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2016年5月22日日曜日

耐え難いな……

【カイロ共同】シリア人権監視団(英国)のアブドルラフマン代表は21日、シリアが紛争状態に陥った2011年3月以降、アサド政権の刑務所内で少なくとも6万人が死亡したと明らかにした。政権内の情報を集計した。政権側による拷問や、刑務所での食料や医薬品の欠乏が原因という。共同通信の電話取材に語った。

 監視団はこのうち、1万4456人の氏名を特定した。110人は子ども。

 死者数が最も多いのは、首都ダマスカス北方のサイダネヤ刑務所。フランス公共ラジオによると、空軍情報部と国家治安部隊の施設でも多数が死亡した。(共同通信、2016.5.22)
The observatory called on the United Nations to pressure the Syrian government for the release of what it said were more than 200,000 remaining detainees.(washington post)

耐え難いな、この今こういうことが起こっているのを知るのは
ヒトラーやソ連の強制収容所
ポルポトやらコソボやらを繰り返してはならない
と我々「美しい魂」は言ってきたのだが、
いまこのとき、こういったことが起こり続けているのに手も足もでない
というか、手も足もださないのだから
己れに被害がたいした及ばなかったら
人間ってのは放っておくんだろうよ、なにが起こっても
口だけ善人ぶってな

≪人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ≫(ルソー)

もちろんオレも美しい魂のひとりさ

《完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども、すなわち根っからの猫かぶりども》(ニーチェ『この人を見よ』)

耐え難いのは差異ではない。耐え難いのは、ある意味で差異がないことだ。サラエボには血に飢えたあやしげな「バルカン人」はいない。われわれ同様、あたりまえの市民がいるだけだ。この事実に十分目をとめたとたん、「われわれ」を「彼ら」から隔てる国境は、まったく恣意的なものであることが明らかになり、われわれは外部の観察者という安全な距離をあきらめざるをえなくなる。(ジジェク『快楽の転移』ーー〈あなた〉のなかのアサド