このブログを検索

2016年1月11日月曜日

風景と女の二眼ローライ(永井荷風)

断腸亭日乗 昭和十一年 荷風散人年五十八

十月廿六日。午後より時々驟雨あり。草稿を添削す。夜久辺留に往く。安藤氏に託して写真機を購ふ 金壱百四円也

どんな写真機を手に入れたのかといえば、ネット上には、二眼レフの元祖ローライと言っている人が多い。だがローライフレックスかローライコード(フレックスの廉価版だがその軽量さなどのためジャーナリストが多用したそうだ)かあるいはまたそれ以外の機種なのかは判然としない。





次ぎの写真はローライコードだそうだが、どちらにしろひどく美しい機械だ。




荷風もすくなくとも購入当初はこの美しい機械を首からぶらさげて散策するのが嬉しくて堪らなかったはずだ。

昭和十一年 十二月九日 (……)昼飯を食して後直に写真機を携へ亀戸に至り、大嶋羅漢寺前大通を歩み、薄暮銀座に出で、不二氷菓店に飯して早く家にかへる。
同 十二月三十日 (……)乗合バスにんて小名木川に抵る。漫歩中川大橋をわたり、そのあたりの風景を写真にうつす。




写真機購入代金「金壱百四円也」とあるが、昭和十年の物価は次ぎの通りらしい。

白米10kg2円39銭、みそ1貫80銭、醤油1升53銭、さけ缶詰23銭、天丼20銭、うな丼25銭、いのしし鍋30銭、ビフテキ1円、金太郎飴30銭、あんみつ13銭、最中2銭、石油ストーブ18円、国民ソケット75銭、風鈴10銭、鉱山労働者平均日給1円75銭、巡査初任給47円、東大生平均生活費月学47円59銭、山小屋宿泊2円、ダットサン1900円、アサヒ号オートバイ340円、幼児三輪車2円80銭~、ヤマハオルガン27円~





これからみると初任給の二倍ほどとなる。 おそらく荷風の購入したのは、廉価版のローライコードではないか(ローライフレックスは当時三百円ほどだったという情報もある)。

昭和十年の写真を眺めてみると、たとえばこんなものがある。

煙草屋(昭和10年撮影)



次ぎの写真もその前後のもの。







実に美しい。とはいえ、わたくしの住んでいるインドシナの土地には、このたぐいのファッションがいまでもみられる。上の煙草屋などはことさらそうで、中華街にある漢方薬店とほとんどみまがうばかりだ(もっともわたくしがそのチョロン地区にしばしば出入りしたのは十年ほどまえだが)。






荷風写真機購入して三ヶ月後には次ぎのような叙述もみられる。

昭和十二年丁丑  荷風散人年五十九


二月三日。快晴の天気立春の近きを知らしむ。午後銀座に往き食料品を購ひて帰る。霊南坂を登るに坂上の空地より晩霞の間に富士の山影を望む。余麻布に卜居してより二十年いまだかつて富士を望み得ることを知らざりき。家に至るに名塩君来りカメラ撮影の方法を教へらる。夜八時W生その情婦を携来る。奇事百出。筆にすること能はざるを惜しむ。この日より当分自炊をなす事とす。一昨日下女去りて後新しきものを雇入るるには新聞に募集の広告をなすなど煩累に堪へざるを以てなり。W生帰りて後台処の女中部屋を掃除し、夜具敷きのべて臥す。畳の上に寝るも久振りなれば何ともなく旅に出でたるが如き心地なり。

…………

わたくしは御覧の通り荷風をひどく愛するが耽溺を諌める意味で荷風罵倒文を最後につけくわえておこう。

荷風は生れながらにして生家の多少の名誉と小金を持つてゐた人であつた。そしてその彼の境遇が他によつて脅かされることを憎む心情が彼のモラルの最後のものを決定してをり、人間とは如何なるものか、人間は何を求め何を愛すか、さういふ誠実な思考に身をさゝげたことはない。それどころか、自分の境遇の外にも色々の境遇がありその境遇からの思考があつてそれが彼自らの境遇とその思考に対立してゐるといふ単純な事実に就てすらも考へてゐないのだ。
風景も人間も同じやうにたゞ眺めてゐる荷風であり、風景は恋をせず、人間は恋をするだけの違ひであり、人間の眺めに疲れたときに風景の眺めに心をやすめる荷風であつた》(坂口安吾「通俗作家 荷風 ――『問はず語り』を中心として――」)