さてこのところジジェクのサントーム概念の捉え方の変遷をいくらか探ってみたなかで、いくらか初期ジジェクの著作を覗いてみたので、ここではすこし細部に拘ってみることにする。
…サントームとして捉えられた症状は、文字通り、われわれの唯一の実体、われわれの存在の唯一のポジティヴな支え、主体に一貫性を与える唯一のポイントである。
言い換えれば、症状は、われわれが"狂気を避ける"方法、われわれが、何も選択しない代わりに(ラディカルな精神病的自閉症、象徴的世界の崩壊)、何か(症状-形成物)を選択することである。その選択は、あるシニフィアンに、あるいは世界におけるわれわれの存在へ最低限の一貫性を保証してくれる象徴的形成物に、われわれの享楽を拘束することbindingを通してなされる。
もしこの根源的領域における症状が拘束から解放されてunboundしまったら、文字通り"世界の終わり"である、ーー唯一の代替物は無である、すなわち純粋な自閉症、精神病による自殺、死の欲動に身を委ねられ、象徴的世界の全き壊滅にさえ向かう。
これが、精神分析過程の終わりのラカンの最終的な定義が、症状との同一化 identification with the symptomである理由だ。患者が、彼の症状の現実界Realにおいて、彼の存在の唯一の支えを認めたとき、分析は終結する。これが、フロイトの"Wo Es war, soll Ich werden"を如何に読まなければならないか、ということでもある。すなわち、主体としてのあなたは、あなたの症状の既ににあった場所に同一化しなければならない。この"病理上の"特異性particularityにおいて、あなたの存在に一貫性を与えている要素を認めなければならない。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』THE SUBLIME OBJECT OF IDEOLOGY 1989ー--邦訳はもちろんあるが、わたくしの手元には原文しかないので、私訳した)
ジジェクは、ここにある捉え方から、すなわち《主体としてのあなたは、あなたの症状のある場所に同一化しなければならない》からのいくらかの移行があるだろうことは、「ラカン派の「主体の解任destitution subjective」をめぐって」にみて見た。
とはいえ、ジジェクこのこの文において既に、サントームの対象a、欲動の側面だけではなく、《世界におけるわれわれの存在へ最低限の一貫性を保証してくれる象徴的形成物》という側面を強調している。
ところで、二年後に上梓された『斜めから見る』にはこう書かれている。
サントームLe sinthomeは症状symptomではない。症状は、解釈によって解読されるべき、暗号化されたメッセージであるが、サントームは意味のない文字であり、即座に意味-の-享楽jouis-sense, "enjoyment-in-meaning," "enjoy-meantを獲得する。(ジジェク『斜めから見る』1991 鈴木晶訳だが、symptomの訳語が「症候」となっているのを「症状」とした)
この文だけ安易に読んでしまえば、サントームのある側面が、ラカンの後期「症状」概念と同じものだということが見えてこないかもしれない。だが、「サントームは症状ではない」とされているのは、サントームはラカンの前期症状概念ーーそれは通常、現在でも医学用語として使われている意味に近いのだろうがーーそれとは違うといっているのだ(参照:ラカン派の二種類のサントーム・症状)。
…………
さて、ここでは、冒頭の文章にある"Wo Es war, soll Ich werden"と、binding、unboundの二つに注目することにする。
フロイトが『続精神分析入門』の中で精神分析の意図として表明した“Wo Es war, soll Ich werden.”は、フランスではマリー ・ ボナパルトによって “Le moi doit déloger le ça.” と訳された。 これを日本語に訳すと 「自我はエスを追い出さなければならない」 となる。 日本では、 このフロイトのことばは懸田克躬・ 高橋義孝によって 「かつてエスであったところを自我にしなければならない。 」 と訳されている。
フロイトも『終わりのある分析、終りのない分析』で述べているように、分析作業は去勢(-φ)の岩に遭遇して終了する。これはひとつの「Wo Es war……」である。無意識の真理、去勢(-φ)があったところに私はやってこなければならないのだから。
だが、これではまだ分析終了の半分だけを説明しているのにすぎない。あとの半分は…、患者はファンタスムのイマジネールな形態を整理し、そこにそれまで自らの症状の中で沈黙の内に満足されていた欲動の対象 (a) を自らの存在の核をなすものとして認め、 私は 「それ」 (je suis ça = エス)であると言うことである。 Wo Es war, soll Ich werden. まさしくこれは、エスがあったところに、私は到達しなければならない、である。
"Wo Es war, soll Ich werden"の訳、および解釈を伴なう訳は次ぎの通り。
①《かつてエスであったところを自我にしなければならない》(懸田克躬・ 高橋義孝訳)
②《エスがあったところに、私は到達しなければならない》(向井雅明)
③《主体としてのあなたは、あなたの症状の既ににあった場所に同一化しなければならない。you, the subject, must identify yourself with the place
where your symptom already was》(ジジェク)
ーー②と③は、ほとんど同じことを言っているとしてよいだろう。
This picture can be brought into relation with Breuer's distinction between quiescent (or bound) and mobile cathectic energy in the elements of the psychical systems; the elements of the system Cs. would carry no bound energy but only energy capable of free discharge.
この文章は、岩波新訳ではどう訳されているかは知らない身であるが、人文書院の旧訳ではかくの如し。
……このような想定と、ブロイアーが、心理的体系の諸要素について、静止せる(拘束された)供給エネルギーBesetzungsenerと自由に活動しうる供給エネルギーとを区別した見解とをむすびつけて考えることができる。Bw体系の諸要素は、そのとき拘束されたエネルギーをもたず、ただ自由に放出できるエネルギーしかそなえていないだろう。(フロイト『快感原則の彼岸』フロイト著作集6 p165
この訳文は、「フロイト翻訳正誤表」氏によって次のような訳文変更の提案がある、《心的システムの諸要素のなかに、静止せる(拘束された)備給エネルギーと自由に活動しうる備給エネルギー》。
いずれにせよ、ブロイアー起源の用語であることがわかる。独語とは殆ど縁のない身であるが、この際、独原文も貼り付けておこう。
Man kann mit dieser Vorstellung die Breuer-sche Unterscheidung von ruhender (gebundener) und frei beweglicher Besetzungsenergie in den Elementen der psychischen Systeme zusammenbringen; die Elemente des Systems Bw würden dann keine gebundene und nur frei abfuhrfähige Energie führen.
さて、何がいいたいのかと言えば、この「拘束されたエネルギー」は、フロイトだけでなくラカンの欲動論におけるひとつのキーワードであるということだ。
ここでヴェルハーゲの論から抜き出すならば、こうある。
フロイト理論において、快感原則は、"シニフィアン内部"で機能する、すなわち表象Vorstellungenとともに、ということである。そこでの"拘束されたbound"エネルギーは、いわゆる二次的な過程内部に結びつけられる。快感原則の彼岸に横たわるものは、表象によって表現され得ず、一次的な過程内部での"自由なfree"エネルギーとともに作動する。後者は自我にトラウマ的な影響を与える。ラカンの現実界とは、フロイトの、原抑圧された無意識の臍であり、固着のせいで居残ったstays behindものである。"居残るstays behind"が意味するのは、「シニフィアンに、言語に転換されない」ということである(Freud, letters to Fliess, dd. 30th May 96, 2nd Nov.96)。(Paul Verhaeghe, Beyond Gender. From Subject to Drive)
フロイトは、その経歴の最後に、自由連想の技法は「終りがない」1937ことを認めた。象徴界における「徹底操作」1914では不十分なのだ。というのは、徹底操作(ラカンの「幻想の横断」)だけではでは、構造的に、欲動の真の核には繋がりえないからだ。すでに、フロイトは、この1914年の論文にて、「反復強迫Wiederholungszwang」を発見しているが、それはなにも偶然の一致ではないと言える。とはいえ、反復強迫とは、普通の反復とは異なるものだが、その時点ではフロイトは十分な区別が出来ていなかったように見える。
反復強迫とは、象徴化できないものを象徴化する絶え間ない試みである。すなわち、ラカン用語でいうなら、「書かれぬことをやめぬもの“C'est ce qui ne cesse pas de ne pas s'écrire”」であり、シニフィアンの連鎖automaton(自由連想)が、象徴界におけるネガティヴな生産物としての穴、tuchè(反復強迫としての現実界)を決定づけているのにフロイトはある時期から気づいていた。
これが、欲動の強迫を「拘束しbind」、二次的な過程(象徴界)に繋げようとする、構造的に「不可能な」試みということである。驚くべきなのは、フロイトはすでに1890年代にトラウマを研究するなかで(たとえば『ヒステリー研究』1895)、この「言語に転換されない」異物 Fremdkörper(あるいは異物としての身体)に頻りに言い及んでおり(「異物」はブロイアー概念)、そこですでに快感原則の彼岸の核を見出しているとさえいえることだ。
いずれにせよ、この「書かれぬことをやめぬもの」が「欲動」の姿である。そして、欲動は潜在的には死の欲動である、《…toute pulsion est virtuellement pulsion de mort.》 (Lacan Ecrit 848)
きみたちにフロイトの『性欲論三篇』を読み直すことを求める。というのはわたしはla dériveと命名したものについて再びその論を使うだろうから。すなわち欲動Triebを「享楽のdérive(drift)漂流」と翻訳する。(ラカンセミネールⅩⅩアンコール私訳)
フロイトの文における《Bw体系の諸要素は、そのとき拘束されたエネルギーをもたず、ただ自由に放出できるエネルギーしかそなえていない》という表現は、いかにもあっさりしているが、この《拘束されたエネルギーをもたず、ただ自由に放出できるエネルギー》が、「死の欲動」を言い表わそうとする起源の少なくともその一つである。
最後に、ジジェクがフロイトの『集団心理学と自我の分析』をめぐって語る中での、”the unbinding of a social link”という表現を抜き出しておこう。
……for Freud, the “regressive” primary crowd, exemplarily operative in the destructive violence of a mob, is the zero‐level of the unbinding of a social link, the social “death drive” at its purest.(ZIZEK,LESS THAN NOTHING,2012)
……フロイトにとっては、“退行的な”原始集団、典型的には暴徒の破壊的な暴力を働かせるその集団は、社会的な絆の拘束を解き離すゼロ度、最も純粋な社会的“死の欲動”である。(私訳)