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2018年2月4日日曜日

ボクの原光景

ボクの原光景(原幻想)とはーーすくなくともそのひとつはーー、次のような風景であるのは何度か記した。



田んぼの真ん中の一本道
幼い子供たちの集まりのなか
独り不安な心持で佇んでいる
集団登園の初日
遠くに鎮守の森がみえる
ひどく遠い

たすきがけにしてぶら下げたハンカチ
他の幼児たちはみな白い色
彼だけは柄ものだった
だれかが指さして何かを言っている
彼は泣き出した

母が駆けつけてくる
上気して途惑った表情
母の魂の最初の皺
他の幼児たちの冷ややかなまなざし
この寄る辺なさを抱えたまま
見知らぬ子供たちとともに
母から離れて
あそこまで歩いていかなくてはならないのか


とはいえ鎮守の森は真正面にある光景である(ただし道は冒頭の写真のように草は生えていない)。




だがあれほどきれいな道ではなく、次のような感じである。



というわけで、この三つの写真をまぜあわせれば、ボクの原光景にぴったりくる。

そして、--である、そこに女が立っていたり歩いていたりすると(こちらに向かうのでもあちらに遠ざかるのでもよい)、「愛のオートマン l' automaton de l'amour」が起こる。

人は愛するとき、迷宮を彷徨う。愛は迷宮的である。愛の道のなかで、人は途方に暮れる。…

愛には、偶然性の要素がある。愛は、偶然の出会いに依存する。愛には、アリストテレス用語を使うなら、テュケー tuché、《偶然の出会い rencontre ou hasard 》がある。

しかし精神分析は、愛において偶然性とは対立する必然的要素を認めている。すなわち「愛の自動性 l' automaton de l'amour」である。愛にかんする精神分析の偉大な発見は、この審級にある。…フロイトはそれを《愛の条件 Liebes Bedingung》と呼んだ。(ミレール、「愛の迷宮Les labyrinthes de l'amour」 、Jacques-Alain Miller、1992、pdf

すなわち「女神アフロディーテの一撃」である。

愛とは女神アフロディーテの一撃だということは、古代においてはよく知られており、誰も驚くものではなかった。 L'amour, c'est APHRODITE qui frappe, on le savait très bien dans l'Antiquité, cela n'étonnait personne.(ラカン、S9、21 Février 1962)



ーーああ女神アフロディーテが遠ざかってゆく・・・

もっとも原光景のヴァリエーションがあって、神社の参道や並木道を歩く女でも愛の一撃が生じる場合がある。



京都北山にある府立植物園のけやき並木をかつてひどく愛したものである。




これは中学時代の学校からの帰り道ーーいやボクの家に向う帰り道ではなく、「恋人」を送っていく帰り道にあった一キロの牛川遊歩道の、京都版である。





けやきの葉のおののくのを思い
うなだれて下北の女の夕暮の
ふるさとのひと時のにぎわいを思う

ーー西脇順三郎


ああ、それから府立植物園脇の賀茂川の散策路、あの飛び石!



素足  谷川俊太郎

赤いスカートをからげて夏の夕方
小さな流れを渡ったのを知っている
そのときのひなたくさいあなたを見たかった
と思う私の気持ちは
とり返しのつかない悔いのようだ


ボクは京都西郊の嵐山のすぐそばの松尾ということろに10年弱住んでいたのだが、桂川よりもこの京都北郊の賀茂川近辺のほうを愛したのである。

もっとも週末にはあの竹林の道を早朝、自転車で駆け抜ける習慣があったので、馴染みすぎたせいで逆にことさらの愛着をもっていないせいかもしれないが。





わたくしは新しい土地に住むと、鎮守の森光景と並木道を探す習慣がある。(一人称単数代名詞がボクとわたくしと混在しているが、これは敢えて、である。とはいえナゼダロウカ?)

今住んでいる国の、都心から30キロほど離れた郊外の土地にもいくらか鎮守の森に向う道に似た風景がある。2キロほど先にあって、道はやや曲線を描いているのがタマニキズだが、黄昏時には鶴が飛び、水牛や家鴨の群が歩む。

さらに10キロほど先には、ゴム園があって季節によっては美しい並木の景色が開かれる。かつては、ここにもしばしば独りで訪れた、スクーターを駆って。

妻と息子をムリヤリ連れて行ったこともある。



ベルトルッチはきっと並木をこよなく愛した映画作家である。

◆Novecento Atto II La Liberazione2




ああ、それにもうひとつ。滋賀県琵琶湖湖畔にはすばらしいメタセコイアの並木道があった。




祇園のチーママに教えられて訪れたのだが、なぜかこの先には連れ込み宿が林立しているのである・・・

けやきの木の小路を
よこぎる女のひとの
またのはこびの
青白い
終りを

ーー西脇順三郎


並木は女と相性ががいい。海は独りで向いたいという心持をもっているが。

ほとんど毎日 YouTube に即興演奏はアップロードしているナウモフがこの一週間ばかりはそれがない。演奏旅行か、と思ったが、昨日、海の映像をアップしている。きっと海辺に旅行に行ってきたのだろう、おそらくひとりで。

◆Improvisation 5726



海、遠い海よ!と私は紙にしたためる。___ 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。(三好達治「郷愁」)