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最も肝腎なのは、アリアドネが何かを知っているかどうかではなかろうか?
わたしのほかに誰が知ろう、アリアドネが何であるかを!……これらすべての謎は、いままでだれ一人解いた者がなかった。そこに謎があることに気がついた者さえいるかどうか疑わしい。(ニーチェ『この人を見よ』1888年)
これをそれとなしにも感づいているか否かが、「精神の貴族 」(ニーチェ)に至る道の最初の分かれ道ではなかろうか?
・人々をたがいに近づけるものは、意見の共通性ではなく精神の血縁である。(プルースト 「花咲く乙女たちのかげにⅠ」)
・人間は自分の精神が属する階級の人たちの言葉遣をするのであって、自分の出生の身分〔カスト〕に属する人たちの言葉遣をするのではない、という法則……(プルースト「ゲルマントのほうⅠ」)
ニーチェは到るところでアリアドネの秘密を語っている。
36歳のとき、わたしは、わたしの活力の最低点に落ちこんだーーまだ生きてはいたものの、三歩先を見ることもできなかった。当時――1879年のことだったーーわたしは、バーゼルの教授職を退いて、夏中まるで影のようにサン・モーリッツで過ごした。が、それにつづく、わたしの生涯でもっとも日光の希薄であった冬には、ナウムブルクで影そのものとして生きた。これがわたしの最低の位置だった。『さすらい人とその影』が、その間に生まれた。疑いもなく、わたしは当時、影とは何かをよく知っていたのである……(ニーチェ『この人を見よ』)
人生の正午 Mittag、ひとは異様な安静の欲求におそわれることがある。まわりがひっそりと静まりかえり、物の声が遠くなり、だんだん遠くなっていく。彼の心臓は停止している。彼の目だけが生きている、--それは目だけが醒めている一種の死だ。それはほとんど不気味でunheimlich、病的に過敏 krankhaftだ。しかし不愉快unangenehmではない。 (ニーチェ『さすらい人とその影Der Wanderer und sein Schatten』308番、1880年)
《正午。最も影の短い刻限 Mittag; Augenblick des kürzesten Schattens》(ニーチェ『偶像の黄昏』1888年)。そのとき何が起こるのか? 実は誰もが知っている。
正午にそれは起こった。「一」は「二」となったのである。Um Mittag war's, da wurde Eins zu Zwei...(ニーチェ『善悪の彼岸』1886年「高き山々の頂きから Aus hohen Bergen」)
ーー正午とは、それ自身の影をまとう刻限である。鷲は蛇をまとうのである。
…正午の太陽が彼の頭上にかかった。そのときかれは問いのまなざしを空にむけたーー高みに鋭い鳥の声を聞いたからである。と、見よ。一羽の鷲が大いなる輪を描いて空中を舞っていた。そしてその鷲には一匹の蛇がまつわっていた。鷲の獲物ではなく、友であるように見えた。鷲の頸にすがるようにして巻きついている。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部、1883年)
もっとも翳や蛇とは、(究極的には)「女主人」のことではなかろうか、と問うこともできる。
何事がわたしに起こったのか。だれがわたしに命令するのか。--ああ、わたしの女主人Herrinが怒って、それをわたしに要求するのだ。彼女がわたしに言ったのだ。彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるのだろうか。
きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人 meiner furchtbaren Herrin の名だ。
……彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」)
実は誰でも知っている筈だ、「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」に遭遇したとき現れるのは、「メドゥーサの首 Kopf der Medusa」ーーすなわち、不気味なもの unheimlich=外密 extimité(《extériorité intime, cette extimité qui est la Chose》)だと(「侵入・刻印・異物」)
ーー「彼」も蛇をまとっているではないか?
……そのとき、声なき声がわたしに語った Dann sprach es ohne Stimme zu mir「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ: Du weisst es, Zarathustra? -」--
ーー《おまえは、来らざるをえない者の影 Schatten として歩まねばならぬ。》
もちろん正午でなくても、人はメドゥーサの首にめぐりあうことができる。たとえば真夜中に。
月明りのなかで偶然、自分の顔を鏡の中に見ること以上に不気味なものはない。(ハイネ)
Es gibt nichts Unheimlicheres, als wenn man, bei Mondschein, das eigene Gesicht zufällig im Spiegel sieht. (Heinrich Heine: Reisebilder)
彼はすぐ水から視線を外した。すると同じ視線が突然人の姿に行き当ったので、彼ははっとして、眼を据えた。しかしそれは洗面所の横に懸けられた大きな鏡に映る自分の影像に過ぎなかった。………彼は相手の自分である事に気がついた後でも、なお鏡から眼を放す事ができなかった。………いつもと違った不満足な印象が鏡の中に現われた時に、彼は少し驚ろいた。これが自分だと認定する前に、これは自分の幽霊だという気がまず彼の心を襲った。凄くなった彼には、抵抗力があった。彼は眼を大きくして、なおの事自分の姿を見つめた。(夏目漱石『明暗』)
ゴダールももちろんよく知っている。
ゴダールは『JLG/自画像』で、二度、ネガに言及している。一度目は、湖畔でヘーゲルの言葉をノートに書きつけながら、「否定的なもの(le négatif)」を見すえることができるかぎりにおいて精神は偉大な力たりうると口にするときである。二度目は、風景(paysage)の中には祖国(pays)があるという議論を始めるゴダールが、そこで生まれただけの祖国と自分でかちとった祖国があるというときである。そこに、いきなり少年の肖像写真が挿入され、ポジ(le positif)とは生まれながらに獲得されたものだから、ネガ(le négatif)こそ創造されねばならないというカフカの言葉を引用するゴダールの言葉が響く。とするなら、描かれるべき「自画像」は、あくまでネガでなければならないだろう。(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』)
もっともかつてより巷間の「精神の中流階級」の人間たちが、「分身」にはまったく不感症であったことは、伊東静雄「晴れた日」における「私の放浪する半身」の真意に、杉本秀太郎が指摘するまで誰もが気づいていなかったことが証明している。
とき偶に晴れ渡つた日に
老いた私の母が
強ひられて故郷に帰つて行つたと
私の放浪する半身 愛される人
私はお前に告げやらねばならぬ
学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の「偉大な」問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』1882年)
精神の貴族であるルー・サロメはとっくの昔から気づいていた。ニーチェの永遠回帰が何のかを。
私にとって忘れ難いのは、ニーチェが彼の秘密を初めて打ち明けたあの時間だ。あの思想を真理の確証の何ものかとすること…それは彼を口にいえないほど陰鬱にさせるものだった。彼は低い声で、最も深い恐怖をありありと見せながら、その秘密を語った。実際、ニーチェは深く生に悩んでおり、生の永遠回帰の確実性はひどく恐ろしい何ものかを意味したに違いない。永遠回帰の教えの真髄、後にニーチェによって輝かしい理想として構築されたが、それは彼自身のあのような苦痛あふれる生感覚と深いコントラストを持っており、不気味な仮面であることを暗示している。(ルー・サロメ、1884年)
Unvergeßlich sind mir die Stunden, in denen er ihn mir zuerst, als ein Geheimnis, als Etwas, vor dessen Bewahrheitung ... ihm unsagbar graue, anvertraut hat: nur mit leiser Stimme und mit allen Zeichen des tiefsten Entsetzens sprach er davon. Und er litt in der Tat so tief am Leben, daß die Gewißheit der ewigen Lebenswiederkehr für ihn etwas Grauen-volles haben mußte. Die Quintessenz der Wiederkunftslehre, die strahlende Lebensapotheose, welche Nietzsche nachmals aufstellte, bildet einen so tiefen Gegensatz zu seiner eigenen qualvollen Lebensempfindung, daß sie uns anmutet wie eine unheimliche Maske.(Lou Andreas-Salomé Friedrich Nietzsche in seinen Werken, 1884)
おそらくフロイトもサロメ経由で感づいたのであろう、永遠回帰は《不気味な仮面unheimliche Maske》であることに。
フロイトの『不気味なもの』(1919年)--『快原理の彼岸』1920年の思想はこの前年の論文にすでに明確に現われているーーにはこうある。
同一のものの反復の不気味さ das Unheimliche der gleichartigen Wiederkehr がいかにして幼児の心的生活から演繹されうるかを、ここではただ示唆するにとどめて、そのかわりこれについてはすでに、これを別の関連において詳細に論じた仕事のあることをお知らせしておく。
つまり心の無意識のうちには、欲動生活から発する反復強迫 Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく諸欲動それ自身のもっとも奥深い性質に依存するものであって、快原理を超越してしまうほどに強いもので、心的生活の若干の面に魔力的な性格を与えるものであるし、また、幼児の諸行為のうちにはまだきわめて明瞭に現われており、神経症者の精神分析過程の一段階を支配している。そこで、われわれとしては、以上一切の推論からして、まさにこの内的反復強迫 inneren Wiederholungszwang を思い出させうるものこそ不気味なもの unheimlich として感ぜられると見ていいように思う。(フロイト『不気味なもの』1919年)
この文はもちろんニーチェへの直接的応答でもある。
もし人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する己れの典型的経験 typisches Erlebniss immer wiederkommt を持っている。(ニーチェ『善悪の彼岸』70番)
まだお分りにならない「精神の下層階級」の方々のためにこう付け加えておこう。
権力への意志が原始的な情動 Affekte 形式であり、その他の情動 Affekte は単にその発現形態であること、――(……)「権力への意志」は、一種の意志であろうか、それとも「意志」という概念と同一なものであろうか?――私の命題はこうである。これまでの心理学の意志は、是認しがたい普遍化であるということ。こうした意志はまったく存在しないこと。(ニーチェ遺稿 1888年春)
この文の注釈はすでに40年以上前に語られている。
権力への意志の直接的表現としての永遠回帰 éternel retour comme l'expression immédiate de la volonté de puissance(ドゥルーズ『差異と反復』1968年)
・永遠回帰 L'Éternel Retour …回帰 le Retou rは権力への意志の純粋メタファー pure métaphore de la volonté de puissance以外の何ものでもない。
・しかし権力への意志 la volonté de puissanceは…至高の欲動 l'impulsion suprêmeのことではなかろうか?(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』1969年)
クロソウスキーにとっては、ニーチェ用語の情動 Affekte とは欲動 impulsion のことである。『ニーチェと悪の循環』の英訳者Daniel W. Smithによる序文から抜粋しておく。
Impulsion(衝動) は、仏語の pulsion(欲動) に関係している。pulsion はフロイト用語の Triebeを翻訳したものである。だがクロソフスキーは、滅多にこの pulsion を使用しない。ニーチェ自身は、クロソフスキーが衝動という語で要約するものについて多様な語彙を使用しているーー、Triebe 欲動、Begierden 欲望、Instinke 本能、Machte 力・力能・権力、Krafte 勢力、Reixe, Impulse 衝迫・衝動、Leidenschaften 情熱、Gefiilen 感情、Afekte 情動、Pathos パトス等々。クロソフスキーにとって本質的な点は、これらの用語は、絶え間ない波動としての、魂の強度intensité 的状態を示していることである。(PIERRE KLOSSOWSKI,Nietzsche and the Vicious Circle Translated by Daniel W. Smith)