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2020年2月29日土曜日

私が安倍の立場にあったらどう決断すべきか

安倍ゾッコンらしい人が2日前に次のようにツイートしている。




わたくしは反アベ派の気持ちが「まったくは」分からないわけではないがね、でも上のツイートは実に的確だね

で、反アベの「正義の味方」諸君は、どうしたいだろ? きみらの典型的言い草は、上に指摘されている以外は、「子供は感染しても症状が出ないか軽い」から、休校はあまり意味がないってヤツだよな。





反アベ諸君にとっては、一斉休校の「方向性」は間違っているんだろうか? 今、最も重要なのは橋下が繰り返し強調しているピークカット、ピークコントロールだとわたくしは思うがね。

すこし前、橋下徹の「政治的判断は一人の専門家の判断だけに振り回されないもの。複数の専門家と行政マンたちの意見を聞きながら太いロジックを構築する」というツイートを引き合いに出して、次の文を掲げたけれどさ。



主人のシニフィアンとはなにか? 記念すべき第二次世界大戦の最後の段階で、ウィンストン・チャーチルは政治的決定の謎を熟考した。専門家たち(経済的な、また軍事的な分析家、心理学者、気象学者…)は多様かつ念入りで洗練された分析を提供する。誰かが引き受けなければならない、シンプルで、まさにその理由で、最も難しい行為を。この複合的な多数的なものを置換しなければならない。多数的なものにおいては、どの一つの理由にとってもそれに反する二つの理由があり、逆もまたそうだ。それをシンプルな「イエス」あるいは「ノー」ーー攻撃しよう、いや待ちつづけよう…ーーに変換しなければならない。

理屈に全的には基礎づけられえない振舞いが主人の決断である。このように、主人の言説は、S2 と S1 のあいだの裂け目、「ふつうの」シニフィアンの連鎖と「法外-理性外のexcessive」主人のシニフィアンとのあいだの裂け目に依拠する。(ジジェク, LESS THAN NOTHING、2012年)






反アベ諸君も文句いいばっかりやってないで、たまにはチャーチルをやってみることだよ、「私が安倍の立場にあったらどう決断すべきか」ってね。今のままだったら諸悪の根と見なすしかないね、きみたち「反アベ」を。穏やかにいえば「左翼という道化師」だな。