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2018年10月9日火曜日

庶民的糞便快

余この頃鳥語村民の囀りを覗くに、彼等は其生活について相応に満足と喜悦とを覚ゆるものの如く、国家金詰りに対しても更に不安を抱かず、年金お釈迦についても更に恐怖せず、政府の貧乏ゆすり策に面する度に、浅墓なる義憤の吐露のみをなし、庶民的糞便快 katharsis に浸るが如き状況なり。其様、戦前の日本人と変わりなき。

余この頃東京住民の生活を見るに、彼等は其生活について相応に満足と喜悦とを覚ゆるものの如く、軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、寧これを喜べるが如き状況なり。(永井荷風「断腸亭日乗」昭和十二年八月廿四日)

現行の社会保障なる制度は、前世紀後半束の間可能なりし制度に過ぎず、少子高齢化にて積りに積もった借金を返す者激減する中、前世紀の遺物に縋りつき、儚い夢を見続けるは頗る愚か也。

(現在の政治は)、福祉国家が現行のシステム内部でまだ維持可能だという思いこみで成り立っている。…(だが)次の事態は瞭然としている。それは、福祉国家が可能であった数十年を経た現在、…われわれはある種の経済非常事態が恒常的になった時代に突入していることである。この時代は、以前にもましてはるかに冷酷な財政引き締め策、給付の削減、医療教育サービスの減少、そしてこれまで以上に不安定な雇用の脅威をもたらしている。(ジジェク、 A PERMANENT ECONOMIC EMERGENCY by SLAVOJ ŽIŽEK, 2010





今は世界人口自体高齢化の世紀なりし。独仏は移民のお蔭で、綱渡りにて遺物の維持を為しつつあるに過ぎず、移民なき自閉邦國の幕引き間近は必然也。





現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修、pdfーー借金大国日本の「生産性」集中の避けがたさ


世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿の寝言囀りにうつつを抜かせば、集団神経症なる伝染病に陥り明き盲になるのみ。

浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。(小林秀雄「林房雄」)

りべらる左翼なる輩の場当たり的戯言を遮断し、先ず繊細なる触覚をもった作家の声に耳を傾けるが肝要なり。

マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知し、対処しうる。ついでにいえば、この感覚なしに芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。(中井久夫『分裂病と人類』)
近代の資本主義至上主義、あるいはリベラリズム、あるいは科学技術主義、これが限界期に入っていると思うんです。五年先か十年先か知りませんよ。僕はもういないんじゃないかと思いますけど。あらゆる意味の世界的な大恐慌が起こるんじゃないか。

その頃に壮年になった人間たちは大変だと思う。(⋯⋯)僕なんかの年だと、ずるいこと言うようだけど、逃げ切ったんですよ。だけど、子供や孫を見ていると不憫になることがある。後々、今の年寄りを恨むだろうな。(古井由吉「すばる」2015年9月号)