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2023年6月21日水曜日

ほしいままにエロスの中に浸りえ、その世界の光源氏であった男は詩を書かない


このところ大江健三郎アポリネールのエロス文を引用したが、だいたいエロを書く作家はエロがうまく言っていないんだよ。

 中井久夫は《ほしいままにエロスの中に浸りえ、その世界の光源氏であった男はそもそも詩を書かないのではないか。》としているがね。


「この記憶をぜひ話したい/だが今はもうひどく色あせてーー消えて尽きたかのよう/はるな昔だから、私の青春時代だから。 //ジャスミンの肌――/あの八月の夕ベーーはたして八月だったか?  ーー/眼だけは思い出せるーー青ーーだったと思う/そう。 サファイアの青だったね」「はるかな昔」 一九一四年)


「身体よ、忘れるな、受けた数多の愛だけでなく/横たわった多くの寝台だけでなく/きみを見つめた眼の中に/きみに語って震えた声の中に/いかにも露わだった憧れのきらめきも――。 /充たされなかったのはほんの偶然のせいだったが/決定的な過去となった今では/肌を合わせたようにも思えてくるではないか。/忘れるな、ああ、きみを見つめていた眼の中の、あの憧れの震え。忘れるな、身体よ」(「忘れるな、身体よ」一九一八年)


「私の馴染んだこの部屋が/貸し部屋になっているわ/その隣は事務所だって。 家全体が/事務所になってる。代理店に実業に会社ね//いかにも馴染んだわ、あの部屋//戸口の傍に寝椅子ね/その前にトルコ絨毯/かたわらに棚。 そこに黄色の花瓶二つ/右手に、いや逆ね、 鏡付きの衣裳箪笥/中央にテーブル。彼はそこで書き物をしてたわ/大きな籐椅子が三つね/窓の傍に寝台/何度愛をかわしたことでしょう。 //…… //窓の傍の寝台/午後の日射しが寝台の半ばまで伸びて来たものね//……あの日の午後四時に別れたわ/一週間って――それからーー/その週が永遠になったのだわ」「午後の日射し」一九一九年)


「夜中の一時だったかそれとも一時半//酒場の隅だったね/板仕切りの後ろ/きみと二人きり。 他に人はいなかったね/ともしびもほとんど届かなくて/給仕はドアのきわで眠ってた。 //誰にも見られなかったけれど/どうせこんなに燃えたからには/用心しろといっても無理だよね。//……//神のごとき七月の燃えさかる中/大きくはだけた着物と着物の間の/肉の喜び。/肉体はただちにむきだしとなってーー/そのまぼろしは二十六年の時間をよぎって/この詩の中で今憩いに就くのだよ」(「憩いに就く」一九一九年)


「このちいさな鉛筆がきの肖像は/あいつそっくりだ。//とろけるような午後甲板で一気に描いた/まわりはすべてイオニア海//似ている。でも奴はもっと美男だった/感覚が病的に鋭くて/会話にぱっと火をつけた/今彼はもっと美しい/遠い過去から彼を呼び戻す私の心。// 遠い過去だ。すべて。おそろしい古さ/スケッチも、船も、そして午後も」(「船上にて」一九一九年、当時の同性の恋人たちはスケッチを交換しあった。)


〔・・・〕

カヴァフィス詩は一般に制作と発表との間に大きなずれがある。エロス詩は特にそうであって、死後刊行の詩篇には、一九〇四年という早い時期にエロス詩、それもピカレスクな詩を見ることができる。大戦以後のエロス詩は単なる「解禁」なのか。一九〇四年には更に例外的な哀切な詩がいくつかある。彼がアテネに旅行した翌年である。何かがその年の秋にアテネであったらしい。


現実の詩人のエロスはどうだったかはあまりわかっていない。しかし、ほしいままにエロスの中に浸りえ、その世界の光源氏であった男はそもそも詩を書かないのではないか。彼のエロス詩には対象との距離意識、ほとんどニーチェが「距離の情熱」と呼んだものがあって、それが彼のエロス詩の硬質な魅力を作っているのではないだろうか。


「年を取る前にみまかった美しい死体。/涙ながらに贅を凝らした廟の壁龕に収められ頭の傍らに薔薇、足元にジャスミン。それはそっくり/満たされずに終わった憧れ/一夜の悦びも、光まばゆい翌朝も授からなかった憧れに」(「憧れ」一九〇四年)


「もしもきみへの愛を語れぬとしても/よしんばきみの黒髪を、唇を、眼をうたえぬとしても/こころに秘めたきみの面影/脳裡に消えない声の響き/九月の日々は私の夢に現れて/私のことばの、私の書くものの形となり肉となっているよ/何を論じても  どんな考えを語ろうとも」(「一九〇三年十二月」一九〇四年)

(中井久夫「現代ギリシャ詩人の肖像」初出1993-1994年「ふらんす」『精神科医がものを書くとき』所収)




もっともさらに別の問いがある、《ほしいままにエロスの中に浸りえ、その世界の光源氏であった男》ーー男に限らず女でもいいーーなんているのだろうか、という問いだ。



プルーストはこう書いている。


ある人へのもっとも排他的な愛は、常になにか他のものへの愛である[L’amour le plus exclusif pour une personne est toujours l'amour d’autre chose ](プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)


これは精神分析的には転移、あるいは置き換えだ。

精神分析における愛は転移と呼ばれる[L'amour, dans la psychanalyse, c'est le transfert. ]〔・・・〕私が誰かを愛するのは、常に何か他のものを愛しているためである[Toujours, j'aime quelqu'un parce que j'aime quelqu'un d'autre.]。(J.-A. Miller「愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour」1992)


で、本来的には人はみな死ぬまで愛に飢えている。

人間は死ぬまで愛情に飢ゑてある動物ではなかつたか(室生犀星『随筆 女ひと』1955年)

死は愛である [la mort, c'est l'amour.](Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)


愛なるものを誤魔化さずにしっかり見極めれば、必ずこの結論に至る筈である。


愛することと没落することとは、永遠の昔からあい呼応している。愛への意志、それは死をも意志することである。おまえたち臆病者に、わたしはそう告げる。Lieben und Untergehn: das reimt sich seit Ewigkeiten. Wille zur Liebe: das ist, willig auch sein zum Tode. Also rede ich zu euch Feiglingen! (ニーチェ『ツァラトゥストラ』  第2部「無垢な認識」1884年)

完全になったもの、熟したものは、みなーー死を欲する![Was vollkommen ward, alles Reife - will sterben!](ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」第9節、1885年)