2016年7月15日金曜日

もし、美しいお嬢さん

ファウスト

もし、美しいお嬢さん。
不躾ですが、この肘を
あなたにお貸申して、送ってお上申しましょう。

マルガレエテ

わたくしはお嬢さんではございません。美しくもございません。
送って下さらなくっても、ひとりで内へ帰ります。

あのひとのベッドはインドだ。そこに彼女が、真珠がよこたわる。[Her bed is India; there she lies, a pearl](シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』)

ファウスト

途方もない好い女だ。
これまであんなのは見たことがない。
あんなに行儀が好くておとなしくて、
そのくせ少しはつんけんもしている。
あの赤い唇や頬のかがやきを、
己は生涯忘れることが出来まい。
あの伏目になった様子が
己の胸に刻み込まれてしまった。
それからあの手短に撥ね附けた処が、
溜まらなく嬉しいのだ。

(メフィストフェレス登場。)

おい。あの女を己の手に入れてくれ。    

メフィストフェレス

どの女ですか。   

ファウスト      

今通って行った奴だ。

メフィストフェレス

あれですか。あれは今坊主の所から帰るのです。
…ひどく罪のない娘ですよ。
あんなのはわたしの手に合いませんね。    

ファウスト

でも満十四歳にはなっているだろうが。    

メフィストフェレス

丸で道楽息子のような口の利きようをしますね。
どの美しい花をも自分の手に入れようとして、
自分の手で摘み取ることの出来ない
恋や情はないはずだと思う性ですね。
ところがなかなかいつもそうは行きませんよ。    

ファウスト

おい。道学先生。
どうぞ道徳の掟を己に当て嵌めることだけは免してくれ。
それから君に手短に言って置くがね。
あの旨そうな若々しい肌に今宵己の手が触れることが出来なかったら、
夜なかまで待たずに君とお分にするよ。

あの女の目や、頬や、唇にはことばがある。いや、脚も話しかけてくる。[There's language in her eye, her cheek, her lip, Nay, her foot speaks. ](Troilus and Cressida)

メフィストフェレス

…わたしは女に道徳的な文句を歌って聞せて、
あべこべに迷わせて遣るのですよ。

夜の明け掛かる今時分
可哀お方の門口で、
カタリナ、お前は
何していやる。
そりゃ廃すが好い。
門を入る時ゃ娘で這入る。
娘では出て来ないぞえ。
気をお附。
済んでしまえば
おさらばよ。
気の毒な、気の毒な娘達。
自分の体が大事なら、
花盗人に
油断すな、
指環を嵌めて貰うまで。

若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。(プルースト『ゲルマントのほう 二』)

グレエトヘン(マルガレエテ)

今までは余所の娘が間違でもすると、
わたしもどんなにか元気好くけなしただろう。
余所の人のしたと云う罪咎を責めるには、
わたしもどんなにか詞数が多かっただろう。
人のした事が黒く見える。その黒さが
足りないので、一層黒く塗ろうとする。
そして自分を祝福して、えらい人のように思う。
今は自分も犯しているのに。
だけれど、だけれど、それまでになる道筋は、
まあ、あんなに好かったのに、あんなに美しかったのに。

女は口説かれているうちが花。落ちたらそれでおしまい。喜びは口説かれているあいだだけ。[Women are angels, wooing: Things won are done; joy's soul lies in the doing.]( Troilus and Cressida )


ファウスト(娘と踊りつゝ。)

いつか己ゃ見た、好い夢を。
一本林檎の木があった。
むっちり光った実が二つ。
ほしさに登って行って見た。    

美人

そりゃ天国の昔からこなさん方の好な物。
女子に生れて来た甲斐に
わたしの庭にもなっている。

メフィストフェレス(老婆と。)

いつだかこわい夢を見た。
そこには割れた木があった。
その木に□□□□□□があった。
□□□□けれども気に入った。    

老婆

足に蹄のある方と
踊るは冥加になりまする。
□□がおいやでないならば
□□の用意をなさりませ。

ーーゲーテ「ファウスト」 森鴎外訳

[英訳]

Mephistopheles (Dancing with the old witch.)

A vile dream once came to me,
In it, I saw an old cleft tree,
A monstrous crack there met my eyes,
It pleased me, though, despite its size.

The Old Witch

I offer my best greetings to
The knight of the cloven shoe!
He'll need to have a real stopper,
If he's not scared of that whopper.

…………

竹藪に榧の実がしきりに落ちる
アテネの女神に似た髪を結う
ノビラのおつかさんの
「なかさおはいりなせ--」という
言葉も未だ今日はきかない。

ーー西脇順三郎「留守」