ひょっとしたら誤解されるかもしれないから、一言しておこう。私は資本家や土地所有者の姿をけっしてばら色に描いていない。そしてここで問題になっているのは、経済的範疇(カテゴリー)の人格化であるかぎりでの、一定の階級関係と利害関係の担い手であるかぎりでの人間にすぎない。経済的社会構成の発展を自然史的過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(『資本論』第一巻「第一版へのまえがき」1867年)
柄谷行人はこの名高い文を引用して次ぎのように書いている。
ここでマルクスがいう「経済的カテゴリー」とは、商品や貨幣のようなものではなくて、何かを商品や貨幣たらしめる価値形態を意味する。『グルントリセ』においても、マルクスは商品や貨幣というカテゴリーを扱っていた。『資本論』では、彼は、それ以前に、何かを商品や貨幣たらしめる形式に遡行しているのである。商品とは相対的価値形態におけれるもの(物、サービス、労働力など)のことであり、貨幣とは等価形態におけれるもののことである。同様に、こうしたカテゴリーの担い手である「資本家」や「労働者」は、諸個人がどこに置かれているか(相対的価値形態か等価形態か)によって規定される。それは彼らが主観的に何を考えていようと関係がない。
ここでいわれる階級は、経験的な社会学的な意味での階級ではない。だから、現在の社会において、『資本論』のような階級関係は存在しないというような批判は的外れである。現在だけでなく、過去においても、どこでもそのように単純な階級関係は存在しなかった。そして、マルクスが具体的な階級関係を考察するとき、諸階級の多様性、そして言説や文化の多様性について非常に敏感であったことは、『ルイ・ポナパルドのブリュメールの一八日』のような仕事を見れば明らかなのだ。一方、『資本論』では、マルクスは、資本制経済に固有の階級関係を価値形態という場において見ている。その意味では、『資本論』の認識はむしろ今日の状況によりよく妥当するといってよい。たとえば、今日では、労働者の年金は機関投資家によって運用されている。つまり、労働者の年金はそれ自身資本として活動するのである。その結果、それが企業を融合しリストラを迫ることになり、労働者自身を苦しめることになる。このように、資本家と労働者の階級関係はきわめて錯綜している。そして、それはもう実体的な階級関係という考えではとらえられないように見える。しかし、商品と貨幣、というよりも相対的価値形態と等価価値形態という非対称的な関係は少しも消えていない。『資本論』が考察するのはそのような関係の構造であり、それはその場に置かれた人々の意識にとってどう映ってみえようと存在するのである。
こうした構造主義的な見方は不可欠である。マルクスは安直なかたちで資本主義の道徳的非難をしなかった。むしろそこにこそ、マルクスの倫理学を見るべきである。資本家も労働者もそこでは主体ではなく、いわば彼らがおかれる場によって規定されている。しかし、このような見方は、読者を途方にくれさせる。(柄谷行人『トランスクリティーク』p40-41)
《こうした構造主義的な見方》は《読者を途方にくれさせる》とあるが、これは内容より形式――個人が置かれた「場」、あるいはその「社会的関係」ーーが肝要であるという考え方であり、ここでの柄谷行人にとってのマルクスの観点の核心は、《個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである》という文だ。
柄谷行人は別の箇所でこの文を使ってニーチェさえ批判する。
彼(ニーチェ)は弱者のルサンチマンを攻撃したが、それを必然的に生みだす現実的な諸関係が存することを見ようとはしなかった。すなわち、「個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである」という観点を無視したのである。(『トランスクリティーク』第一部第3章 P187)
これは、人はあるポジション或いは社会的関係に置かれれば、いやおうなくルサンチマンを抱く、逆にある社会的関係のポジションに置かれていれば、いやおうなくルサンチマンを抱かれるということだろう。だがわれわれはややもするとそれを無視しがちなのだ。
ところでマルクスはこの考え方を資本論で始めて提示したのではない。1843年――1818年生まれのマルクスであるから、まだ25歳だーーに既にこう書いている。
国家の状態を研究する場合には、人はややもすると、諸関係の客観的本性を見のがして、すべてを行為する諸個人の意思から説明しようとする。だが、民間人の行為や個々の官庁の行為を規定し、あたかも呼吸の仕方のようにそれらの行為から独立している諸関係というものが存在する。最初からこの客観的立場にたつならば、善意もしくは悪意を一方の面でも他方の面でも例外として前提とすることなく、一見して諸個人だけが作用しているように見えるところに(客観的)諸関係が作用しているのが見られるだろう。ある事物が諸関係によって必然的に生じるということが証明されれば、どういう外的諸事情のもとでそれが現実に生まれざるをえなかったか、またその必要性がすでに存在していたのにどういうわけで生まれることができなかったかを発見することは、もはや困難なことではなくなるだろう。使用された物質がどういう外的事情のもとで化合するものかということを化学者が決定するのとほとんど同じ確実さをもって、人はこのことを決定することができるだろう。》(マルクス「モーゼル通信員の弁護」1843年)
これらのマルクスの見解が示すのが、レヴィ=ストロース曰くの、マルクスこそ真の構造主義者の始祖ということだろう。
…………
ところでラカンはそのセミネールⅩⅦ(「精神分析の裏面」)にて、マルクスの剰余価値概念から剰余享楽概念を導きだし、かつ四つの言説理論を提示した。
この四つの言説理論は、「自我は自分の家の主人ではない“dass das Ich kein Herr sei in seinem eigenen Haus”」というフロイトの無意識論の核心の考え方を形式化(構造化)したことで知られている。
いやそれだけではない、四つの言説理論に使用される四つの用語(S1、S2、$、a)自体、フロイト起源である。’
分析analysieren治療を行なうという仕事は、その成果が不充分なものであることが最初から分り切っているような、いわゆる「不可能の職業」といわれるものの、第三番目のものに当たるといえるように思われる。その他の二つは、以前からよく知られているもので、つまり教育edukierenすることと支配するregierenことである。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』)
ただしフロイトは一番肝心な「欲望する主体」を書き落としている。すなわち、regierenはS1(主人)、edukierenはS2(教育者)、a(分析家analysieren)、そして$(欲望する主体)ということになる。
だがここではその詳細は省き、その形式化をめぐるポール・ヴェルハーゲの説明を掲げておくだけにする。
「FROM IMPOSSIBILITY TO INABILITY: LACAN'S THEORY ON THE FOUR DISCOURSES」 (Paul Verhaeghe,1995) より、ラカンの四つの言説の具体的な説明に入る前の箇所を私訳して抜き出す(具体的な内容については、「「教えることと精神分析」Paul Verhaegheーーラカンの四つのディスクール論」を参照のこと)。
このヴェルハーゲの説明は、「内容ではなく形式」を説く部分だけではなく、フーコーの言説概念とラカンの言説概念の相違を説く箇所も秀逸である。
四つの言説理論、この理論は疑いもなくラカンの形式化の最も重要な部分である。言説理論は手短かに言えばーー人は知らず自分にとってはーーラカン理論の頂点である。
勿論これが意味するのは、四つの言説理論はとても密度が高くそのためひどく難しいということだ。同時に、いったんその内的論理を把握してしまえば、とても理解しやすく扱い易い。(……)
さてよく知られた事実から始めよう。コミュニケーションという考え方はこの25年の間に多くの異なった領野で注目の焦点となった。それは「人間関係」から始まって電子工学、遺伝子工学にまでに亘る。いわゆるコミュニケーション理論においては、種々の異なった局面を特徴づける一つの統一した目標がある。すなわち、コミュニケーションを完璧な標準に至るまで育てたい、メッセージが送り手と受け手のあいだを自由に流通するよう、どんな種類の「雑音」をも取り除きたいというものだ。
これらの理論を支配する基礎的な神話は、どんな失敗もない完璧なコミュニケーションの存在に関わる。これらの理論は元々の言説(ディスクール)概念とはひどく異なる。その元々のディスクール概念とは、ミシェル・フーコーが1970年12月、コレージュ・ド・フランスでの就任スピーチで新しく作ったものだ。
彼にとって権力と言説あいだにはとても特別な関係がある。ある言説の影響力はほかの言説にそのシニフィアンを課すことによって鮮明になる。例えば湾岸戦争における爆撃が、「外科的精度」によって実現された「外科的手段」と表現されたとき、この隠喩は医学の言説の権力の表現である。というのは自らの「正当な」領域外で使用されているのだから。
この観点からは、言説の分析は権力の進化における歴史的研究の枠組内でとても役立つ道具である。それがまさにフーコーのやりたかったことだ。ところが今では全く異なった何かになってしまった。
ラカン理論はこの二つのどちらとも関係がない。彼の理論はコミュニケーション理論自体とさえ過激に反していると言える。実に彼はコミュニケーションは常に失敗するという仮定から始める。しかも失敗しなければならないと。それが我々が話し続ける理由であり、もし互いに理解してしまったら、我々は皆沈黙したままであり、幸運にも我々は互いに理解し合えないから相互に話し合うと。
言説は数多くの線を拡げる、その線に沿ってコミュニケーションの不可能性が起こり得る。これがフーコー理論との相違をもたらす。その言説理論において、フーコーはシニフィアンの具体的素材と供に作業をする。そこでは言説の内容にアクセントが置かれている。
ラカンは逆に内容を超えて作業し、発話行為から導き出された言説の形式的関係にアクセントを置く。これが意味するのは、ラカンの言説理論は先ずはどんな話された言葉からも独立した形式的システムとして理解されなければならない、ということだ。
言説は具体的に話されたどんな言葉以前に存在する。その上こうも言える、言説は具体的な発話行為を決定する、と。決定論の結果はラカンの基本的な仮定の反映である。すなわちどの言説も特定の社会的紐帯によってもたらされる基礎的関係性を描写するのだ。
四つの言説があるように、四つの異なった社会的紐帯がある。先に進む前にふたたび強調したいのは、いずれの言説もア・プリオリに空無であることだ。それらは特定の形式をもった空のバッグ以外のなにものでもない。その形式自体が人がバッグに入れる内容を決定する。
このようにしてラカンはセミネールⅩⅦ(1969-1970)は《個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである》にかかわる言説理論を提示した。しかもラカンはそこで「資本家の言説」という四つの言説以外の観点をも示している。これも「剰余享楽」概念とともにマルクスの影響下ーーおそらく価値形態論のーーにあるとみてよいだろう。
四つの言説理論が、ヴェルハーゲのいうようにラカンの理論の頂点であるのかどうかは読み手によって異なった見解もあるだろう。だがラカンが精神分析臨床の領野だけではなく、社会構造、社会分析に最も近づいたのは、セミネールⅩⅦではないか。おそらくフロイトにとっての『集団心理学と自我の分析』は、ラカンにとってはこのセミネールⅩⅦ(精神分析の裏面)ではないだろうか。それは1968年の学生運動直後の1969年のセミネールということにもかかわりがあるのかもしれない。
とすればここでも構造である。なぜならフロイトの『集団心理学と自我の分析』は、第一次世界大戦後の1921年に上梓されているのだから(参照:三つの「父の死」)。
私は歴史の反復があると信じている。そしてそれは科学的に扱うことが可能である。反復されるものは、確かに、出来事ではなく構造、あるいは反復構造である。驚くことに、構造が反復されると、出来事も同様に反復されて現われる。しかしながら、反復され得るのは反復構造のみである。( Kojin Karatani, "Revolution and Repetition" 2008 私訳)
…………
※附記1
マルクスは、同等の労働がふくまれているから異質な商品が等価であるという考え方に反対して、つぎのように書いているが、ここには驚くべきことに、ラカンの「無意識は言語のように構造化されている」という元ネタめいたものが既にある。すなわち、《彼はそれを知ってはいないけれども、それを行う》が「無意識」であり、《価値としての規定は、言語と同じように、人間の社会的産物だからである》が《言語のように構造化されている》である。
したがって、人間が彼らの労働生産物を価値としてたがいに関係させるのは、これらの物が彼らにとって一様な人間労働の単なる物的外皮として通用するからではない。逆である。彼らは、彼らの種類を異にする生産物を交換において価値としてたがいに等置しあうことによって、彼らのさまざまに異なる労働を人間労働としてたがいに等置するのである。彼はそれを知ってはいないけれども、それを行う。
だから、価値の額(ヒタイ)にそれが何であるかが書かれているわけではない。むしろ、価値が、どの労働生産物をも一種の社会的象形文字に転化するのである。後になって、人間は、この象形文字の意味を解読して彼ら自身の社会的産物--というのは、使用対象の価値としての規定は、言語と同じように、人間の社会的産物だからである--の秘密の真相を知ろうとする。
労働生産物は、それが価値である限りでは、その生産に支出された人間労働の単なる物的表現にすぎないという後代の科学的発見は、人類の発達史において一時代を画するものではあるが、労働の社会的性格の対象的外観を決して払いのけはしない。
商品生産というこの特殊な生産形態だけに当てはまること、すなわち、たがいに独立した私的諸労働に特有な社会的性格は、それらの労働の人間労働としての同等性にあり、かつ、この社会的性格が労働生産物の価値性格という形態をとるのだということが、商品生産の諸関係にとらわれている人々にとっては、あの発見の前にも後にも、究極的なものとして現れるのであり、ちょうど、空気がその諸元素に科学的に分解されても、空気形態は一つの物理的物体形態として存続するのと同じである。(マルクス『資本論』)
※附記2
ロラン・バルトの異なった側面からのーー穏やかな構造主義者としてのーー言い方をつけ加えておこう。
私は仕事のための場をふたつもっている。ひとつはパリに、そしてもうひとつはいなかに。二ヶ所に、共通の品物はひとつもない。何ひとつとして運んだことがないからだ。それにもかかわらず、これらふたつの場所は同一性をもっている。なぜか? 用具類(用紙、ペン、机、振子時計、灰皿)の配置が同じだからである。空間の同一性を成立させるのはその構造なのだ。この私的な現象を見ただけでも十分に、構造主義というものがはっきりわかるだろう。すなわち、体系は事物の存在より重要である、ということだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)
あなたに欲望のありどころを教えようとしたら、当の欲望をほんの少し禁じてやればよい(禁止のないところに欲望はないというのが本当なら)。 Xは、わたしがいつも身近におり、しかも、 “ほんの少し” は自由にさせてくれるよう望んでいる。おりおりに姿を消す柔軟な存在であって、しかも、 “あまり遠くへは”離れてゆかぬよう、望んでいるのだ。つまり、このわたしが、常に禁じられたもの(それがなければ良き欲望もない)として現前していなければならないというのである。しかもまたわたしは、ひとたび Xの欲望が形成されてしまい、これ以上はわたしの存在が邪魔になりかねないようなときがくれば、ただちに遠ざかるのではなけれならないだろう。静かに編物をしながら子供を遊ばせている申し分のない母親(保護者であってしかも放任的な)でなければならないのだ。「うまくいっている」カップルの構造とはそうしたものであるだろう。いささかの禁止と多くの自由。欲望を教示し、あとは自由にさせておく。道は教えてくれるが、一緒に行ってやるなどとは言い出さぬ、親切な土地の人たちのように。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』P208)
※附記3
表題にて「構造主義者」と鉤括弧をつけた意味は次ぎのふたつの見解による。
ラカンに関するかぎり、彼が構造主義者であるかどうかという問いへ答えるのはやや困難です。このたぐいの論議は、すべて、そこに付随する定義しだいなのですから。それにもかかわらず、ひとつだけは、私にとって、とてもはっきりしています。フロイトは構造主義者ではありませんでした。もしラカンが唯一のポストフロイト主義者、すなわち精神分析理論をほかのより高い水準に上げたとするならば、この止揚(Aufhebung)、ヘーゲル的意味での「持ち上げ」は、すべてラカンの構造主義と形式主義にかかわります。残りのポストフロイト主義者は、フロイトの後塵を拝しています。プレフロイト主義の水準に戻ってしまっているとさえ、とても多くの場合、言いうると思います。フロイトが根本から革新的であったことははっきりしています。彼は、人間の研究の新しいパラダイムに向けて、彼独自による進化を実践しました。フロイトは、あまりにも根本から革新的だったので、それを超えることなど、ほとんど不可能にさえ見えます。だがら、もしラカンが止揚(Aufhebung)したというなら、わたしたちはそれが何の意味なのか説明する必要があります。ラカンはその理論において何を獲得したのか? と。
……この点に関して、最も重要なラカンの構造は、もちろん四つのディスクールにおける理論です。(……)
これらの形式的構造の長所は明らかです。まずなによりも、抽象化の水準で目を瞠る利点があります。たとえばラカンのアルジェブラalgebra。あなたはそれらの“petites lettres”、小さな文字、aやSやA、そしてそれらの間の関係によって、なんでも代表象することができます。まさにこの抽象化の水準で、わたしたちはどの個別の主体も大きな枠組みにフィットさせることが可能になります。
第二に、これらの形式的構造は、血と肉の外皮を十分に剝いでいるで、心理学化の可能性を減少させてくれます。たとえば、ひとが、フロイトの原父とラカンの主人のシニフィアンS1を比較するなら、その差異ははっきりしています。前者なら、誰もが、白い顎ひげの、彼の女たちのあいだをうろつく年配者を思い浮かべるでしょう。S1を使うことによって、白い顎ひげを思い浮かべるのはとても困難です。……これが、このとても重要な機能の別の解釈の可能性を開示してくれます。そしてそれが三番目の長所をもたらしてくれます。これらの構造は臨床上の実践をとても効率的に舵を取らせてくれます。
実に、これは大きな相違をもたらしてくれます。たとえば、主人のディスクールやヒステリーのディスクールをある所定の状況で使うとしましょう。それぞれの式は、あなたの選択した効果を予想させてくれるでしょう。もちろんこのシステムの短所もあります。フロイトの解決法、すなわち神話や古来の昔話に比較して、ラカンのアルジェブラalgebraは退屈で、うんざりさせさえします。実際、それはなんの血も通っていません。というのは裸の骨にしか関心がないのですから、そのために、フロイトの話に溢れかえる想像な秩序の魅惑は完全に欠けているのです。それは支払わねばならない代価です。〔『FROM IMPOSSIBILITY TO INABILITY: LACAN'S THEORY ON THE FOUR DISCOURSES』(Paul Verhaeghe) 私訳)
現代思想に精通している読者は、おそらく「視線」や「声」を、デリダ的な脱構築作業の第一の標的とみなす傾向があるに違いない。視線とは、「物自体」をその形式の厳然の中で、あるいはその現前の形式の中で捉えるテオリアでなくして何であろう。声とは、話す主体の、それ自体-への-現前を可能にする純粋な「自己作用」の媒体でなくして何であろう。声とは、話す主体の、それ自体-への-現前presence- to-itselfを可能にする純粋な「自己作用auto-affection」の媒体でなくして何であろう。「脱構築」の目的は、ほかでもない、視線がつねに・すでに「下部構造の」ネットワークによって決定されていることを暴露して見せることである。何が見え、何が見えないか、その境界を設定するのはそのネットワークである。見えないということはつまり、視線――「自己反省的」再専有によっては説明できない縁〔マージン〕あるいは枠――による捕獲から必然的に逃れるもののことである。それと同様に、脱構築は、声の自己現前がつねに・すでに書記writingの痕跡によって引き裂かれ/引き延ばされていることを暴露する。しかしここで、われわれが注目しなければならないのは、ポスト構造主義的脱構築とラカンの間には何の共通点もないことである。ラカンは視線と声の機能を脱構築とはほとんど正反対の方法で説明する。ラカンにとって、これらの対象は主体の側ではなく対象の側にある。視線は、対象の中の(絵の中の)ある一点に刻印を押す。対象を見つめている主体は、すでにその点から見つめられている。つまり対象が私を見つめているのである。視線は、主体とその視野の自己現前を保証するどころか、絵の中の染み・汚点として機能する。その染みは明白な可視性を侵害し、私と絵との関係に、埋めることのできない亀裂を導入する。絵が私を見つめている点からは、私は絵を見ることができない。つまり、眼と視線とは本質的に非対称的なのである。対象としての視線は染みであり、その染みが、私が安全で「客観的な」距離から絵を見ることを阻止し、私はその絵を自分の視線しだいでどうにでもなるようなものとして枠取りすることを妨害する。視線とは、いわば、(私の視線の)枠がすでに絵の「内容」の中に書き込まれているような点である。そして、このことはもちろん、対象としての声についてもあてはまる。声はーーたとえば特定の発声者に付属せずにwithout being attached to any particular bearer私に語りかけてくる超自我の声はーーやはり一つの染みとして機能し、その染みは目立たない形で現前することによって、異物として介入し、私が自己同一性を確立するのを邪魔する。(ジジェク『斜めから見る』p234-235)
脱構築はすぐれてモダニズム的手法である。それはおそらく「暴露(仮面を剝ぐ)」という論理の最も根源的な形である。この論理においては、意味の経験の統一性そのものが、意味作用のメカニズムの効果としてとらえられる。そしてその効果は、それを生んだテクストの運動を無視しているかぎりにおいて可能である。ラカンにおいてはじめて「ポストモダニズム的」断絶が生じる。というのも彼は、きわめて曖昧な地位を維持しているある種の現実界的で外傷的な核を論理化したからである。〈現実界〉は象徴化に抵抗するが、同時にそれ自身の遡及的産物でもある。この意味で、われわれは次のようにすら言うことができるーー脱構築主義者たちは根本的には依然として「構造主義者」であり、享楽こそが「真の〈物自体〉」であり、この中心の不可能性のまわりに、すべての意味作用のネットワークは構造化されている、と断言したラカンこそ唯一の「ポスト構造主義者」である、と。(ジジェク『斜めから見る』P267)