2017年5月13日土曜日

偏愛の対象

彼は偏愛の対象として、バーバラ・ヘンドリックスの歌うフォーレをもっている。

◆Barbara Hendricks、Fauré - Les roses d'Ispahan, Op. 39 Nº. 4




ーー苔むした台座のなかの、イスファハンの街の薔薇、Les roses d'Ispahan dans leur gaîne de mousse………




あの当時、今住んでいる地に住もうかどうかを決心するために、ひと月街中(ドンコイ街)にアパートを借りた。長方形の殺風景な部屋、月500ドル。

そのときグールドのバッハとともにバーバラのCDも携えていた。吉田秀和が褒めていて旅行の直前に手に入れた。

毎日のように彼女の歌声を聴いた。部屋は天井が高く音がよく響く。窓と扉だけは古いが重厚なものがついていた。それが珍しかった。窓は鎧戸で上品な緑色(ターコイズグリーンというのかエメラルドグリーンというのか)で塗られていた。

そう、マネのあの絵のなかにある鎧戸のような色。



当地はかつて仏植民地だったせいなのか、この色やもう少し濃い緑の窓がよく目につく。




彼の住んでいたアパートは下のような色と形の窓だった。朝は鎧戸から漏れる光にみとれた。バーバラの歌声がそれにとても似合った。





窓の外からは物売りの声がきこえてきた。



狭い路地の向いの外国人向けアパートでは少女が掃除をしたり洗濯物を干していた。おぼえたての当地の言葉で朝の挨拶を送ってみた。可憐な笑顔でチャオ!と送り返してきた。それからは毎日のように彼女と言葉を交わすようになった。

例へば松林の間を貫く坂道のふもとに水が流れてゐて、朽ちた橋の下に女が野菜を洗つてゐるとか、或は葉雞頭の淋し氣に立つてゐる農家の庭に、秋の日を浴びながら二三人の女が筵を敷いて物の種を干してゐるとか、又は、林の間から夕日のあたつてゐる遠くの畠を眺めて豆の花や野菜の葉の色をめづると云ふやうな事……特徴のないだけ、平凡であるだけ、激しい讃美の情に責めつけられないだけ、これ等の眺望は却て一層の慰安と親愛とを催させる。普段着のまゝのつくろはない女の姿を簾外に見る趣にも譬へられるであらう。(永井荷風『畦道』)

今の妻と出会ったのもこの路地だ。二十歳になったばかりの彼女は、薄紫色のアオザイを匂いやかにまとって、昂然とーー気高くーーそり返ってシクロの上で足を組み、仕事に出かけるところだった。

ファウスト

もし、美しいお嬢さん schönes Fräulein。
不躾ですが、この肘を
あなたにお貸申して、送ってお上申しましょう。

マルガレエテ

わたくしはお嬢さんFräulein ではございません。美しく schön もございません。送って下さらなくっても、ひとりで内へ帰ります。

ファウスト

途方もない好い女だ。Beim Himmel, dieses Kind ist schön!
これまであんなのは見たことがない。
あんなに行儀が好くておとなしくて、
そのくせ少しはつんけんもしている。
あの赤い唇や頬のかがやきを、
己は生涯忘れることが出来まい。
あの伏目になった様子が
己の胸に刻み込まれてしまった。 それからあの手短に撥ね附けた処が、 溜まらなく嬉しいのだ。

(メフィストフェレス登場。)

おい。あの女 Dirne を己の手に入れてくれ。

(ゲーテ『ファウスト』森鴎外訳)

よく知られているように、《男は誰に恋に陥るのか? 彼を拒絶する女・つれないふりをする女・決してすべてを与えることをしない女に恋に陥る。》(ポール・バーハウ 1998)




あの路地界隈に出入りするシクロタクシーの車夫たちは洒脱な男が多かったが、彼らは彼女の気っ風のよさに惚れこんでいた。彼らにたずねると、彼女は家族離散のせいで一人で五人のきょうだいの生活を支えていた。

「そのくらいなら、どこへ行ったって、自分一人くらい何をしたって食べて行きますわ」(徳田秋声『黴』)
お島のきびきびした調子と、蓮葉な取引とが、到るところで評判がよかった。物馴れてくるに従って、お島の顔は一層広くなって行った。(『あらくれ』)

もっともシクロに乗る女たちは昂然としていなくてもとても絵になる。アオザイを着ているとなおさら。



ーーいまは交通規制でこういった光景は稀になってしまった。

あの当時はじつに世界が変わったような気分だった。
バーバラ・ヘンドリックスにはこれらの記憶がからみついている。

◆Bárbara Hendricks - Fauré - Les Berceaux




◆リルケ「オルフォイスに寄せるソネット」より 高安国世訳

立ち昇る一樹。おお純粋の昇華!
おおオルフォイスが歌う! おお耳の中に聳える大樹!
すべては沈黙した。だが沈黙の中にすら
新たな開始、合図、変化が起こっていた。

静寂の獣らが 透明な
解き放たれた臥所から巣からひしめき出て来た。
しかもそれらが自らの内にひっそりと佇んでいたのは、
企みからでもなく 恐れからでもなく

ただ聴き入っているためだった。咆哮も叫喚も啼鳴も
彼らの今の心には小さく思われた。そして今の今まで
このような歌声を受け入れる小屋さえなく

僅かに 門柱の震える狭い戸口を持った
暗い欲望からの避難所さえ無かったところに――
あなたは彼らのため 聴覚の中に一つの神殿を造った。

…………

昨晩バーバラの歌う「きみはわが憩い Du bist die Ruh」に出会った。彼女のDu bist die Ruhは初めて聴く。彼はこのシューベルトの作品に、小学五年生のときに出会った。偏愛の曲のひとつである。

◆Barbara Hendricks; "Du bist die Ruh"; Franz Schubert




いままで主に Gundula Janowitz と Elly Ameling の歌うこの曲を愛してきた(ときに Dieskau)。この曲の Schwarzkopf は好まない。音が遠くからきこえてこない。《音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる》(シュネデール)