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2023年6月10日土曜日

図書室は母胎の代用品


 夢のなかの図書室」の話では敢えて引用しなかったが、そこで引用した『夢解釈』の同じ「夢の仕事」の章にはこうある。


風景あるいは土地の夢で、われわれが、ここへは一度きたことがあるとはっきりと自分にいってきかせるような場合がある。さてこの「既視感〔デジャヴュ déjà vu〕」は、夢の中では特別の意味を持っている。その場所はいつでも母の性器[Genitale der Mutter] である。事実「すでに一度そこにいたことがある 」ということを、これほどはっきりと断言しうる場所がほかにあるであろうか。

Es gibt Träume von Landschaften oder Örtlichkeiten, bei denen im Traume noch die Sicherheit betont wird: Da war ich schon einmal. Dieses » déjà vu« hat aber im Traum eine besondere Bedeutung. Diese Örtlichkeit ist dann immer das Genitale der Mutter; in der Tat kann man von keiner anderen mit solcher Sicherheit behaupten, daß man »dort schon einmal war«.

(フロイト『夢解釈』第6章「夢の仕事」E、1900年)


今では稀になったが、つまりフロイトはほとんど読まれなくなったが、むかしならある程度のフロイト読みならみな知ってたよ、夢のなかの親密な部屋のたぐいが母胎、あるいはその代理であり得るということぐらいは。


夢ではなくても、例えばアルコーヴなんてのは典型的な母胎代理だろうね、


(精神病棟の設計に参与するにあたって)、設備課の若い課員から、人間がいちばん休まるのはどういうものかという質問があった。私は、アルコーヴではないかと答えた。これは、壁の中に等身大の凹みを作って、そこに寝そべるのである。ブリティッシュ・コロンビア大学の学生会館のラウンジには、いくつかのアルコーヴを作ってあって、そこには学生が必ずはいっていた。(中井久夫「精神病棟の設計に参与する」初出1993年『家族の深淵』所収)


こういった思考は、1930年の『文化の中の居心地の悪さ』にも明瞭に現れる。


家は母胎の代用品である。最初の住まい、おそらく人間がいまなお渇望し、安全でとても居心地のよかった母胎の代用品である[das Wohnhaus ein Ersatz für den Mutterleib, die erste, wahrscheinlich noch immer ersehnte Behausung, in der man sicher war und sich so wohl fühlte. ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第3章、1930年)



で、この母胎が原点にある欲動の対象[Objekt des Triebes]=享楽の対象[Objet de jouissance]だ[参照]。


以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…)  eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)


あとはこの母胎回帰欲動を受け入れるか否かの問題だけだが、ラカン及び主流ラカン派は正面から受け入れている(先ほどのリンクの末尾参照)。

フロイトにおいて死の欲動は、生物学的死にダイレクトには関わらない、快原理の彼岸にある反復強迫の意味もあるが、原点にあるのはこの母胎回帰欲動が死の欲動である[参照]。



愛の欲動が死の欲動である理由はこの3番目の相にある。


リビドーは愛の欲動である[Libido est Liebestriebe](フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年、摘要)

リビドーはそれ自体、死の欲動である[La libido est comme telle pulsion de mort](J.-A. Miller,  LES DIVINS DÉTAILS, 3 mai 1989)


すべての欲動は実質的に、死の欲動である[toute pulsion est virtuellement pulsion de mort](Lacan, E848, 1966年)

死は愛である [la mort, c'est l'amour.] (Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)

タナトスの形式の下でのエロス [Eρως [Éros]…sous  la forme du Θάνατος [Tanathos] ](Lacan, S20, 20 Février 1973)


愛への意志、それは死をも意志することである[ Wille zur Liebe: das ist, willig auch sein zum Tode](ニーチェ『ツァラトゥストラ』  第2部「無垢な認識」1884年)