2017年7月3日月曜日

「原抑圧」の派生物としての「抑圧」

フロイトは分析的ディスクールのなかで進んでいくにつれて、原抑圧が最初である le refoulement originaire était premier という考え方に傾いていったのである。(ラカン、テレヴィジョン、1973年)

前回(テキストの改竄(省略と歪曲))、敢えて原抑圧という語を使用しなかったが、抑圧の基本は原抑圧である。そして原初には実のところ何も抑圧するものはない。ゆえに原抑圧とは原固着のことである。そして原固着とは結局、原防衛であるのは前回見た。

以下、フロイトの記述の推移をみる。フロイト自身、原抑圧をめぐってあまりはっきりしたことが言えていないのが分かるだろう。


◆フロイト、1911年
「抑圧」は三つの段階に分けられる。

①第一の段階は、あらゆる「抑圧 Verdrängung」の先駆けでありその条件をなしている「固着 Fixierung」である。(…)

②第二段階は、「本来の抑圧 eigentliche Verdrängung」である。この段階はーー精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーーより高度に発達した、自我の、意識可能な諸体系から発した「後の抑圧 Nachdrängen 」として記述できるものである。(… )

③第三段階は、病理現象として最も重要なものだが、その現象は、抑圧の失敗・侵入・「抑圧されたものの回帰 Wiederkehr des Verdrängten」である。この侵入 Durchbruch とは「固着 Fixierung」点から始まる。そしてリビドー的展開 Libidoentwicklung の固着点への退行 Regression を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(パラノイド性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』1911年、 私訳)

◆1915年 
われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり欲動の心理的(表象的)な代理 (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識の中に入り込むのを拒否するという、第一期の抑圧を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixierung が行われる。というのは、その代表はそれ以後不変のまま存続し、これに欲動が結びつくのである。(……)

抑圧の第二階段、つまり本来の抑圧 Verdrängung は、抑圧された代表の心理的な派生物に関連するか、さもなくば、起源は別だがその代表と結びついてしまうような関係にある思考傾向に関連している。

こういう関係からこの表象は原抑圧をうけたものと同じ運命をたどる。したがって本来の抑圧とは後の抑圧 Nachdrängung である。それはともかく、意識から抑圧されたものに作用する反撥だけを取り上げるのは正しくない。同じように原抑圧を受けたものが、それと関連する可能性のあるすべてのものにおよぼす引力をも考慮しなければならない。かりにこの力が協働しなかったり、意識によって反撥されたものを受け入れる用意のある前もって抑圧されたものが存在しなかったなら、抑圧傾向はおそらくその意図をはたさないであろう。(フロイト『抑圧』1915年、既存訳修正、以下同様)


◆1923年
無意識的なもの(大文字の無意識 Ubw)は、抑圧されたものと一致しないことをみとめなければならない。あらゆる抑圧されたものは無意識的(小文字の無意識 ubw)であるが、無意識的なもの(大文字の無意識 Ubw)はすべてが抑圧されているとはかぎらない。これはあくまで正しいのである。

Wir erkennen, daß das Ubw nicht mit dem Verdrängten zusammenfällt; es bleibt richtig, daß alles Verdrängte ubw ist, aber nicht alles Ubw ist auch verdrängt.

自我の一部分もまたーーそれが自我のどんな重要な部分であるかは神のみが知る--無意識的(小文字の無意識 ubw)であるかもしれない。いや、たしかに無意識的(小文字の無意識 ubw)である。

Auch ein Teil des Ichs, ein Gott weiß wie wichtiger Teil des Ichs, kann ubw sein, ist sicherlich ubw.

そして、この自我の無意識的(大文字の無意識 Ubw)な部分は、前意識的なもの Vbwという意味で潜在的なのではない。そうでなければそれは、意識的となることなしに活動するわけにはゆかないだろう。そしてそれを意識的にすることが、それほど大きな困難をひきおこすことはありえないだろう。

Und dies Ubw des Ichs ist nicht latent im Sinne des Vbw, sonst dürfte es nicht aktiviert werden, ohne bw zu werden, und seine Bewußtmachung dürfte nicht so große Schwierigkeiten bereiten.

ところで、ここに抑圧されない無意識的なもの nicht verdrängtes Ubw は、第三のものを推定する必要にせまられるとすれば、そのときには無意識というもの Unbewußtseins の特性がその意義を失うことになるのをみとめなければならない。

Wenn wir uns so vor der Nötigung sehen, ein drittes, nicht verdrängtes Ubw aufzustellen, so müssen wir zugestehen, daß der Charakter des Unbewußtseins für uns an Bedeutung verliert.(フロイト『自我とエス』1923年)

◆1926年
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧 Verdrängungen は、後の抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえるのである。こういう抑圧の背景や前提については、ほとんど知られていない。また、抑圧のさいの超自我の役割を、高く評価しすぎるという危険におちいりやすい。この場合、超自我の登場が原抑圧 Urverdrängungと後期抑圧 Nachdrängen との区別をつくりだすものかどうかということについても、いまのところ、判断が下せない。いずれにしても、最初のーーもっとも強力なーー不安の襲来は、超自我の分化の行われる以前に起こる。原抑圧 Urverdrängungen の手近な誘引として、もっとも思われることは、興奮の過剰な強さ übergroße Stärke der Erregung により刺激保護 Reizschutzesが破綻するというような量的な契機である。(フロイト『制止、症状、不安』1926 年)

◆1937年
抑圧 Verdrängungen はすべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段 primitive Abwehrmaßregeln である。その後に新しい抑圧が生ずることはないが、なお以前の抑圧は保たれていて、自我はその後も欲動制御 Triebbeherrschung のためにそれを利用しようとする。

新しい葛藤は、われわれの言い表し方をもってすれば「後の抑圧 Nachverdrängung」によって解決される。…分析は、一定の成熟に達して強化されている自我に、かつて未成熟で弱い自我が行った古い抑圧 alten Verdrängungen の訂正 Revision を試みさせる。…幼児期に成立した根源的抑圧過程 ursprünglichen Verdrängungsvorganges を成人後に訂正し、欲動強度 Triebsteigerung という量的要素がもつ巨大な力の脅威に終止符を打つという仕事が、分析療法の本来の作業であるといえよう。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)

ーー最終的には原抑圧とさえ言わず、抑圧といっているが、上の文の「抑圧」は「原抑圧」のことである。


※『自我とエス』1923年のいっけん奇妙な叙述についての注釈めいたものは、「一次過程/二次過程」におけるシステム無意識/システム前意識をめぐる箇所を参照のこと。

ここではフロイト自身の叙述は引用せず、ポール・バーハウの注釈のみ掲げる。

フロイトは、「システム無意識あるいは原抑圧」と「力動的無意識あるいは抑圧された無意識」を区別した。

システム無意識は欲動の核の身体への刻印であり、欲動衝迫の形式における要求過程化である。ラカン的観点からは、まずは過程化の失敗の徴、すなわち最終的象徴化の失敗である。

他方、力動的無意識は、「誤った結びつき eine falsche Verkniipfung」のすべてを含んでいる。すなわち、原初の欲動衝迫とそれに伴う防衛的エラヴォレーションを表象する二次的な試みである。言い換えれば症状である。

フロイトはこれをAbkömmling des Unbewussten(無意識の後裔)と呼んだ。これらは欲動の核が意識に至ろうとする試みである。この理由で、ラカンにとって、「力動的あるいは抑圧された無意識」は無意識の形成と等価である。力動的局面は症状の部分はいかに常に意識的であるかに関係する、ーー実に口滑りは声に出されて話されるーー。しかし同時に無意識のレイヤーも含んでいる。(ポール・バーハウ、2004、On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnostics)

核心のひとつは上に引用した『自我とエス』の《抑圧されない無意識的なもの nicht verdrängtes Ubw》である。すなわち《非抑圧的システム無意識》。

欲動の蠢き Triebregungen は、すべてシステム無意識 unbewußten Systemen にかかわる。(フロイト『快原理の彼岸』1920年)

バーハウの観点においては、フロイトは最終的に『夢判断』(1900年)以前の思考に戻ったのである。

翻訳の失敗、これが臨床的に抑圧と呼ばれるものである。Die Versagung der Übersetzung, das ist das, was klinisch <Verdrängung> heisst.»   (Brief an Fliess). (フリース書簡、1896)
抑圧 Verdrängung は、過度に強い対立表象 Gegenvorstellung の構築によってではなく、境界表象 Grenzvorstellung の強化によって起こる。

Die Verdrängung geschieht nicht durch Bildung einer überstarken Gegenvorstellung, sondern durch Verstärkung einer Grenzvorstellung(フロイト, フリース書簡、I January 1896)

これは前回1926年以降のフロイト自身が言っているのをみたように「防衛」概念ーー欲動の蠢き Triebregungen への防衛ーーに戻ったことにもかかわる。

不安の問題についての議論に関連して、私は一つの概念――もっと遠慮していうと一つの術語――をふたたび採用した。この概念は、三十年前に私の研究の初めにもっぱら採用したが、その後はすてておいたものである。私は防衛過程のことをいっているのである(『防衛―神経精神病』1894年)。そのうちに私はこの防衛過程という概念のかわりに、抑圧という概念をおきかえたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの防衛という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。(フロイト『制止、症状、不安』1926 年)