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2018年3月9日金曜日

逆光を浴びて祈る少女

ゴダールが24才のとき、母オディールは、45才にて、ローザンヌ近郊でモーターバイク事故で亡くなっているのを「ゴダールの母オディール」でみたが、ゴダール自身も41才のときモーターバイク事故にあっている。

1971年6月、ゴダールは、彼の編集者 Christine Marsollier が運転するモーターバイクの事故で重傷を負った。…ゴダールは2年半以上ののあいだ病院を出たり入ったりした。そのあいだ、当時の同志であったアンヌ=マリー・ ミエヴィル Anne-Marie Miéville に看護されて回復に向かった。(Wheeler W. Dixon、The Films of Jean-Luc Godard、1997)

こうして70年代の、いわゆる「隠遁時代」が始まる。

(Soft and Hard (Soft Talk on a Hard Subject Between Two Friends) 、1985)

この作品で、アンヌ=マリー・ ミエヴィルは、ゴダールの母が嫌ったらしい「ヴォ―州の主婦」をやっている、花を活けたり、アイロンをかけたり。

オディール・ゴダールにとって)田舎住いの主婦(ヴォー州の家政婦 Vaudois matron)の生活は彼女の趣味ではないのはほとんど疑いようがなかった。(Colin MacCabe、"Godard: A Portrait of the Artist at Seventy" 、2016ーーゴダールの母オディール)

アンヌは実際に、スイス・レマン湖畔のヴォー州ローザンヌ生まれである。

1945年11月11日、スイス・レマン湖畔のヴォー州ローザンヌに生まれる。本人の回想によれば家庭環境は「プチブル的」であり、自らの感情を表現することに抑圧的な環境であったという。

1960年代にローザンヌを離れて、フランス・パリに移り、短い期間、歌手として活動した。やがて長女を出産し、それと前後して写真家に転向する。

1970年、24歳のときにパリでゴダールと出逢う。(wiki)

「Soft and Hard」の冒頭には、ベートーベンの弦楽四重奏15番の3楽章、ーー「カルメンという名の女」でも使われたあの曲が流れる。「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と題されたモルト・アダージョである。

◆Beethoven, String Quartet 15 In A Minor, Op. 132, "Heiliger Dankgesang" - 3. Molto Adagio



ゴダールとアンヌは、1970年に出会ってその後、ともに癒されていったのだろうか? 

とはいえ快癒があろうとなかろうと、イマージの背後には無があるのはかわりはない。

確かにイマージュとは幸福なものだ。だがそのかたわらには無が宿っている。そしてイマージュのあらゆる力は、その無に頼らなければ、説明できない。(ゴダール『(複数の)映画史』「4B」)

ゴダールの映像に「強度」ーー《魂の調子は強度の波動である。La tonalité d'âme est une fluctuation d'intensité》(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』)ーーが際立っているとしたら、それはイマージュは無に支えられていることにほとんど常に自覚的だったからだろう。

ゴダールはヘーゲル読みである。

ゴダールは『JLG/自画像』で、二度、ネガに言及している。一度目は、湖畔でヘーゲルの言葉をノートに書きつけながら、「否定的なもの(le négatif)」を見すえることができるかぎりにおいて精神は偉大な力たりうると口にするときである。二度目は、風景(paysage)の中には祖国(pays)があるという議論を始めるゴダールが、そこで生まれただけの祖国と自分でかちとった祖国があるというときである。そこに、いきなり少年の肖像写真が挿入され、ポジ(le positif)とは生まれながらに獲得されたものだから、ネガ(le négatif)こそ創造されねばならないというカフカの言葉を引用するゴダールの言葉が響く。とするなら、描かれるべき「自画像」は、あくまでネガでなければならないだろう。(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』)

ここで人はヘーゲルの名高い「世界の夜」をまず想起すべきかもしれない。

人間存在は、すべてのものを、自分の不可分な単純さのなかに包み込んでいる世界の夜 Nacht der Weltであり、空無 leere Nichts である。人間は、無数の表象やイメージを内に持つ宝庫だが、この表象やイメージのうち一つも、人間の頭に、あるいは彼の眼前に現れることはない。この闇。幻影の表象に包まれた自然の内的な夜。この純粋自己 reines Selbst。こちらに血まみれの頭 blutiger Kopf が現れたかと思うと、あちらに不意に白い亡霊 weiße Gestalt が見え隠れする。一人の人間の眼のなかを覗き込むとき、この夜を垣間見る。その人間の眼のなかに、 われわれは夜を、どんどん恐ろしさを増す夜を、見出す。まさに世界の夜 Nacht der Welt がこのとき、われわれの現前に現れている。(ヘーゲル『現実哲学』イエナ大学講義録草稿 Jenaer Realphilosophie 、1805-1806)

さらには「カーテンの背後の無」を。

内面世界を隠蔽していると思われている、いわゆるカーテン Vorhange の背後には、無しかない(見られるべき何ものもない nichts zu sehen ist)、もし我々がカーテンの背後に廻り込まねば。我々が何ものかを見うるとするためには。あたかもカーテンの背後に見られうるべき何ものかがあると想定するためには。
この全き空無 ganz Leeren は至聖所 Heilige とさえ呼びうるものだが、しかしながら、そこにおいては何かがありうる doch etwas sei(と思念される)。我々は、その空無の穴埋めをせねばならない es müßte sich gefallen lassen、意識自体によって生み出される、空想(夢想 Träumereien)・仮象 Erscheinungen によって。何としても必死になって取り扱わねばならない何ものかがあると考えるのだ。というのは、何ものも空無よりはましであり、空想Träumereienでさえ空無 Leerheit よりはましだから。(ヘーゲル『精神現象学』Hegel, Phänomenologie des Geistes)

こういってもいい。

美は現実界に対する最後の防衛である。la beauté est la défense dernière contre le réel.(ジャック=アラン・ミレール、2014、L'inconscient et le corps parlantーー「美は恐ろしきものの始まり」)

言葉遣いは異なるにせよ、こういったことにゴダールはひどく自覚的だったのである。

だが現実界としての無とは何か? ここではラカン派にとっての無をいくらか示そう。

無、たぶん? いや、ーーたぶん無でありながら、無ではないもの
Rien, peut-être ? non pas – peut-être rien, mais pas rien(ラカン、S11, 12 Février 1964)

Barbara Cassinはこのラカンにこう言わせたかったとしている、《無ではなく、無以下のもの Pas rien, mais moins que rien (Not nothing, but less than nothing)》

ーージジェクの2012年の書名はここから来ている。無以下のものとは、ジジェクにとって空虚としての対象aである。

対象a の根源的両義性……対象a は一方で、幻想的囮/スクリーンを表し、他方で、この囮を混乱させるもの、すなわち囮の背後の空虚 void をあらわす。(ジジェク, Can One Exit from The Capitalist Discourse Without Becoming a Saint? ,2016)

(ゴダールが空虚の対象aの人であるなら、ゴダールの若い時代の同志トリュフォーは、幻想的囮/スクリーンとしての対象aの人としてほぼ終始しているという風にわたくしはみる)

この空虚あるいは穴 trou ( 穴ウマ troumatisme =トラウマ)としての対象aは、引力の力能をもつブラックホールのようなものといってもいいだろう(※穴Ⱥについての、いくらかの詳細は、「人はみな穴埋めをする」「S(Ⱥ) とS1という二つの超自我の徴」を見よ)。

ラカン派的無の解釈から、たとえばゴダールの「気狂いピエロ」のスチール画像とホアン・ミロの作品をためしに並べてみることさえできるように思う。







さて話を、わたくしには疎遠な哲学的難解さから、より具体的な記述に戻す。

アンヌ=マリー・ ミエヴィルは、2002年の作品『自由と祖国』でも「病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」を使っている(01.14あたりから)。

◆Liberté et Patrie - Jean-Luc Godard et Anne-Marie Miéville (2002)

 


しばらくするとレマン湖を背景にした逆光を浴びて祈る少女の姿が「聖なる感謝の歌」と重ねあわされるようにあらわれる。


Liberté et Patrie - Jean-Luc Godard et Anne-Marie Miéville (2002)

ーー無とは「暗闇に蔓延る異者としての女」でもある(参照:ひとりの女は異者として暗闇のなかに蔓延る

・「女というものは存在しない La femme n’existe pas」とは、女というものの場処 le lieu de la femme が存在しないことを意味するのではなく、この場処が本源的に空虚のまま lieu demeure essentiellement vide だということを意味する。場処が空虚だといっても、人が何ものかと出会う rencontrer quelque chose ことを妨げはしない。

・我々は、「無 le rien」と本質的な関係性を享受する主体を、女たち femmes と呼ぶ。私はこの表現を慎重に使用したい。というのは、ラカンの定義によれば、どの主体も、無に関わるのだから。しかしながら、ある一定の仕方で、女たちである主体が「無」を享受する関係性は、(男に比べ)より本質的でより接近している。 (ジャック=アラン・ミレール、1992, Des semblants dans la relation entre les sexes)

肝腎なのは、 《両性の準拠となるシニフィアンは一つだけしかない。それはファルスである》(ミレール、“El Piropo”)ことであり、つまりは《すべての話す存在 être parlant にとっての、「女性 Lⱥ femme」のシニフィアンの排除》(LES PSYCHOSES ORDINAIRES ET LES AUTRES sous transfert , 2018)がなされていることである(参照)。

そして、《女は、女にとっても追放されている。男にとってと同じように。La femme est aussi refoulée pour la femme que pour l'homme.》(Miller, Ce qui fait insigne, 1987) 。(通常「抑圧」と訳される語を「追放」と訳した理由は「防衛の一種としての抑圧」を見よ)

こうして人は、女はシニフィアンの水準では見いだせないからこそ、女について幻想をし、女の絵を描き、賛美し、写真や映画を撮って、その本質を探ろうとすることをやめないのである。 事実、小説でも映画でも、さらには巷間の些細な発話でも、男たちが女について夢想するように、女たちも男ではなく女を夢想している。

女の問題とは、(……)空虚な理想ーー象徴的機能――empty ideal‐symbolic function— を形作ることができないことにあるので、これがラカンが「女は存在しない」と主張したときの意図である。この不可能の「女」は、象徴的フィクションではなく、幻影的幽霊 fantasmatic specter であり、それは S1 ではなく対象 a である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012 、私訳)

⋯⋯⋯⋯

アンヌ=マリー・ ミエヴィルには、レマン湖畔の背景にした『マリーの本 Le livre de Marie』という短編がある(ゴダールの『カルメンという名の女」の次作『こんにちは、マリア(Je vous salue, Marie)との二部構成作品)。

◆Le livre de Marie (Anne-Marie Mièville, 1984)




この作品はゴダールの話をきいて作ったのではないだろうかと、すこしまえふと思ったのだが、アンヌの経歴を垣間見てみると、彼女自身の記憶にかかわるのかもしれない。だがすくなくとも、この離婚しつつある夫婦の娘は、ゴダールの姉妹たち、あるいはゴダール自身が投影されていてもおかしくない(参照:「ゴダールの母オディール」)。

◆Anne-Marie Mieville Book of Mary, 1985




いずれにせよ、二人は、1979年、活動拠点をスイスに移し、レマン湖畔の小村ロールノール通り15番地に工房を構えるようになった。

「ぼくはいまはもうパリに住むことはできない」と「神」は一九八九年に宣言している。「ぼくは国境地帯の住民、フランス系スイス人なんだ⋯⋯⋯⋯。ぼくは生まれて二カ月のときから、ジュネーヴとパリのあいだを行ったり来たりしている。両親や祖父母もいつもそれをしていた。それにぼくはいつも、二つの祖国の一方を捨てていた」(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』)

(JLG/自画像 JLG/JLG - autoportrait de décembre 1995年)

作家の伝記における孤独の強調にもかかわらず、完全な孤独で創造的たりえた作家を私は知らない。もっとも不毛な時に彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠である。多くの作家は「甘え」の対象を必ず準備している。逆に、それだけの人間的魅力を持ちえない、持ちつづけえない人はこの時期を通り抜けることができない。(中井久夫「創造と癒し序説」)


愛する者と一緒にいて、他のことを考える。そうすると、一番よい考えが浮かぶ。仕事に必要な着想が一番よく得られる。テクストについても同様だ。私が間接的に聞くようなことになれば、テキストは私の中に最高の快楽を生ぜしめる。読んでいて、何度も顔を挙げ、他のことに耳を傾けたい気持ちになればいいのだ。私は必ずしも快楽のテキストに捉えられているわけではない。それは移り気で、複雑で、微妙な、ほとんど落ち着きがないともいえる行為かもしれない。思いがけない顔の動き。われわれの聞いていることは何も聞かず、われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動きのような。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)



ひとりでいることは孤独のなかにあることとは違う。孤独という言葉は、たしかにほかに誰も一緒にいる人間がいなくとも、自分を相手としている状態を語るものとしたい。ひとりでいようが、それともほかの人間と一緒にいようが、自分を相手としていない時間、「誰かの不在が意識される」としても、それがほかの誰かというよりも自分自身の不在であるような瞬間が自己喪失と呼びたい(その逆に、愛とは、ほかの誰かがいるのに、まるでいないような意識が生じる場合だ)。孤独のなかにあること、それは他者がそこに、わたしの内部にいるという確実さの体験である。そのほかに孤立ということがある。この場合は他者も自己も不在なのだ。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド 孤独のアリア』)


(さらば、愛の言葉よ Adieu au Langage 2014年)

最後に、ここでの文脈とは関係なしに、このゴダール84才の作品「Adieu au Langage」で使われた、ジョルジュ・サンドゥが年下の作家アルフレドゥ・ドゥ・ミュッセに宛てた手紙の引用を掲げておく。

そう、あなたは若い。あなたは美しさと活力にみなぎっています。だから試みてください…。私はこれから死にます。アデュー、アデュー、あなたを手放したくない。あなたを取り戻したくない。なにも望みません。なにも。私は地に膝を突き、腰は砕けました。私になにも言わないでください。あなたは私を傷つけ、落ち込ませました。そして、あなたにこう言いもしました。「私たちはもう愛し合っていない。私たちは一度も愛し合っていなかった!」

Eh bien oui, vous êtes jeune. Vous êtes dans votre beauté, dans votre force. Essayez donc… Moi, je vais mourir. Adieu, adieu, que je ne veux pas vous quitter, je ne veux pas vous reprendre, je ne veux rien, rien, j’ai les genoux par terre, et les reins brisés. Ne me parlez de rien. Vous m’aviez blessée et offensée, et je vous l’avait dit aussi. Nous ne nous aimons plus. Nous ne nous sommes jamais aimés!(ジョルジュ・サンドゥ、ミュッセ宛書信)