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2018年11月2日金曜日

脳硬化症者たちの「想像界」

いやあボクが想像界についての記述を割愛しているのは、「古典的ラカンドグマの転回」で記してあるけど、まずミレール2008の次の発言にもとづいている。

ラカンの観点からは、精神病と神経症の共通の基盤はなにか。精神生活の始まりはなにか?

古典的ラカンにおいて精神生活の始まりは、ラカンが想像界と呼んだものだ。誰もが想像界とともに始まると想定される。これは古典的ラカンだ。それは疑わしい。というのは、言語の出現を遅らせているから。

事実としては、主体は、最初から言語に没入させられいる。だが、古典的ラカンにおいて、精神病についての彼の古典的テキストにおいて、さらに『エクリ』のほとんどすべてのテキストにおいて--ひどく最後のテキストのいくつかを除いてーー、ラカンは、主体の根本次元を想像的次元に付随したものとして「構築」した。(……)

私は「構築」と言った。というのは、あなたは、言語の抽象作用を理解しなければならないから。言語は既に最初からある。(ジャック=アラン・ミレール Miller, J.-A.. Ordinary psychosis revisited. 2008)


ほかにもポール・バーハウ2001がより鮮明に書かれている。

ラカン①(おおよそセミネール10まで)は、想像界と象徴界の対立があった。

ラカン②(セミネール11以降)においては、現実界が焦点化され、「象徴界と想像界が合体したもの」に対する「現実界」がある。

ラカン③(おおよそセミネール20以降)、②と同様の「象徴界+想像界」/「現実界」の対立が「ファルス享楽/身体の享楽」として取り上げられるようになる。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe 、BEYOND GENDER. From subject to drive、2001)

ようするにボクが次のように図示するときは、基本的には「象徴界+想像界」/「現実界」の意味。




あくまで「基本的には」、だけど。

ほかにもミレールの次の文がある。

ラカンがイマジネール(想像的)な審級について語ったとき、彼は見られ得るイマージュimages qui pouvaient se voir について語った。…

しかし、次の事実がある。すなわち、いったん象徴界が導入されたときでも、ラカンは想像界について話すことを止めない。彼はまだ想像界について頻繁に語っている。だが想像界の定義はまったく変貌したのである。ポスト象徴的想像界 L'imaginaire postsymbolique は、象徴界の審級が導入される以前の、前象徴的想像界 l'imaginaire présymbolique とはひどく異なる。

象徴界が導入された後、いかにして想像界の概念は移行したのか? 厳密に言おう。想像界の最も重要な部分は、見られ得ないものであるce qui ne peut pas se voir。とくに、例としてセミネールIV「対象関係」で展開された臨床実践の核を取り出すとすれば、女性のファルス le phallus féminin、母なるファルス le phallus maternel がある。それが想像的ファルス le phallus imaginaire と呼ばれるのは、パラドクスである。というのは人はまさに想像的ファルスを見ることができないのだから。それはほとんど、想像力 imagination の問題であるかのようである。

ラカンの名高い鏡像段階 le stade du miroir における観察と理論化において、イマジネールな審級は本質的に知覚 perception と繋がっていた。ところが象徴界が導入されたとき、想像界と知覚とのあいだの分離がある。…これが意味するのは、想像界と象徴界の接合connexion de l'imaginaire et du symbolique であり、したがって知覚からの分離という命題である。すなわち、イマージュは見られ得ないものをスクリーンする(覆う)l'image fait écran à ce qui ne peut pas se voir。(ジャック=アラン・ミレール Jacques-Alain Miller、LES PRISONS DE LA JOUISSANCE、2008)


とはいえさきほど「基本的には」と記したのは、1976年あたりから、想像界の復権ともいえる考え方が出てきているから。

人は、現実界のイデアを自ら得るために、想像界を使う On recourt donc à l'imaginaire pour se faire une idée du réel 。あなた方は、« イデアを自ら得る se faire une idée »と書かねばならない。私は、《球面 sphère 》としての想像界と書く。想像界が意味するものを明瞭に理解するためには、こうせねばならない。(ラカン、S24 16 Novembre 1976)

そもそもボクの世代の「文芸評論家」が想像界やら象徴界やらと言っているのは、浅田彰の『構造と力』の記述ーーあれはあれであの当時においての初期ラカン入門編としてはスグレタものだけどーーやジジェク掠め読みにもとづいているので(しかも固くなった頭の思い込みにもとづいて)、今なら瞬間罵倒系だよ、そんなの信じちゃダメ。