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2025年9月29日月曜日

国破れて割れ目在り


「国破れてマンコ在り」か、小山晃弘くんは実に巧いねぇ。




杜甫の詩自体、その含意があるんじゃないかね、


春望   杜甫


國破山河在 城春草木深

感時花濺淚 恨別鳥驚心

烽火連三月 家書抵萬金

白頭搔更短 渾欲不勝簪


「國破山河在 城春草木深」なんて、マンダラゲの話でありうるからな


時間はとまつてしまった

永遠だけが残ったこの時間のない

ところに顔をうずめてねむつている

「汝を愛するからだ  おお永遠よ」

もう春も秋もやつて来ない

でも地球には秋が来るとまた

路ばたにマンダラゲが咲く


ーー西脇順三郎「坂の五月」



谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(老子「道徳経」第六章「玄牝之門」)

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ。(老子「玄牝之門」福永光司訳)


西脇や老子だけじゃなくて、田中慎弥の芥川賞受賞作品『共喰い』まで思い出しちゃったよ、


そうしようとは思っていなかったのにとりあえず鈴を鳴らし、社に手を合わせたあと、振り向いて川を見下ろした千種は、


今日も割れ目やねえ。


 川が女の割れ目だと言ったのは父だった。生理の時に鳥居をよけるというのと違って、父が一人で勝手に言っているだけだった。上流の方は住宅地を貫く道の下になり、下流では国道に蓋をされて海に注いでいる川が外に顔を出しているのは、川辺の地域の、わずか二百メートルほどの部分に過ぎず、丘にある社からだと、流れの周りに柳が並んで枝葉を垂らしているので、川は、見ようによっては父の言う通りに思えなくもない。(田中慎弥『共喰い』2012年)




ここで私のお気に入りの上野千鶴子語録を以前列挙したことがあるので再掲しておこう。




それをもっているために女であり、そのために男を誘惑し、それが原因でおとしめられ、女の中核でありながら、女自身から最も女が遠ざけられているもの (上野千鶴子『女遊び』1988年)

おまんこ、と叫んでも誰も何の反応も示さなくなるまで、わたしはおまんこと言いつづけるだろうし、女のワキ毛に衝撃力がなくなるまで、黒木香さんは腕をたかだかとあげつづけるだろう。それまでわたしたちは、たくさんのおまんこを見つめ、描き、語りつづけなければならない.そしてたくさんのおまんこをとおして“女性自身(わたしじしん)”が見えてくることだろう。(上野千鶴子『女遊び』1988年)

女の下着にはもともと、性器を隠す機能は必要ありません。女の性器は解剖学的な位置関係や形状からいっても、そのままでは外から見えない部分です。(上野千鶴子『スカートの下の劇場』1989年)

性的な身体を女性は見られることによって獲得していきます。女性にとって自己身体意識、あるいは自己身体イメージの獲得は、思春期以降、男性からかくあるべき身体として自分に付与される視線によって、その視線を内面化することによって獲得されます。(上野千鶴子 『性愛論』1991年)

女を性器に還元しながら、その女に依存せずには自分の欲望を満たすことができない男の性欲の自縄自縛の構造を、だれよりも呪詛しているのは男自身だろう。このなかに男のミソジニーの謎のすべて―ミソジニーはもともと男のものだ―が含まれている。(上野千鶴子『女ぎらい―ニッポンのミソジニー』2010年)

家父長制とは、自分の股から生まれた息子を、自分自身を侮蔑すべく育てあげるシステムのことである。(上野千鶴子『女ぎらい―ニッポンのミソジニー』2010年)

性欲にはけ口が必要であるならば、ムラムラは自分で解消すればいい。相手のあるセックスをしたければ、相手の同意が必要なのは当たり前だろう。セックスは人間関係なのだから、関係をつくる努力をすればよい。〔・・・〕カネまで払って男性がやりたい理由は、私には永遠の謎だ。男たちが変わるのに何世紀かかるかわからないが、この男の不気味さは男に解いてもらいたい。(上野千鶴子「売春は強姦商品化でキャバはセクハラ商品化」週刊ポスト2013年6月7日号)

@ueno_wan: 男のお守りはもうたくさんだ。女に甘え、女に依存し、女につけこみ、女をなめきり、それができないと逆ギレする。いいかげんにしろ、と言いたい。(上野千鶴子、2016 05.24)



……………


ま、いずれにせよ日本には昔から唐津の道祖神のたぐいの表徴がふんだんにあるからな。








で、世界的にもーーフェミニズムの大いなる貢献もあってーー、上辺のファルスは消滅したんだよ


原理の女性化がある。両性にとって女なるものがいる。過去は両性にとってファルスがあった[il y a féminisation de la doctrine [et que] pour les deux sexes il y a la femme comme autrefois il y avait le phallus.](エリック・ロラン Éric Laurent, séminaire du 20 janvier 2015)


ここでのファルスは家父長制だ。

今日、私たちは家父長制の終焉を体験している。ラカンは、それが良い方向には向かわないと予言した[Aujourd'hui, nous vivons véritablement la sor tie de cet ordre patriarcal. Lacan prédisait que ce ne serait pas pour le meilleur. ]。〔・・・〕

私たちは最悪の時代に突入したように見える。もちろん、父の時代(家父長制の時代)は輝かしいものではなかった〔・・・〕。しかしこの秩序がなければ、私たちはまったき方向感覚喪失の時代に入らないという保証はない[Il me semble que (…)  nous sommes entrés dans l'époque du pire - pire que le père. Cer tes, l'époque du père (patriarcat) n'est pas glorieuse, (…) Mais rien ne garantit que sans cet ordre, nous n'entrions pas dans une période de désorientation totale](ジャック=アラン・ミレール J.-A. Miller, “Conversation d'actualité avec l'École espagnole du Champ freudien, 2 mai 2021)

家父長制とファルス中心主義は、原初の全能的母権制(家母長制)の青白い反影にすぎない[the patriarchal system and phallocentrism are merely pale reflections of an originally omnipotent matriarchal system] (ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE, 1998)


よりラカン的に言えばこうだ。

女の壺は空虚だろうか、それとも満湖[plein]だろうか。…あれは何も欠けていない[Le vase féminin est-il vide, est-il plein ? … Il n'y manque rien ](Lacan, 20 Mars 1963)

不気味なものは、欠如が欠如している[L'Unheimlich c'est ce - que le manque vient à manquer.  ](Lacan, S10, 28 Novembre 1962)

欠如の欠如が現実界をなす [Le manque du manque fait le réel](Lacan, AE573、1976)


欠如が欠如しているとはファルスの欠如、つまり言語外、象徴界外だということだ、

ファルスはそれ自体、主体において示される欠如の印以外の何ものでもない[  (le) phallus lui-même … n'est rien d'autre que ce point de manque qu'il indique dans le sujet. ](Lacan, LA SCIENCE ET LA VÉRITÉ, E877, 1965)

ファルスの意味作用とは実際は重複語である。言語には、ファルス以外の意味作用はない。Die Bedeutung des Phallus  est en réalité un pléonasme :  il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus.  (ラカン, S18, 09 Juin 1971)

象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)


つまり不気味な現実界とは法なき現実界だ。

私は考えている、現実界は法なきものと言わねばならないと。真の現実界は秩序の不在である。現実界は無秩序である[je crois que le Réel est, il faut bien le dire, sans loi.  Le vrai Réel implique l'absence de loi. Le Réel n'a pas d'ordre].  (Lacan, S23, 13 Avril 1976)


で、究極の不気味なものとはフロイトが示しているように、もちろん女性器あるいは母胎である。

女性器は不気味なものである。しかしこの不気味なものは、人がみなかつて最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。

das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. Dieses Unheimliche ist aber der Eingang zur alten Heimat des Menschenkindes, zur Örtlichkeit, in der jeder einmal und zuerst geweilt hat.


「愛は郷愁だ」とジョークは言う。そして夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器、あるいは母胎であるとみなしてよい。 

»Liebe ist Heimweh«, behauptet ein Scherzwort, und wenn der Träumer von einer Örtlichkeit oder Landschaft noch im Traume denkt: Das ist mir bekannt, da war ich schon einmal, so darf die Deutung dafür das Genitale oder den Leib der Mutter einsetzen.


したがっての場合においてもまた、不気味なものはこかつて親しかったもの、昔なじみのものである。この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴なのである。

Das Unheimliche ist also auch in diesem Falle das ehemals Heimische, Altvertraute. Die Vorsilbe » un« an diesem Worte ist aber die Marke der Verdrängung.

(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)


ま、これはもはやしょうがないね、いまさらファルス秩序を取り戻すわけにはいかないよ。


言語、法、ファルスとの間には密接な結びつきがある。父の名の法は、基本的に言語の法以外の何ものでもない。法とは何か? 法は言語である[Il y a donc ici un nœud très étroit entre le langage, la Loi et le phallus. La Loi du Nom-du-Père, c'est au fond rien de plus que la Loi du langage ;…qu'est-ce que la Loi ? - la Loi, c'est le langage.  ](J.-A. MILLER, - L’Être et l’Un,  2/3/2011)


で、学園紛争を契機に、

父の蒸発 [évaporation du père](ラカン「父についての覚書 Note sur le Père」1968年)

エディプスの失墜[déclin de l'Œdipe](Lacan, S18, 16 Juin 1971)

レイシズム勃興の予言[prophétiser la montée du racisme](Lacan, AE534, 1973)

つまり事実上、1970年代から女性原理の時代が始まっている。まだ当時は今と比べればカワイラシイものだったが。


ラカンの若い友人だったソレルスが1983年にこう言ってるがね。


世界は女たちのものだ、いるのは女たちだけ、しかも彼女たちはずっと前からそれを知っていて、それを知らないとも言える、彼女たちにはほんとうにそれを知ることなどできはしない、彼女たちはそれを感じ、それを予感する、こいつはそんな風に組織されるのだ。男たちは? あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども …一杯食わされた管理者たち …筋骨たくましいのは見かけ倒しで、エネルギーは代用され、委任される …

Le monde appartient aux femmes, il n'y a que des femmes, et depuis toujours elles le savent et elles ne le savent pas, elles ne peuvent pas le savoir vraiment, elles le sentent, elles le pressentent, ça s'organise comme ça. Les hommes? Écume, faux dirigeants, faux prêtres, penseurs approximatifs, insectes... Gestionnaires abusés... Muscles trompeurs, énergie substituée, déléguée...(ソレルス『女たち』1983年)


要するにこのまま女性原理の時代が続くんだろうよ。


この数年何度も言ってきたが、幸運な時代は終わったんだよ、

「戦争が男たちによって行われてきたというのは、これはどえらく大きな幸運ですなあ。もし女たちが戦争をやってたとしたら、残酷さにかけてはじつに首尾一貫していたでしょうから、この地球の上にいかなる人間も残っていなかったでしょうなあ」C'est une chance énorme que les guerres aient été faites par les hommes. Si les femmes avaient fait la guerre, elles auraient été si conséquentes dans leur cruauté qu'il ne resterait aucun être humain sur la planète.(クンデラ『不滅』Milan Kundera, L'Immortalité,1990)

女が憎むときは、男はその女を恐れるがいい。なぜなら、魂の底において、男は「たんなる悪意の者 Seele nur böse」であるにとどまるが、女は「悪 schlecht」(何をしでかすかわからない)だから。

Der Mann fürchte sich vor dem Weibe, wenn es hasst: denn der Mann ist im Grunde der Seele nur böse, das Weib aber ist dort schlecht.(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第1部「老いた女と若い女」1883年)



悪魔のお通り、地獄絵図