ひどくもったいないね。
男のほうはどうでもいいけど、40才の女の未婚率が5人に1人なんてさ。離婚して1人暮らしの人もふくめたらもっと上がるだろうし。
なかには独身主義の女性もいるんだろうけど、大半は結婚願望があるそうだからな。
なかには独身主義の女性もいるんだろうけど、大半は結婚願望があるそうだからな。
宇野さんの小説の何か手紙だったかの中に「女がひとりで眠るということの佗しさが、お分りでしょうか」という意味の一行があった筈だが、大切な一時間一時間を抱きしめている女の人が、ひとりということにどのような痛烈な呪いをいだいているか、とにかく僕にも見当はつく。…
…女の人にとっては、失われた時間というものも、生理に根ざした深さを持っているかに思われ、その絢爛たる開花の時と凋落との怖るべき距りに就て、すでにそれを中心にした特異な思考を本能的に所有していると考えられる。事実、同じ老年でも、女の人の老年は男に比べてより多く救われ難いものに見える。思考というものが肉体に即している女の人は、その大事の肉体が凋落しては万事休すに違いない。(坂口安吾「青春論」1942年)
独身でダイジョウブなんていうのは「心理」だけの意気込みで「生理」はまた別さ。
人類は、おそらく十万年ぐらいは、生理的にほとんど変化していないと見られている。心理だって、そう変わっていまい。そして、生理と心理は予想以上に密接である。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」2000年)
冥界機械が作動してるだろ、たとえばもっともシンプルにいえば「月経」という冥界機械がね。
女の身体は冥界機械 chthonian machine である。その機械は、身体に住んでいる魂とは無関係だ。(Camille Paglia “Free Women, Free Men: Sex, Gender, Feminism”, 2018)
エロティシズムは社会の一番柔らかい部分であり、そこから冥界的自然が侵入する。(カミール・パーリア「性のペルソナ Sexual Personae」1990年)
誤魔化しちゃいけないんだ、「本来のおのれ」を。
魂とは肉体のなかにある何ものかの名にすぎない。Seele ist nur ein Wort für ein Etwas am Leibe.
わたしの兄弟よ、君の思想と感受性の背後に、一個の強力な支配者、知られていない賢者がいる。ーーその名が「本来のおのれ」である。君の肉体のなかに、かれが住んでいる。君の肉体がかれである。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「肉体の軽侮者」)
ま、恒常的にヤッテルなら別の話かもしれないけどさ。
⋯⋯⋯⋯
後期理論の段階において、ラカンは強調することをやめない。身体の現実界、例えば、欲動の身体的源泉は、われわれ象徴界の主体にとって根源的な異者 étranger であることを。
われわれはその身体に対して親密であるよりはむしろ外密 extimité の関係をもっている。…事実、無意識と身体の両方とも、われわれの親密な部分でありながら、それにもかかわらず全くの異者であり知られていない。(⋯⋯)
偶然にも、ヒステリーの古代エジプト理論は、精神分析の洞察と再接合する或る直観的真理を含んでいる。ヒステリーについての最初の理論は、Kahun で発見された (Papyrus Ebers, 1937) 4000年ほど前のパピルスに記されている。そこには、ヒステリーは子宮の移動によって引き起こされるとの説明がある。子宮は、身体内部にある独立した・自働性をもった器官だと考えられていた。
ヒステリーの治療はこの気まぐれな器官をその正しい場所に固定することが目指されていたので、当時の医師-神官が処方する標準的療法は、論理的に「結婚」に帰着した。
この理論は、プラトン、ヒポクラテス、ガレノス、パラケルルス、等々によって採用され、何世紀ものあいだ権威のあるものだった。なんという奇矯な考え方!ーーだが、たいていの奇妙な理論と同様に、それはある真理の芯を含んでいる。
まず、ヒステリーはおおいに性的問題だと考えらてれる。第二にこの理論は、子宮は身体の他の部分に比べ気まぐれで異者のようなものという着想を伴っており、事実上、人間内部の分裂という考え方を示している。つまり我々内部の親密な異者・いまだ知られていない部分としてのフロイトの無意識の発見の先鞭をつけている。
神秘的・想像的な仕方で、この古代エジプト理論は語っているのだ、「自我は自分の家の主人ではない」(フロイト)、「人は自分自身の身体のなかで何が起こっているか知らない」(ラカン)、と。(Frédéric Declercq、LACAN'S CONCEPT OF THE REAL OF JOUISSANCE: CLINICAL ILLUSTRATIONS AND IMPLICATIONS, 2004、PDF)