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2015年2月4日水曜日

あなた方にききたいのだが、--挑発の色調をこめて

ところで、あなた方にききたいのだが、――あなた方? もちろんこの「あなた方」には、この「私」も含まれるーー、なぜ日本人が人質になったときだけ大騒ぎするのだろう? ――などという問いは、かねてからもっともらしい連中がいくどもくり返してきた捏造された問いにすぎないのかもしれない、それらに比べていささかの「挑発」の色調があるかもしれぬが。「日本人」とは「私」のことだ。私の同類のことだ。その「私」が危険にさらされれば大騒ぎするのはアタリマエであるだろう。

あなた方は、誰よりも自分を、そして自分の愛する者の危険に心を配る。

まず第一に、無差別の愛などは、相手を侮辱するもので、愛の本質的価値の一部を失っている。しかも第二に、すべての人間が愛に値するなどということはありえない(フロイト『文化への不満』)

いや自己愛が先ではないとさえ言う人もいる、《その人の満足と安全とを自分と同等以上に置く時、愛があり、そうでないならばない》(サリバン)。

あなた方の一員であるつもりの「私」は、だが長年の海外生活を経て、標準的な日本人よりは外国人と接触する機会も多くーー当地の人たちだけでなく、韓国人、中国人や台湾人としばしばテニスをするし、当地に来た当初の二十年前からの飲み友達は、香港籍の英人や、当時わたくしと同じく当地人と結婚したオーストラリア人だーー、なぜ「日本人」は「日本人」の危険をのみ大げさに騒ぐのだろう、といささかひねくれた問いを発してみただけかもしれない。とはいえ、私はこうやって「日本語」で今書いているわけだ。その意味で、あなた方の一員であり続けるだろう。

「憐れみ」の思想家ルソーは、《人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ》(『エミール』)としたが、米国人や仏人、英人などが人質になっても、あなた方は自分がまぬがれていると考えるのだろうから、たいして憐れまない。

もちろんそれ以外にも、日本人が人質になれば大きなニュースになる。想像力の欠けた連中でさえいやおうなく危機感を煽られる。飛行機墜落事故が大きなニュースになって自動車事故はニュースにならないのと同じように、大きなニュースによって示された危険性のほうばかりが注目される。「日本人」の人質事件は「飛行機事故」である。あるいは「三原山投身者」である。


寺田寅彦氏はジャアナリズムの魔術についてうまい事を言っていた、「三原山投身者が大都市の新聞で奨励されると諸国の投身志望者が三原山に雲集するようなものである。ゆっくりオリジナルな投身地を考えている余裕はないのみならず、三原山時代に浅間へ行ったのでは『新聞に出ない』のである。このように、新聞はその記事の威力によって世界の現象自身を類型化すると同時に、その類型の幻像を天下に撒き拡げ、あたかも世界中がその類型で充ち満ちているかの如き錯覚を起させ、そうすることによって、更にその類型の伝播を益々助長するのである」。類型化と抽象化とがない処に歴史家の表現はない、ジャアナリストは歴史家の方法を迅速に粗笨に遂行しているに過ぎない。歴史家の表現にはオリジナルなものの這入り込む余地はない、とまあ言う様な事は一般常識の域を出ない。僕は進んで問いたいのだ。一体、人はオリジナルな投身地を発見する余裕がないのか、それともオリジナルな投身地なぞというものが人間の実生活にはじめから存在しないのか。君はどう思う。僕はこの単純な問いから直ちに一見異様な結論が飛び出して来るのにわれながら驚いているのだ。現実の生活にもオリジナルなものの這入り込む余地はないのだ。(小林秀雄「林房雄の「青年」」『作家の顔』所収)

ニュースになりさえしない事件、しかも遠い外国の出来事、たとえばシオニストがヨルダン川西岸で、しかも殺戮でさえなく、日常的かつ「些細な」暴力、《井戸に毒を入れ、木々を焼き払い、パレスチナ人をゆっくりと南に押しやってゆく》(ジジェク)――こんなことは念頭にさえ浮ばない。

いや、安倍晋三が日本の武器商人を引きつれて、イスラエルで商談をすれば、あなた方のうちのひとりでしかない「私」でも、すこしは調べてみようとするのかもしれない。


カレイドスコープ


もちろんシオニズム国家イスラエルもガザ地区からロケット攻撃を受けているのを知らないわけではない。「イスラエルを含むどの国家も、その領土と人々がロケット攻撃に被られている時に、じっとしていることはできない」(ヒラリー・クリントン)――だから「復讐」は正当化される・ ・ ・

《しかしパレスチナ人たちは、ヨルダン川西側地区が日々彼らに奪われている時に、じっとしているべきなのだろうか? 》(ジジェク

ところで、あなた方は、なぜ日本政府が武器商人の振舞いをしたときのみ、いきり立つのだろう? なぜ日本が武器輸出国の仲間入りをして悪いのだろう? ーーとまではけっして言うまい。だが下記のような国々の連中の商売を食い止めなければ、いくら日本が輸出を取りやめても同じことではないか?





もちろんこれらの問いもいくどもくり返された凡庸な問いでしかない。しかもイスラエル(ユダヤ人)も、パレスチナ(あるいはアラブ人)も、この半世紀以上を超えてのあいだに、それぞれひどい心的外傷事件を抱えている。どうやって彼ら相互のあいだの復讐を止めうるのか、などとは誰もが思いもつかないアポリアに相違ない。




サン=フォン) もしわしが他人から悪を蒙ったら、わしはそれを他人に返す権利、いや、進んでこちらからも悪を働く幸福さえ享有するだろう。 (マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』澁澤龍彥訳ーーー「血まみれの頭ーー〈隣人〉、あるいは抑圧された〈悪〉」より)




日本は平和憲法という世界史的理念を偶然にもわがものとしてきた。《ヨーロッパのライプニッツ・カント以来の理念が憲法に書き込まれたのは、日本だけです。だから、これこそヨーロッパ精神の具現であるということになる》(柄谷行人)ーーこの理念をすこしでも世界の国に共有してもらう方法が、ひょっとして「日本人であること」の一番肝腎なことなのだろうか。それはいささか自分だけよい子になるエゴイズムに見えないでもないにもかかわらず。

エマニュエル・トッドは、「シャルリ・エブド」オフィスにおけるテロ事件後の電話インタビューで次のように語っている(「仏テロ事件後のラ・マルセイエーズによる「情緒の昂揚」」より)。

フランスは中東で戦争状態にある。オランド大統領はイラクに爆撃機を出動させ、過激派を空爆している。ただ、国民はそれを意識していない。

真の問題はフランスが文化道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない。人々は孤立している。社会に絶望する移民の若者がイスラムに回帰するのは、何かにすがろうとする試みだ。

あなた方は、あるいは「私」は、日本という国はまだここまでの振舞いをするには至っていないはずだとひそかに得心し、安堵していていいものだろうか。トッドは同時に、《フランスが今回の事態に対処したいのであれば、冷静になって社会の構造的問題を直視すべきだ》とも語っている。

またしても、「社会の構造」、あるいは「システム」の問題だ、などとは言わないでおこう。そのシステムとは、究極的には、世界資本主義のシステムであり、そこからどうやって免れるかなどとの問いは考えても無駄だなどとは。《悲劇はこういうことです。私たちが現在保持している資本-民主主義に代わる有効な形態を、私も知らないし、誰も知らないということなのです。》(ジジェクーー絶望さえも失った末人たち


世界資本主義、--それはさらに具体的には、「新自由主義」というイデオロギーであると言えるのかもしれない(参照:世界資本主義のガン/イスラム対抗ガン)。

「帝国主義的」とは、ヘゲモニー国家が衰退したが、それにとって代わるものがなく、次期のヘゲモニー国家を目指して、熾烈な競争をする時代である。一九九〇年以後はそのような時代である。いわゆる「新自由主義」は、アメリカがヘゲモニー国家として「自由主義的」であった時代(冷戦時代)が終わって、「帝国主義的」となったときに出てきた経済政策である。「帝国主義」時代のイデオロギーは、弱肉強食の社会ダーウィニズムであったが、「新自由主義」も同様である。事実、勝ち組・負け組、自己責任といった言葉が臆面もなく使われたのだから。しかし、アメリカの没落に応じて、ヨーロッパ共同体をはじめ、中国・インドなど広域国家(帝国)が各地に形成されるにいたった。(第四回長池講義 柄谷行人講義要綱

そして新自由主義のバイブルとしてアングロサクソンたちに爆発的に読まれているのは、アイン・ランドである。

お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます。(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』ーー「エンロンEnron社会」を泳がざるをえない「文化のなかの居心地の悪さ」)



2015年1月29日木曜日

絶望さえも失った末人たち

以下は、「世界資本主義のガン/イスラム対抗ガン」などの補遺。多くはこのところ引用してきたもののくり返し、もしくはその断片を引用した文をもうすこし長く引用している。

…………

まずヘーゲル主義者フランシス・フクヤマの「歴史の終焉」をめぐるジジェクの見解(当時の)を「新しい形態のアパルトヘイト」から再掲しよう。

私のフクヤマに対する批判は、彼がヘーゲル的でありすぎるということではなく、まだ十分にヘーゲル的ではないということです。十分に弁証法的ではないと言ってもかまいません。というのも、ヘーゲルが繰り返し強調しているのは、ある政治システムが完成されて勝利をおさめる瞬間は、それがはらむ分裂が露呈される瞬間でもあるということなのです。(「スラヴィイ・ジジェクとの対話」初出1993 「SAPIO」浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収)

では具体的に八九年以降どんな「分裂が露呈」されているのか。

実際、勝ちをおさめたかに見える自由民主主義の「世界新秩序」は、「内部」と「外部」の境界線によってますます暴力的に分断されつつあります。「新秩序」の なかにあって人権や社会保障などを享受している、「先進国」の人々と、そこから排除されて最も基本的な生存権すら認められていない「後進国」の人々を分か つ境界線です。しかも、それはもはや国と国との間にとどまらず、国の中にまで入り込んできています。かつての資本主義圏と社会主義圏の対立に代わり、この「内 部」と「外部」の対立こそが現在の世界情勢を規定していると言っていいでしょう。このように、とことんヘーゲル的に言うなら、自由民主主義は構造的にみて普遍化され得ないのです。(同上)

実際、冷戦終了後、世界は混沌をきわめつつあるようにみえる。いまはそれから25年ほど経っているが、中井久夫が2000年に書いたように、歴史の終焉どころか歴史の退行がいっそう進行中であるといいうるだろう。

私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。(「親密性と安全性と家計の共有性と」)

ここで、「仏テロ事件後のラ・マルセイエーズによる「情緒の昂揚」」にて貼り付けたエマニュエル・トッドのテロ事件後の電話インタビュー記事のいくらかを、まずは再度抜粋する。

……フランスが今回の事態に対処したいのであれば、冷静になって社会の構造的問題を直視すべきだ。北アフリカ系移民の2世、3世の多くが社会に絶望し、野獣と化すのはなぜなのか。(……)

背景にあるのは、経済が長期低迷し、若者の多くが職に就けないことだ。中でも移民の子供たちが最大の打撃を被る。さらに、日常的に差別され、ヘイトスピーチにされされる。

「文化人」らが移民の文化そのものを邪悪だと非難する。

移民の若者の多くは人生に意味を見いだせず、将来の展望も描けず、一部は道を誤って犯罪に手を染める。収監された刑務所で受刑者たちとの接触を通じて過激派に転じる。社会の力学が否定的に働いている。(……)

真の問題はフランスが文化道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない。人々は孤立している。社会に絶望する移民の若者がイスラムに回帰するのは、何かにすがろうとする試みだ。

ジャック=アラン・ミレールは、テロ事件後、テルアビブの友人の精神分析家Susannaの言葉を引用している(もっともこれは必ずしも彼の見解ではない)。

すべての指導者が、一緒になって並び立ち、腕を組んで歩き、どんなゴールの不在のもとに一体化しているのを見ると、みじめさを感じてしまう。私は思うのだが、彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っているのだ。(12.01.2015 JACQUES-ALAIN MILLER ON THE CHARLIE HEBDO ATTACK)。

ここにある《彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っている》とは、トッド曰くの《真の問題はフランスが文化道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない》の変奏と言いうるものだ。

あるいはまたニーチェの《人間は欲しないよりは、また無を欲するものである》(『道徳の系譜』)、《人間意志は一つの目標を必要とする、そしてそれは欲しないよりは、またしも無を欲する》における「無」さえ欲しない末人論の谺をきくことができるのかもしれない。

見よ! 私は君達に末人を示そう。
『愛って何? 創造って何? 憧憬(あこがれ)って何? 星って何?』―こう末人は問い、まばたきをする。

そのとき大地は小さくなっている。その上を末人が飛び跳ねる。末人は全てのものを小さくする。この種族はのみのように根絶できない。末人は一番長く生きる。

『われわれは幸福を発明した』―こう末人たちは言い、まばたきをする。
彼らは生き難い土地を去った、温かさが必要だから。彼らはまだ隣人を愛しており、隣人に身体を擦りつける、温かさが必要だから。…

ときおり少しの毒、それは快い夢を見させる。そして最後は多量の毒、快い死のために。…
人はもはや貧しくも豊かにもならない。どちらも面倒くさすぎる。支配する者もいないし、従う者もいない。どちらも面倒くさすぎる。

飼い主のいない、ひとつの畜群! 誰もが同じものを欲し、誰もが同じだ。考え方が違う者は、自ら精神病院へ向かう。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』序説 手塚富雄訳)

《われわれは幸福を発明した》における「幸福」とは、アングロサクソン流、すなわち世界資本主義家流、新自由主義、あるいは市場原理主義流の幸福である。

人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである。(ニーチェ『偶像の黄昏』)

すなわち、なんの信念もなしにその日その日が「幸福」であればよい、という態度である。

後はどうとでもなれ。これがすべての資本家と、資本主義国民の標語である。だから資本は、社会が対策を立て強制しないかぎり、労働者の健康と寿命のことなど何も考えていない。(マルクス)

ところで、どうして無=絶望さえも欲することを失ってしまったのか。それは現在のシステムには展望がまったくないからではないか。いま誰がこの現在よりも将来がよりよくなっていると「夢想」できるひとがいるだろう? ーーとは言いすぎであり、いわゆる「後進国」ではそう考えている人たちも多いのを知らないわけではないがーー、すくなくとも「先進諸国」に住む人びとやとりわけその指導者層は、実のところ、日々を、いま進みつつある下り坂が急にならないように舵取りしつつ、やりすごしているだけではないのか。ただ急坂を転げ落ちることだけは避けようとして。そしてその坂道には、ときおりムスリムや資本の欲動が奈落の穴を開けてみせる。

最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。(柄谷行人「反原発デモが日本を変える」ーー「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)より)

…………

以下は、冒頭近くに掲げたトッドの文章と「ともに」読むための参考文献のいくつかである(「フランス人のマグリブ人に対する敵意」にてもトッドの考え方のいくらかの引用がある)。とはいえ、もっとも肝腎であるかもしれないパレスチナの話はここでは除いている。

もともと戦後体制は、1929年恐慌以後の世界資本主義の危機からの脱出方法としてとらえられた、ファシズム、共産主義、ケインズ主義のなかで、ファシズムが没落した結果である。それらの根底に「世界資本主義」の危機があったことを忘れてはならない。それは「自由主義」への信頼、いいかえれば、市場の自動的メカニズムへの信頼をうしなわせめた。国家が全面的に介入することなくしてやって行けないというのが、これらの形態に共通する事態なのだ。(柄谷行人「歴史の終焉について」『終焉をめぐって』所収)
われわれは忘れるべきではない、二十世紀の最初の半分は“代替する近代“alternate modernity””概念に完全にフィットする二つの大きなプロジェクトにより刻印されれていたことを。すなわちファシズムとコミュニズムである。ファシズムの基本的な考え方は、標準的なアングロサクソンの自由主義-資本家への代替を提供する近代の考え方ではなかったであろうか。そしてそれは、“偶発的な contingent ”ユダヤ-個人主義-利益追求の歪みを取り除くことによって資本家の近代の核心を救うものだったのでは? そして1920 年代後半から三十年代にかけての、急速なソ連邦の工業化もまた西洋の資本家ヴァージョンとは異なった近代化の試みではなかっただろうか。(ジジェク『LESS THAN NOTHIN』2012 私訳)


◆柄谷行人―浅田彰対談より(初出 『SAPIO』 1993.6.10 『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収

浅田彰)戦前の状況を考えれば、イギリスやフランスなどの先進国に比べ、ドイツやロシアは圧倒的に遅れていた。しかし、いちばん遅れていたロシアがたまたま共産主義という世界史的理念を担ってしまったがために世界史的勢力として台頭し、それとの対抗関係でドイツはファシズムを選択した。それで歴史の激動があったわけでしょう。

しかし第二次大戦後は、その激動が凍結されて宙吊りになった。とくに西側から見れば、共産主義という大きな敵がいるがゆえに、逆にすべてが安定するというかたちで秩序が保たれていた。一般的に、社会というのは、内部矛盾を外部の敵に投影することで安定するのだけれども、恰好の敵が共通にひとつあったから、全部それとの関係で安定できた。(……)

それからまた、西の「第一世界」に対する東の「第二世界」という図式があれば、これを想像的に乗り越えるために第三項としての「第三世界」をもってきて、その象徴としての毛沢東主義をロマンティックに賛美することもできた。しかし一対二の戦いが解体すると三も解体してしまって、多数性の中でわけがわからなくなっている。それが現状でしょう。

そうはいっても、やはり内なる矛盾を外なる敵に投影したいという欲望はずっとあるから、何らかの第三項を捏造せざるを得ない。イスラムがそれに選ばれたのは歴史的偶然だと思うけれども、とりあえずイスラムがあったから、あらゆる矛盾がそこに投影されているという感じじゃないですか。(……)

冷戦下では、一方でソ連がスポンサーになって第三世界が革命と自立の道を歩むということがあり、なかなかうまくいかないにせよ、とりあえず実験だけはなされた。他方、アメリカもそれに対抗して、第三世界をさまざまな開発計画などでサポートし、国内的にもマイノリティをサポートしていくというそぶりだけは見せていたわけです。

しかし、そもそも冷戦構造が崩れてしまうと、そんなことをいちいちやる必要もなくなって、落ちこぼれは落ちこぼれで勝手にしろという感じになってきた。そこのところで、ある種の絶望感が広がってきた。こうなると、合理的な開発計画とかではもうだまされないから、原理主義ぐらいまでいってしまわないと、もたなくなっているのではないか。(……)
さっき言ったように、ある種の左翼的展望がついえ、また左翼を敵にする必要がなくなった資本主義が第三世界の発展にあまり助力をしなくなったという端的な政治経済的条件が、彼らを原理主義に追いやっているだけのことですよ。しかも、アルジェリアで解放戦線に対する拷問のプロだったル・ペンのような人物が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っていると言って、ナショナリズムを煽っている。ドイツでも似たような状況がある。これは密接に関連しあった事態です。
柄谷行人)六〇年代の裏返しですね。ただ、表面上連続しているように見えるものもあって、カンボジアのポル・ポト派やベルーのセンデロ・ルミノソがそうでしょう。毛沢東主義そのままの原理主義として持続しているように見えて、まったく質の違ったものです。あそこにまったく展望はありません。

浅田彰)展望がないから原理主義的に過激化するんで、したがって原理主義に展望はない。

柄谷行人)ところが、絶対に展望のない現実があるということを見ないで、ひとは原理主義を啓蒙主義的に解消できると思っている

イスラム原理主義には展望がない、--おそらくそうなのだろう。だが他方、世界資本主義、新自由主義連盟の側はどうなのだろう。それはやはり、《彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っている》ではないのか。

さて、浅田彰曰くの《一般的に、社会というのは、内部矛盾を外部の敵に投影することで安定するのだけれども、恰好の敵が共通にひとつあったから、全部それとの関係で安定できた》を捕捉する意味で次のジジェクの説明を続けよう(「徳の俳優と悪の俳優」より)。

私の興味をひいたのは、東側と西側が相互に「魅入られる」ということでした。これは「幻想」の構造です。ラカンにとって、究極の幻想的な対象とはあなたが見るものというより、「まなざし」自体なのです。西側を魅惑したのは、正統的な民主主義の勃発なのではなく、西側に向けられた東側の「まなざし」なのです。この考え方というのは、私たちの民主主義は腐敗しており、もはや民主主義への熱狂は持っていないのにもかかわらず、私たちの外部にはいまだ私たちに向けて視線をやり、私たちを讃美し、私たちのようになりたいと願う人びとがいる、ということです。すなわち私たちは私たち自身を信じていないにもかかわらず、私たちの外部にはまだ私たちを信じている人たちがいるということなのです。西側における政治的な階級にある人びと、あるいはより広く公衆においてさえ、究極的に魅惑されたことは、西に向けられた東の魅惑された「まなざし」だったのです。これが幻想の構造なのです、すなわち「まなざし」それ自体ということです。

そして東側に魅惑された西側だけではなく、西側に魅惑された東側もあったのです。だから私たちには二重の密接な関係があるのです。(Conversations with Žižek, with Glyn Daly(,邦題『ジジェク自身によるジジェク』)からだが、邦訳が手元にないので、私訳 を附す)

資本主義諸国は、ベルリンの壁が崩壊する以前にも、己れの制度を信じていなかったにもかかわらず、社会主義諸国からの「まなざし」があり、その「まなざし」に同一化することによって、「人間の顔をした社会主義」を目指す努力、つまり福祉国家への努力があった。

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。(……)

冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)

このように中井久夫は、《今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない》と1996年にすでに書いているわけだが、それから二十年弱経たいまはおそらくいっそうそうだろう。

行政は、《国内的にもマイノリティをサポートしていくというそぶりだけは見せ》ることもなく、《落ちこぼれは落ちこぼれで勝手にしろという感じに》いっそうなってしまったのではないか。

こうした文脈から、ジジェクにより、リベラルデモクラシー、--それは定義にもよるが、市場原理主義であったり新自由主義であったりするのだろうーー批判が、くり返し語られることになる(参照:「新しい形態のアパルトヘイト」)。

西洋のリベラル左翼が自らを有罪証明すればするほど、彼らはいっそう、そのイスラム憎悪を隠蔽しようとする偽善ぶりをムスリム原理主義者に非難される。この布置は、超自我のパラドックスの完璧な再生産である。あなたは〈他者〉の要求に従えば従うほど、あなたは罪深くなる。まるで、イスラムに寛容であればあるほど、あなたはいっそうの圧迫を受けるだろう、というかのようだ。
ホルクハイマーが1930年代にファシズムと資本主義について言ったこと--資本主義について批判的に語りたくない者はファシズムについても沈黙すべきである--は今日の原理主義にも当てはまる。リベラルデモクラシーについて批判的に語りたくない者は原理主義についても沈黙すべきである。(Slavoj Žižek on the Charlie Hebdo massacre: Are the worst really full of passionate intensity?

この記事を読んで東浩紀氏は次ぎのようにツイートしている。

@hazuma: いつものジジェク節ではあるが、左翼が寛容になればなるほど原理主義が台頭してくる、なぜなら問題は原理主義側の劣等感だからだ、というのは日韓問題にも適用できるのかもしれない。→ http://t.co/gxQ7c4ZHwo

@hazuma:しかし、リベラルデモクラシーにはラジカル左翼の助けが必要なのはいいとして、その具体的な内容がわからん。それもまたいつものジジェク節だな。

というわけで「ジジェク節」という言葉の連発であるが、ーー文句は慎んでおこう、結局、「コミュニズムよ、再び!」(ジジェク「『ポストモダンの共産主義』)や、柄谷行人の「世界共和国」などの「夢想」にかかわるのだから。そして、冷戦終結後の多くの「識者」は「神の二度めの死」を是認せざるをえない態度をもっているのだろう。

……神と宗教のもっともシンプルな定義は、真実と意味は同一のものだという考えにある。神の死とは、この真実と意味とを同じものとする考えの終りであ る。そしてコミュニズムの死もまた、歴史に関しての真実と意味の分離を告げていると、私ならつけ加える。「歴史の意味」にはふたつ意味がある。ひとつは、 歴史がどこへ向かうか、といった「方向性」。もうひとつは、プロレタリアートの手になる人間の解放史などといった歴史の目的である。実際コミュニズムの時 代には、正しい政治判断を下すことは可能だとの確信があった。そのとき、私たちは歴史の意味に動かされていたのだ。……そしてコミュニズムの死は、歴史の領域でのみ、神の二度めの死となるのである。(アラン・バディウ ”A conversation with Alain Badiou, lacanian ink 23 (2004) ))

《悲劇はこういうことです。私たちが現在保持している資本-民主主義に代わる有効な形態を、私も知らないし、誰も知らないということなのです。》(ジジェク

おそらくほとんどの人びとは、資本主義については岩井克人が書く次ぎのような認識なのであり、だがジジェクやバディウ、あるいは日本でなら柄谷行人は、それとは異なった方策を探しつつも、ではどうするかという具体的な提案はない(またあっても実現性にはほど遠い)。それが「ジジェク節」やら柄谷行人=カントの「世界共和国」、あるいはその後の彼のナイーヴな「夢想」と呼ばれるものだろう(浅田彰:《世界共和国へ、まではいい。しかしあり得るべきアソシエーショニズムや柳田国男の理想的世界を夢想したことは希望的観測でしかない#genroncafe》 )。

わたしたちは後戻りすることはできない。共同体的社会も社会主義国も、多くはすでに遠い過去のものとなった。ひとは歴史のなかで、自由なるものを知ってしまったのである。そして、いかに危険に満ちていようとも、ひとが自由をもとめ続けるかぎり、グローバル市場経済は必然である。自由とは、共同体による干渉も国家による命令もうけずに、みずからの目的を追求できることである。資本主義とは、まさにその自由を経済活動において行使することにほかならない。資本主義を抑圧することは、そのまま自由を抑圧することなのである。そして、資本主義が抑圧されていないかぎり、それはそれまで市場化されていなかった地域を市場化し、それまで分断されていた市場と市場とを統合していく運動をやめることはない。

二十一世紀という世紀において、わたしたちは、純粋なるがゆえに危機に満ちたグローバル市場経済のなかで生きていかざるをえない。そして、この「宿命」を認識しないかぎり、二十一世紀の危機にたいする処方箋も、二十一世紀の繁栄にむけての設計図も書くことは不可能である。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』

…………

※附記:ハイパーメディア社会における自己・視線・権力「情報資本主義と神の眼」(浅田彰 大澤真幸 柄谷行人 黒崎政男)より
大澤――原理主義というのは,いま支配的な情報資本主義に反抗するものとしては,いちばんはっきりしたスタンスをとれるわけでしょう.逆に言うと,原理主義ほど情報資本主義の中にいる知識人に評判の悪いものはない.しかし,ジジェクが言っているように,よく考えてみると,昔は原理的に行動するのが正しいとされ,そのつど方針を変えるやつは日和見主義と言われて信用されなかったわけですよ.それが,いまでは日和見主義のほうが倫理的だと言われ,原理主義の方がいちばん非倫理的だと思われている.倫理の意味が逆転してしまっている.

柄谷――だから,僕はどちらもネガになっていると思うわけですよ.昔の第三世界というのは,進歩とか発展とか近代化を考えていた.それはもう全部あきらめたので,徹底的にラディカルにやる,と.他方,昔は第一世界もちゃんと主体的にやっていたのが,いまはもうそんなつもりもないんですよ.だからいまは,第一,第二,第三といった構造は完全に消えてしまって,世界資本主義-対-原理主義ということになっているんですね.

浅田――結局,現代の世界資本主義の矛盾は解きがたいとしか言いようがないでしょ

《ピケティの話。なんであんなに受けているか… 東「経済ではなく、やはり心の問題では」浅田「資本主義でいいでしょ&再分配と承認で多文化主義」→ その程度ではダメ。中沢「ピケティはアメリカ人が読んで安心できるから。マルクスは安心できない。でも読んだら飽きる本》#genroncafe

…………

最後に絶望を失わない態度とはどんなものか、を示すジャン・ジュネの「驚くほど美しい」文章を掲げておこう。

季節の空気、空の、土の、樹々の色、それも語れぬわけではないだろう。だが、あの軽やかな酩酊、埃の上をゆく足取り、眼の輝き、フェダイーンどうしの間ばかりでなく、彼らと上官との間にさえ存在した関係の透明さを、感じさせることなど決してできはしないだろう。すべてが、皆が、樹々の下でうち震え、笑いさざめき、皆にとってこんなにも新しい生に驚嘆し、そしてこの震えのなかに、奇妙にもじっと動かぬ何ものかが、様子を窺いつつ、とどめおかれ、かくまわれていた、何も言わずに祈り続ける人のように。すべてが全員のものだった。誰もが自分のなかでは一人だった。いや、違ったかも知れない。要するに、にこやかで凶暴だった。(……)

「もう希望することを止めた陽気さ」、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた。この女たちの目は今も見ているのだ、16の時にはもう存在していなかったパレスチナを。(ジャン・ジュネ『シャティーラの4時間』)

2015年1月26日月曜日

フランス人のマグリブ人に対する敵意

さて、前回、エマニュエル・トッドの名前を出したのだが、寡聞にして殆んど知らない名なので(ジジェクの書き物のなかで一度めぐりあったことはあるが、敬してやりすごした)、ここでは基本的なレベルで、--すなわち彼の著作には当らないままーーウェブ上の情報を拾ってみることにする。

まず、前回も別の箇所を引用した鹿島茂氏の「仏紙襲撃事件は、強烈な普遍主義同士の衝突 鹿島茂氏が読み解く仏紙襲撃事件」というインタビュー記事から。

フランスの社会学者エマニュエル・トッドの説明では国家統一の基には家族類型がある。これは、親子関係と兄弟関係を軸にして4つに分けることができる。親子関係は、同居するのか、子が独立して核家族になるのかで分かれる。兄弟関係は兄弟が平等か、不平等かという遺産相続の仕方で分かれる。

まず、第1に親が権威主義的で子と同居、兄弟は不平等で単独相続の「直系家族」があり、日本、ドイツ、スウェーデン、韓国、それにユダヤ民族がこれに当たる。第2に正反対に親子は独立し自由で、兄弟は平等の「平等主義核家族」。フランスの中心部やスペイン、南米はこれに該当する。第3に、親子関係は独立して自由で、相続は不平等の「絶対主義核家族」が英国、米国、カナダなど。第4に、親は権威主義的で親子は同居、兄弟は平等という「外婚制共同体家族」が、ロシア、中国など。これが、それぞれ、国家のイデオロギーに反映されていると言うんですね。フランスはこの4類型の全部を含んでいるが、中央は普遍主義の平等主義家族、周辺は差異主義の直系家族と理解しておくとよい。中央の普遍主義が主流になったんです。

4つの類型のうち、「直系家族」は「自分たちとそれ以外」と考える。思考パターンはそれしかない。これを拡大していくと、「日本人とそれ以外」と考え、「日本人と外国人は違う」と、なる。ドイツ人や韓国人もそのように考える。「直系家族」のグループ同士はぶつかりやすい。ドイツ人とユダヤ人、日本人と韓国人がそう。

これに対して、「平等主義」のフランス人の考え方は、人間はホモサピエンスであるから、同一であると考える。そのことに比べると、「人種」「言語」「宗教」などは微細な違いでどうでもよいことでしかない。「男女」の差異すらも大きいことではない。これは例えば、フランスのフェミニズムと米国のフェミニズムの違いに現れている。フランスのフェミニズムは「女性という性」をまったく強調せずに、ただ、同権を要求するだけだ。こうした考え方が「一にして不可分」ということであり、フランス人になってしまえば、皆同じということ。

これは調べてみると、WIKIPEDIAの日本語版の「エマニュエル・トッド」の項にも類似した記述がある。それは、トッドが、《1990年、焦点を西ヨーロッパに絞り、家族型の他に識字率と宗教を主要な要素として織り込んだ大部の著書、『新ヨーロッパ大全』 (L'Invention de l'Europe) を著した》にかかわる。だがいまはその箇所を引用することはしない。その箇所に引き続いて書かれている文を抜き出す。

フランスは平等主義核家族であり、普遍主義である。しかしこの家族型はパリを中心とする北フランスにあるに過ぎず、南フランスには直系家族があり、中央山塊と地中海沿岸には外婚制共同体家族があり、ブルターニュには絶対核家族がある。ヨーロッパで見られる四種の家族構造をすべて持つのはフランスだけであり、この例外的な多様性が、フランスを独特な存在にしている。

1992年の調査では、各移民に対してフランス人の何 % が敵意を持つかを調べている。これによると、最も敵意を持たれているのはマグリブ人、すなわちアルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人である。




しかしながら、マグリブ人女性の 15.8% はフランス人と結婚する。つまり、民族としては敵意を持つ人が少なくないが、隔離はまったく起きておらず、個人としてフランス人と結婚するのは問題がないのである。

アフリカ黒人移民は多様であり、黒人という分類の無意味さが明らかになる。例えば父系家族のソニンケ人を主体とするマリ移民は、近代化が遅れている。在仏マリ人の私生児の比率は 2%、大学生の比率は 2%、出産率は 10.3 に達する。一方、一子相続で直系家族的なカメルーンのバミレケ人は商才と勤勉で知られ、アフリカのユダヤ人とも呼ばれている。在仏カメルーン人の私生児の比率は 43%、大学生の比率は 26%、出産率は 2.6 である。この場合、私生児率の高さは、女性の地位の高さを示すものである。低い出産率は、近代化が完了していることを示す。フランスの統計ではアフリカ黒人をマリ人、セネガル人、その他に分けるので、バミレケ人を直接計測することはできないが、マリ人を父とする子供のうち母がフランス人なのは 2.1%、セネガル人では 6.2%、その他のアフリカ人では 16.7% であり、明らかにマリ人の統合が遅れている。

フランス人の混血への無頓着は以前から知られている。アドルフ・ヒトラーは『我が闘争』(1925年)の中でフランス人とアフリカ人の混血に触れ、「黒人によるフランスの侵略はまことに急速に進展したので、いまやヨーロッパの地にアフリカ国家が誕生したと、紛れもなく語ることができる」と述べている。

このフランスの同化作用は個人に働くものであるため、移民社会は容赦なく破壊される。マグリブ人は父系内婚制共同体家族で普遍主義であるが、北フランスの双系外婚制の平等主義核家族とは正反対であり、普遍主義同士で衝突することになる。平等主義核家族の自由で平等な価値観は移民にも与えられるため、少数派が弱者として暴力を受けるのに甘んじることはなく、移民も反撃する。この点で、多数派から少数派へ一方的に暴力が加えられる差異主義のアメリカ、イギリス、ドイツとは異なる。

前回の記事で、鹿島茂氏の語る「強烈な普遍主義同士の衝突」という表現に異和を書き込んだが、起源はここにあるようだ。

とはいえ、ここではわたくしの粗忽ぶりを晒すのが意図ではない。1992年の調査で、かなり前のものにも拘わらず、--すなわちその後のマグリブ人によるテロ行為の頻発の前にもーーすでに仏人は、マグリブ人(アルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人)、あるいはマグリブ系二世に対してダントツに敵意を持っていたのだな、ということに注目したい。

ところでフランスにおける移民の定義とは、次のようなものらしい。

一般に、移民とは、外国からある国に移り住む人のことを指すが、フランスの統計上で移民と言う時は、外国人として外国で生れた者を意味し、その者が帰化してフランス国籍を取得しても移民として取り扱われる。したがって、移民にはフランス人である者もいれば、外国人である者もいる。(「フランスの移民政策」 2011.7.14 財団法人自治体国際化協会)

もちろん移民二世や三世は「移民」の範疇に入らないのだろう。たとえば前仏大統領のサルコジはハンガリー移民二世であるが、彼は「移民」ではない。

とはいえ、上に引用したヒットラーの驚きもあるように、すなわち《フランス人の混血への無頓着は以前から知られている。アドルフ・ヒトラーは『我が闘争』(1925年)の中でフランス人とアフリカ人の混血に触れ、「黒人によるフランスの侵略はまことに急速に進展したので、いまやヨーロッパの地にアフリカ国家が誕生したと、紛れもなく語ることができる」と述べている》とあるように、フランスは米国と並んで、類稀なる「移民」によって成り立ってきた国家ということができる。

中井久夫は2000年時点でだが、《今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという》と書いている。

少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)


そもそもヨーロッパ諸国は移民や二世、三世の人口がなければ、社会保障制度など容易に成り立ち難いのではないか。あるいは移民たちの多くが貧困でろくに所得税を払っていないとしよう。だが、付加価値税20%の西欧諸国でなら、月に五万円消費すれば、一万円の税金で移住国に貢献していることになる。

ところで先程引用した『「フランスの移民政策」 2011.7.14 財団法人自治体国際化協会』には、次のような図表がある。




マグリブ人(アルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人)の比重はかくの如し。ましてや二世や三世まで含めれば、フランス人口におけるマグリブ系の割合はどのくらいになるのか。

アラーは、ヨーロッパにてイスラムの勝利を授けてくれるだろう、剣も、銃も、征服もなしに。われわれにはテロリストは必要ない。自爆テロはいらない。ヨーロッパにおける五千万人超のムスリムThe 50 plus million Muslims (in Europe)が、あと数十年でヨーロッパをムスリム大陸に変えるだろう。(カダフィ大佐Muammar Gaddafi)

ーーとは2010年のメルケル独首相による記事からである(Germany Will Become Islamic State


いくらかの抄和訳(メルケル首相「ドイツはイスラム国家になるだろう」)もウェブ上にあるので貼り付けておこう。

「我々の国は変わり続けるでしょう。また、移民の問題解決を取り上げるにあたっては同化が課題です。」

「長い間我々は、それについて自国を欺いてきました。例えばモスクです。それは今までよりずっと、我々の都市において重要な存在となるでしょう。」

「フランスでは20歳以下の子供の30%がムスリムです。パリやマルセイユでは45%の割合まで急上昇しています。南フランスでは、教会よりモスクが多いのです。

イギリスの場合もそれほど事態は変わりません。現在、1000を超えるモスクがイギリスには存在します。──ほとんどが教会を改築したものです。

ベルギーでは新生児の50%がムスリムであり、イスラム人口は25%近くに上るといいます。同じような調査結果はオランダにも当てはまります。

それは住民の5人1人がムスリムのロシアにも言えることです。」

ところで、なぜ、フランス人がマグリブ人に、1992年の時点で、あんなにも憎悪をもつのか。それはまずは身近な「隣人」ーーフロイト、ラカン的な意味でーーでありすぎるためだろう。

……エイリアンたちはまったく人間にそっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンのいう対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。(……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P117-118ーー「彼らの家に土足で上がりこんだ日本人」より)

また過去の植民地政策、あるいはアルジェリア戦争の記憶ーーある意味で隠蔽された記憶ーーのせいでもあるだろう(ここではイスラム原理主義には触れないでおこう)。

すなわちフランス人は負債があるからこそ、アルジェリア人を憎むのである。

「《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』ーー「俺があの男を憎むのは、俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ」より)

…………

※附記

◆「和解 そのかたちとプロセス 河原 節子 河原節子(一橋大学法学研究科 教授(外務省より出向) )」より。


アルジェリアは、 フランスが1830年の軍事占領した後、フランスの国内県に編入されて130年以上にもわたり仏の統治下にあった。アルジェリアを2012年12月に訪問したオランド仏大統領は、アルジェリア議会での演説で、132年間にわたる植民地主義は「極めて不正義で野蛮」な制度だと位置づけ、暴力、不正義、虐殺、拷問についての真実を認識する義務があり、全ての記憶を尊重すると述べた。一方、その前日の公式記者会見では、ある記者より「過去の問題について悔恨の意を表したり、謝罪をするのか」と質問されたのに対し、 同大統領は、 「過去や植民地主義、 戦争や悲劇についての真実を語る」と述べつつ、謝罪や悔恨の意図はないことを暗に示した)。現在の価値基準に照らせば、植民地主義が不適切な政策であったと認めつつも、旧宗主国側が一貫して謝罪に消極的なのは、当時は合法かつ正当な施策として行ってきたとの考え方に加え、謝罪は容易に責任問題としての賠償に結びつきやすいとの側面も考えられる。
他の植民地と異なり、仏はアルジェリアを自国の県として併合し、農地の払い下げ等を通じて多くの国民が移住(植民)し、数世代にわたって居住した。 しかし、 「原住民」 との経済・社会的格差は大きく、 第二次大戦中に独立運動が開始され、50年代半ばにはテロを用いた独立闘争とそれに対する激しい弾圧・軍事行動の応酬となった。ド・ゴール大統領は交渉を通じて独立容認に動いたが、すでに数世代にわたり植民していたアルジェリアのフランス人や仏軍の中で断固としてアルジェリアを仏国にとどめておくべきとの強硬派によって秘密武装結社が組織され、軍事クーデターまで企てられた。アルジェリアのフランス人は秘密結社による武力による独立運動阻止を支持したが、仏本国ではテロの応酬に終止符をうつためアルジェリアを手放すべきとの意見が多数を占めるなど、仏国民の世論が二分された。秘密結社はアルジェリアのみならず欧州各地でテロ活動を行い、 現地では仏国民同士の戦争の様相を呈した。さらに、アルジェリアの仏正規軍は「アルキ(haruki 」)と呼ばれる現地人の補充兵を雇用したため、彼らは、独立闘争を進める団体と戦うことになり、独立後アルジェリア人に「裏切り者」として迫害された。仏・アルジェリア双方において、多くの人々が多様な形で犠牲になった上、同国民同士の戦いの要素もあって、あの戦いがどのような意味を持つのかについて統一的な見解が成り立ちえない、深い傷を残した。そのため、仏政府は当初忘却政策をとり、家や財産を失い、見捨てられたと感じる約100万人もの「引揚者」や、「裏切り者」 扱いされたハルキの困難な記憶は抑圧されていた。 しかし、彼らの苦難や犠牲を認知してほしいとの要求は消えることはなかった。1995年にシラク大統領がナチ占領下でのユダヤ人大量検挙にフランス人が加担したことを公式に認めて記憶する方針を表明したことを契機に、アルジェリアでの拷問や抑圧を不問に付すのはダブルスタンダードとの批判が生じた。 これを契機に、 1999年には、それまで「秩序維持作戦」と通称されてきた戦争を、正式に「アルジェリア戦争」と呼称するための法律が制定された。 そして、 この戦争に関する多様な記憶を有する集団が、自らの記憶を単に個人的記憶ではなく、歴史の中に位置づけたいという思いが強まっていった。その1つが、植民地時代には悪いことのみではなく、良いことも成し遂げたという引揚者の思いであり、2005年の引揚者感謝法第4条第二項において、 「学校の教科は、 ・・特に北アフリカにおけるフランスの存在の肯定的役割を特に認め・・」るという形で反映された。これに対してアルジェリア大統領が激しく反発し、また、常日頃から社会的格差などに不満を有していた北アフリカからの移民の若者が暴動を起こして社会不安につながった。さらに、ピエール・ノラなど著名な知識人が歴史に政治を持ち込むことに反対するアピールを出した。 最終的にシラク大統領は、 大統領令によって同条を廃止したが、 この事例は、植民地時代及び独立戦争に関わる経験と記憶が、一国内においても集団によって大きく異なることが、和解を妨げ、対立を深める要因にさえなることを如実に示しているといえる。


◆「戦略なき朝鮮統治――フランスのアルジェリア支配との比較から」(筑波大学教授 青柳悦子)

……20 世紀に入るとムスリムの状況に変化が起き始める。エリート層のなかにはフランス学校で学ぶことを自ら目指す若者が現れ、フランスで教育を受けたこうした進歩派指導層が本国とのつながりを強めることで、コロンたちとの不平等を解消しようとする傾向が強まっていく。ムスリム側から兵役制度が求められ、 第一次世界大戦では実際にフランスはアルジェリア原住民徴兵により 17 万人の軍人 (うち 8 万人は志願兵)を得た。ジョルジュ・クレマンソー首相はこうしたアルジェリア原住民の貢献を高く評価し、原住民の権利、とくに選挙権の拡大に努めようとした。人口拡大と教育の欠如、高い失業率と貧困といった根源的な問題が深刻化する一方で 1914 年から54 年までに、200 万人のアルジェリア原住民がフランス本国に軍人または労働者として滞在した。高度に発展した社会を直接に経験した多くの民衆を通じて、アルジェリアのムスリムたちは、自分たちの正当な権利はどこにあるかを迷いなく見定めることになる。
アルジェリア戦争のあいだに、 200 万人を超えるフランス人兵士がアルジェリアへ動員さ れることになった。アルジェリア原住民側の犠牲者は数十万人に上るとされる。

…………

とはいえ、仏人の、とくに左翼インテリのあいだでは、次のようなイスラム系住民、すなわちマグリブ人やアラブ人に対する同情を示すという状況もあることは、ここでさらに追記しておこう。



◆「フランスにおける反人種差別主義的ディスクールの危機」(丸岡高弘)より

この論文は、2005年パリ郊外暴動事件(WIKIPEDIA 参照)をめぐるユダヤ系哲学者フィンケルクロートAlain Finkielkrautーー彼は当時メディアに頻繁に登場するマスコミの寵児だったらしいが、2014年アカデミー・フランセーズの会員に選出されているーーのコメント(イスラエルの新聞「ハーレッツ」におけるインタヴュー)が一週間ほど後、「ル・モンド」に紹介・要約されて「人種的敵意を煽り、挑発する行為」として物議を醸したことにまずはかかわる。

スキャンダルになった理由はいくつかあるが、ここではその「反人種差別主義批判」だけに限る。

フィンケルクロートの反レイシズム批判とは次のような見解である。

私は今日、“人種差別にたいする戦い”というこの高貴な思想が徐々に極めてインチキなイデオロギーに変質しつつあると思います。こうした反人種差別主義は、二十世紀における共産主義とおなじような役割を二一世紀いはたすことになるでしょう。つまりそれは暴力の源となるのです。今日、ユダヤ人は反人種差別の名のもとに批判されています。シオニズム=人種差別主義という分離壁が建てられてしまっているのです。

このフィンケルクロートの文を引用して、著者の丸岡氏は次ぎのように書いている。

つまり、パレスチナ人にたいする過度の同情と共感がフランスのイスラム系住民に拡大され、彼等は人種差別主義の犠牲者と見なされる。迫害者はもちろんイスラエルであり、それにたいする敵意がフランスのユダヤ人にも延長され、反ユダヤ主義が横行する。また欧米はその植民地主義的過去と現代におけるマイノリティーの社会統合の失敗、さらにはパレスチナ紛争における曖昧な態度のために、世界のすべての悪の根源とみなされ、イスラム系住民の憎悪の対象となる。こうしたイスラム系住民のユダヤ人やフランス社会への憎悪を、反人種差別主義が煽っているとフィンケルクロートは考えるのである。



2015年1月25日日曜日

仏テロ事件後のラ・マルセイエーズによる「情緒の昂揚」

《だれも、ひとりひとりみると/かなり賢く、ものわかりがよい/だが、一緒になると/すぐ、馬鹿になってしまう》(シラー フロイト『集団心理学と自我の分析』より孫引き
…………

まずラカンが「ヒトラー大躍進への序文」と評したフロイトの『集団心理学と自我の分析』から始める。

偶然に吹き寄せられたような人間の群れの仲間が、心理学的な意味での集団に類したものを形成するには、これらの個人たちが相互に何か共通なもの、つまりある一つの対象にたいする共通の関心とか、ある状況の中で、おなじ方向にむかう感情とか、そして(その結果と私はいいたいが)相互に影響し合うある程度の能力とか、これらのものを共有していることが条件として必要になる。この共通性…が高ければ高いほどそれだけ容易に、個人のあいだから心理学的集団がつくられ、「集団精神」の現れはますます際立ってくる。

さて、集団形成のもっとも顕著で同時にもっとも重要な現象は、個々の成員によびおこされる情緒の昂揚または強化ということである。マックドゥガルによると、人間の情緒は、集団の場合には他の条件のもとではほとんど達することができないほどの高さに昂揚するとみなしてよく、しかも集団に参加した者にとっては、これほど無制限に情熱に身をまかせ、集団に入りこんで、個人的な制限の感じを失うことは快い感覚なのである。このようにして、個人が一体になって集団の中に没入することを、マックドゥガルは、彼が名づけた一つの原理、すなわち「原始的共感反応による情緒の直接的感応の原理」から説明している。つまり、われわれには既知の感情の伝染によってそれを説明するのである。つまりそれはこうである。ある情緒状態の徴候の知覚は、それを知覚した者にも自動的に同一の情緒をよび起す。しかもこの自動的な強迫は多数の人々におなじ情緒を同時にみとめられるときにいっそう強いものになる。そのとき、個人は批判をやめておなじ情緒にまきこまれる。だがそのさい、個人は彼にはたらきかけた他人の興奮を高め、このようにして個人の情緒の備給は相互の感応によって増大することになる。そこに、ある強迫のごときものが、つまり、他人とおなじことをし、多数の人と一致していたいという強迫めいたものが作用しているのはまぎれもない。しかも感情の興奮が粗野で単純であればあるほど、それはこのようにして集団の中にひろがる見込みが大きい。

情緒の昂揚するこのメカニズムは、さらに集団から発する他の二、三の影響によって促進されている。集団は無際限の力と打ち克ちがたい危険の印象を個人にあたえる。集団は、一瞬のあいだは人間社会全体を代表するのであって、その社会こそは人々がその刑罰をおそれ、そのために自分を抑制しているところの、権威を担っているのである。それにさからうことは明らかに危険である。周囲の者の範例にしたがってふるまい、場合によっては、「狼どもと一緒に吠えて」いれば安全なわけである。この新しい権威に服従すれば、彼の以前の「良心」を眠らせてもよいし、抑制を解いて手に入れる快感の誘惑に身をまかせてもよいことになる。(フロイト『集団心理学と自我の分析』フロイト著作集6 人文書院PP.206-207

※参照:優しい人たちによる魔女狩り

…………


フランスで17人が死亡した一連のテロ事件を受けて、犠牲者を追悼し、テロに抗議する大規模なデモ行進がパリで行われました。デモには160万人以上が参加し、人種や宗教の違いをこえて団結してテロに立ち向かう決意を改めて示しました。

デモは11日午後(日本時間11日午後11時すぎ)から、襲撃されたパリの新聞社の本社に近い共和国広場で始まりました。

デモには、犠牲者の家族や襲撃を受けた新聞社の社員をはじめ、さまざまな政党や人種、宗教の人々が参加し、3キロの道のりを歩きました。

また、フランスのオランド大統領と共に40を超える国や機関の首脳らも参加し、ドイツのメルケル首相やイギリスのキャメロン首相のほか、イスラム諸国からヨルダンのアブドラ国王も参加しました。

また、ふだんは対立するイスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ暫定自治政府のアッバス議長の姿も見られました。

現場付近の広場や道路は大勢の人々で埋め尽くされて一時、身動きがとれないほどの状態となりましたが、参加した人々は、襲撃された新聞社への連帯を示す「私はシャルリ」と書かれたプラカードを掲げたり、フランス国歌を大きな声で合唱しながら歩きました。

撃された新聞社への連帯を示す「私はシャルリ」と書かれたプラカードを掲げたり、フランス国歌を大きな声で合唱しながら歩きました。


仏紙襲撃事件は、強烈な普遍主義同士の衝突(鹿島茂氏インタビュー記事の前段より)

1月7日、フランスの風刺新聞「シャルリ・エブド」がイスラムの預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことを理由にアルジェリア移民の2世の兄弟が編集部を襲撃。連続テロ事件に発展した。11日にはテロに抗議し、「表現の自由」を掲げるデモ行進にフランス全土で370万人が集結。EU(欧州連合)各国首脳らも参加した。13日にはフランスの国会で、議員達がフランス国家ラ・マルセイエーズを斉唱し、バルス首相が「テロリズム、イスラム過激派との戦争に入った」と宣言。シャルリエブド紙はその後、預言者ムハンマドの風刺画をまたも掲載。今度は、イスラム社会でこれに反発するデモや抗議集会が広がっている。

フランス文学者の鹿島茂氏は普遍主義同士の衝突と言っているが、それはこの際無視することにしよう。そもそも、わたくしのようなひねくれた精神は、仏人の熱狂をみると、ムハンマドへの狂信と言論の自由への狂信といったいどこが違うのだろう、と思わず言いたくなってしまう。そしてさらにいえば本当に「言論の自由」という理念が脅かされたから、あのアルジェリア移民兄弟のテロ行為にいきり立っているのか。恐怖や憎悪からではないのか。

特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的な依存と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』 p219)

ラカンの娘婿でもあるジャック=アラン・ミレールは次ぎのように書いている(12.01.2015 JACQUES-ALAIN MILLER ON THE CHARLIE HEBDO ATTACK)。

・誰もが、性急かつ臆病に、己れが潜在的なターゲットであると知りかつ感じている。

・われわれの誰もが突然に殺害の脅迫のもとにいる。

彼は、ほかにもテルアビブの友人の精神分析家Susannaの言葉を引用している。

すべての指導者が、一緒になって並び立ち、腕を組んで歩き、どんなゴールの不在のもとに一体化しているのを見ると、みじめさを感じてしまう。私は思うのだが、彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っているのだ。


さてすこし前に戻ろう。普遍主義同士の衝突とする鹿島茂氏の発言に異和があるにもかかわらず、このインタビュー記事は、わたくしのような仏国や西欧の事情に疎いものには、その記事の細部がとても勉強になる。ツイッターなどで流通しているどこかの馬の骨のような「評論家」たちの戯言よりは格段にましである。いまいくらか引用しておこう。

フランスにいるアルジェリア人の問題と、ドイツにいるトルコ人の問題はまったく異なる。ドイツ人は血統主義なので、トルコ人は永遠にドイツ人にはなれない。しかし、トルコ 流にやっていてもかまわない。フランスは、フランス人になることを認める代わりに、殻の中に閉じられたようなイスラムの家族は解体されなければならないし、宗教は前面にだしてはいけない。どちらがよいかは一概に言えない。

移民も 3 代目になれば完全にフランス人になれる。マグレブ出身の 3 世、4 世などは相当 融合が進んでいる。フランスは融合婚がかなり進んでいるし。デモ行進に参加していたイ スラムの人たちもいたでしょう。
――厳しい状況に置かれているイスラム系移民が多い中で、「シャルリ・エブド」の表現は えげつなく、「表現の自由」で押し通してよいのか、とも思います。また、執拗に何度も描 いています。

何度も描いているのは、むしろ宗教などは尊重しないことで、「一にして不可分」な共和国 が成立すると考えているからでしょう。 ただし、「表現の自由」ということで、何でも許される訳ではない。1990 年に成立した「ゲソ ー法」(Loi Gayssot)では表現の自由に制限を加えている。共産党の大物議員のジャン・ クロード・ゲソーさんという人が提案したものです。人道に対する罪の問題に対応したもの。 ホロコーストがあったことの否認、およびホロコーストの肯定などの「反ユダヤ主義」、「人種 主義」、「テロリズムの礼讃」の 3 つを厳禁としている。これに違反したら捕まる。実際に、今 回の連続テロ事件に関連しては、ユダヤ系の商店を襲ったアメディ・クリバリ容疑者を擁護 するコメントをした反ユダヤ主義のコメディアンのデュドネが身柄を拘束されている。

しかし、この 3 つに違反しなければ、何を書いてもよく、その自由度は非常に大きなもので す。フランスではバルザックの時代から百家争鳴、多党分立でそれぞれに機関誌があっ て勝手なことを言っている。

自らもジャーナリズムの標的にされたバルザックが、『ジャーナリストの生理学』で、「ジャー ナリズムの息の根を止めるのは不可能ではない。一民族を亡ぼす時と同様、自由を与え さえすればよい」と書いています。逆説的ですが、弾圧を加えたら、かえって反権力でまと まってしまうが、自由にすれば、大混乱するので王様は安泰ということ。

自由なジャーナリズムを許してきたフランスでは誹謗中傷も多く、それに対する唯一の解 決策は決闘だった。法律で決闘を禁じられてからも第一次世界対戦のころまでやってい ました。申し込まれた方は、剣かピストルか、武器を選ぶことができる。だから、ジャーナリ ストになったら射撃かフェンシングを習う。 その伝統で、ジャーナリストって、書きたいこと書いてもいいけれど、命を失っても仕方が ないよという不文律があるんです。そう覚悟をして書くものだという。だから、シャルリエブド で殺された人たちも殉職者ということになる。フランスの普遍主義原理とイスラムの普遍主 義原理の正面衝突です。

いずれにせよ狂信は、それが神であれ、理念であれ、冒頭に引用したフロイトにあるように、《彼の以前の「良心」を眠らせてもよいし、抑制を解いて手に入れる快感の誘惑に身をまかせてもよい》になってしまう。フランスの以前の「良心」とはーー眠らせてはいけない良心とはーー、まずはイスラムに関するなら、アルジェリア戦争の暴虐であり、とりわけ当時の「拷問」であろう。

アルジェリアで解放戦線に対する拷問のプロだったル・ペンのような人物が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っていると言って、ナショナリズムを煽っている。(柄谷行人―浅田彰対談より(初出 『SAPIO』 1993.6.10 『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収)

ここで書かれているル・ペンは、父親のほうのル・ペンだが、鹿島茂氏もさすがに、娘のほうのル・ペンの名を出して懸念を表明している。

フランスは成文法の国であるから、ゲソー法のように、「反イスラム主義的言動を人 道に対する罪として禁ずる」動議が出て成文化されることが考えられます。今、我々は反 テロリズムであって、反イスラムではない、といっている。だが、今後、「反イスラム」を煽るよ うな言説が増えてくる可能性はある。排外主義的な主張をする人は増えていて、国民戦 線のマリー・ルペンはその代表。いま、いちばん危険なのは、次の選挙で国民戦線がかな り票を伸ばしそうなことだ。(鹿島茂)

狂信・熱狂なるものは、次のような現象を生み出す、それは他者そのものだけではなく、理念の偽善をもみえなくする。

誤った崇拝は理想化をうむ。それは他者の弱さを見えなくする──あるいは、それはむしろ、自己のいだく幻影を投影するスクリーンとして他者を利用し、他者そのものを見えなくする。(ジジェク『信じるということ』)

最後に、鹿島茂氏も別の文脈で引用しているエマニュエル・トッドのテロ事件後の電話インタビュー記事を掲げておこう(読売新聞2015.1.12)。

今回の事態にフランスはひどく動揺し、極めて感情的になっている。社会のあり方について考えを巡らす余裕もない。

私も一連の事件に驚がくし、実行犯らの排除にひと安心した。私はテロを断じて正当化しない。

だが、フランスが今回の事態に対処したいのであれば、冷静になって社会の構造的問題を直視すべきだ。北アフリカ系移民の2世、3世の多くが社会に絶望し、野獣と化すのはなぜなのか。

野獣は近年、増殖している。2012年、仏南西部でユダヤ人学校を襲撃し、14年はブリュッセルのユダヤ博物館で銃撃事件を起こした。

シリアでのイスラム過激派による「聖戦」に加わろうとする若者は数千人いる。移民の多い大都市郊外では反ユダヤ主義が広がっている。

背景にあるのは、経済が長期低迷し、若者の多くが職に就けないことだ。中でも移民の子供たちが最大の打撃を被る。さらに、日常的に差別され、ヘイトスピーチにされされる。

「文化人」らが移民の文化そのものを邪悪だと非難する。

移民の若者の多くは人生に意味を見いだせず、将来の展望も描けず、一部は道を誤って犯罪に手を染める。収監された刑務所で受刑者たちとの接触を通じて過激派に転じる。社会の力学が否定的に働いている。

米同時テロと比較する向きもあるが、米テロの実行犯はイスラム世界に帰属していたのに対し、フランスの実行犯はアル・カイーダ系や「イスラム国」からの資金提供があったかもしれないが、フランスで生まれ、育った。

無論、フランス外交も影響していよう。フランスは中東で戦争状態にある。オランド大統領はイラクに爆撃機を出動させ、過激派を空爆している。ただ、国民はそれを意識していない。

真の問題はフランスが文化道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない。人々は孤立している。社会に絶望する移民の若者がイスラムに回帰するのは、何かにすがろうとする試みだ。

私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける「シャルリー・エブド」のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかけるような行為だ。

ところがフランスは今、誰もが「私はシャルリーだ」と名乗り、犠牲者たちと共にある

私は感情に流されて、理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、「テロリストにくみする」と受けとめられ、袋だたきに遭うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ。