このブログを検索

2016年4月22日金曜日

おかあさん あなたはうしろ向きで 地面に しゃがんでいた

今朝がた 夢にあなたを見た
あなたはうしろ向きで
地面に しゃがんでいた
ぼくは声をかけようとしたが
やめた
あなたが ぼくのことを
憶えていない と思えたから
死の床のあなたは
未知のむこうが愉しみだ
と 顔じゅうでかがやいた
むこうがわに着いて
そこがどんなか
知らせる方法が見つかったら
きっと背中を押すから
と ほほえんだ
あれから七年
あなたは忘れてしまったのだ

ーー高橋睦郎「おくりもの   七年後の多田智満子に」より

ある言葉に一連の記憶が池の藻のようにからまりついていて、ながい時間が過ぎたあと、まったく関係のない書物を読んでいたり、映画を見ていたり、ただ単純に人と話していたりして、その言葉が目にとまったり耳にふれたりした瞬間に、遠い日に会った人たちや、そのころ考えたことなどがどっと心に戻ってくることがある。(須賀敦子『遠い朝の本たち』)

おかあさん
ぼく 七十歳になりました
十六年前 七十八歳で亡くなった
あなたは いまも七十八歳
ぼくと たったの八歳ちがい
おかあさん というより
ねえさん と呼ぶほうが
しっくり来ます
来年は 七歳
再来年は 六歳
八年後には 同いどし
九年後には ぼくの方が年上に
その後は あなたはどんどん若く
ねえさんではなく 妹
そのうち 娘になってしまう
年齢って つくづく奇妙ですね

ーー高橋睦郎「奇妙な日」


私にとって家族は、ずっと前から、母と、血を分けた一人の弟だけだった。後にも先にもそれだけである(ただ、祖父母の思い出だけは別であるが)。家族集団を構成するためにどうしても必要とされる単位、《いとこ》は一人もいなかった。それに、家族というものを、もっぱら拘束と儀式だけで成り立っているかのように扱う、あの科学的態度は、どうにも我慢がならなかった。つまり家族は、直接的な帰属集団としてコード化されるか、または、葛藤と抑圧の結節点と見なされるのだ。われわれの学者たちには、《互いに愛し合う》家族もいるということが想像できないかのようである。

そしてまた私は、私の家族を「家族」一般に還元することを欲しないのと同じく、私の母を「母」一般に還元することも欲しない。ある種の一般的研究を読むと、それが私の状況に納得のいく形で適用できるということは私にもわかった。フロイト(『人間モーゼと一神教』)に註釈をほどこしつつ、J・J・グノーが説明するところによれば、ユダヤ教は、聖母崇拝の危険を避けるために偶像を排除したが、キリスト教は、母なる女性の表象を許すことによって「おきて」の厳しさを乗り越え、「想像的なもの」を受け入れたという。私は、偶像をもたず聖母を崇拝しない宗教(新教)に属しているが、しかしおそらく、文化的にはカトリック芸術によって培われてきたので、「温室の写真」を見て、「偶像」に、「想像的なもの」に帰依した、ということになるのである。それゆえ私は、自分に普遍性があることは理解できたのだが、しかし、理解したとはいいながら、どうしても割り切れない気持が残った。「母」一般のうちには、輝かしい、還元しえない一個の核、つまり、私の母が存在していたのである。

私は生涯母と一緒に暮してきたので、悲しみもまたひとしお深いのだ、と人は必ず思いたがる。しかし私の悲しみは、母があのような人であったことから来ているのである。母があのような人であったからこそ、私は母と一緒に暮してきたのである。母は「善」としての「母」であるうえに、さらに一個の人間としての魅力をそなえていた。プルーストの小説の「語り手」が祖母の死について言ったように、私もまたこう言うことができた。《私はただ単に苦しむというだけでなく、その苦しみの独自性をあくまで大事にしたかった》と。なぜなら、その独自性は、母のうちにある絶対に還元不可能なものの反映だったからである。そしてそれが、まさに還元不可能であるゆえに、一挙に、永遠に失われてしまったのだ。

喪は緩慢な作業によって徐々に苦悩を拭い去ると人は言うが、私にはそれが信じられなかったし、いまも信じられない。私にとっては、「時」は死別の悲しみを取り除いてくれる、ただそれだけにすぎないからである(私は単に死別したことを悲しんでいるのではない)。それ以外のことは、時がたっても、すべてもとのまま変わらない。というのも、私が失ったものは、一個の「形象」(「母」なるもの)ではなく、一個の人間だからである。いや、一個の人間ではなく、一個の特質(一個の魂)だからである。必要不可欠なものではなく、かけがえのないものだからである。私は「母」なしでも生きてゆくことができた(われわれはみな、遅かれ早かれそのようにしている)。しかし私に残された人生は、確実に、最後まで、形容しがたい(特質のない)ものとなることであろう。(ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳 PP.90-92


…………

母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮す社会では、異邦人として扱われるよりほかはないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。嘘をつくという意味は、無いことをいうだけでなく、あること以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりすることだ。しかし、生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく。ムルソーは外面から見たところとちがって、生活を単純化させようとはしない。ムルソーは人間の屑ではない。彼は絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である。彼が問題とする真理は、存在することと、感じることとの真理である。それはまだ否定的であるが、これなくしては、自己も世界も、征服することはできないだろう…(アルベール・カミュ『異邦人』 英語版自序)
社会を構成する事実は慣習である。慣習とは、どのような方法をもってしても、またどのように程度をかげんしても、他に方法がないゆえに個人が受け入れ逐行するところの人間的ふるまいの形態である。それらは共存から成り立っている周囲世界、すなわち「他の人たち」、「人びと」……そして社会によって押しつけられたものである。(オルテガ・イ・ガセト『個人と社会─人と人びと─』)

「下顎呼吸がはじまったな」と看護人が云った。 母は口をひらいたままーーというより、その下顎が喉にくっつきそうになりながらーー喉の全体でかろうじて呼吸をつづけている。「これがはじまると、もういかんですねえ」と、看護人は父をかえりみた。

父は無言でうなずいた。そして信太郎に、「Y村に電話するか」と云った。

すると信太郎は突然のように全身に疲労を感じた。と同時に、眼の前の二人に、あるイラ立たしさを覚えて云った。

「べつに、また死ぬときまったわけじゃないでしょう。それに電話したって、伯母さんは来れるかどうか、わからんですよ」

二人は顔を見合わせた。やがて父は断乎とした口調で云った。「Y村へは報せてやらにゃいかんよ。報せるだけでも……」

たしかに、自分の云ったことは馬鹿げたことだ、と信太郎はおもった。しかし確実にせまってきた母の死を前にして、儀礼的なことが真先にとり上げられるということが、なにか耐えがたい気持だった。(……)

すべては一瞬の出来事のようだった。

医者が出て行くと、信太郎は壁に背をもたせ掛けた体の中から、或る重いものが抜け出して行くの感じ、背後の壁と“自分”との間にあった体重が消え失せたような気がした。そのまま体がふわりと浮き上がりそうで、しばらくは身動きできなかった。

看護人が母の口をしめ、まぶたを閉ざしてやっているのに気づいたのは、なおしばらくたってからのことのようだ。看護人の白い指の甲に黒い毛が生えているのがすこし不気味だったが、彼の手をはなれた母を眺めるうちに、ある感動がやってきた。さっきまで、あんなに変型していた彼女の顔に苦痛の色がまったくなく、眉のひらいた丸顔の、十年もむかしの顔にもどっているように想われる。……そのときだった、信太郎は、ひどく奇妙な物音が、さっきから部屋の中に聞こえているのに気づいた。肉感的な、それでいて不断きいたことのなお音だ。それが伯母の嗚咽の声だとわかったとき、彼は一層おどろいた。人が死んだときには泣くものだという習慣的な事例を憶い出すのに、思いがけなく手間どった。なぜだろう、常人も泣くということを彼は何となく忘れていた。その間も絶えず泣き声がきこえてきて、その声はまた何故ともなく彼を脅かし、セキ立てられているような気がした。ついに彼は泣かれるということが不愉快になってきた。それといっしょに、泣き声をたてている伯母のことまでが腹立たしくなった。あなたはなぜ、泣くのか、泣けばあなたは優しい心根の、あたたかい人間になることが出来るのか。(安岡章太郎『海辺の光景』)