これはすげえものだと、わたしは一も二もなく感服した。おもへば、西洋のはなしには至つてよわかつた。今から何十年かまへ、わたしが中学校にはひつて匆匆のことだから、年代は大正とあらたまつて間もないころである。(石川淳「倫敦塔その他」)
わたくしが感服したのは、倫敦塔ではなく、ゴダールの妻だったか同伴者のアンヌ=マリー・ミエヴィルのこの映像であり、中学校はとっくに卒業しており、二十代の半ばすぎ(母が死んでまもなく)だったが、当時はゴダールにかかわる名には至ってよわかった。数年前にもYouTubeにこの映像があったのだが、いつのまにかなくなっていた。今みてみると2015/03/30に新しくアップされている。
だいたい音楽を聴いたら踊ったりするのはあたりまえだ。音楽好きの叔父たちが隣りに住んでいたので、下の叔父がシンフォニーを聴きながら急に立ち上がってそのあたりにある指揮棒めいたものーー耳かきとか鉛筆が多かったーーを振りだしたり踊りだしたりするのをしばしば観察していたし、上の叔父がジャズを聴きながらありとあらゆる仕草をするのも楽しみに眺めていた、--のは中学校時代でさえなく小学校のなかばごろである。だからわたくしは今でも多くの曲をきけば軀が動く。耳かきも使う。要するに上の映像には対象aが書き込まれている。つまりはわたくしの眼差しが書き込まれている。世界は開け胡麻!となる。扉を開く映像、アリババの呪文、魔法の種である。
きょうの私自身は、見すてられた石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場にころがっているものは、みんな似たりよったりであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切りだすのだ。私はいおう、――われわれがふたたび見る一つ一つの事物が、無数の像を切りだす、と。たとえば本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の綴目のひらきかたとか、その紙質のきめとかは、それぞれそのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネチアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき障害を来たすからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。むろん、私の少年時代の多くの本、そして、ああ、ベルゴット自身のある種の本については、疲れた晩に、それらを手にとることがある、しかしそれは、私が汽車にでも乗って、旅先の異なる風物をながめ、昔の空気を吸って、気を休めたいと思ったのと変わりはなかった。しかも、求めてえられるその種の喚起は、本を長くよみつづけることで、かえってさまたげられることがあるものだ。ベルゴットの一冊にそんなのがある(大公の図書室にあるそれには、極端にへつらった俗悪な献辞がついていた)、それを私は、ジルベルトに合えなかった冬の一日に読んだ、そしていまは、あのように私が愛していた文章を、そこからうまく見つけだすことができない。いくつかの語が、その文章の個所を私に確信させそうだが、だめだ。私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか? しかしその書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。(プルースト『見出された時』)
母方の祖父母の家は、渡り廊下があちこちにある黒光りした家だった。
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿(井伏鱒二)
廊下を左に行き突き当たりの左にあったのが上の叔父の部屋で、十二畳の座敷の向こうがわに行って仏壇のある部屋に入りーー女学校の勤労奉仕のさなか空襲でなくなった伯母の写真が飾ってあり、いつも線香のにおいがしたーーその部屋の左手にあったのが下の叔父の部屋だった。
してみると、それが、明瞭であるにもかかわらず、ときとして事後にはじめて明らかになる、ということがあっても少しも驚くには当らない。そのようなことが起こるのは、長いあいだ写真を見ずに過したあと、ふたたび写真のことを考えるときである。現に見ている写真よりも、思い出した写真のほうが、いっそうよく理解できる、ということがあるものだ。まるで直接目に見える形は、言語活動を誤った方向に導くので、それがおこなわせる記述の努力は、効果を発揮する点、つまりプンクトゥムをつねにとらえそこなってしまう、とでもいうかのようである。ヴァン・ダー・ジーの写真を読んだとき、私は、何が私を感動させるかを突きとめたと思った。それは、晴れ着を着た黒人女のベルト付きの靴だった。しかしこの写真は私の心のなかで徐々に変化していって、私はその後、真のプンクトゥムは彼女が首にかけている短い首飾りである、ということを理解するようになった。というのも(おそらく)、私の家族の一員が首にかけているのを、私がいつも目にしてきたのは、これと同じ首飾り(金の鎖の細い組紐)だったからである。その首飾りは、本人が亡くなったいま、家族の古い装身具を入れておく宝石箱にしまいこまれたままになっている(この父の妹は生涯結婚せず、オールドミスとして自分の母親のもとで暮していたので、私はその田舎暮らしのわびしさを思い、いつも心を痛めていた)。プンクトゥムは、いかに直接的、いかに鋭利なものであっても、ある種の潜伏性をもつことができる(しかしいかなる検査にも決して反応しない)、ということを私はそのとき理解したのだった。(ロラン・バルト『明るい部屋』ーー「ベルト付きの靴と首飾り」)
叔父叔母たちが集ったらひどく賑やかな家でもあった。
ーーなどということを思い起したのは、小林秀雄の次の文を読んだからである。
先日、何年ぶりかで、トルストイの「クロイチェル・ソナタ」を読み返し、心を動かされたが、この作の主人公の一見奇矯と思われる近代音楽に対する毒舌は、非常に鋭くて正しい作者の感受性に裏付けられているように思われた。行進曲で軍隊が行進するのはよい、舞踏曲でダンスをするのはよい、ミサが歌われて、聖餐を受けるのはわかる、だが、クロイチェル・ソナタが演奏される時、人々は一体何をしたらいいのか。誰も知らぬ。わけの解らぬ行為を挑発するわけの解らぬ力を音楽から受けながら、音楽会の聴衆は、行為を禁止されて椅子に釘付けになっている。
行為をもって表現されないエネルギイは、彼等の頭脳を芸術鑑賞という美名の下に、あらゆる空虚な妄想で満たすというのだ。何と疑い様のな明瞭な説であるか。心理学的あるいは哲学的美学の意匠を凝らして、身動きも出来ない美の近代的鑑賞に対しては、この説は、ほとんど裸体で立っていると形容してよいくらいである。……(小林秀雄「骨董」)
もし美に対して素直な子供らしい態度をとるならば、行為を禁止された美の近代的鑑賞の不思議な架空性に関するトルストイの洞察は、僕達の経験にも親しいはずなのである。昔は建築を離れた絵画というおうな奇妙なものを誰もが考えつかなかったが、近代絵画には額縁という家しか、本当に頼りになる住居がなくなって来ている。そういう傾向に発達して来ているから、従ってそういう傾向に鑑賞されざるを得ない。展覧会とか美術館とかいう鑑賞の組織を誰が夢想し得たろうか。あそこにみんなが集って、いくらかずつ金を払って、グルグル回ってキョロキョロしている。こういう絵画の美とも日常生活とも関係のない、夢遊病者染みた機械的運動は、不自然な点では、音楽会で椅子に釘づけになっているのと同じことで、空想によって頭脳だけを昂奮させるために払わねばならぬ奇怪な代償である。しかもこれは観念過剰の近代人にはどうしても必要なことになって了っている。必要なことを自然なことと思い込むのもまた無理のないことで、だから、展覧会を出たり、音楽会を出たりした時の不快な疲労感について反省してみることもない。美が人に愉快な行為を禁じて、人を疲れさせるとは、何と奇妙なことだろう。美は逆に、人の行為を規制し、秩序づけることによって、愉快な自由感を与えてくれて然るべきではないか。美は、もはやそんな風には創られていないし、僕らもそんな風にはそれを享受出来ないのである。
買ってみなくてはわからぬ、とよく骨董好きはいうが、これは勿論、美は買う買わぬには関係はないと信じている人々に対していうのであって、骨董とは買うものだとは仲間ではわかりきったことなのである。なるほど器物の美しさは、買う買わぬと関係はあるまいが、美しい器物となれば、これを所有するとしないとでは大変な相違である。美しい物を所有したいのは人情の常であり、所有という行為に様々の悪徳がまつわるのは人生の常である。しかし一方、美術鑑賞家という一種の美学者は、悪徳すら生む力を欠いているということに想いを致さなければ片手落ちであろう。博物館や美術館は、美を金持ちの金力から解放するという。だが何者に向って解放するのかが明らかでない。もし、そこに集るものが、硝子越しに名画名器を鑑賞し、毎日使用する飯茶碗の美にはおよそ無関心な美的空想家の群れならば。また、彼らの間から、新しい美を創り出すことにより、美の日常性を奪回しようとするものが現われるのは、おそらく絶望であるならば。(小林秀雄「骨董」)
ああいい文章だ、やっぱりこういった文章をたまには玩味しなくちゃならない。じつは小林秀雄を先に読んだのではなく、石川淳を読んだ。それは、尿酸値がまた高くなりこの数日湯豆腐を食べているせいだ。
すききらひを押し通すにも、油斷はいのちとりのやうである。好むものではないすしの、ふだん手を出さうともしないなんとか貝なんぞと、いかにその場の行きがかりとはいへ、ウソにも附合はうといふ愛嬌を見せることはなかつた。いいや、いただきません、きらひです。それで立派に通つたものを、うかうかと……このひとにして、魔がさしたといふのだらう。ぽつくり、じつにあつけなく、わたしにとつてはただ一人の同鄕淺草の先輩、久保田萬太郞は地上から消えた。どうしたんです、久保田さん。久保勘さんのむすこさんの、ぶしつけながら、久保万さん。御當人のちかごろの句に、湯豆腐やいのちのはてのうすあかり。その豆腐に、これもお好みのトンカツ一丁。酒はけつかうそれでいける。もとより仕事はいける。ウニのコノワタのと小ざかしいやつの世話にはならない。元來さういふ氣合のひとであつた。この氣合すなわちエネルギーの使ひ方はハイカラといふものである。(石川淳「わが万太郎」『夷齋小識』所收)
◆HAIL MARY (JEAN-LUC GODARD, 1985)