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2025年11月25日火曜日

あらためて強調しておこう、「日本は日米合同委員会に支配された属国」と

 

少し前にも記したが今の日本はこのヘグセスの言っている線で動いているのであって、高市政権だけを批判しても栓なきことである。

ピート・ヘグセス国防長官:日本は、西太平洋で起こりうるいかなる不測の事態にも最前線に立ち、互いに支え合いながら立ち上がるだろう。

Japan would be on the front lines of any contingency we might face in the western Pacific and we stand together in support of each other.

ーーSecretary of Defense Pete Hegseth Joint Press Conference With Japanese Defense Minister Gen Nakatani in Tokyo, March 29, 2025




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日本外交政治の背後にはーーこれも何回も繰り返してきたが[参照]ーー何よりもまず日米合同委員会がある。


◾️日米合同委員会(鳩山由紀夫ーー於西部邁ゼミ)


動画


◾️東京新聞 2022年1月21日





直近の「日米合同委員会の今後の開催予定日時と場所を記した文書の不開示決定(不存在)に関する件 総務省答申書」(2025年10月27日、PDF)にも、《日米合同委員会は毎月2回、外務省が指定した施設とニューサンノー米軍センターで交互に実施されている》が、開催予定日時と場所の開示要求に対して不開示決定されている。


これらは結局、既に巷間に流布している「日本は日米合同委員会に支配された属国」ということだが、次のような消息があるそうだ(参照:矢部宏治の記事一覧


◾️矢部宏治「鳩山元首相が青ざめた…自分を「裏切った」腹心の官僚が、じつは忠誠を誓っていた「意外すぎる相手」 」2024.09.16

〔・・・〕日米合同委員会のメンバーは、たとえば外務省なら北米局長、法務省なら大臣官房長と、最高のエリートコースにいる官僚たちが、そのポストによって選ばれています。ですから彼らにしてみると、自分の上司も、その上司も、そのまた上司も、全員がこの「米軍+官僚」共同体のメンバーなわけです。だから裏切ることなど、絶対にできるはずがありません。


なかでも法務省から合同委員会のメンバーとなる大臣官房長は、その後、かなりの確率で検事総長に就任しています。そして次の第五章で見るように、日本の最高裁は、「砂川裁判・最高裁判決」というひとつの判決によって、現在、まったく機能していないわけです。


最高裁が機能していない中で、検事総長を出す権利を握っているわけですから、日本の法的な権力構造のトップには、この日米合同委員会が位置しているということになる。


そうしたガッチリとシステム化された権力構造のなかで、長い時間をかけて苦労して積み上げてきた合意を、

「ひょっとしたら数ヵ月で辞めるような首相に、ひっくり返されたくない」

というのがおそらく彼らの本音だったのでしょう。

つまり鳩山氏が感じた、日本の高級官僚が忠誠を誓う、

「首相鳩山ではない、なにか別のもの」とは、この日米合同委員会という、60年以上続く「米軍+官僚」の共同体だったというわけです。


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例えば、次のような話の背後にも日米合同委員会の意志があると疑ったほうがいい。










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※附記


◾️アレクサンドル・ドゥーギンVictory as Existence by Alexander Dugin (@Agdchan)

現代のドイツや日本の行動に対する憤慨は無駄である。第二次世界大戦の結果、彼らは西側の奴隷となり、事実上、存在しないのである。

That is why it is pointless to be outraged by the behavior of modern Germany or Japan ― because they lost World War Two, they are now slaves of the West; they effectively do not exist.


戦後の日本の外交に関しては、もちろん、さまざまな要因を考慮しなければならない。

2・26事件の1936年以後敗戦の45年まで陸軍は事実上外交を無視していた。45年から52年まで占領下の日本には外交権がなかった。52年から「冷戦」の終わった89年まで、日本は「米国追随」に徹底していた。


ということは、事実上外交的な「イニシアティブ」をとる余地がほとんどなかった、ということである。日本国には半世紀以上も独自の外交政策を生み出す経験がなかった。そこでわずかに繰り返されたのが、情勢の変化に対するその場の反応、応急手当、その日暮らし、先のことは先のこととして現在にのみこだわることになったのだろう。


おそらく過去を忘れ、失策を思い煩わず、現在の大勢に従って急場をしのぐ伝統文化があった。〔・・・〕


人々が大勢に従うのは、もちろん現在の大勢にである。大勢は時代によってその方向を変える。…当面の時代、歴史的時間の現在、大勢の方向が決定する今日は伸縮するが、昨日の立場から切り離して、今日の大勢に、それが今日の大勢であるが故に、従おうとするのが大勢順応主義の態度である。その態度は昨日と今日の立場の一貫性に固執しない。別の言葉でいえば、大勢順応主義は集団の成員の行動様式にあらわれた現在中心主義である。

(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)