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2016年6月6日月曜日

フライド・ポテト化装置

おそらくおおくのひとはフライド・ポテトが好きなんだろうし、ましてやツイッターなどで短く、かつ読み手に効果的に印象づけるにはフライド・ポテト化は欠かせない。

言語活動の体系の闘争。吸盤の隠喩。今度は、「イメージ」の闘争に話を戻しましょう。(《イメージ》とは、他者が私について抱いていると私が思う事柄です。)私についてのイメージは、どうして私が傷つくほどに《凝固する》のでしょう。また別の隠喩をお目にかけましょう。《フライパンに油がしかれます。平らに、滑らかに、音もなく(わずかに蒸気が上がる)。そこにじゃがいもを一切れ入れてごらんなさい。それは寝たふりをして機を窺っていた動物たちに餌を投げ与えたようなものです。いっせいに飛びかかり、取り囲み、音を立てて攻撃します。貪欲な饗宴です。じゃがいもの断片は包囲されますーー破壊されるのではなく。硬くなり、こんがり焼き色がつき、飴色になります。それは一つの対象、すなわち、フライド・ポテトになります。》このように、あらゆる対象にしたたかな言語体系は機能します。忙しく立ち回り、包囲し、音を立て、硬くし、金色に色づけます。あらゆる言語活動は沸騰の小=体系(ミクロシステム)、揚げ物料理です。これが言語活動の「マケー」の要点です。(他者の)言語活動は私をイメージに変えます。生のじゃがいもがフライド・ポテトに変えられるように。

どのようにして私がまったくマイナーな言語体系の攻撃を受けてイメージ(フライド・ポテト)になり果てるか、お目にかけましょう。『恋愛のディスクール・断章』のおかげで、ダンディーで《無作法》なパリ・スタイルになってしまうのです。《しゃれたエッセイスト、知的ヤングの人気者、アヴァンギャルドの収集家、ロラン・バルトは思い出を次々に並べてみせる。才気煥発なサロン的会話の語調というわけではないが、しかし、<法悦状態>について視野の狭いペダンティスムを少しばかり披露してくれる。またまた、ニーチェ、フロイト、フローベール等々の名前にお目にかかれるというわけだ。》どうしようもありません。私は「イメージ」を通過しなければなりません。イメージは社会的な兵役のようなものです。私はそれを免れることはできません、不合格にしてもらったり、脱走したりすることもできません。私は、「イメージ」に病んでいる、自分の「イメージ」に病んでいる人間を見ます。(……)

「イメージ」をはぐらかす一つの手段は、おそらく、言葉を、語彙を歪曲することでしょう。(……)私はゆがめることを承知で、他人の言葉を引用します。単語の意味をずらします。このようにして、私がその成立に手を貸した「記号学」についても、私は自分自身の歪曲者です。私は「歪曲者」の陣営に移りました。この「歪曲者」の陣営は美学である、文学である、といってもいいでしょう。……(ロラン・バルト「イメージ」『テクストの出口』所収)

さて、以下は蓮實重彦のロラン・バルトぱくり芸である。もちろん、よく知られているようにぱくりはなにも悪いことではない。そして蓮實重彦にはバルトのパクリ芸がいくつもあるが、いまはそのうちのひとつのみを掲げる。

……自分のこれまでの仕事を僕なりに振返ってみると、どうなるか。そもそも、自分の仕事をなぜ振返ったりするかというと、批評的な言説を読んでみてもどうもひとつピンとこない。それは自分の真意がよく理解されないことのもどかしさなどとは違った感慨であって、自分がしかるべき作品なり作家なりについて語るときに費やされる労力といったものが費やされていない物足りなさだと思います。

その物足りなさを自分自身で埋めあわせるというものあまり健全な話ではないかと思いますが、かりに自分が自分の批評家であったとするならば、蓮實重彦のこれまでの仕事は、一貫して、魂の唯物論的な擁護であるということになるでしょう。魂の唯物論的擁護ということが、僕自身にとっての批評の意味でもあるわけです。

魂というのは、きわめて具体的な言葉なら言葉の魂ということです。記号でも作品でもいい。文章でもかまわない。それを、ものとして、物質として、それが語られているその場で、みずから輝かせることが批評なのではないか。そして、自分自身の言葉が、他人によって輝いたという経験も記憶もないのです。それは、蓮實重彦を語る人の多くが、イメージを介してしか論じていないもどかしさを与えるのですが、もっと困るのは、そのイメージが、僕と適当に似ていることです。そしてその相似によって、魂の唯物論的な擁護がいたるところで流産されていると感じる。ということは、批評の魂がものとして輝いていないという意味でもあるわけですが、僕のもどかしさは、むしろ、ほどよい類似にたどりつくしかないイメージの貧弱さです。そしてそのことは、ほとんどの批評について言える弱点となっている。

魂の唯物論的な露呈をさまたげているもの、それはイメージです。観念といってもよい。つまり表象可能なものによってしか批評が支えられていない。ここで魂というものは、いささかも宗教的な意味ではないし、また、プラトニズム的な色彩も含んではいないものです。むしろ、ドゥルーズのいうアンタンシテ(強度)に触れて具体的に他となる部分が魂であって、唯物論的というのは、たんなる物質というのではなく、肉体的な運動、つまりアクションを必然化するものなのです。宗教やプラトニズムの残滓が、魂の唯物論的な露呈をさまたげているというべきなのです。その意味で、現代の批評は、宗教的でプラトニズム的だとさえ言えると思う。(蓮實重彦 柄谷行人対談集『闘争のエチカ』)


この文の意味内容の変奏として「イマージュのソシュールとソシュールのイマージュ」というものもある(ソシュールの記号概念をめぐって〔蓮實重彦))。われわれは誰もが「ソシュールのイマージュ」のたぐいのことをやっているのであり、というのも名高い古典的作家だけでもすべてを読むわけにはいかず、巷間に流通する「フライド・ポテト」をもって語らざるをえないから。

わたくしも以前、「ショパン派/リスト派」ということを記して、さるピアニストに怒られたことがある。

ところで最近、蓮實重彦はつぎのように言っている。

「人類は、つくづく物を読むのが嫌い。読まずに、ほかのことを考えるのが好きです。99%の批評家や理論家は、『ボヴァリー夫人』をじっくりと読んでない」 (構想45年!蓮實重彦さん「ボヴァリー夫人」論 : 本よみうり堂 : 読売新聞 2014.07.11)

これもパクリであるが、こっちのほうは自らが80年代に書いた文のパクリである。いや、むしろ自らの過去の文のフライド・ポテト化と言ったほうがいいかもしれない。

いずれにせよ、以下の文のさらに向こうにはロラン・バルトがいる、と言えるし、蓮實重彦とバルトの向こうにも、たとえばフローベールなどがいるはずだ。

だが、知っているとはどういうことなのか。ほとんどの場合、知っているとは、みずから説話論的な磁場に身を置き、そこで一つの物語を語ってみせる能力の同義語だと思われている。フローベールとは、十九世紀フランスの小説家で、『感情教育』などの客観的な長篇小説を書いた、というのがそうした物語である。青年時代に神経症の発作に見舞われていらい、世間との交渉を絶ち、ノルマンディーの田舎に閉じこもって、文章の彫琢に没頭した、というのも物語である。また、その他いろいろあるだろう。そんな物語の一つをつぶやくことができるとき、人は、そこで主題になっているものを知っていると思う。知は、物語によって顕在化し、また物語は知によって保証されもするわけだ。なにひとつ物語を語りええないものを前にして、人はそれを知らないという。だから、フローベールが未刊のままの草稿として残した倒錯的な辞典の題名をかかげてみても、知と物語との相互保証を導きだすことにしかならないだろう。ところで、フローベルが十九世紀の半ばに構想を得た辞典は、まさに、こうした知と物語との補完的な関係を断ち切ることにあったのだ。

実際、誰もがフローベールを知っている。そして、知っているという事実をたがいに確認しあうために、人は、フローベールをめぐって誰もが知っている物語を語りあう。その物語の中で、最も多くの人に知られているものこそ、フローベールが執筆を企てた辞典の項目たる資格を持つものである。誰にでも妥当性を持つことで、誰もがそれを口にするのが自然だと思われる物語。それが、知の広汎な共有を保証し、その保証が同じ物語を反復させる。かくして知は、説話論的な装置の内部に閉じこもる。まるで物語の外には知など存在しないかのように、装置は、知を潤滑油として無限に機能しつづける。するとどういうことになるか。

結果は目にみえている。人は、知っていることについてしか語らなくなるだろう。たまたま未知のものが主題となっているかにみえる物語においてさえ、人は、それを物語ることで、既知であるかの錯覚と戯れる。あるは逆に、既知であるはずのものを、あたかも未知であるかのようなものにする。だから、物語は永遠に不滅なのだ。

ところで、この物語の無限反復の中に辞典の題名を導入するとどうなるか。それはギュスターヴ・フローベールの未完の草稿だと口にするだけで、この辞典が説話論的な磁場の中へ姿を消してしまうのは明らかだろう。あとはすべてが円滑に進行する。その倒錯的な辞典の倒錯性そのものに出会うことなく、誰もが物語を納得してしまうのだ。だが、フローベールとしては、みずからを無謀な編纂者に仕立てあげることで、この寛大な納得を、物語の模倣を介して宙に吊ることを目ざしていたわけだ。というよりむしろ、説話論的な磁場の保護から出て、誰もがごく自然に口にする物語を、その説話論的な構造にそって崩壊させるというのが、彼の倒錯的な戦略であったはずだ。物語に反対の物語を対置させることではなく、物語そのものにもっとも近づいて、自分自身を物語になぞらえさえしながら、物語的な欲望を意気阻喪させること。つまり、失望の生産とは、知と物語との補完的な関係をくつがえし、知るとは、そのつど物語を失うことにほかならなぬのだと、実践によって体得すること。事実、具体的に何ものかと遭遇するとき、人は、説話論的な磁場を思わず見失うほかはないだろう。つまり、なにも語れなくなってしまうという状態に置かれたとき、はじめて人は何ごとかを知ることになるのだ。実際、知るとは、説話論的な分節能力を放棄せざるをえない残酷な体験なのであり、寛大な納得の仕草によってまわりの者たちと同調することではない。何ものかを知るとき、人はそのつど物語を喪失する。これは、誰もが体験的に知っている失語体験である。言葉が欠けてしまうのではなく、あたりにいっせいにたち騒ぐ言葉が物語的な秩序におさまりがつかなくなる過剰な失語体験。知るとは、知識という説話論的な磁場にうがたれた欠落を埋めることで、ほどよい均衡におさまる物語によって保証される体験ではない。知るとは、あくまで過剰なものとの唐突な出会いであり、自分自身のうちに生起する統御しがたりもの同士の戯れに、進んで身をゆだねることである。陥没点を充塡して得られる平均値の共有ではなく、ときならぬ隆起を前に、存在そのものが途方に暮れることなのだ。この過剰なるものの理不尽な隆起現象だけが生を豊かなものにし、これを変容せしめる力を持つ。そしてその変容は、物語が消滅した地点にのみ生きられるもののはずである。(蓮實重彦『物語批判序説』)