フロイトが『文化のなかの居心地の悪さ』(1930)で教えてくれたのは、社会と個人のあいだいは緊張の領域があり、個人の欲望は社会によって拘束されるということだ。彼が仕事を始めたのは、19世紀のいわゆるヴィクトリア朝モラルの社会、すなわち全き父権制社会がいまだ華やかかりし時代であり、そこでは伝統的な階級構造と支配的な宗教による「禁止」、あるいは超=強制倫理の支配する時代だった。この社会において「神経症」が生みだされた。精神分析が生れたのは、神経症のせいだとさえ言える。
あのニーチェでさえ、かつての抑圧社会でひどく苦しめられた。
私はときどき考えているのだが、ニーチェの長患い(頭痛やら眼のトラブル)は、若く才能のあるインテリたちの間で観察してきた病気と同じケースじゃないか、と。私はこれらの若者たちが朽ち果てていくのを見てきた。そしてただひたすら痛々しく悟ったのは、この症状はマスターベーションの結果だということだ。(ワーグナー、 April 4, 1878)
David Allisonは、1977年に出版された“The New Nietzsche”にて、このワーグナーの手紙を引用しつつ、次のように書いている。
まったく自明の理だが、ニーチェの世界は、完全にばらばらに崩れ堕ちた……1878年の春の出来事によって。その時、ワーグナーは、ニーチェのオナニズムへの過度の没頭を非難し、かつまたニーチェの医師、Otto Eiser博士によって知らされたわけだ。Otto Eiserは、フランクフルトのワーグナーサークルの会長として、ニーチェのオナニズムに対するワーグナーの告発を、バイエルン祝祭劇場の参加者にまで流通させた。ニーチェは恥辱まみれになった。そして、おそらくは、ニーチェは、教養あり洗練された名士たちの唯一の集団から、余儀なく退却せざるをえなくなった。ニーチェはこの集団との公的な接触、かつまた評価を享受することもできただろうに。(David Allison “ The New Nietzsche”1977ーー「オナニスト」ニーチェ)
ニーチェの次の文もこの自慰行為糾弾のトラウマ的憂き目の経験を想起しつつ読むことさえできる。
「烙きつけるのは記憶に残すためである。苦痛を与えることをやめないもののみが記憶に残る」――これが地上における最も古い(そして遺憾ながら最も長い)心理学の根本命題である。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳)
だが、あの社会は完全に変貌した。それを、ジャック=アラン・ミレール(ラカンの娘婿)は、ポルノグラフィに蔓延の観点から、指摘している。
【精神分析の変貌】
精神分析は変貌している。 (……)
たとえば、ある断絶を我々は見逃すことはありえない。フロイトが精神分析を発明したのは、ヴィクトリア朝支配、セクシャリティ圧制の典型のいわば後ろ楯のもとでだ。他方、21世紀は、「ポルノ」よ呼ばれるもののとてつもない氾濫である。それは見せ物としての性交に到る。ウェブ上で、マウスの単純なワンクリックによって、誰にでもアクセス可能なスペクタクル。
ヴィクトリアからポルノへ。我々はただ禁止から許容へと移行したのではない。そうではなく、刺激・侵入・挑発・強制への移行だ。かつての幻想とは異なったポルノグラフィとは何だろう?あらゆる多様な倒錯性向を満足させるに充分なヴァラエティが映しだされるあのポルノは?
これは、セクシャリティにおいて、また社会制度において、新しい何かだ。若者のあいだでのその習得を促すパターンのなか、彼らはただひたすらこの道のりを歩み始める。(…)
【男の性の弱化】
ポルノグラフィに触れると、弱くなる性は男の性だ。男たちのほうがいっそう容易に受け入れるから。我々は分析において、どんなにしばしば聞いただろう、あれらポルノの浮かれ騒ぎをやってみたいという強迫観念の不平不満を。彼らはハードディスクにストックしてさえいる。
他方、妻や恋人の側では、女たちは、パートナーの実践を自ら知っているにもかかわらず、彼らに比べてやってみることは相対的に少ない。そのときどうなるか? 場合によりけりだ。女は裏切りと思うかもしれない。取るに足らない娯楽と思うかもしれない。
ポルノグラフィの臨床は、21世紀に属する。私はいまそれに言い及んでいる。しかし、それは詳細に観察されるに値する。というのは、それはしつこく己れを主張し、この15年のあいだ、分析治療において際立って現前するようになったから。
【バロック時代と現代社会】
とはいえ我々は、このまさに現代的な慣習をめぐって思いを馳せざるをえない。ラカンによって指摘されたこと、すなわち芸術におけるキリスト教信仰の影響の高揚として、バロックの最盛期に実現された影響を。イタリアとその教会の周遊旅行から戻ってきてすぐ、ラカンはぴったりと「オーギー orgie (狂宴)」に言及した。ラカンは、セミネール「アンコール」にて、注意を促した。あれらすべての身体の露出は、享楽を呼び起こすことに相当する、と。
これが、我々がポルノグラフィティとともにある場だ。しかしながら、恍惚感をもたらす身体の宗教的露出は、性交自体に対しては、常に「オフ・スクリーン」のままだった。ラカンが観察したように、「人間の現実性」のなかの限界の彼方であるかのように。この「人間の現実性」の奇妙な再出現。Réalité humaine とは、ハイデガーの最初の翻訳者が Daseinと表現された語を仏語に翻訳した表現である。しかし、それは遠い昔のことだ。というのは、今ではどんな「存在」も、この Dasein への道のりから絶縁してしまっているのだから。
科学技術の時代には、性交はもはや個人の領野には限られていない。それは、我々おのおのの幻想を増長しつつ、今では表象の上演の領域に溶け込んでいる。それは大衆的な規模へと移り進んだ。
ポルノグラフィとバロックとのあいだで、強調されなけれなならない二番目の相違がある。ラカンが定義したように、バロックは、身体の観察手段、身体の凝視 “régulation de l'âme par la scopie corporell ”(S.20)を通して、魂の統御を図った。ポルノグラフィにはそんなものは微塵もない。何の統御もなく、むしろ絶え間ない侵犯がある。
ポルノグラフィにおける身体の凝視は、享楽に向かった「ひと突きnudge」として機能する。「剰余享楽」の型に従って満足させられるように図られた享楽への促し。それは、沈黙し孤立した達成のなかにある、危ういホメオスタシス(恒常性)的統御を逸脱する様式である。
【 性交の怒濤による意味のゼロ度】
(…)電子ネットワークによるポルノグラフィの世界的蔓延は、精神分析において、疑いもなく歴然とした影響を生み出している。今世紀の始まりにおけるポルノグラフィの遍在は、何を表しているのか? どう言ったらいいのだろう? そう、それは「性関係はない」以外の何ものでもない。これが我々の世紀に谺していることだ。そしてある意味で、ひっきりなしの、絶え間なく続くあのスペクタクルの聖歌隊によって、詠唱されていることだ。というのは、性関係の不在が、おそらくこの熱中に帰されうるから。我々は既に、この熱中の帰結を、より若い世代の道徳観のなかの足跡を辿りつつある。あの世代の性的振る舞いスタイルにおける習俗のなかに、である。すなわち、幻滅・残忍・陳腐…。
ポルノグラフィにおける性交の怒濤は、意味のゼロ度に到っている。…(ミレール、2014、私訳)
ーーというわけで、あの、いわゆる「エロ動画」のたぐいの影響は測り知れない。それに重ねて携帯電話の普及。
1995年がインターネット元年だとしたら、同じ頃、携帯電話の所持者の増大があった。ここで仮に2000年に15歳前後だった若者以降の世代とみると、現在40歳前後以下の人間と旧世代の人間のあいだでは断絶があるのではないか。
携帯電話の普及が心の襞まで書き込む男女のあやというべきものを奪い取ってしまった。(古井由吉『人生の色気』)
もちろんミレールが2014年に言っているとことは、とりたてて新しいわけではない。たとえば、「セックス戦争における最大の犠牲者たち」にて次の文を掲げた。
セクシャリティとエロティシズムの問題において、現在ーー少なくとも西側先進諸国のあいだではーーほとんど何でも可能だ。これは、この20年間のあいだに倒錯のカテゴリーに含まれる症状の縮小をみればきわめて明白だ。現代の倒錯とは、結局のところ相手の同意(インフォームドコンセント)の違反に尽きる。この意味は、幼児性愛と性的暴力が主である(それだけが残存する唯一の倒錯形式ではないにしろ)。実際、25年前の神経症社会と比較して、現代の西洋の言説はとても許容的で、かつて禁止されたことはほとんど常識的行為となっている。避妊は信頼でき安い。最初の性行為の年齢は下がり続けている。セックスショップは裏通りから表通りへと移動した。
この変貌の下で、我々は性的な楽しみの大いなる増加を期待した。それは「自然な」セクシャリティと「自然な」ジェンダーアイデンティティの高揚の組み合わせによって、である。その意味は、文化的かつ宗教的制約に邪魔されない性の横溢だ。ところがその代わりに、我々は全く異なった何かに直面している。もっとも、個人のレヴェルでは、性的楽しみの増大はたぶんある。それにもかかわらず、より大きな規模では、抑鬱性の社会に直面している。さらに、ジェンダーアイデンティティの問題は今ほど混乱したことはなかった。(Paul Verhaeghe, (2005). Sexuality in the Formation of the Subject、私訳 PDF)
あるいは、現在の社会は、「享楽せよ、常にいよいよ、ますます享楽せよ!」[ jouis toujours encore plus ! ](ラカン、アンコール)という不可能な命令をしている、とラカン派ではいわれてきた。
かつての社会の禁止・抑圧ではなく、享楽を命令する社会。
例えば、リベラル社会において、女たちは途轍もない圧迫を被っている。《彼女たちは、セックスマーケットで生き残るために、形成外科手術、美容整形、ボトックス注射(しわ、皮膚のたるみ抑制施療)などを強いられている。》(ジジェク『暴力』私訳)
ジジェクの次の文も禁止・抑圧社会から享楽を命令する社会への移行をたくみに表現している。
…抑圧的な権威の没落は、自由をもたらすどころか、より厳格な禁止を新たに生む。この逆説をどう説明するのか。誰もが子供の頃からよく知っている状況を思い出してみよう。ある子が、日曜の午後に、友だちと遊ぶのを許してもらえず、祖母の家に行かなくてはならないとする。古風で権威主義的な父親が子供にあたえるメッセージは、こうだろう。
「おまえがどう感じていようと、どうでもいい。黙って言われた通りにしなさい。おばあさんの家に行って、お行儀よくしていなさい」。
この場合、この子の置かれた状況は最悪ではない。したくないことをしなければならないわけだが、彼は内的な自由や、(後で)父親の権威に反抗する力をとっておくことができるのだから。「ポストモダン」の非権威的主義的な父親のメッセージのほうがずっと狡猾だ。
「おばあさんがどんなにおまえを愛しているか、知っているだろう? でも無理に行けとはいわないよ。本当にいきたいのでなければ、行かなくていいぞ」。
馬鹿でない子どもならば(つまりほとんどの子供は)、この寛容な態度に潜む罠にすぐ気づくだろう。自由選択という見かけの下に潜んでいるのは、伝統的・権威主義的な父親の要求よりもずっと抑圧的な要求、すなわち、たんに祖母を訪ねるだけでなく、それを自発的に、自分の意志にもとづいて実行しろという暗黙の命令である。このような偽りの自由選択は、猥雑な超自我の命令である。それは子供から内的な自由をも奪い、何をなすべきかだけでなく、何を欲するべきかも指示する。(ジジェク『ラカンはこう読め!』鈴木晶訳)