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2016年9月4日日曜日

雪子のシミ

一人の立派にハジ(聖地巡礼をすませた回教徒の尊称)。短い灰色のひげをよく手入れし、手も同様に手入れし、真っ白い上質のジェラバを優雅にまとって、白い牛乳を飲む。

しかし、どうだ。鳩の排泄物のように、汚れが、きたないかすかなしみがある。純白の頭巾に。(ロラン・バルト『偶景』)

《シミが現れるとともに、欲望の領野において、その背後に隠されたものの蘇生の可能性が準備される。Avec la tache apparaît, se prépare la possibilité de résurgence, dans le champ du désir, de ce qu'il y a derrière d'occulte》(ラカン、S.10)

ーーここでのシミとは対象a のことであり、外密(あなたのなかにあって最も親密なものでありながら外部にあるもの)のことである。

外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。外密は、親密な〈他〉である。それは、異物 corps étranger のようなものである(ミレール、Miller Jacques-Alain, 1985-1986, Extimité

ーー異物とはフロイト概念Fremdkörper が起源(参照)。

『細雪』とは、実は外密=異物の物語としても読める。

雪子の左の眼の縁、―――委しく云えば、上眼瞼の、眉毛の下のところに、ときどき微かな翳りのようなものが現れたり引っ込んだりするようになったのは、つい最近のことなので、貞之助などもそれに気が付いたのは三月か半年ぐらい前のことでしかない。
……結果、これは妙子の方がよい、幸子だと却って大層らしくもなり、当然貞之助までがその議に与っているように邪推される恐れもあるから、妙子が何気ない風をして軽く切り出したら、と云うことになった。で、その後又雪子の顔にシミが濃く現れていた或る日、彼女がひとり化粧部屋で鏡に向っている時に、偶然妙子がそこに居合せたようにして、

「雪姉ちゃん、その眼の縁のもん心配せんかてええねんで」と、小声で云ってみた。雪子はただ鼻で、「ふん」と云っただけであったが、妙子は努めて彼女と視線を合せないように下を向いたままで、「そのこと、婦人雑誌に出てたのん、雪姉ちゃん読んだやろか。まだやったら見せたげよか」「読んだかも知れん」「ふうん、読んだのん。―――それ、結婚したら直るもんやし、注射でも直るもんやねんて」「ふん」「知ってるのん、雪姉ちゃん」「ふん」(谷崎潤一郎『細雪』)

《私はあなたを愛する。だがあなたの中にはなにかあなた以上のもの、〈対象a〉がある。だからこそ私はあなたの手足をばらばらにする。[Je t'aime, mais parce que j'aime inexplicablement quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a), je te mutile.]》(ラカン、セミネール11)

雪子は結婚を間近にして、シミは消え去った。細雪の最後の文はこうだ、《下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまた続いていた》。もちろん糞便もラカンにとっては対象aである。

ラカン派の用語では、結婚は、対象(パートナー)から「彼(彼女)のなかにあって彼(彼女)自身以上のもの」、すなわち対象a(欲望の原因―対象)を消し去ることだ。結婚はパートナーをごくふつうの対象にしてしまう。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012)

ーーというわけで、ひさしぶりに青空文庫の大きな文字で、『細雪』上中下の上のみーーまだ入庫しているのは上のみーーを読んでみたけれど、たぶん中下を読んでもそういうことが言えるんじゃないか。


…………

《これらの長篇を精神分析的に解読した場合になる解釈……そんな解釈を得意がって提起するほどわれわれは文学的に破廉恥ではないつもりだ。そうした事実とは、どんな不注意な読者でも見逃しえない図式として、そこに露呈されているだけなのである》(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)