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2018年7月31日火曜日

おまんこのにおいに包まれること

死のしづけさのにほひ」から引き続くけど
ベルトルッチは偉大だね
彼はよく知ってる、
おまんこは舐めたり突っついたりする
のが核心じゃないんだ
そうじゃなくてにおいに包まれることさ
その伴奏としての囀り声とね





突っつくのだって
鍵をさして匂いの扉を開けることだよ
視覚偏重の文明人のみなさんだけだな
それに気づいてないのは




いやあ、塩田明彦の『月光の囁き』はじつに偉大な作品だな

⋯⋯⋯⋯

フロイトの抑圧の核心は次の文にある。

翻訳の失敗、これが臨床的に「抑圧」と呼ばれるものである。Die Versagung der Übersetzung, das ist das, was klinisch <Verdrängung> heisst. (フロイト「フリース書簡 Brief an Flies、1896)

不幸にも「抑圧」と訳されてしまった"Verdrängung"の本来の意味は
まずなによりも「追放」・「放逐」だ。
でもそれだけじゃない。
身体的なものは心的なものに翻訳されない
これが「抑圧」であり「固着」なんだ。

ラカンの現実界は、フロイトの無意識の臍であり、固着のために「置き残される(居残る)」原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、「身体的なもの」が「心的なもの」に移し変えられないことである。(ポール・バーハウPaul Verhaeghe2001, BEYOND GENDER )

この「置き残し」の類似語は、フロイトのテキストのあらゆるところに現れる。
これまでのフロイト解釈は99パーセント寝言しか言っていない。

実際のところ、分析経験によって想定を余儀なくさせられることは、幼児期の純粋な出来事的経験 rein zufällige Erlebnisseが、欲動の固着 (リビドーの固着 Fixierungen der Libido )を置き残す hinterlassen 傾向がある、ということである。(フロイト 『精神分析入門』第23章 「症状形成へ道 DIE WEGE DER SYMPTOMBILDUNG」、1917

最近、ようやくラカン主流派がフロイトの核心「抑圧ー固着」に気づくようになったけどさ。

「一」と「享楽」とのつながりとしての固着 la fixation comme connexion du Un et de la jouissance。⋯⋯⋯

「一」Unと「享楽」jouissanceとのつながりが分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。⋯⋯

抑圧 Verdrängung はフロイトが固着 Fixierung と呼ぶもののなかに基盤がある。フロイトは、欲動の居残り(欲動の置き残し arrêt de la pulsion)として、固着を叙述した。通常の発達とは対照的に、或る欲動は居残る une pulsion reste en arrière。そして制止inhibitionされる。フロイトが「固着」と呼ぶものは、そのテキストに「欲動の固着 une fixation de pulsion」として明瞭に表現されている。リビドー発達の、ある点もしくは多数の点における固着である。Fixation à un certain point ou à une multiplicité de points du développement de la libido(ミレール2011, L'être et l'un、IX. Direction de la cure)

これがラカンのサントームだよ、すなわち原症状。
→「母による身体上の刻印と距離(サントームをめぐって)

ま、それはこの際どうでもいいさ、
ラカン派というのはほとんどマヌケしかいないからな

で、ボクの場合の原固着は、なによりもまず「おまんこのにおい」だな。

母へのエロス的固着の残余 Rest der erotischen Fixierung an die Mutter は、しばしば母 への過剰な依存 übergrosse Abhängigkeit 形式として居残る。そしてこれは女への隷属 Hörigkeit gegen das Weib として存続する。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版 1940 年)