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2016年10月11日火曜日

「僕」のシャンゼリゼの雪

きょうの私自身は、見すてられた石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場にころがっているものは、みんな似たりよったりであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切りだすのだ。私はいおう、――われわれがふたたび見る一つ一つの事物が、無数の像を切りだす、と。

たとえば本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の綴目のひらきかたとか、その紙質のきめとかは、それぞれそのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネチアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき障害を来たすからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。

むろん、私の少年時代の多くの本、そして、ああ、ベルゴット自身のある種の本については、疲れた晩に、それらを手にとることがある、しかしそれは、私が汽車にでも乗って、旅先の異なる風物をながめ、昔の空気を吸って、気を休めたいと思ったのと変わりはなかった。しかも、求めてえられるその種の喚起は、本を長くよみつづけることで、かえってさまたげられることがあるものだ。ベルゴットの一冊にそんなのがある(大公の図書室にあるそれには、極端にへつらった俗悪な献辞がついていた)、それを私は、ジルベルトに合えなかった冬の一日に読んだ、そしていまは、あのように私が愛していた文章を、そこからうまく見つけだすことができない。いくつかの語が、その文章の個所を私に確信させそうだが、だめだ。私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか? しかしその書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。(プルースト「見出された時」)

次の作家は名前を出したくない。16~18歳までのひどいロマン派時代の「僕」の聖書のようなものだった。いまだ、この《書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える》には相違ない。

「僕」のシャンゼリゼの雪は、バッハのオルガン曲だった。

◆Albert Schweitzer Plays J. S. Bach: Adagio BWV 564




とはいえ、《私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか?》というほどには今でも「美」がまったく見つからないわけではない。

…………

……それから夏になって、僕の心の一隅に生れた深く青い空間が急激に拡大し、その中に様々な映像が生じ、それが明確になり、精緻になり、もうほかにどう動かしようもなく僕の心の中にある方向をとって流れはじめた。それはまだ続いている。それは最後の日まで流れ続けることだろう……。

……昨年の夏の青い空間の拡大によって生れたいまひとつの流れを、その支流のように吸収しながら、水嵩を増して自分を拡め、深めはじめているのを意識する。それが本質的にどういうことなのか、本当に判るのは、遥か先のことだろう。僕の全過去は、この支流の中に、雪どけの水が無数の細い流れとなって谷川に注ぐように融けこみながら、更にそれを通って、経験の本流の中に合流しはじめているのを感じる。この自分の内部にはじまった解体と旋回とを何と名付けてよいのか判らない。しかしそれはもうはじまってしまったのであって、僕はそれに即してのみ自分というもの、またその喜びと悲しみを言うことができるだけだ。

……それらの渝らないものの前に立ちもどる時、僕は自分の中の流動と旋回とは意識する。そして不透明で、色々なものに結びつけられて凝固していた自分の存在が、次第にゆるみ、遊離し、旋りはじめ、存在の全てをだんだんとその旋回の中にまきこみながら、少しずつその透明の度を増し、等質な流れに変化してゆくのを感ずる。青い空間、それは色というよりは光芒、あるいは光点だ。それが光度を増し、拡大し、無数の光点を自分の中に集めながら、更に大きい光の流れの中に、自分を合せてゆく。それはこういう言葉ででは非常に不完全にしか、あるいは殆ど不可能という外ないほどしか、表現することはできない。

……五月頃だったと思う。ある曇った日の午後、僕は自分の部屋で、机に向かっていた。何かを書いていたのか、あるいは読書をしていたのか、はっきりした記憶がない。ただそれはかなり厚く曇った暗い日だったことを覚えている。カーテンを半分引いてあったので、部屋の中は一層暗かった。その時僕は、何のきっかけか、日本のことをぼんやり考えはじめた。突然、僕の意識の中に、青い空間が感ぜられた。それは飛行機の上から下の方に見える、深く深く青い、しかし小さく激しい空間だった。……それは青い空間というより、青い、光に充ちた、一つのかたまり、と言った方がいいかもしれない。しかしそれは僕にとって、実に美しいまた激しい印象だった。僕の意識の中に、本当に、日本が入って来たのはこれがはじめてである、と断言することができる。僕はその時、この小さく輝く青い空間が、これからの僕の中で発酵しはじめ、無限に複雑に分化し、自己分析を起しはじめ、拡大しはじめ、それが現実の日本の姿にぴったりと重なり合うところまで進むだろう、ということを直感した。そして僕は、日本を愛していること、愛し得ることを深く意識した。……


八千矛の 神の命は 八島国 妻求ぎかねて 
遠々し 高志の国に 賢し女を 有りと聞かして 
麗し女を 有りと聞こして さ婚ひに 在り立たし
婚ひに 在り通はせ 大刀が緒も いまだ解かずて
襲をも いまだ解かね 嬢子の 寝すや板戸を 
押そぶらひ 吾が立たせれば 引こづらひ 我が立たせれば 
青山に 鵺は鳴き 真野つ鳥 雉は響む
庭つ鳥 鶏は鳴く 慨たくも 鳴くなる鳥か
この鳥も 打ち止めこせね
いしたふや 天馳使 事の 語言も こをば


この古詩の格調は、太平洋の上空から遥かに望見した列島と、何という同質性をもっていることだろう。この遥かな映像には、南方諸島の毒々しい青黒さ、その汚れた海の水の色、メソポタミアの荒れはてた砂漠、またキプロス島やアテネ、コリントのような硬い石の構図、また、西欧文明諸国のすきまのない密度の高さもない。それは豊かに、透明な光を帯びて、明るく、素直に長々と、等質に、青い空間に包まれて、延びている。そして、この詩の喚起する映像とその色調とは、一分の隙もなく、その生まれた列島について私がもつ心の映像と合致する。


◆J. S. Bach BWV 731, BWV 625, BWV 622, BWV 665 Organ Chorale Preludes by Albert Schweitzer




ああ、この一瞬間の尊さ! 我々が人間として生きているのは、五十年、七十年の労苦にみちた生活の中で、この一瞬間のためではないのか。その瞬間の感動は忽ち淡くなり、薄れ、やがて消えてゆくだろう。労苦も、生活も、その人の名さえも、永劫の時の流れの暗黒の中に消えてゆくだろう。時には作品さえも、これははたして無意味か。無意味ではないか。そういう言葉の議論は僕にはどうでもよいことだ。ただ僕はこの瞬間のこういう喜びが生活に力をあたえ、つかれに耐えさせることを知っているだけだ。しかしこの瞬間は、深く思索する人にとって、限りなく自分を延長してゆく動点になるだろう。僕は、だが、自分で疑う、それだけなのか。それで僕の魂は自ら安らうことができるのか。僕は、この小さい点の描く軌跡が、空間の中で、一つの星に出合うまでは、安らわないだろうということを知っている。その星はどこから来て、どこへ向かって去ってゆくのか。どこから来て僕の空間の中に入るのか。それを自分の空間の中に元から在ると信ずる人は限りなく不幸である。その人は、本当の孤独も、本当の喜びも、そして、もっと深い本当のかなしみも知らないだろう。

…………


もちろん「僕」のシャンゼリゼの雪はバッハだけではない、《ねえ、よかったら、もうしばらく組みうちをしてもいいのよ。》

まもなく私は「侯爵夫人」にいとまを告げ、フランソワーズのあとにしたがったが、ジルベルトのそばにもどろうと思ってフランソワーズから離れた。私は月桂樹のしげみのうしろの椅子に腰をかけた彼女をすぐにさがしあてた。彼女は友達から見つけられまいとしてそうしているのであった、彼女らはかくれんぼうをしていたのだ。私は近づいて彼女とならんで腰をかけた。彼女は目のあたりまでずりさがった平べったいトック帽のために、私がはじめてコンブレーで彼女に認めたあの「下目づかい」の、夢みるような、ずるそうなまなざしとおなじ目つきをしているように見えた。( ……)椅子にあおむけに寄りかかって、手紙を受けとるように私に言いながら、わたそうとはしないジルベルトに近づいた私は、彼女の肉体にはげしくひきつけられる自分を感じて、こういった( ……)。

「ねえ、ぼくに手紙をとらせないようにしてごらん、どっちが強いか見ようよ。」

彼女は手紙を背中にかくした、私は彼女のうなじに両手をまわして、彼女のおさげをはねあげた、その髪は、また彼女の年にふさわしいからか、それとも彼女の母が自分自身若やくためにいつまでも娘を子供っぽく見せておこうとしたためか、編んで肩にたらしてあった、私たちはからみあって組みうちをするのだった。私は彼女をひきよせようとし、彼女はしきりに抵抗する。奮闘のために燃えた彼女の頬は、さくらんぼうのように赤くてまるかった。彼女は私がくすぐったかのように笑いつづけ、私は若木をよじのぼろうとするように、彼女を両脚のあいだにしめつけるのであった、そして、自分がやっている体操のさなかに、筋肉の運動と遊戯の熱度とで息ぎれが高まったと思うまもなく、奮闘のために流れおちる汗のしずくのように、私は快楽をもらした、私にはその快楽の味をゆっくり知ろうとするひまもなかった、たちまち私は手紙をうばった。するとジルベルトはきげんよくいった、

「ねえ、よかったら、もうしばらく組みうちをしてもいいのよ。」

おそらく彼女は私の遊戯には私がうちあけた目的以外にべつの目的があるのをおぼろげながら感じたのであろう、しかし私がその目的を達したことには気がつかなかったであろう。そして、その目的を達したのを彼女に気づかれることをおそれた私は(すぐあとで、彼女が侮辱されたはずかしさをこらえて、からだをぐっと縮めるような恰好をしたので、私は自分のおそれがまちがっていなかったのをたしかめることができた)、目的を達したあとの休息を静かに彼女のそばでとりたかったのだが、そんな目的こそほんとうの目的であったととられないために、なおしばらく組うちをつづけることを承諾した。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに』井上究一郎訳)

僕は一人の友だちに今朝手紙を出した。それはあくまで自己のみを追求してきた僕の過去の生活が、どんなに人々の僕に対する愛と友情とを冷却させたかという反省でみたされていた。しかし同時に、人は、愛の対象となる人は、その相手の自分に対する愛が利己的であればあるほど満足を覚えるのではないだろうか。愛は徹底的にエゴイスティックになった時、はじめて相手を満足させるのではないだろうか。そうに相違ない。僕は殆どすべての友人を喪ってしまった。しかしそれはそれでよい、僕は後悔しない。そんなことは人間の本当の価値とは何の関係もないことなのだ。




ーーその後……抱きしめあうことにもなった。「僕」は勃起を感じとらせぬよう腰を引く配慮をするどころか、むしろ「僕の辛樹芬」の下腹やら腿やらをそいつで押しまくってやった。

……その後、ホテルへの狭い坂道を辿る途中で抱きしめあうことにもなった。吾良は勃起を感じとらせぬよう腰を引く配慮をするどころか、この夜はむしろ相手の下腹やら腿やらをそいつで押しまくってやった。(大江健三郎『取り替え子』)

僕は稚い時に、夕焼の空を見ながら、大人に手をひかれて、淀橋浄水の土手を遠くまで散歩した。あるいは、まだ明治神宮もできていなかった代々木の練兵場に遊びに行った。それ以外は、青山南町の伯父の家、千駄ヶ谷の母方の祖父の家、市ヶ谷の母方の祖母の家、同じく市ヶ谷にある祖母の弟の家、それから時たま渋谷の祖母の実家へ行く以外は、他家へ行くことはなかった。しかしこういう外面的なことが案外その人の精神生活に深くしみこんで行くのだ。僕の環境は実に静かだった。そういう親類の家へ行って、僕は従兄弟姉妹たちと食事をしたり、トランプやカルタをして遊んだ。廻りくねった廊下、白い畳をひいたうす暗い広間、線香のにおいのほのかにかおる仏間、砂利をしいた玄関前、木立の深い庭、母方の祖母の家では門から玄関まで行く間に、長屋が何十軒となくあった。家では父方の祖母がよく写真帳を見せてくれた。それには祖父をはじめ、親類の人々の肖像がたくさんあったが、男の人は殆どみな立派な大礼服を着ていたし、女の人は明治に特有の黒い長い洋装をしていた。僕の中には、奇妙に錯綜した心理が生まれていた。……