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2019年2月5日火曜日

岡崎乾二郎「賛」

岡崎乾二郎の立場は、芸術制作においても芸術批評においても現在に至るまで、次のものだろう。

岡崎乾二郎)……だから、ぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。(共同討議「『ルネサンス 経験の条件』をめぐって」『批評空間』 第3期第2号, 2001)


この岡崎の立場を浅田彰は、少なくとも1990年代以降、称揚し続けている。

浅田彰)…美共闘か村上隆か、「美共闘」の歴史主義かポストモダン消費社会の歴史否定かというのは不毛な対立にすぎない。個人的に言うと、いわばその中間に隠れている岡崎乾二郎が圧倒的に重要だと思うんです。[…]アーティストとしても、ああいう理論的な人は世界的にはほとんど受け入れられない。日本人アーティストが理論的に考えるなどということは認められないので、アニメのパロディでもやってないと受け入れられないわけですよ。だとすれば、批評はまずそういう人存在にこそ焦点を当てるべきではないか。(浅田彰・椹木野衣対談「新世紀への出発点」)

岡崎乾二郎の理知的な批評という相は、高橋悠治に始まった反小林秀雄の立場であり(参照)、これについては1990年の大江健三郎との対談で浅田彰は明瞭に語っている。

浅田:批評的立場を選んだからには、徹底して明晰であろうとすべきでしょう。僕は奇妙な形で文学にひかれています。妙に小器用で、他のジャンルのことはよく分かったような気がするのに、文学はどうしても隅々まで理解できない。ただ、そういう不可解なものを語るとき、それをまねるのではなく、明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまって、ギリギリのところで書いていきたい。それが、自分にとって本当に分からないものの発見につながると思っていますから。

大江:浅田さんには「自分は単なる明晰にすぎない」という、つつましい自己規定があるんですね。明晰な判断力ではとらえきれないものがあって、それは明晰さより上のレベルだと思っていられる。天才というようなものが働くレベルというか。文学というあいまいな場所で生きている人間からすると、上等な誤解を受けている気がします・・・・・・(笑い)。

浅田:ところが不思議な転倒現象があるんです。戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫であり、明晰であるべき批評家たちが不透明に情念を語ることに終始したんですね。三島は、最初から作品の終わりが見え、そこから計算しつくされたやり方で作品を組み立てて、きらびやかであるだけいっそう空虚な言葉の結晶を残した。他方、小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかりだった。二重の貧困です。(平成2年5月1日朝日新聞夕刊  対談 大江健三郎&浅田彰)


浅田は、《戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫》と言っているが、岡崎乾二郎もたぶん戦後の芸術界で最も明晰なんだろう。で、「芸術制作者としての岡崎乾二郎の貧困」と浅田彰はなぜ言わないんだろ?

《小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかり》の時代への反動としての理知的「批評」にそれほど文句をつけるつもりはないが(オベンキョウとしてはそれでいいんだろう)、制作者の態度としてあれでいいんだろうかね、ほんとに。いま、まったく門外漢として言うが。要するに《明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまっ(た)》芸術制作ってありなんだろうか? 

ラカンに壺作りの話があるが、たぶん可能なのはそのセンだろうな。

現実界の中心にある空虚の存在 existence de ce vide au centre de ce réel をモノ la Choseと呼ぶ。この空虚は…無rienである。

…壺作り職人potierは、彼の手で空虚の周りに壺を創造する crée le vase autour de ce vide avec sa main (ラカン、S7、27 Janvier 1960)
壺は穴を創造するものである。その内部の空虚を。芸術制作とは無に形式を与えることである。創造とは(所定の)空間のなかに位置したり一定の空間を占有する何ものかではない。創造とは空間自体の創造である。どの(真の)創造であっても、新しい空間が創造される。

別の言い方であれば、どの創造も覆い(ヴェール)の構造がある。創造とは「彼岸」を創り出し暗示する覆いとして作用する。まさに覆いの織物のなかに「彼岸」をほとんど触知しうるものにする。美は何か(別のもの)を隠蔽していると想定される表面の効果である。(ジュパンチッチ1999、 Alenka Zupančič、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan, 1999)

とはいえ、《明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまっ(た)》とは「精神の中流階級」の態度だ。その態度に居残ったままで真の創造行為ができるもんなんだろうか?

学者というものは、精神の中流階級に属している以上、真の「偉大な」問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』1882年)


精神の中流階級から離反するとは、中井久夫によれば「退行」することだ。

何人〔じん〕であろうと、「デーモン」が熾烈に働いている時には、それに「創造的」という形容詞を冠しようとも「退行」すなわち「幼児化」が起こることは避けがたい。…

思い返せば、著述とは、宇宙船の外に出て作業する宇宙飛行士のように日常から離脱し、頭蓋内の虚無と暗黒とに直面し、その中をさしあたりあてどなく探ることである。その間は、ある意味では自分は非常に生きてもいるが、ある意味ではそもそも生きていない。日常の生と重なりあってはいるが、まったく別個の空間において、私がかつて「メタ私」「メタ世界」と呼んだもの、すなわち「可能態」としての「私」であり「世界」であり、より正確には「私 -世界」であるが、その総体を同時的に現前させれば「私」が圧倒され破壊されるようなもの、たとえば私の記憶の総体、思考の総体の、ごく一部であるが確かにその一部であるものを、ある程度秩序立てて呼び出さねばならなかった。(中井久夫「執筆過程の生理学」初出1994年『家族の深淵』所収)


ところで岡崎、浅田などが批判した小林秀雄はこう言っている。

人々は批評といふ言葉をきくと、すぐ判断とか理性とか冷眼とかいふことを考へるが、これと同時に、愛情だとか感動だとかいふものを、批評から大へん遠い処にあるものの様に考へる、さういふ風に考へる人々は、批評といふものに就いて何一つ知らない人々である。

この事情を悟るには、現実の愛情の問題、而もその極端な場合を考へてみるのが近道だ。(小林秀雄「批評について」)

※より詳しくは、 「こんなに恥ずかしいこと言うやついるのか」(浅田彰)。

小林秀雄の立場とはムッシュー・クロッシュの立場だな。

(ムッシュー・クロッシュ曰く)作品を通して、それらを生み出させた様々な衝動や、それらが秘めている内的な生命を見ようとするんです。めずらしい時計かなぞのように作品を分解することで成り立つ遊びより、ずっと面白くはありませんか ? (『ドビュッシー作曲論集 反好事家八分音符氏』)

小倉朗もこう言っている、《バッハの作品を見て、それが理論的であり、規則に厳格であると人はしばしば感嘆する。しかし、理論的であり、規則に厳格だからバッハの音楽が美しいと考えたら嘘になろう》(ツイッターbot)。

たとえば浅田は岡崎の作品に衝動力を感ずることあるんだろうかね。優等生として形式的には頑張ってるんだろうけど(繰り返せば門外漢として言わせてもらえば)岡崎の作品は、ネット上の画像を見る限りでは、おおむね退屈だな。カンセイユタカナ浅田くんはきっとちがうだろうけどさ。

フロイトは巧みに書いてる、理知的な態度と創造者の態度の相違を。

われわれの方法の要点は、他人の異常な心的事象を意識的に観察し、それがそなえている法則を推測し、それを口に出してはっきり表現できるようにするところにある。一方作家の進む道はおそらくそれとは違っている。彼は自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる。このようにして作家は、われわれが他人を観察して学ぶこと、すなわちかかる無意識的なものの活動がいかなる法則にしたがっているかということを、自分自身から聞き知るのである。(フロイト「W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」1907年)

岡崎や浅田のいう形式的態度に徹してしまえば、《無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け》ることにおろそかになりがちなんじゃないだろうか。

すこし飛躍して言わせてもらえば、なんでもパララックスなんだから、そろそろ揺り戻しが必要なんじゃないか。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」)

つまり批評世界で、理知論がドミナントになってしまったのだから、そろそろ衝動論を復活させるべきじゃないのか。貧乏人は小林秀雄の真似するな! なんてケチなこと言わないでさ。

ショボい理知的批評ばっかりだよ、いまでは。たとえば田中純が岡崎乾二郎の新著『抽象の力』の書評してるがね、「谺する言語」「谺するかたち」と。で、どうした?と言いたくなるね。

ダニエル・ヘラー=ローゼンの『エコラリアス──言語の忘却について』(関口涼子訳、みすず書房、2018)…。「エコラリアス」とは「谺する言語」の意味であり 、そこで谺となるのはそれ自体としては消滅して忘れ去られた言語、たとえば、言葉を話すようになる前に 幼児が発する雑音めいた喃語である。喃語の谺はオノマトペや或る言語の発話者が別の言語を模倣しようとするときの「異言語の音」、あるいは感嘆詞のほか、人間ではないものを人間が模倣しようとして発する音声のうちに聞き取れる、と著者は言う──「言語は、それ自身の音から離れ、言葉を持たない、あるいは持ち得ないものの音、すなわち動物の鳴き声、自然や機械の出す音を引き受ける時にこそもっとも言葉そのものになりうる」。この表現を借りれば、「抽象の力」とは「具象的イメージがそれ自身の形態から離れ、 形態を持たない、あるいは持ち得ないものの形態」になったときの形態の力ではないだろうか。幼児用遊具や玩具とは「人間ではないものを人間が模倣しよう」とするときに手がかりとする事物ではないか。つまり 、抽象とは「谺するかたち」ではないだろうか。(田中純「谺するかたち ──岡崎乾二郎『抽象の力』、ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス 』2018年)

遡求的に「谺する言語」と「谺するかたち」への認識に至ってゆく方法なんだろうが、人間の原体験はもともと「谺する言語」と「谺するかたち」だよ。前者は「母の言葉の永遠回帰」、後者は「ロスコとプロトパシー」にメモがある。

そもそも幼児が《視力が1.0になるには、3歳頃まで時間を要する》そうだからな(参照:寺師恵子「赤ちゃんの視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の不思議な発達!」)。

母の乳房だってロスコの作品のように見えてる筈さ、われわれの原感覚においてはね。




ーーすこし人は幼児化もしくは退行したら、最初の世界はこのようなものだとワカルハズだけどね・・・

で、なぜ原感覚ーー原初の視覚映像における「唯物論的」な「身体の出来事」--が「谺するかたち」であることに気づかないんだろ? たぶんやっぱり「精神の中流階級」のせいなんだろうよ、「精神の貴族階級」なんて言わなくとも、一度でもいいから「精神の下層階級」になったらーー蓮實重彦のいう「凡庸」から「愚鈍」に移行したらーーすぐ分かることなんだがな。

そう、たとえばフーコーのように。

じっと耳を傾けて、世界のあのつぶやきのほうへかがみこみ、けっして詩とならなかったあの多くのイマージュ、けっして覚醒状態の色調をおびなかったあの多くのファンタスムを知覚する努力をしなければならないだろう。(フーコー『狂気の歴史』)

そう、たとえばドゥルーズ が言うように。

われわれは、無理に contraints、強制されて forcés、時間の中でのみ真実を探求する。真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である 。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは、天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらくは創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密な圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともの、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」の章


つまりはプルーストのように。

未知の表徴 signes inconnus(私が注意力を集中して、私の無意識を探索しながら、海底をしらべる潜水夫のように、手さぐりにゆき、ぶつかり、なでまわす、いわば浮彫状の表徴 signes en relief)、そんな未知の表徴をもった内的な書物といえば、それらの表徴を読みとることにかけては、誰も、どんな規定〔ルール〕も、私をたすけることができなかった、それらを読みとることは、どこまでも一種の創造的行為であった、その行為ではわれわれは誰にも代わってもらうことができない、いや協力してもらうことさえできないのである。

だから、いかに多くの人々が、そういう書物の執筆を思いとどまることだろう! そういう努力を避けるためなら、人はいかに多くの努力を惜しまないことだろう! ドレフェス事件であれ、今次の戦争であれ、事変はそのたびに、作家たちに、そのような書物を判読しないためのべつの口実を提供したのだった。彼ら作家たちは、正義の勝利を確証しようとしたり、国民の道徳的一致を強化しようとしたりして、文学のことを考える余裕をもっていないのだった。

しかし、それらは、口実にすぎなかった、ということは、彼らが才能〔ジェニー génie〕、すなわち本能をもっていなかったか、もはやもっていないかだった。なぜなら、本能は義務をうながすが、理知は義務を避けるための口実をもたらすからだ。ただ、口実は断じて芸術のなかにはいらないし、意図は芸術にかぞえられない、いかなるときも芸術家はおのれの本能に耳を傾けるべきであって、そのことが、芸術をもっとも現実的なもの réel、人生のもっとも厳粛な学校、そしてもっとも正しい最後の審判たらしめるのだ。そのような書物こそ、すべての書物のなかで、判読するのにもっとも骨の折れる書物である、と同時にまた、現実réalité がわれわれにうながした唯一の書物であり、現実 réalité そのものによってわれわれのなかに「印刷=印象 l'impression」された唯一の書物である。

人生がわれわれのなかに残した思想が何に関するものであろうとも、その思想の具体的形象、すなわちその思想がわれわれのなかに生んだ印象の痕跡は、なんといってもその思想がふくむ真理の必然性を保証するしるしである。単なる理知のみのよって形づくられる思想は、論理的な真実、可能な真実しかもたない、そのような思想の選択は任意にやれる。われわれの文字で跡づけられるのではなくて、象形的な文字であらわされた書物、それこそがわれわれの唯一の書物である。といっても、われわれが形成する諸般の思想が、論理的に正しくない、というのではなくて、それらが真実であるかどうかをわれわれは知らない、というのだ。

印象だけが、たとえその印象の材料がどんなにみすぼらしくても、またその印象の痕跡 trace がどんなにとらえにくくても、真実の基準となるのであって、そのために、印象こそは、精神によって把握される価値をもつ唯一のものなのだ、ということはまた、印象からそうした真実をひきだす力が精神にあるとすれば、印象こそ、そうした精神を一段と大きな完成にみちびき、それに純粋のよろこび pure joie をあたえうる唯一のものなのである。

作家にとっての印象は、科学者にとっての実験のようなものだ、ただし、つぎのような相違はある、すなわち、科学者にあっては理知のはたらきが先立ち、作家にあってはそれがあとにくる。われわれが個人の努力で判読し、あきらかにする必要のなかったもの、われわれよりも以前にあきらかであったものは、われわれのやるべきことではない。われわれ自身から出てくるものといえば、われわれのなかにあって他人は知らない暗所 l'obscurité qui est en nous et que ne connaissent pas les autres から、われわれがひっぱりだすものしかないのだ。(プルースト「見出された時」)


というわけだが、岡崎乾二郎の「抽象の力」ーー豊田美術館ーーのとってもかっこいいフライヤーについて書こうとしたんだけど、ま、やめとくよ。これは「批評としては」まったく悪くない、とシロウトのぼくは感じているだけだから、たいしたことが言えるわけではない。





ボクがなにやら記すより、プルーストでも貼り付けておくほうが、よっぽどためになるからな。

【批評の遊戯】
・昔から、一つの作品が完全に理解され勝利を博するころには、まだ無名の、べつの作家の作品が、一段と気むずかしい何人かの知識人のまわりに、新しい礼讃をまきおこしはじめ、やがて強い威力をほとんど失ってしまった有名作家にとってかわらなかったためしはめったにない。

・私は知っていた、――あまりにも長期にわたってかがやかしい名声を博していたものを闇に投じたり、決定的に世に埋もれるように運命づけられたかと思われたものをその闇からひきだしたりする批評の遊戯なるものは、諸世紀の長い連続のなかで、単にある作品と他の作品とのあいだにのみおこなわれるものではなく、おなじ一つの作品においてさえもおこなわれるものであることを。(……)天才たちがあきられたというのも、単に有閑知識人たちがそれらの天才たちにあきてしまったからにすぎないのであって、有閑知識人というものは、神経衰弱症患者がつねにあきやすく気がかわりやすいのに似ているのである。(『ゲルトマントのほうⅡ』)


【株の値上がり】
……証券取引所で一部の値あがりの動きが起きると、その株をもっているグループの全体がそれによって利益を受けるように、これまで無視されていた何人かの作曲家たちが、この反動の恩恵を受けるのであった、それは彼らがそのような無視に値しなかったからでもあるし、また単にーーそんな彼らを激賞することが新しいといえるのであればーーただ彼らがそのような無視を受けたからでもあった。

さらにまた人々は、孤立した過去のなかに、何人かの不羈独立の才能を求めにさえ行くのであった、現在の芸術運動がそれらの才能の声価に影響しているはずはないように思われたのに、新しい巨匠の一人が熱心に過去のその才能ある人の名を挙げるといわれていたからであった。それはつまり、一般に、誰でもいい、どんな排他的な流派であってもいい、ある巨匠が、彼独自の感情から判断し、自分の現在の立場を問わずにどこにでも才能を認めるということ、また才能とまでは行かなくても、彼の青春の最愛のひとときにむすびつくような、彼がかつてたのしんだ、ある快い霊感といったものを認めるということ、しばしばそういうことによるのであった。(プルースト 「ソドムとゴモラⅠ」)


【自分でやりたかったと思ったことを過去の作品に見出す】
またあるときは、自分でやりたかったと思ったことにあとでその巨匠が次第に気づくようになった、そんな仕事に似た何かを、べつの時代のある芸術家たちが、何気ない小品のなかですでに実現していた、ということにもよるのである。そんなとき、その巨匠は、古い人のなかに先覚者を見るのであって、巨匠は、べつの形による一つの努力、一時的、部分的に自分と一心同体の関係にある努力を、古い人のなかで愛するのである。

プッサンの作品のなかにはターナーのいくつかの部分があるし、モンテスキューのなかにはフローベールの一句がある。そしてときにはまた、その巨匠の好みが誰それであるといううわさは、どこから出たとも知れずその流派のなかにつたえられた一つのまちがいから生まれたのだ。しかし、挙げられた名がたまたまその流派の商号とちょうどうまくだきあわされてその恩恵を受けることができたのは、巨匠の選択には、まだいくらかの自由意志があり、もっともらしい趣味もあったのに、流派となると、そのほうはもう理論一辺倒に走るからなのである。

そのようにして、あるときはある方向に、つぎには反対の方向に傾きながら、脱線しそうになって進むというそんな通例のコースをたどることによって、時代の精神は、いくつかの作品の上に天来の光を回復させたのであって、そうした諸作品にショパンの作品が加えられたのも、正当な認識への欲求、または復活への欲求、またはドビュッシーの好み、または彼の気まぐれ、またはおそらく彼が語ったのではなかった話によるのである。人々が全面的に信頼感を抱いていた正しい審判者たちによって激賞され、『ペレアス』がひきおこした賞賛によって恩恵を受けながら、ショパンの作品は、ふたたび新しいかがやきを見出したのであった、そして、それをききなおさないでいた人たちまでが、どうしてもそれを好きになりたくなり、自分の自由意志かれではなかったのに、そうであったような幻想にとらえられて、それを好きになるのであった。(プルースト 「ソドムとゴモラⅠ」)

以上、『抽象の力』を読んでいない者が記した衝動的「印象批評」でした。みなさん、けっしてマネをしないでください!

⋯⋯⋯⋯

※付記

岡崎乾二郎が美術展フライヤーで《物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける》とか、『抽象の力』冒頭で《人が感覚を超えて把握し認識している対象のリアルかつ確実な姿》とか言っているのは、ボクの憶測と、この半年ぐらい、ラカンのボロメオ結びのヴァリエーションとして使っているスキーマで言えば、∅の箇所(身体の出来事、あるいはリビドー固着、表象代理)に相当するんじゃないかな。



(モノ、自我、言語の円は、ラカン用語では、それぞれ現実界、想像界、象徴界)

ようするに多くの芸術作品、あるいは今までの鑑賞法は、モノから時計の針と反対まわり(⤴)で自我まで来ていたけれど(言語的、物語的、フェティッシュ的に)、抽象芸術の本質は、モノから「身体の出来事」をとおして直接、自我に来るもの、その鑑賞を促すものとしているんじゃないか(いま、岡崎乾二郎の『抽象の力』を読んでいない人間としてテキトウに言っていることを念押ししておくけど)。

∅(身体の出来事)とは、ラカン=フロイトの表象代理 Vorstellungsrepräsentanz だ。

世界が表象 représentation(vótellung)になる前に、その代理représentant(Repräsentanz)ーー私が意味するのは表象代理 le représentant de la représentationであるーーが現れる。 (ラカン, S13, 27 Avril 1966)

これはニーチェ図式でも相同的(参照