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2018年9月10日月曜日

プルーストの静止画像

まず最初に、このところ繰り返している「静止画像」をめぐる基本的認識をいくらか遠回りしつつも可能な限り簡潔にまとめる。


【不変の刻印として永続する記憶】
PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)
トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma …それは不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge である。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


【身体の上への刻印(固着)=トラウマへの固着】
症状(サントーム・原症状)は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)
身体の出来事 événement de corpsは、トラウマの審級 ordre du traumatismeにある。衝撃 choc、不慮の出来事 contingence、純粋な偶然 pur hasardの審級に。…この身体の出来事は、固着の対象 objet d'une fixationである。(ジャック=アラン・ミレール 、L'Être et l'Un 、2 février 2011 )


【心の間歇と解離】
(プルーストの)「心の間歇 intermittence du cœur」は「解離 dissociation」と比較されるべき概念である。…

解離していたものの意識への一挙奔入…。これは解離ではなく解離の解消ではないかという指摘が当然あるだろう。それは半分は解離概念の未成熟ゆえである。フラッシュバックも、解離していた内容が意識に侵入することでもあるから、解離の解除ということもできる。反復する悪夢も想定しうるかぎりにおいて同じことである。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」2007年)
遅発性の外傷性障害がある。(……)これはプルーストの小説『失われた時を求めて』の、母をモデルとした祖母の死後一年の急速な悲哀発作にすでに記述されている。ドイツの研究者は、遅く始まるほど重症で遷延しやすいことを指摘しており、これは私の臨床経験に一致する。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・外傷・記憶』)
私には、『失われた時を求めて』の話者の記憶は、抑圧を解除されたフロイト的記憶よりも外傷的なジャネの記憶の色を帯びているように思える。プルーストの心の傷の中には、母親に暴言を吐き、ひょっとすると暴力を振るってしまったことによる傷があっても不思議ではないと私は思う(『ジャン・サントゥイユ』あるいはペインターの『プルースト伝』参照。私は初めて『失われた時を求めて』を読んだ時、作家は家庭内暴力を経ている人ではないかと思った)。もっとも、『失われた時を求めて』は贖罪の書では決してない。むしろ、世界を論理的に言葉で解析しつくそうとするドノヴァンとマッキンタイアのいう子どもの努力のほうに近いだろう。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」初出2007年『日時計の影』所収)


【解離と静止画像】
解離とその他の防衛機制との違いは何かというと、防衛としての解離は言語以前ということです。それに対してその他の防衛機制は言語と大きな関係があります。…解離は言葉では語り得ず、表現を超えています。その点で、解離とその他の防衛機制との間に一線を引きたいということが一つの私の主張です。PTSDの治療とほかの神経症の治療は相当違うのです。

(⋯⋯)侵入症候群の一つのフラッシュバックはスナップショットのように一生変わらない記憶で三歳以前の古い記憶形式ではないかと思います。三歳以前の記憶にはコンテクストがないのです。⋯⋯コンテクストがなく、鮮明で、繰り返してもいつまでも変わらないというものが幼児の記憶だと私は思います。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)

ーースナップショット、すなわち静止画像である。

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)

隠蔽記憶と「暗闇に蔓延る異者としての身体」


隠蔽記憶(スクリーンメモリー souvenir-écran、Deckerinnerung )はたんに静止画像(スナップショット instantané)ではない。記憶の流れ(歴史 histoire)の中断 interruption である。記憶の流れが凍りつき fige 留まる arrête 瞬間、同時にヴェールの彼岸 au-delà du voile にあるものを追跡する動きを示している。(ラカン、S4 30 Janvier 1957 )
スクリーンはたんに現実界を隠蔽するものではない L'écran n'est pas seulement ce qui cache le réel。スクリーンはたしかに現実界を隠蔽している ce qui cache le réel が、同時に現実界の徴でもある(示している indique)。…我々は隠蔽記憶(スクリーンメモリー souvenir écran)を扱っているだけではなく、幻想 fantasme と呼ばれる何ものかを扱っている。そしてフロイトが表象représentationと呼んだものではなく、フロイトの表象代理 représentant de la représentation を扱わねばならないのである。(ラカン、S13、18 Mai 1966 )


【解離と原抑圧】

上でラカンは、スクリーン(隠蔽記憶・スクリーンメモリー)を思考する上で、《フロイトの表象代理 représentant de la représentation を扱わねばならない》と言っているが、フロイトの「表象代理」は原抑圧にかかわる語である。

表象代理 Vorstellungsrepräsentanzは、原抑圧の中核 le point central de l'Urverdrängung を構成する。(ラカン、セミネール11、1964、03 Juin 1964)

さらに以下の中井久夫の文に、フロイトの「排除 Verwerfung(外に放り投げる)」概念が出現するが、排除とはフロイト、ラカンにとってこれまた原抑圧(=リビドーの固着)にかかわる語である。

サリヴァンも解離という言葉を使っていますが、これは一般の神経症論でいる解離とは違います。むしろ排除です。フロイトが「外に放り投げる」という意味の Verwerfung という言葉で言わんとするものです。サリヴァンは「人間は意識と両立しないものを絶えずエネルギーを注いで排除しているが、排除するエネルギーがなくなると排除していたものがいっせいに意識の中に入ってくるのが急性統合失調症状態だ」と言っています。自我の統一を保つために排除している状態が彼の言う解離であり、これは生体の機能です。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)

繰り返せば、ここで中井久夫が言っている「神経症の解離/サリヴァンの解離」とは、フロイト・ラカン派の「抑圧/原抑圧」と相同的である。

抑圧(追放・放逐)の場合、追い出されたものは象徴界(言語秩序)のなかに隠喩として回帰する。他方、原抑圧(排除・外に放り投げる)は、象徴界の外に放り投げられて、象徴界(言語秩序)への回帰はなく、言語外において不気味な反復強迫を起こす。

自我は堪え難い表象unerträgliche Vorstellung をその情動 Affekt とともに 排除 verwirftし、その表象が自我には全く接近しなかったかのように振る舞う。(フロイト『防衛-神経精神病 Die Abwehr-Neuropsychosen』1894年)
排除 Verwerfung の対象は現実界のなかに再び現れる qui avait fait l'objet d'une Verwerfung, et que c'est cela qui réapparaît dans le réel. (ラカン、S3, 11 Avril 1956)
象徴界に排除(拒絶 rejeté)されたものは、現実界のなかに回帰する Ce qui a été rejeté du symbolique réparait dans le réel.(ラカン、S3, 07 Décembre 1955)
心的無意識のうちには、欲動の蠢き Triebregungen から生ずる反復強迫Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越 über das Lustprinzip するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。(フロイト『不気味なもの Unheimliche』1919)

※より詳しくは、「女性の享楽と自閉症的享楽」に文献の列挙がある。

したがって中井久夫は、外傷性障害を考えるうえで、原抑圧(言語秩序の外に放り投げる)の領域にあるフロイト概念「現実神経症」(現勢神経症)について思考するようになっている(参照:外傷神経症と現勢神経症

現実神経症と外傷神経症との相違は、何によって規定されるのであろうか。DSM体系は外傷の原因となった事件の重大性と症状の重大性によって限界線を引いている。しかし、これは人工的なのか、そこに真の飛躍があるのだろうか。

目にみえない一線があって、その下では自然治癒あるいはそれと気づかない精神科医の対症的治療によって治癒するのに対し、その線の上ではそういうことが起こらないうことがあるのだろう。心的外傷にも身体的外傷と同じく、かすり傷から致命的な重傷までの幅があって不思議ではないからである。しかし、DSM体系がこの一線を確実に引いたと見ることができるだろうか。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)

フロイトを引用すれば次の通り。

原抑圧 Verdrängungen は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現れ、抑圧Verdrängungenは精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。

(……)現勢神経症 Aktualneurosen の基礎のうえに、精神神経症 Psychoneurosen が発達する。…外傷性戦争神経症 traumatischen Kriegsneurosen という名称はいろいろな障害をふくんでいるが、それを分析してみれば、おそらくその一部分は現勢神経症 Aktualneurosen の性質をわけもっているだろう。(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

ラカン派語彙群を合せて示せばこうなる。



ーーラカン概念で言えば、左側が象徴界の症状、右側が現実界の症状である。そしてラカンにとって現実界とは実質上、トラウマ界である(参照)。

現実界は、(言語に)同化不能 inassimilable の形式、トラウマの形式 la forme du trauma にて現れる。le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma(ラカン、S11、12 Février 1964)
私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。…これは触知可能である…人がレミニサンスréminiscenceと呼ぶものに思いを馳せることによって。…レミニサンス réminiscence は想起 remémoration とは異なる。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)

ーーここでラカンは「レミニサンス réminiscence/想起 remémoration」という語を口に出すことによって、プルーストの「無意志的記憶 mémoire involontaire/意志的記憶 mémoire volontaire」と相同的なことを言っている。


さていま上に掲げた図に関して、ジャック=アラン・ミレールのセミネール2005をさらに示せば次の通り。


ここでは簡潔に言えば、現勢神経症が原抑圧(排除)にかかわる言語外(身体的なもの)の症状であり、精神神経症が抑圧(放逐)にかかわる言語内(心的なもの)の症状である(一般にフロイト文脈で語られる「神経症」とは精神神経症を示す。他方、現勢神経症概念はフロイト研究者のあいだでさえ一部を除き、現在ほとんど忘れられている)。

そして中井久夫の言う《(プルーストの)「心の間歇 intermittence du cœur」は「解離 dissociation」と比較されるべき概念》とは、心の間歇は外傷神経症(現勢神経症)の一種ではないか、と言っていると捉えられる。

⋯⋯⋯⋯

さて、プルーストの静止画像(スナップショット)の叙述箇所(心の間歇 intermittences du cœur)である(プルースト は『失われた時を求めて』の題名を『心の間歇 』にしようと当初は考えていた)。

以下、小説のなかの話者による「祖母についての心の間歇」だが、上に引用した中井久夫の言うように《母をモデルとした祖母の死後一年の急速な悲哀発作》にかかわる。


◆プルースト「ソドムとゴモラⅠ」「心情の間歇」の章より(井上究一郎訳、p.266~)

【私の全人間の転倒】
私の全人間の転倒。夜がくるのを待ちかねて、疲労のために心臓の動悸がはげしく打って苦しいのをやっとおさえながら、私はかがんで、ゆっくり、用心深く、靴をぬごうとした。ところが半長靴の最初のボタンに手をふれたとたんに、何か知らない神聖なもののあらわれに満たされて私の胸はふくらみ、嗚咽に身をゆすられて、どっと目から涙が流れた。いま私をたすけにやってきて魂の枯渇を救ってくれたものは、数年前、おなじような悲しみと孤独のひとときに、自我を何ももっていなかったひとときに、私のなかにはいってきて、私を私自身に返してくれたのとおなじものであった、自我であるとともに、自我以上のもの moi et plus que moi (内容をふくみながら、内容よりも大きな容器、そしてその内容を私につたえてくれる容器 )だったのだ。

Bouleversement de toute ma personne. Dès la première nuit, comme je souffrais d'une crise de fatigue cardiaque, tâchant de dompter ma souffrance, je me baissai avec lenteur et prudence pour me déchausser. Mais à peine eus-je touché le premier bouton de ma bottine, ma poitrine s'enfla, remplie d'une présence inconnue, divine, des sanglots me secouèrent, des larmes ruisselèrent de mes yeux. L'être qui venait à mon secours, qui me sauvait de la sécheresse de l'âme, c'était celui qui, plusieurs années auparavant, dans un moment de détresse et de solitude identiques, dans un moment où je n'avais plus rien de moi, était entré, et qui m'avait rendu à moi-même, car il était moi et plus que moi (le contenant qui est plus que le contenu et me l'apportait).


【私の真の祖母の顏】
私はいま、記憶のなかに、あの最初の到着の夕べのままの祖母の、疲れた私をのぞきこんだ、やさしい、気づかわしげな、落胆した顔を、ありありと認めたのだ、それは、いままで、その死を哀悼しなかったことを自分でふしぎに思い、気がとがめていたあの祖母、名前だけの祖母、そんな祖母の顔ではなくて、私の真の祖母の顔であった。彼女が病気の発作を起こしたあのシャン=ゼリゼ以来はじめて、無意志的で完全な回想 souvenir involontaire et complet のなかに、祖母の生きた実在 réalité vivante を見出したのだ。そのような実在 réalité は、それがわれわれの思考によって再創造されなければわれわれに存在するものではない(そうでないなら、大規模な戦闘に加わった人間はことごとく偉大な叙事詩人になるはずだ)、こうして私は、彼女の腕のなかにとびこみたいはげしい欲望にかきたてられ、たったいまーーその葬送後一年以上も過ぎたときに、しばしば事実のカレンダーを感情のそれに一致させることをさまたげるあの時間の錯誤のためにーーはじめて祖母が死んだことを知ったのだ。

Je venais d'apercevoir, dans ma mémoire, penché sur ma fatigue, le visage tendre, préoccupé et déçu de ma grand'mère, telle qu'elle avait été ce premier soir d'arrivée, le visage de ma grand'mère, non pas de celle que je m'étais étonné et reproché de si peu regretter et qui n'avait d'elle que le nom, mais de ma grand'mère véritable dont, pour la première fois depuis les Champs-Élysées où elle avait eu son attaque, je retrouvais dans un souvenir involontaire et complet la réalité vivante. Cette réalité n'existe pas pour nous tant qu'elle n'a pas été recréée par notre pensée (sans cela les hommes qui ont été mêlés à un combat gigantesque seraient tous de grands poètes épiques) ; et ainsi, dans un désir fou de me précipiter dans ses bras, ce n'était qu'à l'instant – plus d'une année après son enterrement, à cause de cet anachronisme qui empêche si souvent le calendrier des faits de coïncider avec celui des sentiments – que je venais d'apprendre qu'elle était morte.


【記憶の富の明細書の不渡り】
なるほどあれ以来、たびたび彼女のことを語り、また彼女のことを思った、しかし恩知らずな、利己主義な、冷酷な若者の私の言葉や思考の底には、祖母に似たものは何一つなかった、なぜなら、浮薄で、快楽を好む私、病気の彼女を見慣れていた私は、自分のなかに、彼女の在世のころの回想を、仮の状態でしか入れていなかったからだ。いつどんなときに考察しても、われわれの魂の総体などというものは、ほとんど架空の価値しかもたないものである。そこにふくまれている富の明細書がいくらあってもそれを全体としてとらえることはできない、かならずどこか一方に、不渡りがあるからである。このことはまた、想像の内容についても、現実の内容についても同様で、私の場合、たとえばゲルマントの古い名についても、さらにどれほどか重要な祖母の真の思出についても、おなじことがいえた。

J'avais souvent parlé d'elle depuis ce moment-là et aussi pensé à elle, mais sous mes paroles et mes pensées de jeune homme ingrat, égoïste et cruel, il n'y avait jamais rien eu qui ressemblât à ma grand'mère, parce que dans ma légèreté, mon amour du plaisir, mon accoutumance à la voir malade, je ne contenais en moi qu'à l'état virtuel le souvenir de ce qu'elle avait été. À n'importe quel moment que nous la considérions, notre âme totale n'a qu'une valeur presque fictive, malgré le nombreux bilan de ses richesses, car tantôt les unes, tantôt les autres sont indisponibles, qu'il s'agisse d'ailleurs de richesses effectives aussi bien que de celles de l'imagination, et pour moi, par exemple, tout autant que de l'ancien nom de Guermantes, de celles, combien plus graves, du souvenir vrai de ma grand'mère.


【記憶の混濁 troubles de la mémoireと心の間歇 intermittences du cœur】
というのも、記憶の混濁 troubles de la mémoire には心情の間歇 les intermittences du cœur がつながっているからだ。われわれの内的な機能の所産のすべて、すなわち過去のよろこびとか苦痛とかのすべてが、いつまでも長くわれわれのなかに所有されているかのように思われるとすれば、それはわれわれの肉体の存在のためであろう、肉体はわれわれの霊性が封じこまれている瓶のように思われているからだ。同様に、そんなよろこびや苦痛が、姿を消したり、舞いもどってきたりすると思うのも、おそらく正しくないであろう。とにかく、そうしたものがわれわれのなかに残っているとしても、多くの場合、それはしらじらしい領域に、もうわれわれにとってなんの役にも立たないものになって残っているだけであって、そのなかでもっとも役に立つものさえ、ちがったさまざまな種類の回想の逆流を受けるわけであり、それとてもまた、元の感情との同時性は、意識のなかでは全然望まれないのである。

Car aux troubles de la mémoire sont liées les intermittences du cœur. C'est sans doute l'existence de notre corps, semblable pour nous à un vase où notre spiritualité serait enclose, qui nous induit à supposer que tous nos biens intérieurs, nos joies passées, toutes nos douleurs sont perpétuellement en notre possession. Peut-être est-il aussi inexact de croire qu'elles s'échappent ou reviennent. En tout cas, si elles restent en nous c'est, la plupart du temps, dans un domaine inconnu où elles ne sont de nul service pour nous, et où même les plus usuelles sont refoulées par des souvenirs d'ordre différent et qui excluent toute simultanéité avec elles dans la conscience.


【祖母が私のほうに身をかがめたあの瞬間】
ところが、よろこびや苦痛のはいっている感覚の枠ぶちがふたたびとらえられるならば、こんどはそのよろこびや苦痛は、相容れない他人をすべて排斥して、ただ一つ生みの親である自我をわれわれのなかに定着する力をもつものである。ところで先ほど、たちまち私に復帰した自我は、祖母がバルベックに着いたときに、上着と靴とのボタンをとってくれたあの遠い晩以来あらわれたことがなかったので、祖母は私のほうに身をかがめたあの瞬間にいま私がぴったり一致したのは、あの自我のかかわり知らぬきょうのひるの一日のあとにではなくーー時のなかにはいくつものちがった系列が並行して存在するかのようにーー時間の連続を中断することなしに、ごく自然に、かつてのバルベック到着第一夜ののちに、じかにつづいてであった。

Mais si le cadre de sensations où elles sont conservées est ressaisi, elles ont à leur tour ce même pouvoir d'expulser tout ce qui leur est incompatible, d'installer seul en nous, le moi qui les vécut. Or, comme celui que je venais subitement de redevenir n'avait pas existé depuis ce soir lointain où ma grand'mère m'avait déshabillé à mon arrivée à Balbec, ce fut tout naturellement, non pas après la journée actuelle, que ce moi ignorait, mais – comme s'il y avait dans le temps des séries différentes et parallèles – sans solution de continuité, tout de suite après le premier soir d'autrefois que j'adhérai à la minute où ma grand'mère s'était penchée vers moi.


【長いあいだ失っていた当時の自我】
あんなに長いあいだ失っていた当時の自我は、いまふたたび私に非常に近くせまったので、はっきり目のさめない人が、消えてゆく夢を追いながら、その夢のなかの物音をごく身近に感じるように、上着と靴とをぬがせてくれる直前に祖母の口から出た、いまではもう夢でしかない言葉までが、まだきこえるような気がした。私はもはや、祖母の腕のなかにとびこんで、接吻しながら、彼女の心配そうな表情を消そうとしている存在でしかなかった、そういう存在を、もし私が、しばらくまえまで私のなかに継起していた存在のままで想像するとしたら、ずいぶん困難であっただろうし、同様に、いま、もし私が、すくなくともひとときもはや私を離れている元の存在の、欲求やよろこびを感じようとすれば、やはり努力を、それも空しい努力を要したであろう。私は思いだすのだった、祖母が買物先から帰ってきて、ガウンを着てあのように私の半長靴のほうに身をかがめてくれるまでの一時間というもの、暑さに息づまりそうなホテルのまえの通をあちこちしながら、菓子屋の店先で、一刻も早く彼女の接吻を受けたい欲求に、もうこれ以上ひとりで待っていることはとてもできないとどんなに思いつめたかを。そして、そのおなじ欲求がふたたびあらわれたいま、私は知るのだった、いまの私は何時間でも待つことができるのに、祖母はもう二度と私のそばに帰ってこないことを、それがやっとわかったのは、いまにも張りさけるばかりに胸を詰まらせながら、はじめて、生きた、真の、祖母を感じたことによって、つまり彼女をふたたび見出したことによって、永久に彼女を失ってしまったと気づいたからである。

Le moi que j'étais alors, et qui avait disparu si longtemps, était de nouveau si près de moi qu'il me semblait encore entendre les paroles qui avaient immédiatement précédé et qui n'étaient pourtant plus qu'un songe, comme un homme mal éveillé croit percevoir tout près de lui les bruits de son rêve qui s'enfuit. Je n'étais plus que cet être qui cherchait à se réfugier dans les bras de sa grand'mère, à effacer les traces de ses peines en lui donnant des baisers, cet être que j'aurais eu à me figurer, quand j'étais tel ou tel de ceux qui s'étaient succédé en moi depuis quelque temps, autant de difficulté que maintenant il m'eût fallu d'efforts, stériles d'ailleurs, pour ressentir les désirs et les joies de l'un de ceux que, pour un temps du moins, je n'étais plus. Je me rappelais comme une heure avant le moment où ma grand'mère s'était penchée ainsi, dans sa robe de chambre, vers mes bottines ; errant dans la rue étouffante de chaleur, devant le pâtissier, j'avais cru que je ne pourrais jamais, dans le besoin que j'avais de l'embrasser, attendre l'heure qu'il me fallait encore passer sans elle. Et maintenant que ce même besoin renaissait, je savais que je pouvais attendre des heures après des heures, qu'elle ne serait plus jamais auprès de moi, je ne faisais que de le découvrir parce que je venais, en la sentant, pour la première fois, vivante, véritable, gonflant mon cœur à le briser, en la retrouvant enfin, d'apprendre que je l'avais perdue pour toujours.


◆同「心情の間歇」の章 p.270~

【祖母に口走ったひどい言葉】
しばらくのあいだ味わった先ほどの快感にひきかえて、いま私が味わうことのできるものがあるとすれば、それはただ一つ、過去にふたたびふれながら、あのときの祖母の心痛をすくなくしてやれたらと思うことだった。ところで、私が思いうかべたのは、単に彼女のあのガウン姿、おそらくからだのためによくなかったろうに私のためにする苦労ならかえって心地よさそうにさえ見える疲れた彼女の、そんな場合のつきものであり、ほとんど象徴となってしまったあのガウン姿、それだけの祖母ではなくて、いまや私の回想は次第にほぐれ、自分の苦しみを彼女の目に入れ、いざとなればむりにも苦しみを誇張して見せつけながら、祖母を心配させてそのあと自分の接吻でぬぐいとれるものと想像し、自分のそうしたやさしさが、自分の幸福とおなじように彼女の幸福をもつくりだすことができると思って、あらゆる機会をとらえたのを思いだしたのだ。それよりももっとわるいことは、いまでこそ回想のなかで、盛りあがる愛情にかしげられたあの顔の傾きをふたたび見ながら、せめてそれがよろこびの色をたたえていてくれたらそれにまさる幸福はないだろうとくやむ私が、かつてはあの顔から、無謀にもいささかの快感の影さえ根こぞぎにしようとして躍起になったことがあったのであって、たとえば、サン=ルーが祖母の写真をとってくれたときがそうであったが、その日、大きなふちの帽子をかぶり、自分に適した薄あかりのなかにポーズをしようとして祖母のつくり嬌姿がほとんどこっけいなまでい子供っぽいのを、祖母にだまっていることができなくて、思わず私は、人を傷つけるような言葉を、いらだたしげに、二こと三こと口走ったのだったが、それが祖母の神経にひびいて、彼女の感情を害したらしく、つとしかめた顔に私はそれを読みとったのだった、惜気もなくあたえられたあの接吻のなぐさめを求めることが永久に不可能となったいま、自分の口走ったひどい言葉に身をさかれるのはこの私だった。

Au lieu des plaisirs que j'avais eus depuis quelque temps, le seul qu'il m'eût été possible de goûter en ce moment c'eût été, retouchant le passé, de diminuer les douleurs que ma grand'mère avait autrefois ressenties. Or, je ne me la rappelais pas seulement dans cette robe de chambre, vêtement approprié, au point d'en devenir presque symbolique, aux fatigues, malsaines sans doute, mais douces aussi, qu'elle prenait pour moi ; peu à peu voici que je me souvenais de toutes les occasions que j'avais saisies, en lui laissant voir, en lui exagérant au besoin mes souffrances, de lui faire une peine que je m'imaginais ensuite effacée par mes baisers, comme si ma tendresse eût été aussi capable que mon bonheur de faire le sien ; et pis que cela, moi qui ne concevais plus de bonheur maintenant qu'à en pouvoir retrouver répandu dans mon souvenir sur les pentes de ce visage modelé et incliné par la tendresse, j'avais mis autrefois une rage insensée à chercher d'en extirper jusqu'aux plus petits plaisirs, tel ce jour où Saint-Loup avait fait la photographie de grand'mère et où, ayant peine à dissimuler à celle-ci la puérilité presque ridicule de la coquetterie qu'elle mettait à poser, avec son chapeau à grands bords, dans un demi-jour seyant, je m'étais laissé aller à murmurer quelques mots impatientés et blessants, qui, je l'avais senti à une contraction de son visage, avaient porté, l'avaient atteinte ; c'était moi qu'ils déchiraient, maintenant qu'était impossible à jamais la consolation de mille baisers.


【記憶を打ちこんでいるこの釘】
しかし、あのしかめ面、あの祖母の心の苦しみは、いつまでも消しさることができないであろう、いや消しされないのはむしろ私の心の苦しみだった、なぜなら、死んだ人たちは、もはやわれわれのなかにしか存在しないので、彼らに加えた打撃を執拗に思いだすとき、われわれはたえず自身を打ちのめすことになるからである。そうした苦痛がどんなに残酷であっても、私はそれに懸命いかじりつくのであった、その苦痛こそ、祖母の回想の結果であり、祖母の回想がたしかに私のなかにあらわれているという証拠であることを、自分に切実に感じたからである。私は感じるのだった、祖母を真に思いだすのはもはや苦痛によってでしかないことを、それならば、祖母の記憶を打ちこんでいるこの釘が、もっとしっかり私のなかに食い入ってくれればいい。

Mais jamais je ne pourrais plus effacer cette contraction de sa figure, et cette souffrance de son cœur, ou plutôt du mien ; car comme les morts n'existent plus qu'en nous, c'est nous-mêmes que nous frappons sans relâche quand nous nous obstinons à nous souvenir des coups que nous leur avons assénés. Ces douleurs, si cruelles qu'elles fussent, je m'y attachais de toutes mes forces, car je sentais bien qu'elles étaient l'effet du souvenir de ma grand'mère, la preuve que ce souvenir que j'avais était bien présent en moi. Je sentais que je ne me la rappelais vraiment que par la douleur, et j'aurais voulu que s'enfonçassent plus solidement encore en moi ces clous qui y rivaient sa mémoire.


【私のなかで交錯する残存者と虚無とのふしぎな矛盾】
彼女の写真に(サン=ルーがとってくれて、私が肌身離さずもっている写真に)、わかれていても生き生きとした個性をつたえ、つきない調和にむずばれて心に残る、そういう親しい人にたいするように、言葉をかけたり祈をささげたりしながら、苦しみをもっとやわらげ、それを美化し、祖母が単に不在でしばらく姿を見せないだけであると想像する、そういうことにつとめようとは私はしなかった。けっしてやらなかった、なぜなら、単に苦しむことをねがっただけではなく、私が受けた苦しみの独特さを、私がふいに、無意志で、それを受けた状態のままで、尊敬してゆこうとしたからだ、そして、私のなかで交錯する残存者と虚無とのそのようなふしぎな矛盾が立ちあらわれるたびに、私は自分の苦しみがもつ掟にしたがって、いつまでもその苦しみを受けてゆこうと思ったからだ。いまは解きにくい、ひどい苦痛の、この印象から、いつか多少の真理をひきだすようになるかどうかはたしかではなかったが、万一わずかの真理をいつかひきだすことができるとしたら、それは、理知によって強められることもなく、無気力によって減じることのない、特異な、偶発的な、この印象からでしかありえないであろうこと、とにかく死そのものが、死の突然の啓示が、稲妻のようにくだって、ふしぎな無慈悲な記号で、二つにさけた、神秘なみぞのように、私のなかにうがってしまったこの印象からでしかありえないであろうことを知るのだった。(祖母を思わずに暮らしてきたいままでの忘却はといえば、そこから真理をひきだすためにそれに心を傾けようとは考えることさえできなかった。それもそのはずで、忘却そのもののなかには否定よりほかの何物もなく、そこには、人生の真実を再生することができない思考の衰退、真実の瞬間のかわりに習慣的なよそよそしい映像を置きかえなくてはならないような思考の衰退があるばかりだ。) 

Je ne cherchais pas à rendre la souffrance plus douce, à l'embellir, à feindre que ma grand'mère ne fût qu'absente et momentanément invisible, en adressant à sa photographie (celle que Saint-Loup avait faite et que j'avais avec moi) des paroles et des prières comme à un être séparé de nous mais qui, resté individuel, nous connaît et nous reste relié par une indissoluble harmonie. Jamais je ne le fis, car je ne tenais pas seulement à souffrir, mais à respecter l'originalité de ma souffrance telle que je l'avais subie tout d'un coup sans le vouloir, et je voulais continuer à la subir, suivant ses lois à elle, à chaque fois que revenait cette contradiction si étrange de la survivance et du néant entre-croisés en moi. Cette impression douloureuse et actuellement incompréhensible, je savais non certes pas si j'en dégagerais un peu de vérité un jour, mais que si, ce peu de vérité, je pouvais jamais l'extraire, ce ne pourrait être que d'elle, si particulière, si spontanée, qui n'avait été ni tracée par mon intelligence, ni atténuée par ma pusillanimité, mais que la mort elle-même, la brusque révélation de la mort, avait, comme la foudre, creusée en moi, selon un graphique surnaturel et inhumain, un double et mystérieux sillon. (Quant à l'oubli de ma grand'mère où j'avais vécu jusqu'ici, je ne pouvais même pas songer à m'attacher à lui pour en tirer de la vérité ; puisque en lui-même il n'était rien qu'une négation, l'affaiblissement de la pensée incapable de recréer un moment réel de la vie et obligée de lui substituer des images conventionnelles et indifférentes.)


【冥界の「忘却の河」】
しかし一方、生存本能、苦痛をまぬがれようとする巧妙な理知が、まだくすぶっている余燼の上に、早くも抜目のない、無気味な基礎工事をはじめたのであろう、私はいとしいひとの判断をあれやこれやと思いだし、あたかも彼女がまだやさしい指図をしてくれるかのように、まだ彼女が生存しているかのように、あたかも自分がまだ彼女のために生きつづけているかのように、彼女のさまざまな判断を思いだして、そのあまいなぐさめにむさぼりつこうとするのだ。しかし、やっと私が寝入った瞬間、そして私の目が外界の事物にたいしてとじられてしまったいっそう真実な時間に私がはいったとたんに、睡眠の世界は(その敷居に立つと理知も意志もしばらくその機能を失い、私の真の印象の凶暴さから私を救うことができなかった)、神秘なあかりに照らされる内臓の、半透明となった組織の深部に、残存者と虚無との痛ましい再統合 douloureuse synthèse de la survivance et du néant のすがたを反映し、屈折させた。睡眠の世界では、内的知覚は器官の障害に従属していて、心臓や呼吸のリズムを早める、なぜならおなじ分量のおどろきや、悲しみや、悔も、たとえば静脈に注射されていると、百倍の強さになってはたらくからである、そうした地下都市の大動脈をめぐろうとして、あたかもあの六つにわかれて蜿蜒とうねる冥界の「忘却の河〔レーテーLéthé〕」を行くように、自分の血の黒い波の上に船出したと思うと、荘重な崇高な人の顔がつぎつぎにあらわれ、近づいては、われわれを涙にかきくれさせながら遠ざかってゆくのだ。私は薄ぐらいポーチの下につぎつぎと駆けよっては祖母の顔を空しく探し求めた……


Peut-être pourtant, l'instinct de conservation, l'ingéniosité de l'intelligence à nous préserver de la douleur, commençant déjà à construire sur des ruines encore fumantes, à poser les premières assises de son œuvre utile et néfaste, goûtais-je trop la douceur de me rappeler tels et tels jugements de l'être chéri, de me les rappeler comme si elle eût pu les porter encore, comme si elle existait, comme si je continuais d'exister pour elle. Mais dès que je fus arrivé à m'endormir, à cette heure, plus véridique, où mes yeux se fermèrent aux choses du dehors, le monde du sommeil (sur le seuil duquel l'intelligence et la volonté momentanément paralysées ne pouvaient plus me disputer à la cruauté de mes impressions véritables) refléta, réfracta la douloureuse synthèse de la survivance et du néant, dans la profondeur organique et devenue translucide des viscères mystérieusement éclairés. Monde du sommeil, où la connaissance interne, placée sous la dépendance des troubles de nos organes, accélère le rythme du cœur ou de la respiration, parce qu'une même dose d'effroi, de tristesse, de remords agit, avec une puissance centuplée si elle est ainsi injectée dans nos veines ; dès que, pour y parcourir les artères de la cité souterraine, nous nous sommes embarqués sur les flots noirs de notre propre sang comme sur un Léthé intérieur aux sextuples replis, de grandes figures solennelles nous apparaissent, nous abordent et nous quittent, nous laissant en larmes. Je cherchai en vain celle de ma grand'mère dès que j'eus abordé sous les porches sombres ; …


以上の小説のなかの叙述は、プルースト自身の伝記的事実からみれば、プルースト34歳の年1905年9月初めの海辺の町エヴィアン滞在から、同じ1905年9月26日、プルーストの母が死去するまでのあいだの出来事であろう。

九月初め、プルースト夫人、マルセルとエヴィアンに到着後、尿毒症に倒れる。ロベール・プルースト(弟)が夫人をパリに連れ帰るが、体調の悪いマルセルはエヴィアンに残る。

九月二十六日、ジャンヌ・ヴェイユ=プルースト夫人死去。五十六歳。(吉田城「プルースト年譜」)


 (Paul Nadar | mother of Marcel Proust , 1904 ( right photo is retouched )


「私なら失われた時など求めはしない。そういうものはむしろ退けるくらいだ」とプルースト追悼の際にポール・ヴァレリーは書いた。彼が「知性の巨人」で済まされなくなった今、彼はむしろ過剰な記憶に苛まれた人hypermnesiqueではなかったかと思われる。「初めから失われていた恋人」ともいうべき二十八歳年長のロヴィラ夫人への生涯の執着はほとんど時間が停まっているかのようである。サマセット・モームは「人を殺すのは記憶の重みである」といって九十歳になんなんとして自殺した。忘却を人は恐れるが忘却できないことはいっそう苛酷である。プルーストも、母の死後の時間は停止していたに近い。最後はカフェ・オ・レによって辛うじて生存し、もっぱら月光のもとでのみ外出し、ひたすら執筆に没入した。記述を読むと鬼気がせまってくる。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」『日時計の影』所収)




私は作品の最後の巻――まだ刊行されていない巻――で、無意識の回帰(再記憶 ressouvenirs inconscients) の上に私の全芸術論をすえる 。(Marcel Proust, « À propos du “ style ” de Flaubert » , 1er janvier 1920)
私の作品はたぶん一連の 「無意識の小説 Romans de l'Inconscient」 の試みのようなものでしょう。(……)「ベルクソン的小説」というのは正確さを欠く言い方になるでしょう。なぜなら私の作品は、無意志的記憶(mémoire involontaire)と意志的記憶(mémoire volontaire)の区別に貫かれていますが、この区別はベルクソン氏の哲学に現れていないばかりでなく、それと矛盾するものでさえあるからです。 (Interview de Marcel Proust par Élie-Joseph Bois, parue dans le journal “Le Temps” du 13 novembre 1913)