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2015年6月29日月曜日

エクリチュールとフィクション

野間易通対川上量生(東浩紀による)」に引き続く。

「事実確認的 constavive」/「行為遂行的 performative」にかかわるまとめを前々ブログでしたことがある(四年前)。だが、前々ブログはまるごと削除してしまったので、ここにその記事をそのまま掲げる(原発事故約半年後に書いたものであり、日本において、いわゆる「理系」と呼ばれる種族のナイーヴぶりにひどく苛立っていた時期に記したものである)。

…………

蓮實重彦は2005年5月、ソウルで開催された「世界文学フォーラム」(テーマ:平和のために書く)での講演で冒頭の簡単な導入後、次のように語り出す(「『赤』の誘惑」をめぐって)。

「葛藤」や「無秩序」への私の執着は、言語をめぐるごく単純な原則に由来している。それは、ある定義しがたい概念について、大多数の人間があらかじめ同じ解釈を共有しあってはならないという原則にほかならない。とりわけ、文学においては、多様な解釈を誘発することで一時の混乱を惹起する概念こそ、真に創造的なものだと私は考えている。そうした創造的な不一致を通過することがないかぎり、「平和」の概念もまた、抽象的なものにとどまるしかあるまい。

このように述べた後、《「フィクション」という単語の意味をめぐる大がかりな不一致》を取り上げる。今日の理論的な考察の基盤にある西欧的な思考にとって、「フィクション」は非=正統的な私生児であり、「フィクション」を捉え損なっているがゆえに、近代的思考は「現実」を描き尽くすことができていない、とは、蓮實重彦の長年の「宿題」のひとつと言える。

例えば、「小説の構造」(初出=「国文学」1977年)にはこう書かれている(ここでの「小説」を「フィクション」に読み替えてみても粗雑さの謗りを受けることはあるまい)。

もしかりに、ヨーロッパが真の反省的思考に目覚める瞬間があるとするならば、そのときヨーロッパが描きあげるだろうその自画像は「小説」を中心にした構図におさまることになるだろう。あるいは逆に「小説」を構図の中心に据えたヨーロッパ像が想定されぬ限り、ヨーロッパはその自意識を獲得することはなかろうというべきかもしれない。「小説」を視界におさめなかったが故に、デカルトは真の反省的思考を実践しえなかったし、マルクスも、またニーチェも、そしてフ ロイトも、「小説」を曖昧にとり逃がしてしまったが故に、ヨーロッパ的な現実を周到に描きつくすにはいたらなかったのだ。階級闘争も、永劫回帰も、無意識 も、「小説」に対してはひたすら無効の身振りしか演じてはいない。そしてその事実を自覚する瞬間に、ヨーロッパは初めて真の反省的な思考を獲得することに なるだろう。またそうでない限り、ヨーロッパは、ルイ十四世の時代と質的にはほとんど変わらぬ仕草で思考をめぐらせ続けるほかあるまい。
もしかりに、過去一世紀を「小説」の時代と呼ぶのであれば、それは、この身分の賎しくいかがわしい言葉の戯れから、賎しさといかがわしさを分離し、それを 見ずにすごすことの歴史であったといえる。それに視線を落とさずにいることがもはや不可能となったいま、「小説」の歴史は、必然的に近代がその真の反省的 意識に目覚めるという事件の生まなましい叙述たらざるをえないところにさしかかっていると思う。だがその具体的な叙述には、別の機会が設けられねばならない。

さて講演では、氏はドリット・コーンの『フィクションの特性』からいくつかの文を引用することになる。

この語彙の複数の意味は、辞書の『フィクション』という項目からもはっきりと見て取れるが、その唯一の共通分母は、それぞれの辞書の項目がすべて『捏造された何ごとか』と呼んでいるもののようだ。

ドリット・コーンは「フィクション」を文学的に論じるのではなく、人類の思考一般における考察をしているとされるのだが、次のような引用もなされる。

かくしてベンサムは法律的な「正義」という語彙をフィクションと呼び、カントは人間の知的な直感の産物(時間や空間という概念)を「体験的フィクション」と呼び、ニーチェは統一された主体(統一された自己を持つという)としての個人的な実存の感覚を、われわれが内面に持っている類似の状態はある基層の効果としてのフィクションにほかならぬと告げている。

つまりなにもかもが「捏造された何ごとか」なのである。蓮實重彦は上記の文に次のようにつけ加える。

この引用は、フィクションが文学の問題となる以前に、すでに哲学的な概念だったことを想起させるに充分である。「重力」を「フィクション」と呼んだニュートンを敷衍するなら、ジャン=ジャック=ルソーの「自然の状態」からフロイトの「無意識」まで、あらゆるものが「フィクション」と呼ばれかねないとコーン教授はいう。実際、彼女の著作以後に書かれた『政治という虚構』の著者フィリップ・ラクー=ラバルトにとっては、ナチズムもまた「フィクション」である。それ以前にも、『差異と反復』の著者ジル・ドゥルーズが哲学の書物は「サイエンス・フィクション」でなければならぬといい、ロラン・バルトが『テクストの快楽』でイデオロギーの体系を「フィクション」と断じ、ミシェル・フーコーが彼自身の哲学的=歴史学的な著作は「フィクション」にほかならぬといっているように、この語義は文学以外の場でもひたすら拡張の一途をたどっているかにみえる。

これを受けて、蓮實重彦のコーンの見解への齟齬をめぐる言述が始まる。

コーンは、「フィクション」という語彙の「混沌として頽廃した言語使用」を慨嘆する。そして「その語彙の定義をしたり、その複数の異なる意味を識別したりする」ことになるのだが、蓮實重彦は、それがいかに卓見にみちたものであろうと、新たな「フィクション」の定義を一つつけ加えるという退屈な事態の恒常化に貢献するしかない、と断じることになる。

もっともそれは、理論家の思考の混乱や、論理的な慎重さの欠如や、方法的な欠陥からくるものではなく、

本質という概念からおよそ遠く、その純粋状態というものを持ちえない、「フィクション」が、総合や分析をたやすく逃れるその非=カテゴリー的な力によって、“とは何か”という設問をいたるところで流産させてしまうからにほかならない。その点からして、「フィクション」を論じようとする者は、いたずらに厳密たろうとして、その語の「混沌として頽廃した言語使用」を怖れるべきではないというのがここでの私の立場である

とする。

さて次には有名なデリダ=サール論争への言及が始まる。それはオースティン=サールの「スピーチアクト理論」に対するデリダの厳しい批判に始まるものだが(1971年の「署名、出来事、コンテクスト」(『有限責任会社』所収)、ここではその詳細は差し控えて、参照として二つのリンクを貼付しておくだけにする。

1、哲学の「境界」を画定すること
2、デリダ「署名 出来事 コンテクスト」。反覆〔イテラシオン〕と反復〔レペティシオン〕

蓮實重彦は、デリダは、オースティン=サールの議論を、「書かれたコミュニケーション」と「話されたコミュニケーション」とを識別せず、「言表行為をコミュニケーション的行為」としてしか考察していないところにその欠陥を見ているとし、次の引用をする。

書かれたものが、書かれたものであるためには、それは依然として「働きかけ」つづけ、読解可能でありつづけるものでなければならないーーーたとえ書かれたものの著者と呼ばれる者が自らの書いたものに、自ら署名したと思われるものに責任をもつことがもはやなくなったとしても、当の著者が、彼が一時的に不在である場合にせよ、死んでしまった場合にせよ、あるいは一般的に言って、この著者が自らの絶対的に顕在的で現前的な意図=志向や注意に、また自らの<言わんと欲すること>の充実に依拠することをせず、「自らの名のもとに」書かれたもののように思われることそのものをこうした依拠によって維持しなくなった場合にせよ、それらのいずれの場合でもかまわない。(『署名、出来事、コンテクスト』)

オースティンの主張の眼目は、さきほど挙げたリンク1から引用するなら次のようなものであった。

行為遂行的発言はパロールにおいてはその発言当人の現前性に、エクリチュールにおいては著者の「署名」に帰せられる。この両方において、オースティンは、 パロールにはその「発言源」を、エクリチュールはその「記入源」を行為遂行的発言の成立条件として設定し、コミュニケーションをコンテクストの一義性の中に回収するのである。「発言源」や「記入源」は、オースティンの言語行為における〈自己への現前性〉を示すもの以外のなにものでもないだろう。

あるいは「フィクション」的な人物やものは指示対象たりうるというサールは、オースティンの「寄生」という概念を「装われた」と呼びかえ、「フィクション」における作者はあたかも「事実の主張をしているかに装っている」とも主張する。

しかし蓮實重彦はさきほどのデリダの引用文のあと、つぎのように語ることになる。

オースティンがコンテクスト構成の責任者とみなす言表の主体や、サールが「発話内意図」の起源だという作者などの概念を、デリダの指摘する「エクリチュール」の特性がことごとく無効にしていることは明らかである。話される言葉における主体の現前に対して、書かれたテクストにおける主体の不在という視点から書かれた文字の漂流性を論じるデリダの目には、「寄生的」ないし「装われた」という概念そのものが無意味になるほかないからである。なぜなら、「書かれた記号はおのれのコンテクストとなんらかの断絶力を含んでいる」のであり、「このような断絶力は、書かれたもののなんらかの遇有的述語であるのではなく、それの構造そのもの」だからである。

以下、「赤」をめぐって「フィクション」の分析が始まる。蓮實重彦の論としては核心部分であるが、この箇所はその後上梓された『赤の誘惑』にいっそう詳しい(ここでは割愛)。

ここでは、後半にもう一度デリダの文の引用がなされるのだが、その前段で蓮實重彦は、《デリダの指摘をまつまでもなく、書かれた言語記号は本質的に無責任な漂流性を生きるものであることをここで改めて想起しておきたい》として引用されるデリダ、《私はいわゆるデリダ派に属する人間ではないが(……)深く共感せざるをえない》として引用されるデリダの核心的な言葉にのみスポットライトを当てることにしよう。

いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され、孤児としてその誕生時より自らの父の立会いから分離されたエクリチュールーーーこうしたエクリチュールによる本質的な漂流……(「署名、出来事、コンテクスト」)

エクリチュールとは例えば英語圏ではwritingとされているだけで、つまり「書かれたもの」はすべてエクリチュール=書記である。

ところでサールの主張をもういちど持ち出せば、彼の目的は「フィクション的な発話と字義通りの発話の違いを究明することにある」ということだ。こうも言う、「批評家が作者の意図を完全に知りえないと想像することは非条理である」と。

そしてデリダはそれに対して、かりにサールのいう「真面目な発話」であろうと、それが「書かれた記号」であるかぎり、コンテクストの構成責任をになう主体はそこに不在である、という反論がなされたわけだ。

※詳しくはリンク1,2を参照のこと。

エクリチュールとは、作者という正当な起源を持たず、父親も母親もないまま生成されたものである。その「精神分裂病」的な「無政府」状態。それを受け入れ難い、あるいはデリダの指摘を頭の片隅にさえ置いていないとしか思えない「優秀」な「近代的思考」の持ち主が、依然、跳梁跋扈しているのは、誰もが知る通りである。

※もちろん民法的、あるいは刑法的には「作者」はいる、しかし「作者」はそこにしかいない、とも言えるのだ。また異なった側面からの「自己責任」をめぐっては、ここに少し触れた。→ カントの「自由」----柄谷行人、あるいはジュパンチッチ

デリダのいう「エクリチュール」は理論的に考え抜かれたものであるとしたら、ロラン・バルトの「エクリチュール」はより実践的に述べられているといってよいかもしれない、カント的な意味で。

※カントの三批判は次のようであった。

「我々は何を知りうるか」、「我々は何をなしうるか」、「我々は何を欲しうるか」という人間学の根本的な問いがそれぞれ『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』に対応している。(柄谷行人)

ここでロラン・バルトの言葉を『彼自身のロラン・バルト』から付記しておこう。

エクリチュールによって私は、きびしい除外作用に支配されることを余儀なくされる。それは、エクリチュールによって私が世間の常用の(「民衆の」)ことばづかいから分け距てられてしまう、という理由のみによるのではない。もっと本質的な理由は、エクリチュールが私に「自分を表現する」ことをさまたげるというところにある。だいいち、エクリチュールは《誰か》を表現しうるものだろうか。主体の非固形性、そのアトピー〔場所を問わないこと〕を裸かにしてさらし、想像界の疑似餌を撒きちらすことによって、それは、叙情表現(中心的な「心の動揺」をあらわす語法として)いっさいをなりたたなくさせてしまう。エクリチュールは、乾いた、禁欲的な、およそ心情の吐露といったもののない、享楽である。

あるいはバルトがニーチェのエクリチュールを読む快楽を語る言葉。

(それは)一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)

※テクストは楽譜のようなものだとしたらどうだろう? それなら「要約」は馬鹿げていることになる。

もうひとつ、違った側面から。

エクリチュールの実践に身を置く人は、あまり嫌がらずに、自分の思考の感度や管轄を縮小したり逸脱させたりすることを受け容れる(次のようなせりふを言う際によくもちいられる口調を辞すべきではないというわけだ、たとえば《それが私にとって何だというのです?》とか、《私が肝心な点を押さえていないとでもいうのですか?》とか)。エクリチュールの中には、ある種の惰性、ある種の精神的《安易さ》のもたらす快楽があるのかもしれない、私はしゃべるときよりも書くときのほうが自分の愚かしさに対していっそう平気でいられる、とでもいった感じなのだ(教師たちは作家たちより何倍も知的らしくはないか)。

※「フィクション」については、阿部和重と蓮實重彦の対談(「『ピストルズ』――小説という形式性の追求」(「群像」2010年5月号)から次の言葉を付記しておく。

(阿部) 語りの工夫や形式性の追求、何でそういうことを性懲りもなくやり続けてしまうのかというと、(……)やはりフィクションにおけるリアリティーの問題に関係します。フィクションのおけるリアルというのは、現実の出来事を自然な形でかたどることではなく、フィクションという形式を常に覆っている現実といいますか、その形式性を突き詰めれば突き詰めるほど浮き彫りになってしまうまがいものとしての不自然さをこそ指すのではないか。それはもちろん蓮實さんの著作を僕なりに読んできた中で考えついたことでもあるわけですが、自分にとっては創作上の基盤になっています。(……)フィクションを扱う創作において重要なのは、それぞれの表現形式に不可避的に備わっている不自然さ、その規則を忠実に守ることによって浮き彫りになってくる、これは現実ではないというリアリティーをこそ際立たせることなんじゃないかと思っています。

(蓮實)おっしゃる通りです。それは言葉で物を書くことが必然的にかかえこんでいる限界にどう目覚めるかということですよね。

ここでこの文の論旨をさらに「漂流」させることを試みよう。『表象の奈落―――フィクションと思考の動体視力』の「あとがき」よりの「引用」である。

「批評」は、本質的に言い換えの作業にほかならない。翻訳とも呼べるその作業は、言い換えるべき対象としての他者の言説の中でまどろんでいるしかるべき記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。数ある記号のどれに触れて目覚めさせるかで、読む主体の「動体視力」が問われることにもなろうが、それは、読むことで、潜在的なものを顕在化させる作業だといってよい。その覚醒によって、他者の言説は、誰のものでもない言説へと変容する。その変容は、“できごと”として生起し、「批評」の主体をもいくぶんか変容させずにはおくまい。言い換えれば、その二重の変容を通して、とりあえずの翻訳におさまるのだが、「批評」は、それがあくまでとりあえずのものでしかないことを知っている。また、それを知らねば、たんなる「厚顔無恥」に陥るほかはない。

※ここでの「厚顔無恥」とはバルト用語であり、「はしたなさ」と同義である。そして「フィクション」とは、バルトにとって、何よりもまず、「厚顔無恥」を欠いた、あるいは「はしたなさ」から最も遠く離れた言説であり、それは晩年のコレージュ・ド・フランスの講義『「中性」的なもの』『小説の準備』などでの「テーマ」のひとつである(もっともバルトに「テーマ」という語は似合わない)。《欲望とは、横断である。私は「中性」的なるものを横断する》。

「中性的なもの」とは、「威圧的な意味」の支配からのがれることであり、「意味作用を発揮していない、すなわち意味を免除されている」ことである。「意味」の固定化を避けようとするバルトの姿勢をあらわすいくつかの言葉は次のようである。

ニーチェは、《真理》とは古い隠喩の凝固したものに他ならない、といった。ところで、この理屈でいくと、ステレオタイプは《真理》に到る現実の道筋であり、案出された装飾を、記号内容の、規範的な、強制的な形式へと移行させる具体的な過程なのである。(『彼自身によるロラン・バルト』)
反作用〔反応〕による形成。あるひとつの《ドクサ》(世間の通念)を提示してみて、さて、それが耐えがたいものだとする。私はそれからそれるために、ひとつのパラドクサ〔逆説〕を要請する。次には、その逆説にべたべたした汚れがついて、それ自体が新しい凝結物、新しい《ドクサ》となる。そこで私はもっと遠くまで新しい逆説を探しに行かざるをえなくなる。(バルト「同上」)

ところで、バルトは「倦怠」の人でもあった。いやけがさしてうんざりすること。しかも、そのありさまが他人の目にもはっきり見えてしまうこと。そのバルトが「疲労」に肯定的な力を与える。

おそらく人々が疲労の諸秩序を受け入れる瞬間に、疲労は創造的なものとなる。疲労の権利(健康保険の問題ではない)は、新しさの一部となる。倦怠からーーうんざりした気分からーー新しいものが生まれるのである。(バルト『中性的なるもの』)

こうしてモーリス・ブランショの言葉をも援用されることになる。

疲労は、不幸のうちでもっともつつましいもので、中性的なものの中でもっとも中性的なものだ。それは、選択することが許されるなら、誰もが虚栄心から選択することのなかろう体験である。(……)疲労とは、所有的な状態ではなく、問題視することなく吸収する状態にほかならぬ。

このブランショの言葉を「ほぼ」完璧な記述だといいながら、「疲労」とは「厚顔無恥であるまいとして人が支払わねばならぬ対価」にほかならないとつけくわえざるをえないのが、バルトなのだ、と蓮實重彦は「バルトとフィクション」で書く。「所有」ではなく「吸収する状態」を維持するための「つつましさ」。

他方、「疲労」を知らないファルス的「自己表現者」への嫌厭。それらのあり様は、エクリチュールの享楽、《エクリチュールは、乾いた、禁欲的な、およそ心情の吐露といったもののない、享楽である。》、それから遠く離れた振舞いといえるだろう。

私はしばしば他者たちの疲労を知らぬ性格に驚かされる(唖然とするしかない)。(……)エネルギー ――とりわけ言語的なエネルギー ――は、私を唖然とさせる。それは、私には、狂気の徴候としか思えない。他者とは、疲れを知らぬ存在なのだ。(晩年のバルトの日記より『偶景』所収)。

過度で疲労困憊させる他者の言語的エネルギー、「合理」やら「実証」やら「冷静」、あるいは「誠実」、「無邪気」などの「仮面」を被った自己顕示欲の「厚顔無恥」な書記。それは「エクリチュール」の本来の姿からほど遠い。《「中性」的なるものを構造化するのでもなく分析するのでもなく、ただ「横断」することの「疲労」を代償として維持されるエクリチュール》(バルト=蓮實)

もっとも他者の疲れを知らぬ饒舌な言説ばかり蔓延っているとしたら、すぐれたテクストに「ひきこもる」より仕方がないのか? いや必ずしもそうではない(すぐそばでわめき散らかされているのではなくーーこれは耐えられないーー、例えばインターネット上のヒステリー的書記を楽しむために)。

あれらの「はしたなさ」を楽しむためには? 位置を移すこと。聞き手になるのではなく(楽しみ損なうのは確実だ)、その覗き手になること。そうすればフィクションにみえ、「ひびの入った皮膜」にみえてくる。もちろん、そこに欠けているのは、身振りや、声音、表情などなのだがそれは止む得ない。ほとんど発話行為に近い書記がなされている、そして書き手の意識では「現前性」が強いはずだと思われる、たとえばツイッターなどのパロール的書き言葉は、とても奇妙な形式を持っているし、そこに「新しさ」を見ている人もあるのだろうが、いかんせんそこに席巻する我勝ちな「これ見よ顔」(もちろん、ある偶然からしかるべき事件に立ち会ったり、何かを発見したり、特権的な知(専門知識)による時を得た啓蒙などによる即効性のある情報(今回の震災、原発事故で顕著であった)の有用性を否定するものではないが)。

「位置を移すこと」。それは、プルースト的方法でもある。

……なぜなら、私の興味をひくのは、人々のいおうとしている内容ではなくて、人々がそれをいっているときの言いぶりだからで、その言いぶりも、すくなくともそこに彼らの性格とか彼らのこっけいさがにじみでているのでなくてはいけなかった、というよりも、むしろそれは、特有の快楽を私にあたえるのでこれまでつねに別格の形で私の探求の目的になっていたもの、すなわち甲の存在にも乙の存在にも共通であるような点、といったほうがよかった。そんなもの、そんな点を認めるとき、はじめて私の精神は、突然よろこびにあふれて獲物を追いかけはじめるのだが、しかしそのときに追いかけているものは(……)、なかば深まったところ、物の表面それ自体からかなたの、すこし奥へ後退したところにあるのであった。そして、それまでの私の精神といえば、たとえ私自身、表面活発に話していても―――その生気がかえって精神の全面的な鈍磨を他の人々に被いかくしていて―――そのかげで精神は眠っていたのであった。したがって、精神が深い点に到達するとき、存在の、表面的な、模写的な魅力は、私の興味からそれてしまうというわけだ、というのも、女の腹の艶やかな皮膚の下に、それを蝕む内臓の疾患を見ぬく外科医のように、もはや私はそのような表面の魅力にとどまる能力をもたなくなるからだった。

以上、ここに「引用」を中心にして書かれた文はバルトのような「主体の希薄さ」、あるいはバルトが『ミシュレ』で、「これらの推移を記述することは、それらを愛撫することに似ている」と書いたありようとはほど遠く、「はしたなさ」の圏域から逃れることができないのは、書き手の未熟さ、あるいは「中性的なもの」への感性の欠如による。