矢田津世子よ。あなたはウヌボレの強い女であった。あなたは私を天才であるかのようなことを言いつゞけた。そのくせ、あなたは、あなたの意地わるい目は、最も世俗的なところから、私を卑しめ、蔑んでいた。(坂口安吾「三十歳 」)
私はあの人をこの世で最も不潔な魂の、不潔な肉体の人だという風に考える。そう考え、それを信じきらずにはいられなくなるのであった。
そして、その不潔な人をさらに卑しめ辱しめるために、最も高貴な一人の女を空想しようと考える。すると、それも、いつしか矢田津世子になっている。気違いめいたこの相剋は、平凡な日常生活の思わぬところへ別の形で現れてもいた。(同上)
私は二十七まで童貞だった。 二十七か八のころから三年ほど人の女房だった女と生活したが、これからはもう散々で、円盤ややりや自動車の比ではない。窒息しなかったのが不思議至極で、思いだしても、心に暗幕がはられてしまう。(坂口安吾「てのひら自伝」 )
英倫と一緒に遊びに来た矢田津世子は私の家へ本を忘れて行つた。ヴァレリイ・ラルボオの何とかいふ飜訳本であつた。私はそれが、その本をとゞけるために、遊びに来いといふ謎ではないか、と疑つた。私は置き残された一冊の本のおかげで、頭のシンがしびれるぐらゐ、思ひ耽らねばならなかつた。なぜなら私はその日から、恋の虫につかれたのだから。私は一冊の本の中の矢田津世子の心に話しかけた。遊びにこいといふのですか。さう信じていゝのですか。(坂口安吾「二十七歳」)
始めからハッキリ言つてしまふと、私たちは最後まで肉体の交渉はなかつた。然し、メチルドを思ふスタンダールのやうな純一な思ひは私にはない。私はたゞ、どうしても、肉体にふれる勇気がなかつた。接吻したことすら、恋し合ふやうになつて、五年目の三十一の冬の夜にたゞ一度。彼女の顔は死のやうに蒼ざめてをり、私たちの間には、冬よりも冷めたいものが立ちはだかつてゐるやうで、私はたゞ苦しみの外なにもなかつた。たかゞ肉体ではないか、私は思つたが、又、肉体はどこにでもあるのだから、この肉体だけは別にして、といふ心の叫びをどうすることもできなかつた。
そして、その接吻の夜、私は別れると、夜ふけの私の部屋で、矢田津世子へ絶交の手紙を書いたのだ。もう会ひたくない、私はあなたの肉体が怖ろしくなつたから、そして、私自身の肉体が厭になつたから、と。そのときは、それが本当の気持であつたのかも知れぬ。その時以来、私は矢田津世子に会はないのだ。彼女は死んだ。そして私はおくやみにも、墓参にも行きはしない。
その後、私は、まるで彼女の肉体に復讐する鬼のやうであつた。私は彼女の肉体をはづかしめるために小説を書いてゐるのかと疑らねばならないことが幾度かあつた。私は筆を投げて、顔を掩うたこともある。(坂口安吾「二十七歳」)
《若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。》(プルースト『ゲルマントのほう』井上究一郎訳)
ある日、酔つ払つた寅さんが、私たちに話をした。時事の編輯局長だか総務局長だか、ともかく最高幹部のWが矢田津世子と恋仲で、ある日、社内で日記の手帳を落した。拾つたのが寅さんで、日曜ごとに矢田津世子とアヒビキのメモが書き入れてある。寅さんが手帳を渡したら、大慌てゞ、ポケットへもぐしこんだといふ。寅さんはもとより私が矢田津世子に恋してゐることは知らないのだ。居合せたのが誰々だつたか忘れたが、みんな声をたてゝ笑つた。私が、笑ひ得べき。私は苦悩、失意の地獄へつき落された。(坂口安吾「三十歳 」)
◆理想の女(坂口安吾)より
《誤った崇拝は理想化をうむ。それは他者の弱さを見えなくする──あるいは、それはむしろ、自己のいだく幻想を投影するスクリーンとして他者を利用し、他者そのものを見えなくする。》(ジジェク『信じるということ』)
安吾が、《文学といふものには、言葉に対する怖るべき冷酷な審判官がをるので、この審判官を作者といふ。この審判官の鬼の目の前では、幻術はきかない。すべて、空論は拒否せられ、日頃口にする理想が真実血肉こもる信念思想でない限り、原稿紙上に足跡をとゞめることを厳しく拒否されてしまふ》というとき、幻想を投影するスクリーン上の「理想化」の欺瞞を、作者という「審判官の鬼の目」は放置しない、ということを言っているはずだ。
あるいは、安吾は「理想の女」から「崇高の女」に向かったということができるかもしれない。
ある婦人が私に言つた。私が情痴作家などゝ言はれることは、私が小説の中で作者の理想の女を書きさへすれば忽ち消える妄評だといふことを。まことに尤もなことだ。昔から傑作の多くは理想の女を書いてゐるものだ。けれども、私が意志することによつて、それが書けるか、といふと、さうはたやすく行かない。
誰しも理想の女を書きたい。女のみではない、理想の人、すぐれた魂、まことの善意、高貴な精神を表現したいのだ。それはあらゆる作家の切なる希ひであるに相違ない。私とてもさうである。
だが、書きだすと、さうは行かなくなつてしまふ。
誰しも理想といふものはある。オフィスだの喫茶店であらゆる人が各々の理想に就て語り合ふ。理想の人に就て、政治に就て、社会に就て。
我々の言葉はさういふ時には幻術の如きもので、どんな架空なものでも言ひ表すことができるものだ。
ところが、文学は違ふ。文学の言葉は違ふ。文学といふものには、言葉に対する怖るべき冷酷な審判官がをるので、この審判官を作者といふ。この審判官の鬼の目の前では、幻術はきかない。すべて、空論は拒否せられ、日頃口にする理想が真実血肉こもる信念思想でない限り、原稿紙上に足跡をとゞめることを厳しく拒否されてしまふのである。
だから私が理想の人や理想の女を書かうと思つて原稿紙に向つても、いざ書きだすと、私はもうさつきまでの私とは違ふ。私は鬼の審判官と共に言葉をより分け、言葉にこもる真偽を嗅ぎわけてをるので、かうして架空な情熱も思想もすべて襟首をつまんで投げやられてしまふ。
私はいつも理想をめざし、高貴な魂や善良な心を書かうとして出発しながら、今、私が現にあるだけの低俗醜悪な魂や人間を書き上げてしまふことになる。私は小説に於て、私を裏切ることができない。私は善良なるものを意志し希願しつゝ醜怪な悪徳を書いてしまふといふことを、他の何人よりも私自身が悲しんでゐるのだ。
だから、理想の女を書け、といふ、この婦人の厚意の言葉も、私がそれを単に意志するのみで成就し得ない文学本来の宿命を見落してをるので、文学は、ともかく、書くことによつて、それを卒業する、一つづゝ卒業し、一つづゝ捨ててそして、ヨヂ登つて行くよりほかに仕方がないものだ。ともかく、作家の手の爪には血が滲んでゐるものだ。
《誤った崇拝は理想化をうむ。それは他者の弱さを見えなくする──あるいは、それはむしろ、自己のいだく幻想を投影するスクリーンとして他者を利用し、他者そのものを見えなくする。》(ジジェク『信じるということ』)
結婚とは崇高化が理想化のあとに生き残るかどうかの真のテストの鍵となるものだったらどうだろう? 盲目的な愛では、パートナーは崇高化されるわけではない。彼(彼女)はただ単純に理想化されるだけだ。結婚生活はパートナーをまちがいなく非理想化する。だがかならずしも非崇高化するわけではない。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012,私訳)
安吾が、《文学といふものには、言葉に対する怖るべき冷酷な審判官がをるので、この審判官を作者といふ。この審判官の鬼の目の前では、幻術はきかない。すべて、空論は拒否せられ、日頃口にする理想が真実血肉こもる信念思想でない限り、原稿紙上に足跡をとゞめることを厳しく拒否されてしまふ》というとき、幻想を投影するスクリーン上の「理想化」の欺瞞を、作者という「審判官の鬼の目」は放置しない、ということを言っているはずだ。
あるいは、安吾は「理想の女」から「崇高の女」に向かったということができるかもしれない。
友愛は主として崇高の相をもっているが、両性の愛は美の相をそれ自身にもっている。優しさと深い尊重とは、両性愛に幾分の尊厳と崇高とを、これに反し、際どい諧謔と親密さとは、美の着色を、この感情のうちに高める。(カント『美と崇高との感情性に関する観察』)
坂口三千代は、安吾の『青鬼の褌を洗う女』の「私」のモデルだと言われることがある。だが安吾は次ぎのように記していることに注意しておこう。
《文学者はひとたび書けば、その作中の諸人物の、身ぶり、独特のくせ、語調の、どれ一つとして、彼の記憶から彼の霊感をもたらさなかったものはないのである。つくりだされた人物の名のどれ一つとして、実地に見てきた人物の六十の名がその下敷きにされていないものはなく、実物の一人は顔をしかめるくせのモデルになり、他の一人は片めがねのモデルになり、某は発作的な憤り、某はいばった腕の動かしかた、等々のモデルになった。》(プルースト「見出されたとき」)
ただ、『青鬼の褌を洗う女』の「私」は、《青鬼の調子外れの胴間声が好きだ》とある。これは理想化から逃れ出た「審判官の鬼の目」の胴間声であるに決まっている。
…………
もっとも、安吾がもっと長生きしたら、どうなっていたかはわからない。作家には、《もっとも不毛な時に彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠》であるのなら、三千代さんの存在が大きかったに違いない。
ただし、女は男のサントーム(症状+幻想)で終生ありうる。《Une femme est pour tout homme un sinthome》(Lacan,Séminaire XXIII)
「青鬼の褌を洗う女」は昨年中の仕事のうちで、私の最も愛着を寄せる作品であるが、発表されたのが、週刊朝日二十五週年記念にあまれた「美と愛」という限定出版の豪華雑誌であったため、殆ど一般の目にふれなかったらしい。私の知友の中でも、これを読んだという人が殆どなかったので、淋しい思いをしたのであった。(……)
「青鬼の褌を洗う女」は、特別のモデルというようなものはない。書かれた事実を部分的に背負っている数人の男女はいるけれども、あの宿命を歩いている女は、あの作品の上にだけしか実在しない。(坂口安吾「わが思想の息吹」1948)
ただ、『青鬼の褌を洗う女』の「私」は、《青鬼の調子外れの胴間声が好きだ》とある。これは理想化から逃れ出た「審判官の鬼の目」の胴間声であるに決まっている。
私は腕をのばして彼の膝をゆさぶる。びっくりして目をさます。そして私がニッコリ下から彼を見上げて笑っているのを見出す。
私は彼がうたたねを乱される苦しさよりも、そのとき見出す私のニッコリした顔が彼の心を充たしていることを知っている。
彼は再びコクリコクリやりだす。私はそれをただ見ている。彼はいつ目覚めても私のニッコリ笑っている顔だけしか見ることができないだろう。なぜなら、私はただニッコリ笑いながら、彼を見つめているだけなのだから。
このまま、どこへでも、行くがいい。私は知らない。地獄へでも。私の男がやがて赤鬼青鬼でも、私はやっぱり媚をふくめていつもニッコリその顔を見つめているだけだろう。私はだんだん考えることがなくなって行く、頭がカラになって行く、ただ見つめ、媚をふくめてニッコリ見つめている、私はそれすらも意識することが少くなって行く。
「秋になったら、旅行しよう」
「ええ」
「どこへ行く?」
「どこへでも」
「たよりない返事だな」
「知らないのですもの。びっくりするところへつれて行ってね」
彼は頷く。そしてまたコクリコクリやりだす。
私は谷川で青鬼の虎の皮のフンドシを洗っている。私はフンドシを干すのを忘れて、谷川のふちで眠ってしまう。青鬼が私をゆさぶる。私は目をさましてニッコリする。カッコウだのホトトギスだの山鳩がないている。私はそんなものよりも青鬼の調子外れの胴間声が好きだ。私はニッコリして彼に腕をさしだすだろう。すべてが、なんて退屈だろう。しかし、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう。(坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」)
生活に於て家といふ觀念をぶちこわしにかかつた坂口安吾にしても、この地上に四季の風雨をしのぐ屋根の下には、おのづから家に似た仕掛にぶつかる運命をまぬがれなかつた。ただこれが尋常の家のおもむきではない。風神雷神はもとより當人の身にあつて、のべつに家鳴振動、深夜にも柱がうなつてゐたやうである。ひとは安吾の呻吟を御方便に病患のしわざと見立てるのだらうか。この見立はこせこせして含蓄がない。くすりがときに安吾を犯したことは事實としても、犯されたのは當人の部分にすぎない。その危險な部分をふぐの肝のやうにぶらさげて、安吾といふ人閒は强烈に盛大に生き拔いて憚らなかつたやつである。
家の中の生活では、さいはひに、安吾は三千代さんといふ好伴侶に逢着する因緣をもつた。生活の機械をうごかすために、亭主の大きい齒車にとつて、この瘦せつぽちのおくさんは小さい齒車に相當したやうに見える。亭主と呼吸を一つにして噛み合つてゐたものとすれば、おこりえたすべての事件について、女房もまた相棒であつたにひとしい。亭主が椅子を投げつけても、この女房にはぶつかりつこない。そのとき早く、女房は亭主から逃げ出したのではなくて、亭主の内部にかくれてゐたのだろう。安吾がそこにゐれば、をりをりはその屬性である嵐が吹きすさぶにきまつてゐる。しかし、その嵐の被害者といふものはなかつた。すなはち、家の中に悲劇はおこりえなかつた。それどころか、たちまち屋根は飛んで天空ひろびろ、安吾がいかにあばれても、ホームドラマにはなつて見せないといふあつぱれな實績を示してゐる。たくまずして演出かくのごときに至つたについては、相棒さんもまたあづかつて力ありといはなくてはならない。
安吾とともにくらすこと約十年のあとで、さらに安吾沒後の約十年といふ時閒の元手をたつぷりかけて、三千代さんは今やうやくこの本を書きあげたことに於て安吾との生活を綿密丁寧に再經驗して來てゐる。その生活の意味がいかなるものか、今こそ三千代さんは身にしみて會得したにちがひない。會得したものはなほ今後に持續されるだらう。この本の中には、亡き亭主の證人としての女房がゐるだけではない。安吾の生活と近似的な價値をもつて、當人の三千代さんの生活が未來にむかつてそこに賭けてある。この二重の記錄が今日なまなましい氣合を發してゐ所以である。(石川淳「坂口三千代著「クラクラ日記」序」)
…………
もっとも、安吾がもっと長生きしたら、どうなっていたかはわからない。作家には、《もっとも不毛な時に彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠》であるのなら、三千代さんの存在が大きかったに違いない。
創作の全過程は精神分裂病(統合失調症)の発病過程にも、神秘家の完成過程にも、恋愛過程にも似ている。これらにおいても権力欲あるいはキリスト教に言う傲慢(ヒュプリス)は最大の陥穽である。逆に、ある種の無私な友情は保護的である。作家の伝記における孤独の強調にもかかわらず、完全な孤独で創造的たりえた作家を私は知らない。もっとも不毛な時に彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠である。多くの作家は「甘え」の対象を必ず準備している。逆に、それだけの人間的魅力を持ちえない、持ちつづけえない人はこの時期を通り抜けることができない。(中井久夫「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて)
ただし、女は男のサントーム(症状+幻想)で終生ありうる。《Une femme est pour tout homme un sinthome》(Lacan,Séminaire XXIII)
外傷は破壊だけでなく、一部では昇華と自己治癒過程を介して創造に関係している。先に述べた詩人ヴァレリーの傷とは彼の意識においては二十歳の時の失恋であり、おそらくそれに続く精神病状態である(どこかで同性愛性の衝撃がからんでいると私は臆測する)。
二十歳の危機において、「クーデタ」的にエロスを排除した彼は、結局三十年を隔てて五十一歳である才女と出会い、以後もの狂いのようにエロスにとりつかれた人になった。性のような強大なものの排除はただではすまないが、彼はこの排除を数学をモデルとする正確な表現と厳格な韻律への服従によって実行しようとした。それは四十歳代の第一級の詩といして結実した。フロイトならば昇華の典型というであろう。
しかし、彼の詩が思考と思索過程をうたう下にエロス的ダブルミーニングを持って、いわば袖の下に鎧が見えていること、才女との出会いによって詩が書けなくなったことは所詮代理行為にすぎない昇華の限界を示すものであり、昇華が真の充足を与えないことを物語る。彼の五十一歳以後の「女狂い」はつねに片思い的で青年時の反復である(七十歳前後の彼が一画家に送った三千通の片思い的恋文は最近日本の某大学が購入した)。
他方、彼の自己治癒努力は、生涯毎朝書きつづけて死後公開された厖大な『カイエ』にあり、彼はこれを何よりも重要な自己への義務としていた。数学の練習と精神身体論を中心とするアフォリズム的思索と空想物語と時事雑感と多数の蛇の絵、船の絵、からみあったPとV(彼の名の頭文字であり男女性器の頭文字でもある)の落書きが「カイエ」には延々と続く。自己治癒努力は生涯の主要行為でありうるのだ。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収)
…………
……私は精神分析実践とほとんど恐怖症の関係にあるんだ。決してあんなことをしたい気はないね。
ーーけれど、あなたはミレールに分析を受けに行ったではないですか?
そう、でもひどく倒錯的で奇妙な分析だった。私が分析に行ったのは、個人的理由のせいだ。不幸な恋愛、深い、深い、とっても深い危機に陥ったせいだ。分析は、純粋に官僚的仕方でなされた。ミレールは私に言う、次週来るように、明日の午後5時に来るように、と。私は、約1ヶ月の間、本当に自殺したい気分だった。この思いは、ちょっと待て! と囁いた。自殺するわけにはいかない、というのは、明日の5時にミレールのところに行かなくちゃならないから。義務の純粋に形式的官僚構造が、最悪の危機を生き延びさせてくれた。…(Parker, (2003) ‘Critical Psychology: A Conversation with Slavoj Žižek、私訳)