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2018年10月7日日曜日

八百屋のおっさん

いやあきみ、ボクは煽ってなんかいないよ、もはや必ず財政破綻は起るから、起こった後どうしたらいいか準備しとかなくちゃなって話だ。

これからの日本の最大の論点は、少子高齢化で借金を返す人が激減する中、膨張する約1000兆円超の巨大な国家債務にどう対処していくのか、という点に尽きます。

私は、このままいけば、日本のギリシャ化は不可避であろうと思います。歳出削減もできない、増税も嫌だということであれば、もうデフォルト以外に道は残されていません。

日本国債がデフォルトとなれば必ずハイパーインフレが起こります。(大前研一「日本が突入するハイパーインフレの世界。企業とあなたは何に投資するべきか」

 人は中学生にもどって数字を眺めてみるべきだよ、「借金大国日本の「生産性」集中の避けがたさ」と「ま、諦めたほうがいいよ」でいくらか列挙したけどさ、そこでの純粋な中学生にとっての核心の問いは次の図だな。




直近の財務省による国民負担率は次の通り。



ようするに、

「オトウサン、日本って世界一の高齢化社会なのに、どうして税金と社会保険料(国民負担率)こんなに低くてやってけるの? こんなにお年寄りがいっぱいだったら、フランスみたいにあと25パーセントあげたってムリそうだけど。」

ーーこういった問いだよ。

国民の中では、「中福祉・中負担」でまかなえないかという意見があるが、私どもの分析では、中福祉を維持するためには高負担になり、中負担で収めるには、低福祉になってしまう。40%に及ぶ高齢化率では、中福祉・中負担は幻想であると考えている。

仮に、40%の超高齢化社会で、借金をせずに現在の水準を保とうとすると、国民負担率は70%にならざるを得ない。これは、福祉国家といわれるスウェーデンを上回る数字であり、資本主義国家ではありえない数字である。そのため、社会保障のサービスを削減・合理化することが不可避である。(武藤敏郎「日本の社会保障制度を考える」

で武藤敏郎氏ーー元財務次官、元日銀副総裁ーーが取り仕切った大和総研のDIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」2013のシミュレーションにはこうあるけどさ。黒田日銀の「博打」失敗、出口戦略の不可能性、消費税増の導入遅れなどによってこれはさらに悪化中だな

……ここで消費税率25%とは、かなり控えめにみた税率である。①医療や介護の物価は一般物価よりも上昇率が高いこと、②医療の高度化によって医療需要は実質的に拡大するトレンドを持つこと、③介護サービスの供給不足を解消するために介護報酬の引上げが求められる可能性が高いこと、④高い消費税率になれば軽減税率が導入される可能性があること、⑤社会保険料の増嵩を少しでも避けるために財源を保険料から税にシフトさせる公算が大きいこと――などの諸点を考慮すると、消費税率は早い段階でゆうに30%を超えることになるだろう。(大和総研のDIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」

なにはともあれ国債金利が現在のイタリアや韓国なみの「標準」になっちまったら、消費税25パーセントではぜんぜんダメだというのは、これも中学生頭でもわかる話。


話を戻せば、国民負担率低くてどうやってやってきたかといえば、未来世代から借金してやってきたんだよ。

簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

 しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)ーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011)

 ーー今生きている大人ってのはキャベツ頭の文句言いだからな。

寝言派の経済「評論家」もいるさ、日本には。で、それを読んで、きみたちのような人間が偽の安堵感を得るんだろうけどさ。ま、なんとかなると信じたいんだろうよ、気持はわからないでもないがな。

聞きたいことは信じやすいのです。はっきり言われていなくても、自分が聞きたいと思っていたことを誰かが言えばそれを聞こうとするし、しかも、それを信じやすいのです。聞きたくないと思っている話はなるべく避けて聞こうとしません。あるいは、耳に入ってきてもそれを信じないという形で反応します。(加藤周一「第2の戦前・今日」2004年)


ま、ようするにこのインターネット情報があふれる時代でさえ、「八百屋のおっさん」まだやってるんだろうな。

第2次大戦が終わって、日本は降伏しました。武者小路実篤という有名な作家がいましたが、戦時中、彼は戦争をほぼ支持していたのです。ところが、戦争が終わったら、騙されていた、戦争の真実をちっとも知らなかったと言いました。南京虐殺もあれば、第一、中国で日本軍は勝利していると言っていたけれども、あんまり成功していなかった。その事実を知らなかったということで、彼は騙されていた、戦争に負けて呆然としていると言ったのです。

戦時中の彼はどうして騙されたかというと、騙されたかったから騙されたのだと私は思うのです。だから私は彼に戦争責任があると考えます。それは彼が騙されたからではありません。騙されたことで責任があるとは私は思わないけれども、騙されたいと思ったことに責任があると思うのです。彼が騙されたのは、騙されたかったからなのです。騙されたいと思っていてはだめです。武者小路実篤は代表的な文学者ですから、文学者ならば真実を見ようとしなければいけません。

八百屋のおじさんであれば、それは無理だと思います。NHK が放送して、朝日新聞がそう書けば信じるのは当たり前です。八百屋のおじさんに、ほかの新聞をもっと読めとか、日本語の新聞じゃだめだからインターナショナル・ヘラルド・トリビューンを読んだらいかがですかとは言えません。BBCは英語ですから、八百屋のおじさんに騙されてはいけないから、 BBC の短波放送を聞けと言っても、それは不可能です。

武者小路実篤の場合は立場が違います。非常に有名な作家で、だいいち、新聞社にも知人がいたでしょう、外信部に聞けば誰でも知っていることですから、いくらでも騙されない方法はあったと思います。武者小路実篤という大作家は、例えば毎日新聞社、朝日新聞社、読売新聞社、そういう大新聞の知り合いに実際はどうなっているんだということを聞けばいいのに、彼は聞かなかったから騙されたのです。なぜ聞かなかったかというと、聞きたくなかったからです。それは戦前の社会心理的状況ですが、今も変わっていないと思います。

知ろうとして、あらゆる手だてを尽くしても知ることができなければ仕方がない。しかし手だてを尽くさない。むしろ反対でした。すぐそこに情報があっても、望まないところには行かないのです。(加藤周一「第2の戦前・今日」2004年)