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2017年1月25日水曜日

最愛の子供を奈落の底に落とす母の癖


「私(ハンスの父)は彼に、恐いかどうか、そして何が恐いのかを尋ねる。

ハンス『だってぼくが落っこちるんだもの』

私『では、小さなおふろに入れてもらったときは、なぜちっとも恐がらなかったの?』

ハンス『あのときは腰かけてたもの。からだを横にすることができなかったもの。あれは小さすぎだよ』

私『グムンデンでボートに乗ったときは、水に落ちそうで恐いと思わなかったの?』

ハンス『うん。だって摑まっていたもの。だからぼくは落っこちやしないよ。ぼく大きなお風呂の中でだけ、落っこちそうで恐いと思ったんだ』

私『だってママがお前を入れてくれるじゃないか。ママがお前を水の中に落としそうだと思って恐いの?』

ハンス『ママが手をはなすんじゃないかと思って。そしたらぼく頭から水に落ちてしまう』

ーーフロイト『ある五歳男児の症例分析(症例ハンス)』


母親というのは最愛の子供を奈落の底に落とす癖があるのは昔かららしい。

最も愛された子供は、いつの日か不可解にも母が落ちるにまかせる子供であるl'enfant le plus aimé, c'est justement celui qu'un jour elle a laissé inexplicablement tomber …あなたがたは知っているだろう、ギリシャ悲劇において…我々はジロドゥーの洞察を見逃し得ない…これが、クリテムネストラ Clytemnestra についてのエレクトラ Electra の最も深刻な不満である。ある日、クリテムネストラはその腕からエレクトクラを落ちるにまかせたのだ…(ラカン、S10「不安セミネール」, 23 Janvier l963)

なぜこうなるのかは、ひょっとしたらヨクシラレテイルかもしれない。

構造的な理由により、女の原型は、危険な、貪り食う〈大他者〉と同一化する。それはもともとの原初の母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。(NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL(Paul Verhaeghe)
女は子供を連れて危機に陥った場合、子供を道連れにしようという、そういうすごいところがあるんです。(古井由吉「すばる」2015年9月号)

ところでわたくしは高所恐怖症である。

まずすこし回り道をしてフロイトの次の文を掲げる。

……外部(現実)の危険は、それが自我にとって意味をもつ場合は、内部化されざるをえないのであって、この外部の危険は無力さを経験した状況と関連して感知されるに違いないのである。(フロイト『制止、症状、不安』旧訳,p373)

この文に註がついている。

※註:そのままに正しく評価されている危険の状況では、現実の不安に幾分か欲動の不安がさらに加わっていることが多い。したがって自我がひるむような満足を欲する欲動の要求は、自分自身にむけられた破壊欲動であるマゾヒスム的欲動であるかもしれない。おそらくこの添加物によって、不安反応が度をすぎ、目的にそわなくなり、麻痺し、脱落する場合が説明されるだろう。高所恐怖症(窓、塔、断崖)はこういう由来をもつだろう。そのかくれた女性的な意味は、マゾヒスムに近いものである。(『制止、症状、不安』)

この文から判断するに、高所恐怖症ってのは実は、マゾヒスト的に奈落の底に落ちたいのではなかろうか・・・

内側に落ちこんだ渦巻のくぼみのように、たえず底へ底へ引き込む虚無の吸引力よ……。最後になれぞそれが何であるかよくわかる。それは、反復が一段一段とわずかずつ底をめざしてゆく世界への、深く罪深い転落でしかなかったのだ。(ムージル『特性のない男』)

フロイトはほんとに気づいていなかったんだろうか?

フロイトが気づいていなかったことは、最も避けられることはまた、最も欲望されるということである。不安の彼方には、受動的ポジションへの欲望がある。他の人物、他のモノに服従する欲望である。そのなかに消滅する欲望。……(ポール・バーハウ1998Paul Verhaeghe 1HREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE )

すくなくとも上の『制止、症状、不安』には《自我がひるむような満足を欲する欲動の要求は、自分自身にむけられた破壊欲動であるマゾヒスム的欲動であるかもしれない》と記しているわけで。

…………

わたくしの高所恐怖症は、自分ではたいしてひどいものではないと思っていた(すくなくとも意識的には)。ジャングルジムの頂上に登るのを敬遠するとか、遊園地の観覧車にのると冷汗がでる、あるいは高いビルで全面ガラスになっているようなところだとどうもいけない、――つまり足元が透明になっているといけないーー等々。11階建ての6階にあるマンションに10年近く住んでいたが、腰あたりまですりガラスになっていたので何の恐いこともなかったよ。だからたいしたもんじゃない、と。

観覧車でも大丈夫なタイプはあるので、出入り口が全面透明ガラスになっているヤツがいけない。ビルの屋上などの縁に腰かけて脚をぶらぶらさせているような写真は見ただけでゾッとする(見なくたってこうやって書いただけで、震えたよ・・・)

ところでアンコールワットでたいして気にもせずに高い塔に登って、降りるときにはひどく冷汗が出た。軀が震えていたかもしれない。縄につかまっておっかなびっくりでソロソロと降りて他の観光客に笑われたときは、やっぱりたいしたことのない高所恐怖症というわけにはいかないのでは、とふと思ったことがある。





そうはいっても「標準的な」山登りはへっちゃらなのだけど。だけれど吊り橋はぜんぜんいけない、女友達と山登りしたとき、あの女は吊り橋の上でピョンピョン飛び跳ねて揺すりやがって・・・

別に恐怖症の理由を探すつもりはないね、フロイトは汽車恐怖症だったらしいが、一生治らなかったそうだ。

なんのせいだって? 

Freud train phobia で検索したらいろいろ出て来るよ。

フロイトは友人フィリスへの手紙で次のように書いているらしい。

Freud theorized that his own train phobia was the result of having seen his mother naked during a train trip from the family village in Moravia to Vienna.

でも、いやフロイトはそう言っているだけで違うよ、という人たちもたくさんいる。

ところで、フィリスはパラノイアだったことが今では判明しているらしい、ジャック=アラン・ミレールによればだが)。(The Axiom of the Fantasm、Jacques-Alain Miller)

フロイトはフィリスへの書簡でフィリスを分析者、自らは被分析者(分析主体)として振舞ったわけだが、分析者ってのは結局誰でもいいわけで(知を想定された主体なら)、場合によってはマヌケでもいいわけだ・・・

さて話を元に戻せば、フロイトは「汽車恐怖症」はパニック障害に近い症状という話もあり、もしそうならフロイト自身、理論的に説明している、決して治療できない(取り除くことができない)ことを(参照)。パニック障害はフロイトの現勢神経症/精神神経症の区分における現勢神経症の領域の症状であり、「終りなき分析」の対象である。

というよりそもそもどの人間には治癒不可能な原症状がある。

ではどうすればいいのか?

エディプス・コンプレックス自体、症状である(« complexe d'Œdipe » comme étant un rêve de FREUD )。その意味は、大他者を介しての、欲動の現実界の周りの想像的構築物ということである。どの個別の神経症的症状もエディプスコンプレクスの個別の形成に他ならない。この理由で、フロイトは正しく指摘している、症状は満足の形式だと。ラカンはここに症状の不可避性を付け加える。すなわちセクシャリティ、欲望、享楽の問題に事柄において、症状のない主体はないと。

これはまた、精神分析の実践が、正しい満足を見出すために、症状を取り除くことを手助けすることではない理由である。目標は、享楽の不可能性の上に、別の種類の症状を設置することなのである。フロイトのエディプス・コンプレクスの終着点の代りに(父との同一化)、ラカンは精神分析の実践の最終的なゴールを症状との同一化とした。(ポール・バーハウ2009、(PAUL VERHAEGHE、New studies of old villains)

やあ、でもこういった「手助け」がマヌケでもできるのかどうかは、わたくしにはよくわからないな

ところで、フロイトのエディプス理論は許容したっていいんじゃないか。裸のお母ちゃんのdas Ding の上にエディプスの夢、ファミリーロマンスを築いたわけだったら。ただし他の人がその理論を「まがお」で信じ込んでしまったのがわるかっただけさ。

ラカンの晩年サントーム理論だって、原症状の上に新しいシニフィアンを発明するってわけで、エディプス理論みたいなもんだよ。

分析の道筋を構成するものは何か? 症状との同一化ではなかろうか、もっとも症状とのある種の距離を可能なかぎり保証しつつである。症状の扱い方・世話の仕方・操作の仕方を知ること…症状との折り合いのつけ方を知ること、それが分析の終りである。 

En quoi consiste ce repérage qu'est l'analyse? Est-ce que ce serait, ou non, s'identifier, tout en prenant ses garanties d'une espèce de distance, à son symptôme? savoir faire avec, savoir le débrouiller, le manipuler ... savoir y faire avec son symptôme, c'est là la fin de l'analyse.(Lacan, Le Séminaire XXIV, 16 Novembre 1976)
なぜ我々は新しいシニフィアンを発明しないのか? たとえば、それはちょうど現実界のように、全く無意味のシニフィアンを。

Pourquoi est-ce qu'on n'inventerait pas un signifiant nouveau? Un signifiant par exemple qui n'aurait, comme le réel, aucune espèce de sens?(ラカン、S24、17 Mai 1977)

シニフィアンというのは倶利伽羅紋々でもいいわけでね。

刺青は、身体との関係における「父の名」でありうる。…(場合によって)仕事の喪失は精神病を引き起こす。というのは、仕事は、生活手段以上のものを意味するから。仕事を持つことは「父の名」だ。

ラカンは言っている、現代の父の名は「名付けられる」 êtrenommé-à こと、ある機能を任命されるという事実だと。社会的役割にまで昇格させる事、これが現在の「父の名」である。 (Miller, J.-A. (2009). Ordinary psychosis revisited. Psychoanalytic Notebooks of the European School of Psychoanalysis、私訳,PDF

もちろん裸のお母ちゃんの上に、たとえば「蚊居肢」ってシニフィアン構築したっていいわけさ。

スカートの内またねらふ藪蚊哉(永井荷風)
秋の蚊に踊子の脚たくましき(吉岡実)

…………

ところで母親の奈落の底に落とす癖ってのは、最愛の子供じゃなかったらないんだろうか? そのあたりがはっきりしないね。たとえば坂口安吾の場合だったらどうだろう(彼は13人兄弟の12番目)。

安吾はあれは女性恐怖症だよ、きっと。「情痴作家」イメージってのはその反動の仮面さ。

次の文は《ママが水の中に落としそうだと思って恐い》という話でなくてなんだろう?

十二三の頃の話だ。夏も終りに近い荒天の日で、町にゐても海鳴りのなりつづく暗澹たる黄昏時のことであつたが、突然母が私を呼んで、貝が食べたいから海へ行つてとつてきてくれと命じた、あるひはからかつたのだ。からかひ半分の気味が癪で、そんならいつそほんとに貝をとつてきて顔の前に投げつけてやらうと私は憤つて海へ行つた。浪にまかれてあへぎながら、必死に貝を探すことが恰も復讐するやうに愉しかつたよ。(坂口安吾『をみな』)
「私」が一二、三歳くらいの頃である。 夏も終わりに近い、ひどく天気の荒れた日の黄昏時、「私」の母親は彼を呼びつけて海で蛤を取ってくるように命じた。 それはからかい半分であったようだが、その態度が逆に「私」の癪に障って彼は憤りと共に海に向かった。 天気のいい白昼の海にすら恐怖することがあるという「私」だったが、そのときは烈しい憤りのあまり恐怖も忘れ、必死に、または復讐するように楽しんで蛤を探した。 そして彼はとっぷり夜が落ちてから帰宅し、三和土に重い貝の包みを投げ出したのである。(坂口安吾『石の思ひ』)

貝、蛤、海ってのは全部、ヴァギナデンタータ・ブラックホールのことでなくてなんだろう? (ヴァギナとホールについては前回記したのでここではくり返さない)。

それにしても物置きってのはいけないんじゃないかね、《あの真つ暗な物置きの中へ私はなんべん入れられたらうな》、--いいねえ、君たちは物置きの経験がなさそうで。

九つくらゐの小さい小学生のころであつたが、突然私は出刃庖丁をふりあげて、家族のうち誰か一人殺すつもりで追ひまはしてゐた。原因はもう忘れてしまつた。勿論、追ひまはしながら泣いてゐたよ。せつなかつたんだ。兄弟は算を乱して逃げ散つたが、「あの女」だけが逃げなかつた。刺さない私を見抜いてゐるやうに、全く私をみくびつて憎々しげに突つ立つてゐたつけ。私は、俺だつてお前が刺せるんだぞ! と思つただけで、それから、俺の刺したかつたのは此奴一人だつたんだと激しい真実がふと分りかけた気がしただけで、刺す力が一時に凍つたやうに失はれてゐた。あの女の腹の前で出刃庖丁をふりかざしたまま私は化石してしまつたのだ。そのときの私の恰好が小鬼の姿にそつくりだつたと憎らしげに人に語る母であつたが、私に言はせれば、ふりかざした出刃庖丁の前に突つたつた母の姿は、様々な絵本の中でいちばん厭な妖婆の姿にまぎれもない妖怪じみたものであつたと、時々思ひ出して悪感がしたよ。

三十歳の私が、風をひいたりして熱のある折、今でもいちばん悲しい悪夢に見るのがあの時の母の気配だ。姿は見えない。だだつぴろい誰もゐない部屋のまんなかに私がゐる。母の恐ろしい気配が襖の向ふ側に煙のやうにむれてゐるのが感じられて、私は石になつたあげく気が狂れさうな恐怖の中にゐる、やりきれない夢なんだ。母は私をひきづり、窖のやうな物置きの中へ押しこんで錠をおろした。あの真つ暗な物置きの中へ私はなんべん入れられたらうな。闇の中で泣きつづけはしたが、出してくれと頼んだ覚えは殆んどない。ただ口惜しくて泣いたのだ。  (坂口安吾『をみな』)

《様々な絵本の中でいちばん厭な妖婆の姿にまぎれもない妖怪じみたもの》ってのは、君たちにはないかい? わたくしは幸いにもそこまではいかないけど。庖丁振り回したこともないよ、わたくしのほうはね、母が…ちょっと「神経」を病んでいたらしいときに祖母に向って庖丁というのは…なぜか鮮明な記憶があるにはある…でもあれは夢だったかもしれない…

私は学校を休み松林にねて悲しみに胸がはりさけ死ねときがあり、私の魂は荒々しく戸を蹴倒して我家へ帰る時があつても、私も亦、母の鼻すら捩ぢあげはしないであらう。私はいつも空の奥、海のかなたに見えない母をよんでゐた。ふるさとの母をよんでゐた。 そして私は今も尚よびつゞけてゐる。そして私は今も尚、家を怖れる。いつの日、いづこの戸を蹴倒して私は死なねばならないかと考へる。一つの石が考へるのである。(坂口安吾『石の思ひ』)

《然し、これが自伝であるかといふよりも、かういふ風に書かれたこと、書かねばならなかつたこと、私自身にとつては、意味はそれだけ》(坂口安吾『いづこへ』)

やあもちろんフィクションなかの話さ、安吾だって、わたくしの駄文だって。

ーー《真理は虚構の構造をしている La vérité a structure de fiction》(ラカン)


母方の祖父母の家で、伯父の子供と二人だけで遊んでいたらしい。何歳ごろだったか、たぶん幼稚園に入る前だと思うがはっきりしない。彼はーー彼女かもしれないーーわたくしより下だがどのくらい年が離れていたのかは不詳。その子は座敷の前にある庭の池に落ちて溺死してしまった。その後伯父夫妻は離婚した。

でもこれだって不思議だ。なぜそんな小さな子供が二人だけで座敷で遊んでいたのか…いかにも嘘っぽいよ…