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2017年8月21日月曜日

「夜咲きすみれ Nachtviolen」

深更、本を読みながら漫然とBernarda Finkのシューベルトを聴いていた。

突然、閃光が走る、「夜咲きすみれ Nachtviolen」にこんなに美しい箇所があったのか、と。Bernarda Fink; "Nachtviolen"; Franz Schubert(1:38~

少し前に聴いたはずの、Schwarzkopf / Fischerで聴いてみる。たしかに同じくらい美しい。

でもいまはベルナルダ・フィンク Bernarda Finkがいい。なぜ彼女がいいのかはわからない。たぶん惚れた、ということだろう。惚れたということは「彼女のなかに私が書き込まれている」ということだ。

愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない。les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)
ある一つの細部が、私の読み取りを完全に覆してしまう。それは関心の突然変異であり、稲妻である。ある何ものかの徴がつけられることによって、写真はもはや任意のものでなくなる。そのある何ものかが一閃して、私の心に小さな震動を、悟りを、無の通過を生ぜしめたのでる(指向対象が取るに足りないものであっても、それは大して問題ではない)。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

下の二曲は、小学校五年のときに何度もくり返して聴いた(日本人の歌手のレコードで)。当時はシューベルトとシューマンばかり聴いていた。その一年前まではロシア民謡だった。自分から求めた記憶はない。たぶん母が与えてくれたレコード。シューベルトは身体に染みついている。

◆Franz Schubert - 'An den Mond' (D.193) - Bernarda Fink




◆Bernarda Fink sings Schubert's "Du bist die Ruh"