴェルハーゲのわかりやすい説明で補っておこう。

構造的な理由により、女の原型は、危険な、貪り食う〈大他者〉と同一化する。それはもともとの原初の母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。このようにして純粋な享楽の元来の状態を回復させようとする。これが、セクシュアリティがつねにfascinans et tremendum(魅惑と戦慄)の混淆である理由だ。すなわちエロスと死の欲動(タナトス)の混淆である。このことが説明するのは、セクシュアリティ自身の内部での本質的な葛藤である。どの主体も彼が恐れるものを恋焦がれる。熱望するものは、享楽の原初の状態と名づけられよう。

この畏怖に対する一次的な防衛は、このおどろおどろしい存在に去勢をするという考えの導入である。無名の、それゆえ完全な欲望の代りに、彼女が、特定の対象に満足できるように、と。この対象の元来の所持者であるスーパーファザー(享楽の父)の考え方をもたらすのも同じ防衛的な身ぶりである。ラカンは、これをよく知られたメタファーで表現している。《母はあなたの前で口を開けた大きな鰐である。ひとは、彼女はどうしたいのか、究極的にはあんぐり開けた口を閉じたいのかどうか、分からない。これが母の欲望なのだ(……)。だが顎のあいだには石がある。それが顎が閉じてしまうのを支えている。これが、ファルスと名づけられるものである。それがあなたを安全に保つのだ、もし顎が突然閉じてしまっても。》(NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL(Paul Verhaeghe)

ところで、中上健次の晩年の傑作『千年の愉楽』には次のような近親相姦の叙述がある。

あおむけに達男は山の茂みの中にたおれ,オリュウノオバは達男の上に重なり,ふと達男が笑みを浮かべもしない真顔で自分を見ているのを知り,恐ろしくなった。達男がオリュウノオバの乳をまさぐり,丁度腹の下に巌のようにふくれ上った一物が当たったのに気づいて,オリュウノオバは自分から達男に触れたのを忘れたように身をふって金切り声をあげ,起き上ろうとして組み敷かれた。

十五の達男の流した汗が黄金の光りから鉛に変り,輝きがとれるたびに若い衆の刃鋼のような体が現われ,オリュウノオバは産んだわが子と道ならぬ事をやり, 畜生道に堕ちるように心の中で思う。 (中上健次『千年の愉楽』)

そして、そもそも近親相姦の原型とは、父と娘ではなく、母と子であったことを思い出しておこう。

去勢不安そのものは、すでに地層にある原初の不安の防衛的なエラボレーションである。地層にある原初の不安とは、主体と〈他者〉 とのあいだの関係から起こる。各々の主体の原初の不安とは〈他者〉に 呑み込まれ貪り喰われることである。すなわ ち、〈他者〉の享楽の受動的な対象に還元されてしまうことである。概念的な用語なら、これが意味するのは、分離の可能性のない全的な疎外を意味する。

その原初の形式においては、この法は母にかかわる。彼女は禁じられているのだ、彼女の生産物を保持することを、たとえば子どもを彼女自身のものにすることを。 これが近親相姦の最初の意味である。すなわち、あなたは、あなたの子どもを自らの享楽 として捕えてはならない、ということだ。現在の、父と子とのあいだの近親相姦への強調は、 この原初の意味がほとんど忘れられてしまっているようなものだ。(「社会的絆と権威(Paul Verhaeghe)」)

ここから逃れるためには、中上健次自ら「複数形の父の名Les Noms-du-Père」のひとつを発明しなければならない。それは「父の名」と同じ機能を果し、母との共生関係、あるいは始原の母ーー"caractere d'invasion dechirante,d'irruption chavirante" (Lacan,Le Seminaire IV, )ーーに貪り食われないための支えとなる。そうでなければ、母に、海に、吞み込まれてしまう。《海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。》(三好達治)。

水の中にはいっていると、皮膚がなくなってしまい、体がとろけたようになってしまう。(『一番はじめの出来事』)
ぼくは寝そべったまま、耳の穴に舌を入れてくすぐってくる海の波音を感じていた。(『眠りの日々』)

そもそも初期短篇で、上のように書いた中上健次が「海=母」に対面してどうして呑み込まれないでいられるというのか。

僕は海にむかって歩いている。僕自身の中の海にむかって歩いている。(中上健次『海へ』)
僕とはいったいなんだ?
僕の僕とはいったいなんだ?(海へ)
おまえが
僕の心の中のあの怒りの海につながっているのなら
歌え
人々についての呪いの歌を
そして
三月のつめたいひかりみたいに
死んでいった
にいやんにおくる
挽歌を(海へ)


中上健次の自ら発明した「父の名」とは、「路地」であるのではないか、という仮定は前投稿にいくらか記述した。そこで引用された文をいくらかくり返せば次の通りである。

路地では、いま「哀れなるかよ、きょうだい心中」と盆踊りの唄がひびいているはずだった。言ってみれば秋幸はその路地が孕み、路地が産んだ子供も同然のまま育った。秋幸に父親はなかった。秋幸はフサの私生児ではなく路地の私生児だった。(中上健次『枯木灘』)

そして友人であった四方田犬彦の次の言葉は、決定的な響きをもっている。

俺はどこにもいない。それが機嫌のいいときの口癖だった。そのあとにはかならず、路地はどこにでもある、という言葉が続いた。(四方田犬彦『貴種と転生 中上健次』“補遺 一番はじめの出来事”)

くり返せば、中上健次の「路地」あるいは「路地の私生児」は、ジャン・ジュネが「泥棒」というシニフィアン、すなわちサントームSinthomeと同じ役割を果たしていたのではないかという想定の下で、わたくしは書き綴っている。

”Ordinary psychosis: the extraordinary case of Jean. Genet”(Pierre-Gilles Gueguen)には、ジュネを「倒錯」ではなく、「普通の精神病」タームで解釈し直そうとする小論であり、そこでの議論を簡略に記せば、養母に愛されていた“よい子”のジュネーー引っ込み思案で少女たちと遊ぶことを好む、あるいは教会の少年合唱団員だったらしいーーその彼が、母親の財布から小銭をくすねて飴玉のたぐいを友人に振舞った十歳前の行為、それに引きつづき、サルトルが『聖ジュネ』で特筆したことで有名な、近所の雑貨屋の些細なものの盗みの際の、年輩の女性からの「あんたはどろぼうよ!」の指弾からジュネが受けた衝撃、更にその直後の養母の死、などの伝記的「事実」から、母親とのイマジネールな関係(鏡像関係)にあったジュネ(あるいは緩やかな「父の名」の排除という精神病的構造にあったとも解釈される)が、「どろぼう」というシニフィアンを、なかば空席の「父の名」の場に押しいれて、それと「同一化」したのではないか、というものだ。

ラカンは新しいシニフィアンの発明をめぐって、その最晩年、こう語っている、

“Ce que j'énonce en tout cas, c'est que l'invention d'un signifiant est quelque chose de différent de la mémoire. Ce n'est pas que l'enfant invente — ce signifiant, il le reçoit, et c'est même ça qui vaudrait qu'on en fasse plus. Nos signifiants sont toujours reçus. Pourquoi est-ce qu'on n'inventerait pas un signifiant nouveau? Un signifiant par exemple qui n'aurait, comme le réel, aucune espèce de sens?”(J. Lacan, Le Séminaire XXIV, L'insu que sait de l'une bévue, s'aile a mourre, Ornicar ?, 17/18, 1979

どんな場合でも、私が今言っていることはシニフィアンの発明は記憶とは異なった何かだということだ。子供が発明するのではないーー彼はシニフィアンを受け取るのだ。そしてこのことでさえ、もっとそうすることはやりがいのあることだ。われわれのシニフィアンはつねに受け取られる。どうして新しいシニフィアンを発明していけないわけがあろう。たとえば、現実界のように、まったく意味のないシニフィアンを。(ラカン「セミネールXXIVーー「ジャン・ジュネの「どろぼう」というシニフィアン」)

ここでの新しいシニフィアンsignifiant nouveauが、「サントーム」の大別して二種類ある意味のうちのひとつである(参照:ラカン派の二種類のサントーム・症状)。

さて、前回も蓮實重彦を引用してこう記した、蓮實は《これらの長篇を精神分析的に解読した場合になる解釈……そんな解釈を得意がって提起するほどわれわれは文学的に破廉恥ではないつもりだ。そうした事実とは、どんな不注意な読者でも見逃しえない図式として、そこに露呈されているだけなのである》(『小説から遠く離れて』p172)と書いており、この文章は禁止の命令として響かないでもない。だがここは敢えて精神分析的に解読する「破廉恥」さを引き受けて、ラカンを持ち出したということだ。それは《どんな不注意な読者でも見逃しえない》形で露呈されているのだから。

やはり上のようないささか独断的とも思われる見解を、ラカンに依拠して書くのは、かなり気がひけるものであり、ここでは重ねてこう引用しておこう。

それは『闘争のエチカ』(柄谷行人との対談集」の蓮實重彦による「あとがき」の文章であり、《批評は小説の解読装置ではなく、小説こそがわれわれを、あるいはわれわれの理論を解読する装置なのである》と読みうる叙述である。

伝統的な小説が前衛的な小説にくらべてものわかりのよさそうな表情を浮かべているというのではありません。筒井康隆だって、安部公房だって、薄気味の悪いほどものわかりがよく、その点では村上春樹と変わりません。こうした一連の闘争放棄は、小説がみずから装置であることを止め、読まれるべき言葉としてあっさり解読装置に身をゆだねてしまうことからくるものです。批評家の手にしているものが解読装置であって、小説がその装置によって解読される対象でしかないようにすべてが進行してしまい、そのことに、小説家も、批評家も疑いの目を向けようとすらしていないという現状が納得しがたいものに思われたのです。

しかし、この関係は不健康に転倒している。装置であるのは、むしろ小説の方なのです。装置でありながら、何の装置だか使用法がわからないものとして小説が存在しているのでなければならない。そして批評家は、その目的や使用法を心得た人間ではないはずです。ましてや、装置を解読する装置が批評なのでもないでしょう。小説という装置は、おそらく小説家にとってさえ、それが何に役立つか見当もつかない粗暴な装置であり、であるが故に、小説は自由なのです。批評家は、使用法もわからぬままにその小説を作動させる。それが、小説を擁護するということの意味なのです。

(おそらくもう少し続くだろうが、それは補遺程度かもしれない)




2015年4月12日日曜日

「人工的捏造物」として「聖痕」を抱えた『枯木灘』の秋幸

蓮實重彦の『小説から遠く離れて』には、中上健次の『枯木灘』論とでもいうべきいくつかの章がある。それは「Ⅸ 過失と告白」、「Ⅹ 完璧な捨子を求めて」、「ⅩⅠ 継承と反復」、「ⅩⅡ 小説の無根拠な生成」と名付けられた四つの章ととりあえずしておく。”とりあえず”としたのは、他の章にもいくらかの重要な言及があるためである。

ここでは、Ⅸ章に見られる次の文章にまずは注目することにする。そこには、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に引き続いて、『枯木灘』を分析する文章があり、まずはこう書かれている、《導入部にみられる物語的な設定の自然さにもかかわらず、あるいはその自然さ故に、秋幸がキクやハシにおとらぬ人工的な捏造物にほかならぬという点だろう》。

ここで、秋幸、すなわち『枯木灘』の主人公は、「人工的捏造物」とされている。一見、奇妙な表現である。蓮實重彦自身も《導入部にみられる物語的な設定の自然さにもかかわらず》と書いていることから分かるように、われわれは通常、秋幸を、物語のなかの、ごく「自然な」登場人物として読むだろう。

では、蓮實重彦の「人工的な捏造物」という表現は、どのような意味合いをもっているのか。それは次ぎの文に見られる「超=感染性」という言葉が示している。

では、秋幸にはいかなる人工性がみられるのか。それを、ひとまず「染まりやすさ」と呼ぶことにして話を進めるなら、『枯木灘』の登場人物の中で、おそらく彼一人が、驚くべき容易さで外界の事象に感染するという特殊な体質をかかえこんでいることが明らかになる。もっとも、この超=感染性ともいうべき資質を、作者はことさら病的な畸型性として提示してはいないし、また読む側も、そこに一つの捏造性を感じとったりはしない。事実、秋幸の振舞いを物語の展開に従ってたどってゆくわれわれは、その染まりやすさを、小説の主人公としての許容範囲におさまりのつく一つの性格として受けとめる。たとえば、冒頭の、現場へと急ぐトラックのハンドルを握る秋幸の朝の感覚を次ぎのように描写するとき、作者の側に主人公の病的な一面を強調する意図などなかったに違いない。

《トンネルを抜けるとすぐに川の蛇行にあわせてカーブがあった。川は光っていた。水の青が、岩場の多い山に植えられた木の暗い緑の中で、そこだけ生きて動いている証しのように秋幸には思えた。明るく青い水が自分のひらいていた二つの眼から血管に流れ込み、自分の体が明るく染まっていく気がした。そんな感じはよくあった。土方仕事をしている時はしょっちゅうだった。汗を流して掘り方をしながら秋幸は、自分が考えることも判断することもいらない力を入れて堀りすくう動く体になっているのを感じた。土の命じるままに従っているのだった。硬い土はそのように、柔かい土はそれに合うように。秋幸はその現場に染まっている。》(中上健次『枯木灘』)(蓮實重彦『小説から遠く離れて』pp.140-141) 

この「染まりやすさ」の感覚、あたかも素肌を愛撫する母性的な環境における甘美な快楽をめぐるかのような文章に、中上健次の読者なら、初期の作品から続く同じ中上健次を、ひょっとして戦慄したり鳥肌を立てたりしながら、読みとるのではないか。

たとえば、初期中上健次の短篇には、《水の中にはいっていると、皮膚がなくなってしまい、体がとろけたようになってしまう》(『一番はじめの出来事』)とある、あるいは、《ぼくは寝そべったまま、耳の穴に舌を入れてくすぐってくる海の波音を感じていた》(『眠りの日々』)とある。

これは密着と愛撫の環境を全的に受け入れようとする仕草である。中上の文章を読み進めるわれわれも、いつか遠い日々にはこんな感覚をもったことがある、とひそかに共感をこめて頷くことになる。

……ところでこの静かな水は乳である/また 朝の柔らかな孤独にひろがるすべてのものである。/夜明け前、夢の中のように 曙を溶かした水で洗われた橋が空と美しい交わりをむすぶ。そして讃うべき陽光の幼い日々が いくつも巻いたテントの柵をつたって じかにぼくの歌に降りてくる。/…/いとしい幼年期よ、追憶に身をゆだねさえすればよい…あのころぼくはそう云ったろうか? もうあんな肌着などほしくない/…/そしてこの心、この心、ほらあそこに、心は橋の上をずるずると裾ひきずって行くがよいのだ、古びた雑巾ぼうきよりもつつましく 荒々しく/くびれ果てて…》(「サン=ジョン・ペルス詩集」より 多田智満子訳)

それはさらに遡れば、われわれの記憶の底の薄明のなかにふんだんに残っている幼児型記憶のような感覚でもあるだろう。かりにそれらがうっすらとした何かの痕跡、「影」のようなものとしてだけでしかなくとも、あるいは、われわれの成長の歴史の彼岸の、遠い「先史時代」のようなものとしてだけではあるかもしれぬが、その「先史時代」の記憶が、何かの拍子に、甘美ではありながら鋭い痛みも伴なって突如襲ってくる感覚。

その瞬間とは、思いがけずも奇妙なものを見出してしまった「考古学者」の驚きをもって茫然自失するかのごとくである刻限である。それは、われわれの成長の歴史の、それなりに確たる記憶の表皮を破るかのようであり、癒された傷のかさぶたが突如開くかのようにして、唐突に突き刺さってくるような印象を与える「一瞬よりはいくらか長く続く間」(大江健三郎)の刻限であるが、中上健次はまずは、初期からその感覚をくり返し表現してくれる作家のひとりだった。

そして中上健次は、その創作活動を詩人とて出発したことを忘れてはならない、《昭和二十一年/飢餓の喜びにふるえた/女の/陰部から/ビロードの不幸をまとって/父のない/流動体のスピロヘータが/とびだした》(中上健次、「履歴書」)。

それから幼年時代をふちまで一ぱい満たしていた
あの悩みが、どんなに個性もなく、
すべての人々の上を過ぎていったかを予感し見ぬくこと……
そうして、それでも出て行くこと、手から手をふりほどき、
癒やされた傷口をあらためて裂くように。(リルケ「放蕩息子の家出」(高安国世訳

ところで、冒頭近くに掲げた文に引き続き、蓮實重彦は次ぎのように書き綴ることになる。

この「現場に染まっている」感覚は、その後、何度もくり返し現われることで、外界と存在との特権的な一体感を語るこの小説のライトモチーフとさえなっており、そこに病的な不自然さは含まれていないかにみえるのだが、このやわらかな通底性、あるいはむしろ解放感の表現とさえうけとめるこの相互感染性は、まぎれもなく一つの宿命的な聖痕として秋幸を冒してゆくのである。というのも、たんに外界の光りや色彩のみならず、あたりにゆきかっている言葉にも感染することで、秋幸は、徐々に身動きのとれない状態へと自分を追いこむことになるからであり、その意味で、「染まりやすさ」は、積極的な資質というより、まさしくそれは、受動的な生の消耗と無関係でないばかりか、危険な徴候だとさえいえる脆い均衡であって、断じて調和ある安定性ではない。そもそも日雇いの人夫たちをてきばきと働かせ、義父の繫蔵から「組をもったら、文昭よりええ親方になる」と頼もしがられる状態そのものが、秋幸のかかえこんだ超=感染性という受動的な資質の現われにほかならず、本来であれば自死や狂気の誘惑に身をまかせても不思議ではない不幸で複雑な家系を背負ったものとしては、むしろ不自然な振舞いだとさえいうべきだろう。また、そうでない限り、『枯木灘』の物語は進展しないはずであり、だから、川の水の青さを瞳から体内にとりこみ、シャベルの先で、土の反応に自分をなぞらえようとする秋幸の振舞いは、世界の物質的な表情と快く一体化せんとするための汎神論的な恍惚の表現というより、自分には解消しがたい弱さの現われにほかならないわけだ。(pp.141-142)

ここには先ほど注目した「人工的捏造物」という表現と同じように注目したい表現がある。それは「宿命的な聖痕」である。これは前者と同様に「染まりやすさ」と関連づけられての文脈で使用されている表現である。

「人工的捏造物」として「宿命的な聖痕」を抱えた秋幸は、《徐々に身動きのとれない状態へと自分を追いこ》まれるのであり、《「染まりやすさ」は、積極的な資質というより、まさしくそれは、受動的な生の消耗と無関係でないばかりか、危険な徴候だとさえいえる脆い均衡であって、断じて調和ある安定性ではない》ものとしての「聖痕」を抱えた秋幸。この秋幸の際立った美質とも思える「相互感染性」が、危険で脆いものであるのはなにゆえなのだろうか。

ここで唐突にラカンのサントーム概念を持ち出してみることにする。

サントームsinthomeとは、①症状symptom ②聖人saint home ③聖トマスSaint Thomas (〈大他者〉、あるいはキリストを信ぜず、独自の道を歩んだ者) ④罪人sin-homme ⑤模造人間、人工的に人工的に自己創造した人間 synth-homme である(参照:「ラカン派の二種類のサントーム・症状」)。

これ以外に、⑥サントームとは、もともとラカンのジョイスのセミネール(セミネールⅩⅩⅢ)で多様に語られたものであり、ジョイスにおけるサントームとは、父の名(正確に言えば象徴的ファルス)の介入が排除され、前エディプス的な母性的、すなわち「母なるオルギア」(距離のない狂宴)のなすがままにある前精神病的環境にある人物が、精神病を発病しないための、支柱としてのサントームである。すなわちサントームは父の名の代替の機能を果たす。

母性のオルギア」とそれを支えるものを、ラカンは次ぎのように表現する。

母はあなたの前で口を開けた大きな鰐である。ひとは、彼女はどうしたいのか、究極的にはあんぐり開けた口を閉じたいのかどうか、分からない。これが母の欲望なのだ(……)。だが顎のあいだには石がある。それが顎が閉じてしまうのを支えている。これが、ファルスと名づけられるものである。それがあなたを安全に保つのだ、もし顎が突然閉じてしまっても。(Le Séminaire Livre XVII, L’envers de la psychanalyse, 1960-1970, Seuil, p. 129ーー「鰐なる母=女の口、あるいは象徴的ファルスと想像的ファルス」)




ところで、ラカンの上に掲げた多様な意味をもつ「サントーム」を“しょうじょう”と読ませつつ「聖状」との訳語をつけるラカン派の研究者もいる(参照:「サントーム=聖状(しょうじょう)」)。


ここで中上健次の話に戻れば、人工的捏造物synth-homme である『枯木灘』の主人公秋幸は、「聖痕」を抱えた密着と愛撫の脆い環境に染まる「超=感染性」の人物である。そして、この長篇小説の書き手である中上健次は、「路地」というシニフィアンを絶えず口にした。

路地では、いま「哀れなるかよ、きょうだい心中」と盆踊りの唄がひびいているはずだった。言ってみれば秋幸はその路地が孕み、路地が産んだ子供も同然のまま育った。秋幸に父親はなかった。秋幸はフサの私生児ではなく路地の私生児だった。(中上健次『枯木灘』)

この「路地」というシニフィアンが、中上健次のサントーム(⑥の意味における)、すなわち「父の名」の代替物としての支柱であると断言することはしないで置くが、蓮實重彦の指摘する中上健次の「聖痕」が、ラカンの「サントーム=聖状」に限りなく近い概念であることは否定できない。ひょっとして中上健次の作品、あるいは彼自身の境遇のある局面は、ラカンのサントーム概念を通して、読み得るのではないか。

路地では父親、母親の事を、男の親、女の親と呼ぶならわしがあるのだった。もちろん、あの子の男の親は、とは、決して市民社会で呼ぶようなあの子の父親というものと同じものではない(略)市民社会で呼ばれるような父親は路地にはないと言ってよく、男の親女の親とは、むしろ生物としての親という言い方に近い。(……)

何度も何度も路地の雨は小説に書いてきた。玄関の戸を開けると、小説の世界がひらける。私がそこで一人、自分で手首を斬り喉首を斬り血まみれになって死んでいても誰も疑わない。小説の中の登場人物がそうなるように路地という幻の中で人は納得する。だが子供を道づれにする夢のような考えを持った事など一度もなかった。(中上健次“桜川”-『熊野集』)
俺はどこにもいない。それが機嫌のいいときの口癖だった。そのあとにはかならず、路地はどこにでもある、という言葉が続いた。(四方田犬彦『貴種と転生 中上健次』“補遺 一番はじめの出来事”)

とはいえ、蓮實重彦は、《これらの長篇を精神分析的に解読した場合になる解釈……そんな解釈を得意がって提起するほどわれわれは文学的に破廉恥ではないつもりだ。そうした事実とは、どんな不注意な読者でも見逃しえない図式として、そこに露呈されているだけなのである》(p172)と書いており、この文章は禁止の命令として響かないでもない。だがここは敢えて精神分析的に解読する「破廉恥」さを引き受けて、ラカンを持ち出したということだ。それは《どんな不注意な読者でも見逃しえない》形で露呈されているのだから。

私生児として生れた中上健次は、「父の苗字」を三度変えている。彼は「父の名」の分離機能(母性的環境からの)が働かない幼年時代を送ったのではないか。

初期の理論でさえ、ラカンはエディプスの父の機能における象徴的側面を強調した。父の名の隠喩は実にその名を通して作用する。この仮説とは次のようなものである。すなわち、子どもに父の名との組み合せによる彼自身の名前を与えることは、子どもを原初の(母子の)共生関係symbiosisから解放する。後期のラカン理論では、ラカンは名づけることのこの側面をいっそうくり返し強調した。したがってラカンは複数形で使用したのだ、the NAMES of the father(Les Noms-du-Père引用者)と。疑いもなく文化人類学の影響を受けて、ラカンは次ぎの事実を分かっていたに違いない、母系制文化においてさえ、分離の機能は名づけるnamegivingことを通して作用することを。それは伝統的な欧米の核家族の外部でさえもである。主体に独自のシニフィアン、すなわち母のそれではなく異なったアイディンティティのシニフィアンを提供することは、分離を惹起し、こうして保護を与える。これはわれわれに重要な結論を齎してくれる。すなわちエディプスの法は、古典的なエディプス、たとえば家父長制の外部でとても上手く設置することができる。――これは重要である。というのはそれが意味するのは、われわれは、基本的な信頼を取り戻すために、古き良き家父長制に戻ることを承認する必要はないということだから。(社会的絆と権威(Paul Verhaeghe)

(続く)


2014年12月12日金曜日

理想の女

まず丹生谷貴志氏のツイートから始めよう。

@cbfn: ”文学嫌い”を標榜する者の或る類型「文学は空虚な夢物語の玩弄にすぎない」という言い草。間抜けな文学教育の裏返し、文学はあらゆる夢物語への否定であることを知らない連中の愚妹にすぎない。ネルヴァルの「夢の物語」すら本質にあるのは「現実という夢を現実だと思っている夢想家への憎悪」である
@cbfn: 誰もが知るように、「現実主義者」とは「現実は夢ではない」と思い込んでいる最悪の夢想家に過ぎない。実際かれらの大方は妙に夢見がちな目つきをしている。
@cbfn: 「芸術などなんの役にも立たない」という発話は論理の基礎からいって「芸術とよばれるもの」の存在を信じている人間によってのみ発話される。従って芸術を擁護するという無意味な動作を維持せねばならないなら、答えは簡単で、「芸術というものは存在する」と思い込んでいる者を笑うことである。

「文学は空虚な夢物語の玩弄にすぎない」--たとえばこの文を「文学は理想の女の玩弄にすぎない」と言い換えてみよう。ひとは実は「理想の女」を書きたいのではないか。これはなにも文学の話でなくてもよい。真の思想家は、たとえば「理想の民主主義」を書きたいのではないか、としてもよい。だが、書くことはそれを裏切ってしまう。もちろんそれは「理想」でなくてもよい。中上健次はその『枯木灘』で途中までは父を殺すつもりの「物語」を書いていただろう。だが殺せない。書いているうちにその「物語」を廃棄せざるをえなくなる。

確かなことは、根拠を放棄するという身振りを前提として『枯木灘』の筆が起こされたのではないという事実だろう。中上健次が物語から身を引き離すのは、書くという実践的な過程そのものを通してであり、いわばエクリチュールによる根拠の放棄がテクストとして生成されているという点に、この長篇の優位と困難とが認められるということなのだ。『枯木灘』の文章のある種の読みにくさは、その証言でしかない。つまり、勝算があっての上で物語の廃棄を試みているわけではなく、むしろ物語的な構造の安定性に進んで埋没するという誘惑をたえず実感しながら、おそらくは一字書き、一行書き綴るというほとんど肉体的な作業によって誘惑を回避するものであったに違いない事態の推移そのものが、この長篇の言葉にただならぬ震えや脈動を与えているのだと思う。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)

たまたまツイッターで拾ったのだが(すなわち出典不明)、蓮實重彦はこうも言っているようだ、「よく知っていると思い込んでいることにかぎって、誰もほとんど何も知らずにいることがしばしばある」「とりわけ複雑なものとも思えない問いではあるが、いったん律儀に答えを準備しようとすると、それがかえって問うことの根拠まで吟味させざるをえないことに誰もが当惑するしかない」

中上健次は、父への殺意をよく知っていると思い込んでいた。だが書き進めるうちに、その根拠を疑わざるを得なくなる。これがエクリチュールというものだ。物語を綴ることは決してエクリチュール(書くこと)ではない。それは綴り方にすぎない。

坂口安吾のエッセイを読んでいると、彼はそのことばかり言っているようにみえる。小説そのものは、彼の場合眼高手低気味で、その多くの小説がよくできたものであるとは言い難いと感じてしまうことがある。だが、ときに言葉は震え脈動を伝える。それが尊い。坂口安吾の書き物に、「なつかしい」という言葉がふと呟かれるとき、それが彼なりの「理想」であることは間違いない。

坂口安吾は、「文学のふるさと」で、シャルル・ペロオの童話「赤頭巾」をめぐってj書いているが、この「なつかしい」とは「アモラル」のことでもある。《愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐な少女が、森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。……まったくただそれだけの話》。

私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られたような空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。その余白の中にくりひろげられ、私の耳に沁みる風景は、可憐な少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、決して、不潔とか、不透明というものではありません。何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります。(……)

そこで私はこう思わずにはいられぬのです。つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。(坂口安吾『文学のふるさと』)

柄谷行人はこの文を引用して次のように書いている。

彼がいう「ふるさと」は、普通の意味でのふるさとではない。たとえば、小林秀雄が「故郷喪失」という場合の「故郷」ではない。それは、われわれをあたたかく包み込む同一性ではなく、われわれを突き放す「他なるもの」である。それは意味でもなく無意味でもなくて、非意味である。(柄谷行人『終焉をめぐって』P189)

非意味であるなら、ラカンの最も難解な論のひとつ『エトゥルディ』をめぐるバディウの言葉を引用することもできる(ジジェクにはかねてから「非意味」が頻出するがここでは割愛)。

フロイトはわれわれを ab-sens [非-意味]が性を指し示すということに同意させる。このsens-absexe のふくらみにおいて、語が決するところで一つのトポロジーが展開する。(Il n'y a pas de rapport sexuel ---Deux leçons sur <<L'Étourdit>> de Lacan  Fayard, 2010)

ここでバディウついでに、文脈からは外れるが、ジジェクが引用する次ぎの言葉を引用しておこう。

現代における究極的な敵に与えられる名称が資本主義や帝国あるいは搾取ではなく、民主主義であるというバディウの主張は、正しい。それは、資本主義的諸関係の急進−根源的な変革を妨げる究極的な枠組みとして「民主的な機構」を捉えることを意味している。(「永遠の経済的非常事態」 スラヴォイ・ジジェク 長原豊訳

ーー民主主義の理想を考えていったら、自ずとこのような結論になるということではないか。


さて、安吾の小説の「名品」から、「なつかしい」と書かれる文をひとつだけ抜き出しておこう。

私は谷川で青鬼の虎の皮のフンドシを洗っている。私はフンドシを干すのを忘れて、谷川のふちで眠ってしまう。青鬼が私をゆさぶる。私は目をさましてニッコリする。カッコウだのホトトギスだの山鳩がないている。私はそんなものよりも青鬼の調子外れの胴間声が好きだ。私はニッコリして彼に腕をさしだすだろう。すべてが、なんて退屈だろう。しかし、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう。(坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」)

坂口安吾の1948(昭和23)年に書かれた「わが思想の息吹」にはこうある。

「青鬼の褌を洗う女」は昨年中の仕事のうちで、私の最も愛着を寄せる作品であるが、発表されたのが、週刊朝日二十五週年記念にあまれた「美と愛」という限定出版の豪華雑誌であったため、殆ど一般の目にふれなかったらしい。私の知友の中でも、これを読んだという人が殆どなかったので、淋しい思いをしたのであった。(……)

「青鬼の褌を洗う女」は、特別のモデルというようなものはない。書かれた事実を部分的に背負っている数人の男女はいるけれども、あの宿命を歩いている女は、あの作品の上にだけしか実在しない。

 このことは、私の自伝的な作品に就ても云えることで、たとえば「二十七」は河上徹太郎とか、中原中也とか、実在の人が登場するけれども、そして、あそこに描かれていることに偽りはないのであるが、然し、それゆえ、これを実話と見るのは間違っている。これは小説なのである。

 なぜなら、あれは、いわゆる私小説とは趣きを異にしている。私小説というものは、事実を主体とするものであるが、私の自伝的作品の場合は、一つの生き方によって歪められた角度から構成された「作品」であって、事実ということに主点がない。

 だから、何を書いたか、何を選びだして、作品を構成したか、ということに主点があり、これを逆にすると、何を選ばなかったか、何を書かなかったか、ということにも主点があるわけだ。

 然し、何を書かなかったか、ということは、私と、書かれた当人しか分らない。読者には分らないのである。私の作品に書かれた実在の人々の多くは、私にザンコクに露出せしめられたということより、あるいはむしろ、私に「いたわられている」という印象を受けはしないかと思う。

 その意味に於て、私の作品はアマイという批評も有りうると思うが、これが、また、問題のあるところで、作品人物をいたわっている、いたわるためにいたわるのではなくて、かくいたわること自体、いたわり方自体に、私の生き方がある、私の思想の地盤がある、そのことを先ず第一に気付き、考えていたゞかねばならぬ。


次ぎの文は、上に引用した蓮實重彦や丹生谷貴志の批評の言葉の内実、あるいは中上健次がやった「エクリチュール」の実践のあり方について、安吾らしいインティメートな言葉で書き綴っている。


◆ 理想の女(坂口安吾)より

 ある婦人が私に言つた。私が情痴作家などゝ言はれることは、私が小説の中で作者の理想の女を書きさへすれば忽ち消える妄評だといふことを。まことに尤もなことだ。昔から傑作の多くは理想の女を書いてゐるものだ。けれども、私が意志することによつて、それが書けるか、といふと、さうはたやすく行かない。

 誰しも理想の女を書きたい。女のみではない、理想の人、すぐれた魂、まことの善意、高貴な精神を表現したいのだ。それはあらゆる作家の切なる希ひであるに相違ない。私とてもさうである。

 だが、書きだすと、さうは行かなくなつてしまふ。

 誰しも理想といふものはある。オフィスだの喫茶店であらゆる人が各々の理想に就て語り合ふ。理想の人に就て、政治に就て、社会に就て。

 我々の言葉はさういふ時には幻術の如きもので、どんな架空なものでも言ひ表すことができるものだ。

 ところが、文学は違ふ。文学の言葉は違ふ。文学といふものには、言葉に対する怖るべき冷酷な審判官がをるので、この審判官を作者といふ。この審判官の鬼の目の前では、幻術はきかない。すべて、空論は拒否せられ、日頃口にする理想が真実血肉こもる信念思想でない限り、原稿紙上に足跡をとゞめることを厳しく拒否されてしまふのである。

 だから私が理想の人や理想の女を書かうと思つて原稿紙に向つても、いざ書きだすと、私はもうさつきまでの私とは違ふ。私は鬼の審判官と共に言葉をより分け、言葉にこもる真偽を嗅ぎわけてをるので、かうして架空な情熱も思想もすべて襟首をつまんで投げやられてしまふ。

 私はいつも理想をめざし、高貴な魂や善良な心を書かうとして出発しながら、今、私が現にあるだけの低俗醜悪な魂や人間を書き上げてしまふことになる。私は小説に於て、私を裏切ることができない。私は善良なるものを意志し希願しつゝ醜怪な悪徳を書いてしまふといふことを、他の何人よりも私自身が悲しんでゐるのだ。

 だから、理想の女を書け、といふ、この婦人の厚意の言葉も、私がそれを単に意志するのみで成就し得ない文学本来の宿命を見落してをるので、文学は、ともかく、書くことによつて、それを卒業する、一つづゝ卒業し、一つづゝ捨ててそして、ヨヂ登つて行くよりほかに仕方がないものだ。ともかく、作家の手の爪には血が滲んでゐるものだ。
 単にわが人生を複写するのは綴方の領域にすぎぬ。そして大の男が綴方に没頭し、面白くもない綴方を、面白くない故に純粋だの、深遠だの、神聖だなどゝ途方もないことを言つてゐた。

 小説といふものは、わが理想を紙上にもとめる業くれで、理想とは、現実にみたされざるもの、即ち、未来に、人間をあらゆるその可能性の中に探し求め、つかみだしたいといふ意慾の果であり、個性的な思想に貫かれ、その思想は、常に書き、書きすることによつて、上昇しつゝあるものなのである。

 けれども、小説は思想そのものではない。思想家が、その思想の解説の方便に小説の形式を用ひるといふ便宜的なものではない。即ち、芸術といふものは、たしかに絶対なもので、小説の形式によつてしかわが思想を語り得ないといふ先天的な資質を必要とする。

 小説は、思想を語るものではあつても、思想そのものではなく、読物だ。即ち、小説といふものは、思想する人と、小説する戯作者と二人の合作になるもので、戯作の広さ深さ、戯作性の振幅によつて、思想自体が発育伸展する性質のものである。