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2020年8月28日金曜日

漱石における深淵の口


若き加藤周一は、漱石の『明暗』におけるリアルについて、思い切った文章を書いている。「思い切った」というのは、『明暗』以外の作品を批判しつつの、《私は、『明暗』によって、又『明暗』によってのみ、漱石は不朽であると思う》との主張がある文だから。

『こゝろ』は、他に例を見ない失敗であった。この小説家だけが、自らの知性をためし、その限界によって、失敗し、その限界を超える可能性を知ったのである。従って、漱石の知性は、その成功のために必要な前提であったが、真の文学的価値を決定する作品は、小説家の「知性人たる本質」に根ざすよりも、知性人たらざる本質に根ざす。

『猫』は今日読む能わず、『こころ』は読み得るかも知れないが、我々の文学世界に何らの新しい現実を加えていない。新しい現実は、『明暗』のなかにある。私は、『明暗』によって、又『明暗』によってのみ、漱石は不朽であると思う。そして、『明暗』は、漱石の「知性人たる本質」によってではなく、知性人たらざる本質によって、その他のすべての小説が達し得なかった、今日なお新しい現実、人間の情念の変らぬ現実に達し得たと思う。(略)

そのデーモンは、『明暗』の作者を、捉えたのであり、生涯に一度ただその時にのみ捉えたのである。それが修繕時の大患にはじまったか、何にはじまったか、私は知らない。確実なのは、小説の世界が今日なお新しい現実を我々に示すということであり、それに較べれば、知的な漱石の数々の試みなどは何ものでもないということである。(略)

我々の憎悪や愛情やその他もろもろの情念は、しばしば極端に到り、爆発的に意識をかき乱し、ながく注意され、ながく論理的に追求されれば、意識の底からは奇怪なさまざまの物が現れるであろう。我々の日常生活にそういうことが少ないのは、我々の習慣が危険なものを避け、深淵が口を開いても、その底を見極めようとはしないからである。しかし、その底に、我々の行動を決定する現実があり、日常的意識の奥に、我々を支配する愛憎や不安や希望がある。それは、日常的生の表面に多様な形をとって現れるが、その多様な現象の背後に、常に変らざる本質があり、プラトン風に言えば、影なる現象世界の背後に、観念なる実在がなければならない。観念的なものは現実的であり得るし、むしろ観念的なもののみが現実的であり得る。なぜなら、それが、小説家に、深く体験され、動かしがたく確実に直感されたものであるからだ。(加藤周一「漱石に於ける現実 ――殊に『明暗』に就いて――」1948年)

1919年生まれの加藤周一であり、29歳のときの文章である。ただし1978年刊行の著作集の[追記]に、「少なくとも小説について、私の意見の要点はここに尽きる。すなわち漱石の最高の小説を『明暗』とすること、その理由は何かということである」とある。

今いくらかの箇所を黒字強調したが、ここに書かれているのは、フロイトラカン的な現実界をめぐっているように思う。漱石や漱石批評を読むのまで精神分析的に読解してしまう言説はおことわりしたい、と最近の文学研究者の大半は言うのなら、ニーチェのエスでもいい。リアルとはエスである。ラカンの現実界とはフロイトの《無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es 》と等価である[参照]。そしてこの向こうにはニーチェのエスがある。

いま、エスは語る、いま、エスは聞こえる、いま、エスは夜を眠らぬ魂のなかに忍んでくる。ああ、ああ、なんと吐息をもらすことか、なんと夢を見ながら笑い声を立てることか。

ーーおまえには聞こえぬか、あれがひそやかに、すさまじく、心をこめておまえに語りかけるのが? あの古い、深い、深い真夜中が語りかけるのが?

- nun redet es, nun hört es sich, nun schleicht es sich in nächtliche überwache Seelen: ach! ach! wie sie seufzt! wie sie im Traume lacht!

- hörst du's nicht, wie sie heimlich, schrecklich, herzlich zu _dir_ redet, die alte tiefe tiefe Mitternacht? Oh Mensch, gieb Acht! (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」1885年)


『明暗』は《意識の底からは奇怪なさまざまの物が現れる》小説、《深淵の底》に引きずり込まれゆく小説である。あの未完の遺作がもしもう少し先に進んだらいったいどこにゆくのか。少なくとも漱石の奈落の底にあるものにどうしても思いを馳せざるをえなくなる、未完ゆえの開かれた小説である。

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵 Abgrundを覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein(ニーチェ『善悪の彼岸』146節、1886年)


ここでいくらか『明暗』自体に触れよう。温泉宿で迷子になって彷徨う主人公津田が鏡のなかに自らの「暗」の分身と出会う「百七十五」、結婚直前に《逃げられちまった》(百四十一)女、清子と廊下と階段のあいだで遭遇して互いに凍りつく「百七十六」、この終末近くの二つの章が何よりもまず核でありつつ、次の日、清子の部屋を訪れ、彼女がなぜあんなに驚いたのかを問い詰める津田への清子の応答にある「待伏せ」という語がこの小説の未来への核、漱石の深淵の核である、と私は思う。

今まで困っていたらしい清子は、この時急に腑に落ちたという顔つきをした。
「ああ、それがお聴きになりたいの」
「無論です。先刻からそれが伺いたければこそ、こうしてしつこくあなたを煩わせているんじゃありませんか。それをあなたが隠そうとなさるから――」
「そんならそうと早くおっしゃればいいのに、私隠しも何にもしませんわ、そんな事。理由は何でもないのよ。ただあなたはそういう事をなさる方なのよ」
「待伏せをですか」
「ええ」
「馬鹿にしちゃいけません」
「でも私の見たあなたはそういう方なんだから仕方がないわ。嘘でも偽りでもないんですもの」
「なるほど」 
津田は腕を拱いて下を向いた。(夏目漱石『明暗』百八十六)

ーー『明暗』は百八十八で終わっていることを注記しておこう。

清子に《逃げられちまった》傷は、二次的なものでありうる。真の問いは「待伏せ」人格、さらに言えば、他人を信用できない人格の起源は何かでありうる。


最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」2006年『日時計の影』所収 )

この井戸の底の近くにあるくろぐろとしたものは『明暗』の前年に書かれた『道草』に暗示されている。

漱石にとっては幼児期の取り替えられた生、父母の愛への不信は、大きな傷になっているだろうことは、間違いなさそうである。養子にやられた子供が皆そうだというわけではけっしてない。だが漱石の場合は大きな傷となっていると私は強く感じる。繰り返せばそれは『道草』に暗示されている。あるいは同年に書かれた随筆『硝子戸の中』にある。

実父から見ても養父から見ても、彼は人間ではなかった。むしろ物品であった。ただ実父が我楽多として彼を取り扱ったのに対して、養父には今に何かの役に立てて遣ろうという目算があるだけであった。(夏目漱石『道草』1915年)
私には私の心を腐蝕するような不愉快な塊が常にあった。(夏目漱石『硝子戸の中』1915年)


その傷は永遠回帰=反復強迫する刻印である。

もし人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する己れの典型的経験 typisches Erlebniss immer wiederkommt を持っている。(ニーチェ『善悪の彼岸』70番、1886年)
幼児期に起こるトラウマは、自己身体の上への出来事 Erlebnisse am eigenen Körper もしくは感覚知覚 Sinneswahrnehmungen である。…この「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」…これは、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


この不変の個性刻印が晩年まで僅かにしか表現されていなかったのは、29歳の加藤周一が言うように《習慣が危険なものを避け、深淵が口を開いても、その底を見極めようとはしなかったからである》。「知性人たる本質」に根ざす学者や知識人ならそれでよいかもしれない、だが小説家は「知性人たらざる本質に根ざす」アナーキストでなくてはならない。それでなければ人間のリアルを表現しえない。

学者というものは、精神の中流階級に属している以上、真の「偉大な」問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』1882年)

幼少期、父母の愛にひどく苦しんだ折口信夫も、最晩年の漱石の《血みどろになつた處》への移行の気配をしかと読んでいた。

強ひて申さば、自分の生活を低く評價せられまいと言ふ意識を顯し過ぎた作品を殘した作者は、必後くちのわるい印象を與へる樣です。

文學上に問題になる生活の價値は、「將來欲」を表現する痛感性の強弱によつてきまるのだと思ひます。概念や主義にも望めず、哲學や標榜などからも出ては參りません。まして、唯紳士としての體面を崩さぬ樣、とり紊さぬ賢者として名聲に溺れて一生を終つた人などは、文學者としては、殊にいたましく感じられます。のみか、生活を態度とすべき文學や哲學を態度とした増上慢の樣な氣がして、いやになります。鴎外博士なども、こんな意味で、いやと言へさうな人です。あの方の作物の上の生活は、皆「將來欲」のないもので、現在の整頓の上に一歩も出て居ない、おひんはよいが、文學上の行儀手引きです。もつと血みどろになつた處が見えたら、我々の爲になり、將來せられるものがあつた事でせう。…

芥川さんなどは若木の盛りと言ふ最中に、鴎外の幽靈のつき纏ひから遁れることが出來ないで、花の如く散つて行かれました。今一人、此人のお手本にしてゐたことのある漱石居士などの方が、私の言ふ樣な文學に近づきかけて居ました。整正を以てすべての目安とする、我が國の文學者には喜ばれぬ樣ですが、漱石晩年の作の方が遙かに、將來力を見せてゐます。麻の葉や、つくね芋の山水を崩した樣な文人畫や、詩賦をひねくつて居た日常生活よりも高い藝術生活が、漱石居士の作品には、見えかけてゐました。此人の實生活は、存外概念化してゐましたが、やつぱり鴎外博士とは違ひました。あの捨て身から生れて來た將來力をいふ人のないのは遺憾です。(折口信夫「好惡の論」初出1927年)


折口は幼児期の出来事=傷の機制をよく知っていた[参照]。

子供は成人の心理学的な父である。幼児の最初期の出来事は、後の全人生において比較を絶した重要性を持つ。 das Kind sei psychologisch der Vater des Erwachsenen und die Erlebnisse seiner ersten Jahre seien von unübertroffener Bedeutung für sein ganzes späteres Leben,(フロイト『精神分析概説』第7章草稿、死後出版1940年)


…………

最後に上に引用した中井久夫の言っている《トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである》についての、フロイト的記述をいくらか掲げておこう。


経験された寄る辺なき状況をトラウマ的状況と呼ぶ。Heißen wir eine solche erlebte Situation von Hilflosigkeit eine traumatische; …

ある危機な状況 Gefahrsituationで不安の信号Angstsignalがある。つまり寄る辺なき状況が到来することを予感したり、現在の状況が過去に経験された寄る辺なき状況を思いださせることである。Dies will besagen: ich erwarte, daß sich eine Situation von Hilflosigkeit ergeben wird, die gegenwärtige Situation erinnert mich an eines der früher erfahrenen traumatischen Erlebnisse.…(フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926年)

ーーこれは、たとえば女に逃げられて強い衝撃をうけたら、過去の傷が蘇るということである。《「どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったから行ったに違ない。しかしどうしてもあすこへ嫁に行くはずではなかったのに。…」》(夏目漱石『明暗』二)

原トラウマに近似した傷として滋養を与えてくれる母の乳房との分離がある。《最も根源的不安 ursprünglichste Angstは(…)母からの分離 Trennung von der Mutter にて起こる。》 (フロイト『制止、症状、不安』第8章)。このようなトラウマ的不安をここでは「原分離不安」と呼んでおこう。そしてこの原初の分離不安に対する防衛が症状を生む。

すべての症状形成は、不安を避けるためのものである alle Symptombildung nur unternommen werden, um der Angst zu entgehen。(フロイト 『制止、不安、症状』第9章、1926年)


どんな人格者や修業を積んだ者であっても原不安の回帰が起こりうる。たとえば成人になって大きな天災に遭遇すれば、原母子関係において抱いた「寄る辺なさ=無力さHilflosigkeit」が回帰しうる。

結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない。Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz; (フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)