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2019年8月26日月曜日

ヒトラー大躍進の序奏

ファシズム的なものは受肉するんですよね、実際は。それは恐ろしいことなんですよ。軍隊の訓練も受肉しますけどね。もっとデリケートなところで、ファシズムというものも受肉するんですねえ。( ……)マイルドな場合では「三井人」、三井の人って言うのはみんな三井ふうな歩き方をするとか、教授の喋り方に教室員が似て来るとか。( ……)アメリカの友人から九月十一日以後来る手紙というのはね、何かこう文体が違うんですよね。同じ人だったとは思えないくらい、何かパトリオティックになっているんですね。愛国的に。正義というのは受肉すると恐ろしいですな。(中井久夫「「身体の多重性」をめぐる対談――鷲田精一とともに」2003年『徴候・記憶・外傷』所収)

………

フロイトの『集団心理学と自我の分析』…それは、ヒトラー大躍進の序文[préfaçant la grande explosion hitlérienne]である。(ラカン,S8,28 Juin 1961)



集団は衝動的 impulsiv で、変わりやすく刺激されやすい。集団は、もっぱら無意識によって導かれている。集団を支配する衝動は、事情によれば崇高にも、残酷にも、勇敢にも、臆病にもなりうるが、いずれにせよ、その衝動はきわめて専横的 gebieterisch であるから、個人的な関心、いや自己保存の関心さえみ問題にならないくらいである。集団のもとでは何ものもあらかじめ熟慮されていない。激情的に何ものかを欲求するにしても、決して永続きはしない。集団は持続の意志を欠いている。それは、自らの欲望と、欲望したものの実現にあいだに一刻も猶予もゆるさない。それは、全能感 Allmacht をいだいている。集団の中の個人にとって、不可能という概念は消えうせてしまう。

集団は異常に影響をうけやすく、また容易に信じやすく、批判力を欠いている。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)
集団にはたらきかけようと思う者は、自分の論拠を論理的に組みたてる必要は毛頭ない。きわめて強烈なイメージをつかって描写し、誇張し、そしていつも同じことを繰り返せばよい。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)




集団の道義 Sittlichkeit を正しく判断するためには、集団の中に個人が寄りあつまると、個人的制止individuellen Hemmungen がすべて脱落して、太古の遺産 Überbleibsel der Urzeit として個人の中にまどろんでいたあらゆる残酷で血なまぐさい破壊本能 destruktiven Instinkte が目ざまされて、自由な欲動満足 freien Triebbefriedigung に駆りたてる、ということを念頭におく必要がある。しかしまた、集団は暗示 Suggestion の影響下にあって、諦念や無私や理想への献身といった高い業績をなしとげる。孤立した個人では、個人的な利益がほとんど唯一の動因 einzige Triebfeder であるが、集団の場合には、それが支配力をふるうのはごく稀である。このようにして集団によって個人が道義的 Versittlichung になるということができよう(ルボン)。集団の知的能力は、つねに個人のそれをはるかに下まわるけれども、その倫理的態度 ethisches Verhalten は、この水準以下に深く落ちることもあれば、またそれを高く抜きんでることもある。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章) 
集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる。彼の情動 Affektivität は異常にたかまり、彼の知的活動 intellektuelle Leistung はいちじるしく制限される。そして情動と知的活動は両方とも、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な欲動制止 Triebhemmungen が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。

この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理の根本事実である原初的集団 primitiven Masse における情動興奮 Affektsteigerungと思考の制止 Denkhemmung という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章)





原初的な集団は、同一の対象を自我理想の場に置き、その結果おたがいの自我において同一化する集団である。Eine solche primäre Masse ist eine Anzahl von Individuen, die ein und dasselbe Objekt an die Stelle ihres Ichideals gesetzt und sich infolgedessen in ihrem Ich miteinander identifiziert haben.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第8章)



理念 führende Idee(自我理想)がいわゆる消極的な場合もあるだろう。特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的依存 positive Anhänglichkeit と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結つき Gefühlsbindungen を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第6章)

………

権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民の値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ」とーー(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第四部「王たちとの会話」手塚富雄訳)

(画像省略ーーワカルダロ?)

間違ってばかりいる大衆の小さな意識的な判断などは、彼には問題ではなかった。大衆の広大な無意識界を捕えて、これを動かすのが問題であった。人間は侮蔑されたら怒るものだ、などと考えているのは浅墓な心理学に過ぎぬ。その点、個人の心理も群集の心理も変わりはしない。本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている。獣物達にとって、他に勝とうとする邪念ほど強いものはない。それなら、勝つ見込みがない者が、勝つ見込みのある者に、どうして屈従し味方しない筈があるか。大衆は理論を好まぬ。自由はもっと嫌いだ。何も彼も君自身の自由な判断、自由な選択にまかすと言われれば、そんな厄介な重荷に誰が堪えられよう。ヒットラーは、この根本問題で、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」で描いた、あの有名な「大審問官」という悪魔と全く見解を同じくする。言葉まで同じなのである。同じように孤独で、合理的で、狂信的で、不屈不撓であった。
大衆はみんな嘘つきだ。が、小さな嘘しかつけないから、お互いに小さな嘘には警戒心が強いだけだ。大きな嘘となれば、これは別問題だ。彼等には恥ずかしくて、とてもつく勇気のないような大嘘を、彼らが真に受けるのは、極く自然な道理である。たとえ嘘だとばれたとしても、それは人々の心に必ず強い印象を残す。うそだったということよりも、この残された強い痕跡の方が余程大事である、と。
大衆が、信じられぬほどの健忘症であることも忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の目を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。

これには忍耐が要るが、大衆は、彼が忍耐しているとは受け取らぬ。そこに敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神を読みとってくれる。紋切型を嫌い、新奇を追うのは、知識階級のロマンチックな趣味を出ない。彼らは論戦を好むが、戦術を知らない。論戦に勝つには、一方的な主張の正しさばかりを論じ通す事だ。これは鉄則である。押しまくられた連中は、必ず自分等の論理は薄弱ではなかったか、と思いたがるものだ。討論に、唯一の理性などという無用なものを持ち出してみよう。討論には果てしがない事が直ぐわかるだろう。だから、人々は、合議し、会議し、投票し、多数決という人間の意志を欠いた反故を得ているのだ。(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)

(ワカルヨナ、きみたちがスキラシイ左翼ポピュリストのあのタレントボウヤだぜ、やめとけ、あいつだけは。いくら反安倍の急先鋒だって、あいつだけはやめとけ)

国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。(中井久夫「戦争と平和についての観察」『樹をみつめて』所収、2005年)


これと闘わなくちゃいけないのはよくわかる。




だがあいつだけはやめとけ、《紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ》




2019年3月7日木曜日

ヒトラー備忘

ヒトラーについてもう調べるつもりは今はそれほどないが、前回の記事を書くなかで拾った二つの文を掲げて備忘とする。


Alois Schicklgrube (father), Klara Hitler / née Pölzl (mother)

ヒトラーは秘書 Christa Schroeder に語った、「私は父を愛していなかった。いやそれどころか父を恐れていた。父は短気ですぐに殴った。私の可哀想な母は、いつもそのことで私を心配した。Meinen Vater habe ich nicht geliebt, dafür aber umso mehr gefürchtet. Er war jähzornig und schlug sofort zu. Meine arme Mutter hatte dann immer Angst um mich」( Hitlers Wien. Lehrjahre eines Diktators, Brigitte Hamann、1996)


Christa Schroeder and Hitler


ヒトラーはまた弁護士Hans Frank にこう語った、「10歳から12歳のときでさえ、私は父をバーから連れ戻さねばならなかった。私がいままで経験した最も不快な恥辱だ。ああフランク、アルコールは何という悪なんだ! アルコールは本当に私の若き時代の最も不快な敵だった。」(同上、Brigitte Hamann、1996)


Hans Frank and Hitler


 というわけだがとくに何が言いたいわけでもない。

ついでに小林秀雄の名ヒトラー論を段落分けして小題をつけて貼付しておこう。

■小林秀雄「ヒットラーと悪魔」『考えるヒント』所収より

【人生の根本は獣性】
彼の人生観を要約することは要らない。要約不可能なほど簡単なのが、その特色だからだ。人性の根本は獣性にあり、人生の根本は闘争にある。これは議論ではない。事実である。それだけだ。簡単だからといって軽視できない。現代の教養人達も亦事実だけを重んじているのだ。独裁制について神経過敏になっている彼等に、ヒットラーに対抗出来るような確乎とした人生観があるかどうか、獣性とは全く何の関係もない精神性が厳として実存するという哲学があるかどうかは甚だ疑わしいからである。ヒットラーが、その高等戦術で、利用し成功したのも、まさに政治的教養人達の、この種の疑わしい性質であった。バロックの分析によれば、国家の復興を願う国民的運動により、ヒットラーが政権を握ったというのは、伝説に過ぎない。無論、大衆の煽動に、彼に抜かりがあったわけがなかったが、一番大事な鍵は、彼の政敵達、精神的な看板をかかげてはいるが、ぶつかってみれば、忽ち獣性を現わした彼の政敵達との闇取引にあったのである。

【狂的なものと合理的なもの】
人間にとって、獣の争いだけが普遍的なものなら、人間の独自性とは、仮説上、勝つ手段以外のものではあり得ない。ヒットラーは、この誤りのない算術を、狂的に押し通した。一見妙に思われるかも知れないが、狂的なものと合理的なものとが道連れになるのは、極く普通な事なのである。精神病学者は、その事をよく知っている。ヒットラーの独自性は、大衆に対する徹底した侮蔑と大衆を狙うプロパガンダの力に対する全幅の信頼とに現れた。と言うより寧ろ、その確信を決して隠そうとはしなかあったところに現れたと言った方がよかろう。


【大衆の無意識界】
間違ってばかりいる大衆の小さな意識的な判断などは、彼には問題ではなかった。大衆の広大な無意識界を捕えて、これを動かすのが問題であった。人間は侮蔑されたら怒るものだ、などと考えているのは浅墓な心理学に過ぎぬ。その点、個人の心理も群集の心理も変わりはしない。本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている。獣物達にとって、他に勝とうとする邪念ほど強いものはない。それなら、勝つ見込みがない者が、勝つ見込みのある者に、どうして屈従し味方しない筈があるか。大衆は理論を好まぬ。自由はもっと嫌いだ。何も彼も君自身の自由な判断、自由な選択にまかすと言われれば、そんな厄介な重荷に誰が堪えられよう。ヒットラーは、この根本問題で、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」で描いた、あの有名な「大審問官」という悪魔と全く見解を同じくする。言葉まで同じなのである。同じように孤独で、合理的で、狂信的で、不屈不撓であった。

【とてもつく勇気のないような大嘘】
大衆はみんな嘘つきだ。が、小さな嘘しかつけないから、お互いに小さな嘘には警戒心が強いだけだ。大きな嘘となれば、これは別問題だ。彼等には恥ずかしくて、とてもつく勇気のないような大嘘を、彼らが真に受けるのは、極く自然な道理である。たとえ嘘だとばれたとしても、それは人々の心に必ず強い印象を残す。うそだったということよりも、この残された強い痕跡の方が余程大事である、と。


【大衆の目を、特定の敵に集中させること】
大衆が、信じられぬほどの健忘症であることも忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の目を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。

これには忍耐が要るが、大衆は、彼が忍耐しているとは受け取らぬ。そこに敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神を読みとってくれる。紋切型を嫌い、新奇を追うのは、知識階級のロマンチックな趣味を出ない。彼らは論戦を好むが、戦術を知らない。論戦に勝つには、一方的な主張の正しさばかりを論じ通す事だ。これは鉄則である。押しまくられた連中は、必ず自分等の論理は薄弱ではなかったか、と思いたがるものだ。討論に、唯一の理性などという無用なものを持ち出してみよう。討論には果てしがない事が直ぐわかるだろう。だから、人々は、合議し、会議し、投票し、多数決という人間の意志を欠いた反故を得ているのだ。

【教養という見せかけ】
ヒットラーは、一切の教養に信を置かなかった。一切の教養は見せかけであり、それはさまざまな真理を語るような振りをしているが、実はさまざまな自負と欲念を語っているに過ぎないと確信していた。


【悪魔と天使】
悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでいる。(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」『考えるヒント』所収


ーーひさしぶりに読み返したら、ドストエフスキーの名があるな。ついでにフロイトのドストエフスキー論からいくらか。


■フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年

父が冷酷で乱暴で残忍であったとすると、超自我は、これらの諸性質をこの父から受け継ぐ。そして、この超自我と自我との関係のなかに、受動性がーーこれこそまさに抑圧されるべきであったものなのであるがーーふたたび頭をもたげる。すなわち、超自我はサディスティックになり、自我はマゾヒスティックになる。つまりその根本において、女性的‐受動的になる Das Über-Ich ist sadistisch geworden, das Ich wird masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv. 。すると、自我のなかには、罰を受けたいという強い欲求 großes Strafbedürfnis が起こる。それは部分的には運命への犠牲者Schicksalとして自らを差し出す。そしてこの自我は、ある時には、超自我(罪の意識 Schuldbewußtsein)によって虐待されることのなかに満足を見い出す。
ドストエフスキーは、小さな事柄においては、外に対するサディストであったが、大きな事柄においては、内に対するサディスト、すなわちマゾヒストであり、最もお人好しな、もっとも慈悲心に富んだ人間であった。in kleinen Dingen Sadist nach außen, in größeren Sadist nach innen, also Masochist, das heißt der weichste, gutmütigste, hilfsbereiteste Mensch.(フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)

 というわけだが、またまた引用の自動連鎖に促される。このところ引用してきたことの再掲に過ぎないが、こういう風に列挙しておくのもあとあと何かの役に立つかもしれない。

心ひそかに自分を責めさいなみ、われとわが身を噛み裂き、引き挘るのだ。そうするとしまいにはこの意識の苦汁が、一種の呪わしい汚辱に満ちた甘い感じに変わって、最後にはそれこそ間違いのない真剣な快楽になってしまう! そうだ、快楽なのだ、まさに快楽なのである!(⋯⋯)

諸君、諸君はこれでもまだわからないだろうか? 駄目だ、この快感のありとあらゆる陰影を解するためには、深く深く徹底的に精神的発達を遂げて、底の底まで自覚しつくさなければならないらしい!(ドストエフスキー『地下生活者の手記』)

《四十三歳の時、偶然仏訳を手にしたドストエフスキイの「地下室の手記」、この三番目の書を読んだ当時の手紙で、彼(ニーチェ)は昂奮して書いている、他に言いようがないから言うのだが、これは私を歓喜の頂まで持って行った血の声だと言う。》(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

ドストエフスキーこそ、私が何ものかを学びえた唯一の心理学者である。すなわち、彼は、スタンダールを発見したときにすらはるかにまさって、私の生涯の最も美しい幸運に属する。浅薄なドイツ人を軽蔑する権利を十倍ももっていたこの深い人間は、彼が長いことその仲間として暮らしたシベリアの囚人たち、もはや社会へ復帰する道のない真の重罪犯罪者たちを、彼自身が予期していたのとはきわめて異なった感じをとったーーほぼ、ロシアの土地に総じて生える最もすぐれた、最も堅い、最も価値ある木材から刻まれたもののごとく感じとった。(ニーチェ「ある反時代的人間の遊撃」45章)

《享楽 Lustが欲しないものがあろうか。享楽は、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。享楽はみずからを欲し、みずからに咬み入る。環の意志が悦楽のなかに環をなしてめぐっている。――
- _was_ will nicht Lust! sie ist durstiger, herzlicher, hungriger, schrecklicher, heimlicher als alles Weh, sie will _sich_, sie beisst in _sich_, des Ringes Wille ringt in ihr, -》(ニーチェ「酔歌」『ツァラトゥストラ』)

私が享楽 jouissance と呼ぶものーー身体が己自身を経験するという意味においてーーその享楽は、つねに緊張tension・強制 forçage・消費 dépense の審級、搾取 exploit とさえいえる審級にある。疑いもなく享楽があるのは、苦痛が現れ apparaître la douleur 始める水準である。そして我々は知っている、この苦痛の水準においてのみ有機体の全次元ーー苦痛の水準を外してしまえば、隠蔽されたままの全次元ーーが経験されうることを。(ラカン、Psychanalyse et medecine、16 février 1966)


《苦痛のなかの快 Schmerzlustが、マゾヒズムの根である。》(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)

《不快とは、享楽以外の何ものでもない déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. 》(Lacan, S17, 11 Février 1970)


自我の、エスにたいする関係は、奔馬 überlegene Kraft des Pferdesを統御する騎手に比較されうる。騎手はこれを自分の力で行なうが、自我はかくれた力で行う、という相違がある。この比較をつづけると、騎手が馬から落ちたくなければ、しばしば馬の行こうとするほうに進むしかないように、自我もエスの意志 Willen des Es を、あたかもそれが自分の意志ででもあるかのように、実行にうつすことがある。(フロイト『自我とエス』1923年)
自我がひるむような満足を欲する欲動要求 Triebanspruch は、自分自身にむけられた破壊欲動 Destruktionstriebとしてマゾヒスム的であろう。Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. (フロイト『制止、症状、不安』最終章、1926年)
エスの力能 Macht des Es は、個々の有機体的生の真の意図を表す。それは生得的欲求 Bedürfnisse の満足に基づいている。己を生きたままにすること、不安Angst の手段により危険から己を保護すること、そのような目的はエスにはない。それは自我の仕事 Aufgabe des Ich である。…

エスの欲求緊張 Bedürfnisspannungen des Es の背後にあると想定される力 Kräfte は、欲動 Triebe と呼ばれる。欲動は、心的な生 Seelenleben の上に課される身体的要求 körperlichen Anforderungen を表す。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
マゾヒズムはその目標 Ziel として自己破壊 Selbstzerstörung をもっている。…そしてマゾヒズムはサディズムより古い der Masochismus älter ist als der Sadismus。

他方、サディズムは外部に向けられた破壊欲動 der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstriebであり、攻撃性 Aggressionの特徴をもつ。或る量の原破壊欲動 ursprünglichen Destruktionstrieb は内部に居残ったままでありうる。…

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊欲動傾向 Tendenz zur Selbstdestruktioから逃れるために、他の物や他者を破壊する anderes und andere zerstören 必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとってなんと悲しい暴露だろうか![traurige Eröffnung für den Ethiker! ]……

我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動 Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)

エロス欲動という死の欲動


愛(エロス)と憎悪(タナトス)との対立は、引力と斥力という両極との関係がたぶんある。Gegensatzes von Lieben und Hassen, der vielleicht zu der Polaritat von Anziehung und AbstoBung (フロイト、人はなぜ戦争するのか Warum Krieg? 1933年)
同化/反発化 Mit- und Gegeneinanderwirken という二つの基本欲動 Grundtriebe (エロスとタナトス)の相互作用は、生の現象のあらゆる多様化を引き起こす。二つの基本欲動のアナロジーは、非有機的なものを支配している引力と斥力 Anziehung und Abstossung という対立対にまで至る。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)


最初に分離不安ありき


たぶんこの図はどっちかの過剰に傾けば、極端な反転が起こるということはありうるな。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない(中井久夫「「踏み越え」について」2003年)

つまり、前回記したことも含めて言えば、自己破壊性が過剰にある人物は、ある契機によって極端な他者破壊性に向かう、ということは十分ある。




ーーで、この天秤を支えているのは、いつも女の掌だよ、母胎だな。これは男も女も一緒。


⋯⋯⋯⋯

真理における唯一の問いとは、フロイトによって名付けられたもの、「死の本能 instinct de mort」、つまり「享楽という原マゾヒズム masochisme primordial de la jouissance」である。(ラカン、S13, 08 Juin 1966)
享楽はその根源においてマゾヒズム的である。La jouissance est masochiste dans son fond(ラカン、S16, 15 Janvier 1969)
死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S.17、26 Novembre 1969)
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel(ラカン、S23, 10 Février 1976)


というわけで、最後にヒトラーが愛したピアニストElly Ney、いわゆる「総統のピアニスト」を聴きましょう。享楽の穴に吸いこまれそうになるこのシューマンを。





享楽自体、穴Ⱥ を作るもの、控除されなければならない(取り去らねばならない)過剰を構成するものである la jouissance même qui fait trou qui comporte une part excessive qui doit être soustraite。

そして、一神教の神としてのフロイトの父は、このエントロピーの包被・覆いに過ぎない le père freudien comme le Dieu du monothéisme n’est que l’habillage, la couverture de cette entropie。

フロイトによる神の系譜は、ラカンによって、父から「女というもの La femme」 に取って変わられた。la généalogie freudienne de Dieu se trouve déplacée du père à La femme.

神の系図を設立したフロイトは、〈父の名〉において立ち止まった。ラカンは父の隠喩を掘り進み、「母の欲望 désir de la mère」と「補填としての女性の享楽 jouissance supplémentaire de la femme」に至る。(ジャック・アラン=ミレール 、Passion du nouveau、2003)


Klara Hitler, c. 1880s


2018年6月9日土曜日

で、きみの自由はなんのためなんだい?

小林秀雄をいくつかの断片をたまに読みかえすと、ああ作家ってのはこうやって読まなくってちゃな、とあらためて実に惚れ惚れする。

反道徳とか、反キリストとか、超人とか、ニヒリスムとか、孤独とかいう言葉は、ニイチェの著作から取り上げられ、誤解され、濫用されているが、これらの言葉は、近代における最も禁欲的な思想家の過剰な精神力から生れた言葉だと思えば、誤解の余地はないだろう。彼は妹への手紙で言っている、「自分は生来おとなしい人間だから、自己を喚び覚ますために激しい言葉が必要なのだ」と。ニイチェがまだ八つの時、学校から帰ろうとすると、ひどい雨になった。生徒たちが蜘蛛の仔を散らすように逃げ還る中で、彼は濡れないように帽子を石盤上に置き、ハンケチですっかり包み、土砂降りの中をゆっくり歩いて還って来た。母親がずぶ濡れの態を咎めると、歩調を正して、静かに還るのが学校の規則だ、と答えた。発狂直前のある日、乱暴な馬車屋が、馬を虐待するのに往来で出会い、彼は泣きながら走って、馬の首を抱いた。ちなみに彼はこういうことを言っている、「私は、いつも賑やかさのみに苦しんだ。七歳の時、すでに私は、人間らしい言葉が、決して私に到達しないことを知った」。およそ人生で宗教と道徳くらい賑やかな音を立てるものはない。ニイチェは、キリストという人が賑やかだ、と考えたことは一度もない。(小林秀雄「ニイチェ雑感」)

これは偉大な作家にたいしてだけではない。そもそも人が何かを強調するとき、たとえば自らの「孤独」を顕揚するとき、実は逆に孤独が堪え難いのだと読んだほうがいい場合が多い。

「自由」だってひょっとしたらそうかもしれない。

ああ、世には、ふいご以上のはたらきをしていない大思想が、なんと多いだろう。それらは、物を吹きふくらませ、その内部をいよいよからっぽにする。

君は自分が自由だというのか? わたしが君にききたいのは、君を支配している思想であって、君がくびきから逃れたということではない。

君はくびきを脱することを許された者であるのか。世には、他者への服従の義務を投げ捨てたことによって、自分のもつ価値の最後の一片を投げ捨ててしまった者が少なくないのだ。

「何かから自由である」ということなど、ツァラトゥストラにはどうでもよいのだ。君の眼が私にはっきり告げるべきことは、何のための自由か」ということなのだ。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「創造者への道」)

で、きみの孤独や自由はなんのためなんだい? ーーとボクはエアリプを送ったっていいさ・・・

自由とは、選択する自由 la liberté du choix があるのを示すことだ。…それは(究極的に)、死への自由である c'est la liberté de mourir. (ラカン、S11)

話を戻せば、神田橋條治の至言がある、《一般に、著者がある部分を強調してたら、ああこの人は、こういうところが、天性少なかったんだろうかな、と思えばいいのよ》。

…技術の本があっても、それを読むときに、気をつけないといけないのは、いろんな人があみ出した、技術というものは、そのあみ出した本人にとって、いちばんいい技術なのよね。本人にとっていちばんいい技術というのは、多くの場合、その技術をこしらえた本人の、天性に欠けている部分、を補うものだから、天性が同じ人が読むと、とても役に立つけど、同じでない人が読むと、ぜんぜん違う。努力して真似しても、できあがったものは、大変違うものになるの。(……)

といっても、いちいち、著者について調べるのも、難しいから、一般に、著者がある部分を強調してたら、ああこの人は、こういうところが、天性少なかったんだろうかな、と思えばいいのよ。たとえば、ボクの本は、みなさん読んでみればわかるけれども、「抱える」ということを、非常に強調しているでしょ。それは、ボクの天性は、揺さぶるほうが上手だね。だから、ボクにとっては、技法の修練は、もっぱら、「抱えの技法」の修練だった。その必要性があっただけね。だから、少し、ボクの技法論は、「抱える」のほうに、重点が置かれ過ぎているかもしれないね。鋭いほうは、あまり修練する必要がなくて、むしろ、しないつもりでも、揺さぶっていることが多いので、人はさまざまなのね。(神田橋條治「 人と技法 その二 」 『 治療のこころ 巻二 』 )

ーーここにも冒頭の小林秀雄がいるのは明らかだろう。

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収)


2017年9月30日土曜日

あんたの魂のことを書くんだよ。描写するんじゃねえぞ

「あんたの魂のことを書くんだよ。描写するんじゃねえぞ」とは小林秀雄が大岡昇平にあたえたアドバイスの言葉である。

巷間に流通しているのは、《小林秀雄が「君は魂のことを書け」とアドヴァイスをしたところ、大岡は「いや、事実を書く」と反発した》(魂ではなく事実を書く——大岡昇平の視点)だが、これは下に引用する大岡昇平の文を読むかぎりでは異なる。「事実を書く」などとはどこにも言っていない。「描写する」という表現がなされているだけである。

「事実を書く」であるなら、ニーチェの文を引用して罵倒しようと思ったのだがそうはいかなくなって残念である・・・

現象 Phänomenen に立ちどまったままで「あるのはただ事実のみ es giebt nur Thatsachen」と主張する実証主義 Positivismus に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ nein, gerade Thatsachen giebt es nicht, nur Interpretationen と。私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理であろらう。(ニーチェ『権力への意志』ーー「遠近法」、あるいは「自然は存在しない」

というわけで(?)、ネット上から拾ったのだが、大岡昇平の「再会」から核心部分を掲げる。

「君、一つ従軍記を書いてくれないかな」 と待望の話になった。「従軍記」には私は思わず吹き出した。私は本物の兵隊として行ったので、 報道班員のように「従軍」したのではない。しかしX先生がそういうのも一理ないこともない。私はてんで戦う気はなかったのであるから、事実上従軍みたいなものである。

「ああ、Bからちょっと聞いた。でもねえ……」 と勿体をつける。

「いやなのかい」

「いやじゃないけどね。戦場の出来事なんて、その場で過ぎてしまうもので、書き留める値打があるかどうかわかんないんだよ。ただ俘虜の生活なら書ける。人間が何処まで堕落出来るかってことが、そうだな、三百枚は書けそうだ。だけど日本が敗けちゃって、国中ががっかりしてる時に、そいつを書くのは可哀そうだな。もっとも今は共産党とかなんとかいってるけれど、そのうちきっと反動が来ると思います。その時書いてもいいですな」

私はただてれているにすぎなかった。それがX 先生に見破られないはずはない。先生は長口舌を振う私の顔を憐むように見ていたが、

「復員者の癖になまいうもんじゃねえ。何でもい い、書きなせえ。書きなせえ。ただ三百枚は長すぎるな。百枚に圧縮しなせえ、他人の事なんか構わねえで、あんたの魂のことを書くんだよ。描写するんじゃねえぞ」

「へえ」  

しかしスタンタリヤンを捉えて、描写するなとは余計な忠告というものである。半年後出来上がった百枚の原稿を、先生はほめてくれたが(私の書いたものが、先生にほめられた最初である) 、あんまり描写がないのに、少し驚いたらしい。

「ふむ、こりゃいいもんが出来たが、どうもあんまりフィリピンの緑の感じが出てねえな。八犬伝の雑兵が、清澄山から東京湾を見下ろしてるようじゃねえか。時々ちょっと描写を挿むと効果的なんだ」  

私は内心凱歌を挙げた 。(大岡昇平「再会」)

《スタンタリヤンを捉えて、描写するなとは余計な忠告というもの》とあるように、大岡昇平は「魂のことを書く」より「描写」のほうが肝腎だと考えたということになる。

彼は脚下に二十里四方の土地を見た。ハヤブサであろう、彼の頭上の大岩から飛び立った鳥が、いたって大きな輪を、音もなく、えがいているのがときどき彼の視界に入った。ジュリアンの目は、機械的にこの猛禽のあとを辿っていた。その落ち着いた、しかも力強い動きが、彼の心を打った。彼はあの力をうらやんだ。彼はあの孤立をうらやんだ。それはナポレオンの運命であった。いつの日か、それが彼の運命になるだろうか。(スタンダール『赤と黒』)

他方、小林秀雄の「魂のことを書く」とは何か? それは次の文によく表れている。

歴史は決して二度と繰返しはしない。だからこそ僕等は過去を惜しむのである。歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている。歴史を貫く筋金は、僕等の愛惜の念というものであって、決して因果の鎖という様なものではないと思います。それは、例えば、子供に死なれた母親は、子供の死という歴史事実に対し、どういう風な態度をとるか、を考えてみれば、明らかな事でしょう。母親にとって、 歴史事実とは、 子供の死という出来事が、 幾時、 何処で、どういう原因で、どんな条件の下に起ったかという、単にそれだけのものではあるまい。 かけ代えのない命が、取返しがつかず失われて了ったという感情がこれに伴わなければ、歴史事実としての意味を生じますまい。若しこの感情がな ければ、子供の死という出来事の成り立ちが、ど んなに精しく説明出来たところで、 子供の面影が、 今もなお、眼の前にチラつくというわけには参る まい。歴史事実とは、嘗て或る出来事が在ったというだけでは足りぬ。今もなおその出来事が在る事が感じられなければ仕方がない。母親は、それをよく知っている筈です。母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、寧ろ死んだ子供を意味すると言えましょう 。 (小林秀雄「歴史と文学」昭和16年)

《子供の死ではなく、寧ろ死んだ子供》とは何だろうか。まずは一般的なことではなく単独的なこととしうる。《わたしたちは、個別的なものに関する一般性であるかぎりの一般性と、単独的なものに関する普遍性としての反復とを対立したものとみなす》(ドゥルーズ『差異と反復』)

単独的なものは「身体の出来事」という風にもたぶん捉えうる。《症状(原症状)は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps》(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME, AE.569、1975)

このサントーム SINTHOME とも呼ばれる原症状は、原トラウマ(フロイトの原固着)とほぼ等価である(参照)。

トラウマ、ないしその想起は、異物 Fremdkörper ーー体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ異物ーーのように作用する。(フロイト『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
我々は「トラウマ的 traumatisch」という語を次の経験に用いる。すなわち「トラウマ的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、1916年、私訳ーー基本的なトラウマの定義)

ここで次のように補っておこう。

PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)

魂としての身体」で記した「マレビトとしての身体」とは、上のフロイト文にある「異物 Fremdkörper」のことである(仏語訳では corps étranger)。

このマレビトとしての身体は、象徴界の非一貫性(非全体pastout)の「内部」に立ち現れる(外立する)ものであり、けっして超越的彼岸にあるものではない。むしろ超越論的なものである。 

・現実界とは形式化の袋小路である Le reel est un impasse de formalization)(ラカン、S20)

・現実界は外立する Le Réel ex-siste(S22)

前回、マレビトとしての身体は、魂としての身体である、としたが、たとえば、こうも引用することができる。

無意識の主体は、身体を通してのみ、魂に触れる。En fait le sujet de l'inconscient ne touche à l'âme que par le corps(ラカン、テレヴィジョン、1973)
魂とは肉体のなかにある何ものかの名にすぎない。 Seele ist nur ein Wort für ein Etwas am Leibe.(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「肉体の軽侮者」)

いずれにせよ、このように考えると、「魂は描写(形式化)の袋小路に現れるもの」とすることができる。つまりこの観点をとると、「魂のことを書くこと」と「描写すること」とは相反するものではまったくない。ただしその描写するものは、おそらく、向こうから押し寄せて来るもの、《書かれぬことをやめぬもの ce qui ne cesse de ne pas s'écrire》(Lacan, S.20)でなければならない。

たとえば大岡昇平は次のように描写することによって、魂のことを表現した。

しかし彼が谷の向こうの兵士に答え、私がその薔薇色の頬を見た時、私の心で動いたものがあった。

それはまず彼の顔の持つ一種の美に対する感嘆であった。それは白い皮膚と鮮やかな赤の対照、その他我々の人種にはない要素から成立つ、平凡ではあるが否定することの出来ない美の一つの型であって、真珠湾以来私の殆ど見る機会のなかったものであるだけ、その突然の出現には一種の新鮮さがあった。そしてそれは彼が私の正面に進むことを止めた弛緩の瞬間私の心に入り、その敵前にある兵士の衝動を中断したようである。

私は改めて彼の著しい若さに驚いた。彼の若さは最初私が彼を見た時既に認めていたが、今さらに数歩近づいて、その前進する兵士の姿勢を棄て、顔を上げて鉄兜に蔽われたその全貌を現した時、新しく私を打ったのである。彼は私が思ったよりさらに若く、多分まだ二十歳に達していないと思われた。

彼の発した言葉を私は逸したが、その声はその顔にふさわしいテノールであり、言い終わって語尾を呑み込むように子供っぽく口角を動かした。そして頭を下げて谷の向こうの僚友の前方を斜めにうかがうように見た。(この時彼がうかがわねばならなかったのは、明らかに彼自身の前方であった)

人類愛から発して射たないと決意したことを私は信じない。しかし私がこの若い兵士を見て、私の個人的理由によって彼を愛したために、射ちたくないと感じたことはこれを信じる。(大岡昇平“捉まるまで”―『俘虜記』)

アレンカ・ジュパンチッチ Alenka Zupančič(The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan,2013、PDF)によれば、神としてのリアル(あるいは魂)は二種類の捉え方がある。

宗教が基盤としているのは、リアルは根源的に超越的な・〈大他者〉の・排除されたものという仮定である。リアルは、不可能かつ禁じられており、超越的で手の届かないものである。
芸術が基盤としているのは、リアルは内在的かつ手の届かないものという想定である。リアルは、つねに表象に「突き刺さっている」。表象の他の側あるいは裏面に、である。裏面は、定められた空間に常に内在的でありながら、また常に手が届かない。(……)芸術は常に境界と戯れる。境界を創造・移動・越境する。(Alenka Zupančič、2013)

われわれが魂のことを書くと聞くと、通常、宗教的なものを想起しがちだろうが、芸術的なタマシヒがある。

もう一例あげよう。ラカン=アリストテレスのテュケー/オートマン(αύτόματον [ automaton ]/τύχη [ tuché ])とは、「現実界との出会い rencontre du réel/シニフィアンのネットワーク réseau de signifiants」である。

オートマンとテュケーは共存し絡み合っている。シンプルに言えば、テュケーはオートマトンの裂目である。…どの反復も微細な仕方であれ、象徴化から逃れるものが既に現れている。…裂目のなかに宿る偶有性の欠片、裂目によって生み出されたものがある。そしてこの感知されがたい微かな欠片が、喜劇が最大限に利用する素材である。(ムラデン・ドラー、喜劇と分身、2005年)

散文による裂目との遭遇と、詩や喜劇による裂目との遭遇の仕方は異なる。だが肝腎なのは表象の裂目・穴である。 《生垣に穴をあけなければ永遠の世界を眺めることが出来ない》(西脇順三郎「詩情」)。たとえば蓮實重彦の「表象の奈落」とはそのことを差している(参照:壺作りと揺らめかし)。

ラカンは、科学的言説についてさえ「穴」という言葉を使って同様な指摘をしている。

科学的言説がかかわる全ては、そのネットワーク・その織物・その格子によって、正しい場所に正しい穴が現れるようにすること fasse apparaître les bons trous à la bonne place である。

この演繹によって到達される唯一の参照項は不可能である。この不可能が実在 réelである。我々は物理学において、言説の装置の助けをもって、実在 le réel であるところの何かを目指す。その厳格さのなかで、一貫性の限界に遭遇する rencontre les limites de sa consistance のである。(ラカン、セミネール18、20 Janvier 1971、私訳)

もし《神の外立 l'ex-sistence de Dieu》(ラカン、S22)、あるいは《コトバとコトバの隙間が神の隠れ家》(谷川俊太郎「おやすみ神たち」)を受け入れるなら、コトバとコトバの隙間にタマシヒは「祟る」のである。 

たゝりはたつのありと複合した形で、後世風にはたてりと言ふところである。「祟りて言ふ」は「立有而言ふ」と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で、実は「言ふ」のでなく、「しゞま」の「ほ」を示すのであつた。(折口信夫『「ほ」・「うら」から「ほかひ」へ』ーー「玄牝の門」「杣径」「惚恍」「外祟」

…………

後年の小林秀雄は、ベルグソンとフロイトを引いて「魂のこと」を語っている。

◆質問「魂の存在について」 (講演第四巻「現代思想について」
生理的なものと精神的なものには絶対に密接的な関係があるのです。無論生理的な原因から説明することのできる精神現象はたくさんあるわけです。だけれどもフロイトは精神異常者(言葉を換えてあります)を扱った心理学者なのです。ですから普通の心理ではないわけです。皆異常な真理です。そのような異常な真理を調べてみますと肉体的な生理学的な原因からとても説明ができそうもないような患者が出てくるのです。身体(からだ)は健康なんですからね。

例えばぜんぜん健康な体の男がどうしても癌だというでしょう。おれはどうしても癌だと信じてそういう妄想に苦しめられるでしょう。だからそういった妄想はどこから起るのか。そう言った患者に当った場合には生理的な原因といったものにどうしても医者はこだわっていた時に、彼(フロイト)はそれを全く精神的な原因にあるに違いないという仮説の元にやってみたられは、果してそういう妄想には生理的な原因ではなくてまったく精神的な原因があったんですよ。その精神的な原因を取り除いたら、治っちゃったんですよ。

 そういうことをあの人は初めてやったわけだね。あそこで心理学が大きく展開したということは、心理学というものを今までのようにあくまでも生理学的な基礎からね分析していくのをやめてだね、そういった精神には隠れた精神的な、観念的な原因があると、というふうに新しいメソードを立てたわけです。とともに、必然的に人間の心というものは意識とは違うということが解ったわけです。

 無意識という大きな世界をしょっていて僕らの意識というものは、その間のその一部が現実化しているに過ぎないんで、それで魂があるということが解ったわけです。ベルグソンの研究によれば魂というものは脳の組織の中には存在していないのです。もしも脳組織の中に存在していれば脳組織を調べれば魂が解るわけでしょう。だけれども記憶というものいわゆる魂です。魂という言葉をベルグソンも使っているけれども、記憶現象というものは脳組織の中には存在していないのです。だけれども存在しているんです。

 というのは僕らのような古い習慣的な考え方ですよ。存在するというといつも空間を考えるのです。空間的なものを考えるのです。これは僕らの悟性というものの習慣にすぎないのです。習慣的にそう考えているのです。存在するものが空間を閉めなくともちっとも構わないわけです。そうでしょう空間的には規定できない存在しうるわけです。ということを証明したわけですね(ベルグソンは)。

 だから空間的に存在するものはそういった潜在的な存在の顕現するのを制限したに過ぎないのですよ。制限している機構だということを証明したにすぎないのですよ。だからそれ(魂)がどこに存在にすることは意味がないことです。だけれども(魂は)存在するのです。それがどこに存在するかということは無意味だということを証明したんです。それが今の無意識心理学です。

 じゃぁ意識はどこに存在するんですか? 頭の中ですか? (頭にあるとするならば)じゃぁ生理学じゃないですか。そうじゃないんです無意識心理学というのは心理学なんです。心理を心で心を尋ねる学問なんです。だから心は脳の中には存在していませんよ。だけれども存在しているんですよ。何処にですか? 何処にと問うのは意味がないでしょう。これが今の新しい心理学の根拠です。こういう道をフロイトとベルグソンが拓(ひら)いたんです。

 このことは非常に難しいでしょう。だからそっちの方はほっぽかされたんです。そういう根本的な問題がほっぽかされてしまったんです。それでベルグソンの哲学だとか、一派としての哲学つまりベルクソニズム、それでフロイトはフロイティズムといい、そういったものが流行しているのです。知識として。だけれども彼らが開いた戸口というものはそのくらい重要なものなのです。

 諸君が魂はどこに存在するかというのは無意味なのです。だけれども魂の実在というものは決して空間的に何処に存在するものつまり物的存在に還元しえないものなのです。

口頭質問への応答ということもあるのだろう、ややわかりにくい表現はあるが、ここにはマレビトとしての身体、あるいはレミニサンスとしての現実界に近いことが語られている、とわたくしは捉える。

私は…問題となっている現実界 le Réel en questionは、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値 valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme を持っていると考えている。…これは触知可能である…人がレミニサンスと呼ぶもの qu'on appelle la réminiscence に思いを馳せることによって。…レミニサンスは想起とは異なる la réminiscence est distincte de la remémoration。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)


2017年7月18日火曜日

うろんな事を又さくら花

本朝は、天照大御神の御本國、その皇統のしろしめす御國にして、萬國の元本大宗たる御國なれば、萬國共に、この御國を尊み戴き臣服して、四海の内みな、此まことの道に依り遵はではかなはぬことわりなる云々(本居宣長『玉くしげ』)

…………

《日神の御事、四海萬國を照らしますとはいかゝ、此神の御伝説は、此子光華明彩照徹於六合之內とも、有閉天岩屋戶而刺許母理坐也,爾高天原皆暗、因此而常夜往なと、これら六合は天地四方の義なれ共、此には御国の借たるにて、四海萬國の義にあらすと思はるゝは、葦原中国悉暗といふにて知らるゝ也、此外にのみならす、天地内の異邦を悉に臨照ましますといへる伝説、何等の書にありや》(秋成、書簡)

日ノ神は即チ天つ日にまします御事は古事記書紀に明らかに見えて、疑ひなきを、(……)そもそも此日神は、天地のいはみ御照しましませ共、その始は皇国に成出坐て、其皇統即皇国の君とし天皇、今に四海を統御し給へり(宣長、書簡)

《凡大世界の内、舟楫の到らむ限は往廻りて、交易を事とす。是か往返の便に図せし地球之図といふ物を閲るに、文字以て事理の通ふ国は少にて、其余は国号をさへ聞知らぬが多く、しかも地形広大なるが見えたり。此図中にいでや吾皇国は何所のほどと見あらはすれは、たた心ひろき池の面にささやかなる一葉を散しかけたる如き小嶋なりけり。 然るを異国の人に対して、 此小嶋こそ万邦に先立て開闢 [ ヒラケ ] たれ、大世界を臨照まします日月は、ここに現しましし本国也、因て万邦悉く吾国の恩光を被らぬはなし、故に貢を奉て朝し来れと教ふ共、一国も其言に服せぬのみならす、何を以て爾 [ シカ ] いふそと不審せん時、ここの太古の伝説を以て示さむに、其如き伝説は吾国にも有て、あの日月は吾国の太古に現はれまししにこそあれと云争んを、誰か截断して事は果すへき。…… 余又戯て云、今大人を漢土、西竺の国 いつれにも生せしめ、三国の事跡を兼学せしめて後の覚悟いかなるや、可承思ゆ。》(秋成、書簡)

とにかくに皇国を万国の上に置むとするほとに云々とは、余が意と反覆せり。余は皇国の万国の上たることを世ひとの知らざることを恤フルを、上田氏は皇国の万国の上たらむことを憂ひて、とかくに余が言を破せんとす。ああ是非もなきこと也。 (宣長、書簡)

ーーというのが「近世最大の論争」といわれることがあるらしい宣長と秋成論争(1786年)の断片である。秋成は「やまとだましひ」の「臭気」といい、伊勢の「田舎者」と評す。宣長は「小智をふるふ漢意の癖」やら「まなさかしら心」と評す。本居宣長は1730年生れ、上田秋成は1734年生れであり、両者とも50歳代のこと。

この論争の記録は、宣長は「呵刈葭(かかいか)」、秋成は「安々言(やすみごと)」にある。「呵刈葭」は「あしかりよし」とも読まれ、その意味は「あしかる(刈葭)」人、すなわち悪人を「しかる(呵)」。

小林秀雄の『本居宣長』には後半になってようやくこの話が出現する。全50章のなかの第40、41、49章である。

宣長の学問は、その中心部に、難点を蔵していた。「古事記伝」の「凡ての神代の伝説(ツタエゴト)は、みな実事(マコトノコト)にて、その然有る理は、さらに人の智のよく知ルべきかぎりに非れば、然るさかしら心を以て思ふべきに非ず」という、普通の考え方からすれば、容易に宜えない、頑強とも見える主張で、これは、宣長が生前行った学問上の論争の種となっていたものだが、これを、一番痛烈に突いたのは、上田秋成であった。(小林秀雄『本居宣長』四十)

だが小林秀雄は上田秋成の「普通の考え方」による宣長批判をたいして気にしている様子はない。なぜだろうか?ーーさあて・・・

今は冒頭に引用した『玉くしげ』をもうすこし長く引用しておくだけにする。

皇國は格別の子細ありと申すは、まづ此四海萬國を照させたまふ天照大御神の、御出生ましましし御本國なるが故に、萬國の元本大宗たる御國にして、萬ヅの事異國にすぐれてめでたき、其ノ一々の品どもは、申しつくしがたき中に、まづ第一に穀は、人の命をつゞけたもちて、此上もなく大切なる物なるが、其ノ稻穀の萬國にすぐれて、比類なきを以て、其餘の事どもをも准へしるべし、然るに此國に生れたる人は、もとよりなれ來りて、常のことなる故に、心のつかざるにこそあれ、幸に此御國人と生れて、かばかりすぐれてめでたき稻を、朝夕に飽まで食するにつけても、まづ皇神たちのありがたき御恩賴をおもひ奉るべきことなるに、そのわきまへだになくて過すは、いともいとも物體なきことなり、さて又本朝の皇統は、すなはち此ノ世を照しまします、天照大御神の御末にましまして、かの天壤無窮の神勅の如く、萬々歳の末の代までも、動かせたまふことなく、天地のあらんかぎり傳はらせ給ふ御事、まづ道の大本なる此ノ一事、かくのごとく、かの神勅のしるし有リて、現に違はせ給はざるを以て、神代の古傳説の、虚僞ならざることをも知ルべく、異國の及ぶところにあらざることをもしるべく、格別の子細と申すことをも知ルべきなり、異國には、さばかりかしこげに其ノ道々を説て、おのおの我ひとり尊き國のやうに申せども、其ノ根本なる王統つゞかず、しばしばかはりて、甚みだりなるを以て、萬事いふところみな虚妄にして、實ならざることをおしはかるべきなり、さてかくのごとく本朝は、天照大御神の御本國、その皇統のしろしめす御國にして、萬國の元本大宗たる御國なれば、萬國共に、この御國を尊み戴き臣服して、四海の内みな、此まことの道に依り遵はではかなはぬことわりなるに、今に至るまで外國には、すべて上件の子細どもをしることなく、たゞなほざりに海外の一小嶋とのみ心得、勿論まことの道の此ノ皇國にあることをば夢にもしらで、妄説をのみいひ居るは、又いとあさましき事、これひとへに神代の古傳説なきがゆゑなり、(本居宣長『玉くしげ』、1787年、58歳)

ーーしき嶋のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花(上田秋成、胆大小心録)

…………

遠い昔に最初の100頁程度を読んだだけで放り投げてあった小林秀雄の『本居宣長』をようやく読んでみようとしたのは、半年ほどまえ岡本かの子の短編を読んで、ああそうだったのか、と思ったせいもある。

彼の造詣の深さを証拠立てる事は彼が三十五歳雨月物語を成すすこし前、賀茂真淵直系の国学者で幕府旗本の士である加藤宇万伎に贄を執つたが、この師は彼の一生のうちで、一番敬崇を運び、この師の歿するまで十一年間彼は、この師に親しみを続けて来たほどである。この宇万伎は、彼が入門するとたちまち弟子よりもむしろ友人、あるひは客員の待遇をもつて、彼に臨み、死ぬときは、彼を尋常一様の国学者でないとして学問上の後事をさへ彼に托した。(岡本かの子「上田秋成の晩年」)
青年時代の俳諧三昧、それをもしこの年まで続けて居たとすれば、今日の淡々如きにかうまで威張らして置くものではない。淡々奴根が材木屋のむすこだけあつて、商才を弟子集めの上に働して、門下三千と称してゐる。これがまづ、いまいましい。四十の手習ひで始めた国学もわれながら学問の性はいいのだが、とにかく闘争に気を取られ、まとまつた研究をして置かなかつたのが次に口惜しい。俺を、学問に私すると云つた江戸の村田春海、古学を鼻にかける伊勢の本居宣長、いづれも敵として好敵ではなかつた。筆論をしても負けさうになればいつでも向ふを向いて仕舞ふぬらくらした気色の悪い敵であつた。これに向ふにはつい嘲笑や皮肉が先きに立つので世間からは、あらぬ心事を疑はれもした。人間性の自然から、独創力から、純粋のかんから、物事の筋目を見つけて行かうとする自分のやり方がいかに旧套に捉はれ、衒学にまなこが眩んでゐる世間に容れられないかを、ことごとく悟つた。 
南禅寺の本部で経行が始つた。その声を聞きながら、彼は死んだ人の名を頭の中で並べた。年代順に繰つて行つて五年前、享和元年に友だちの小沢蘆庵が七十九歳で死に、仕事敵の本居宣長が七十三で死んでゐるところまで来ると彼は微笑してつぶやいた――生気地なし奴等だ。 

十二歳年下で、六十歳の太田南畝がまだ矍鑠としてゐるのが気になつた。この男には、とても生き越せさうにも思へなかつた。世の中を狂歌にかくれて、自恣して居るこの悧恰な幕府の小官吏は、秋成に対しては、真面目な思ひやり深い眼でときどき見た。それで彼も、生き負けるにしろさう口惜しい念は起さなかつた。(岡本かの子「上田秋成の晩年」)


2017年7月16日日曜日

「もののあはれ」と「あばたもえくぼ」

恋せずば 人は心もなからまし 物のあはれも これよりぞ知る (藤原俊成)

「もののあはれ」は語りにくい。それはまず惚れることにかかわるからだ。

阿波礼といふ言葉は、さまざまいひかたはかはりたれども、其意はみな同じ事にて、見る物、聞く事、なすわざにふれて、情(こころ)の深く感ずる事をいふ也。俗にはたゞ悲哀をのみあはれと心得たれ共、情に感ずる事はみな阿波礼也(本居宣長『石上私淑言』)

だが惚れたら「あばたもえくぼ」になる。批評精神が働かなくなる。あの批評精神のかたまりのような小林秀雄の渾身の作『本居宣長』でさえ、あばたをえくぼとしているのではないかと疑いたくなる箇所がないではない。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返す。(ニーチェ『善悪の彼岸』146節)

小林秀雄は「本居宣長」を11年半も書き続けた。本居宣長はあきらかに小林秀雄を見返しているのである。

これをラカン派なら次のように言う(参照:眼差しとしてのプンクトゥム)。

主体の眼差しは、常に-既に、知覚された対象自体にシミとして書き込まれている。「対象以上の対象のなか」に。その盲点から対象自体が主体を眼差し返す。《確かに絵は、私の目のなかにある。だが私自身、この私もまた、絵のなかにある。le tableau, certes est dans mon oeil, mais moi je suis dans le tableau. 》 (ラカン、S11)

(ジジェク、パララックス・ヴュ―、英文より

ジジェクは次の文であばたがえくぼになるどころか、「あばた」こそ愛する原因となる、すくなくともその場合があると言っている。

欲望の対象と欲望の対象-原因(対象a)のギャップというのは決定的である、その特徴が私の欲望を惹き起こし欲望を支えるのだから。この特徴に気づかないままでいるかもしれない。でも、これはしばしば起っていることだが、私はそれに気づいているのだけれど、その特徴を誤って障害と感じていることだ。

たとえば、誰かがある人に恋に落ちるとする、そしてこう言う、「私は彼女をほんとうに魅力的だと思う、ただある細部を除いて。――それが私は何だかわからないけれど、彼女の笑い方とか、ジェスチュアとかーーこういったものが私をうんざりさせる」。

でもあなたは確信することだってありうる、これが障害であるどころか、実際のところ、欲望の原因だったことを。欲望の対象-原因というのはそのような奇妙な欠点で、バランスを乱すものなのだが、もしそれを取り除けば、欲望された対象自体がもはや機能しなくなってしまう、すなわち、もう欲望されなくなってしまうのだ。こういったパラドキシカルな障害物。これがフロイトがすでに「一の徴 der einzige Zug」と呼んだものと近似している。そして後にラカンがその全理論を発展させたのだ。たとえばなにかの特徴が他者のなかのわたしの欲望が引き起こすということ。そして私が思うには、これがラカンの「性関係がない」という言明をいかに読むべきかの問題になる。(『ジジェク自身によるジジェク』ーー「愛の心理学:「女の笑い方、ジェスチャ」」)

いずれにせよ人は対象のなかに自分が書き込まれていなければ、愛さない。この自分が書き込まれていることをラカンは《絵のなかのシミ tache dans le tableau》=盲点と呼ぶ。そして当時の「学会」や「学者」への批判をしつづけた独学者「本居宣長」という対象には、あきらかに小林秀雄自身のシミが書き込まれている。

44歳の江藤淳は『本居宣長』の「新潮」連載がおわったあとの小林秀雄と対談で二度、森鴎外の『渋江抽斎』の名を出して小林秀雄に問いかけている、《私は……この御本を読みながら何度か鴎外の『渋江抽斎』のことを想いました》《さっきも申しあげたように、『本居宣長』を読みながら、しばしば鴎外の『渋江抽斎』を思い出したのですが、鴎外はなぜ渋江抽斎というような、ほとんど世間に知られていない考証家に惹かれたのかということを考えてみますと、……結局鴎外が自分の六十年近い生涯を振り返ったとき、本当の学問をしていたのは抽斎のほうで、自分ではなかったという痛恨を禁じ得なかったからではないか、と思うようになりました》。

この江藤淳の二度の問いかけに小林秀雄は無言のままである。渋江抽斎に鴎外が書き込まれているのはたしかであり、「あばたもえくぼ」の箇所がふんだんにあるのもたしかである。

あばたといわずにも、「もののあはれ」を語れば、人は女々しくなる。

おほかたの人の情といふ物は、女童のごとく、みれんにおろかなる物也、男らしく、きつとして、かしこきは、実の情にあらず、それはうはべをつくりひ、かざりたる物也、実の心のそこを、さぐりてみれば、いかほどかしこき人も、みな女童にかはる事なし、それをはぢで、つゝむとつゝまぬとのたがひめ計也(本居宣長『紫文要領』)

《男らしく、きつとして、かしこきは、実の情にあらず》とあるが、通念としての男のあるべき姿は《きつとして、かしこき》ことだろう。だが惚れるとは女になることなのである。

我々は愛する、「私は誰?」という問いへの応答、あるいは一つの応答の港になる者を。

愛するためには、あなたは自らの欠如を認めねばならない。そしてあなたは他者が必要であることを知らねばならない。

ラカンはよく言った、《愛とは、あなたが持っていないものを与えることだ l'amour est donner ce qu'on n'a pas 》と。その意味は、「あなたの欠如を認め、その欠如を他者に与えて、他者のなかの場に置く c'est reconnaître son manque et le donner à l'autre, le placer dans l'autre 」ということである。あなたが持っているもの、つまり品物や贈物を与えるのではない。あなたが持っていない何か別のものを与えるのである。それは、あなたの彼方にあるものである。愛するためには、自らの欠如を引き受けねばならない。フロイトが言ったように、あなたの「去勢」を引き受けねばならない。

そしてこれは本質的に女性的である。人は、女性的ポジションからのみ真に愛する。愛することは女性化することである。この理由で、愛は、男性において常にいささか滑稽である。(On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? " Jacques-Alain Miller janvier 2010

宣長は愛する人だった。

事しあれば うれしかなしと 時々に うごく心ぞ 人のまごころ
うごくこそ 人の真心 うごかずと いひてほこらふ 人はいは木か
真ごころを つつみかくして かざらひて いつはりするは 漢のならはし
から人の しわざならひて かざらひて 思ふ真心 いつはりべしや  

――本居宣長「玉鉾百首」

小林秀雄はこの漢ごころに対する大和魂賛美を、たとえば次の文などを引用して語っているが、漢ごころとは《きつとして、かしこき》孟子風の態度であり、宣長は孔子はまったく違うと言っている。だから必ずしも「漢」自体の批判ではない。

孟子ニ、不動心ト云ルハ、大ナル偽ニシテイミジキヒガ事也、心ハモトヨリ動クガソノ用也、動カザルハ死物ニテ、木石ニ異ナル事ナシ、孟子ガ王道ヲ行ハシメムト思フモ、則心ヲ動カスニアラズヤ、又養浩然之気ト云ルモツクリ事也、孔子ニハ、カヤウノウルサキ事ハ、露バカリモ見ヘズ、聖人ノ意ニアラズ、コレモ、カノ心ヲ動カワズト云ト同ジタグイノ、自慢ノ作リ事也(本居宣長『玉勝間』)

…………

ここで精神分析ごころにかなり汚染されているここでの記述にさらに追い打ちをかけることにする(本居宣長も小林秀雄もそんな振舞いをゆるしてはくれないだろうが)。

ジジェク2016年の「私は哲学者だろうか AM I A PHILOSOPHER?」、PDF からである。

我々が「真の哲学者」をストア的に動じない主人の言説と同一とするなら、カントやヘーゲルのような哲学者はもはや哲学ではない。

カント以後「古典的あるいは新古典的なスタイルに哲学」、すなわち「全現実の基本構造」の大いなる透視図としての「世界的視点」の哲学は、議論の余地なくもはや不可能である。

…要するに、カントとともに、哲学はもはや主人の言説ではない。全哲学体系は、内在的不可能性、欠陥、非一貫性の閂によって旋転させられている。ヘーゲルとともに、事態はさらにいっそう展開する。ヘーゲルは(カント派が非難するように)プレ批判的な合理的形而上学へと回帰しているどころか、全ヘーゲルの弁証法は、「主人」の土台のヒステリー的な掘り崩しの一種である(ラカンはヘーゲルを《最も崇高なヒステリー》と呼んだ)。つまりあらゆる哲学的主張の内在的自己破壊と自己超克である。要するに、ヘーゲルの「体系」とは哲学的企画の欠陥を通した体系的ツアー以外の何ものでもない。(ZIZEK, AM I A PHILOSOPHER?  2016)

主人の言説からヒステリーの言説への移行とは、まさに男性的《きつとして、かしこき》態度から女性的《心ヲ動カス》態度への移行である。

ラカン派においては、下の図の上段が男性の論理、下段が女性の論理であり、S1は主人、$はヒステリーである(参照)。




上の文にあらわれているように、ジジェクにとって、ヘーゲルとは大いなる世界の透視図を描く合理的形而上学者ではけっしてなく(かつまた孟子風の「不動心」の哲学者でもなく)、「世界の闇」の哲学者、あるいは次の文にあらわれる否定性、欠如、空虚に「動かされる」哲学者である(バディウも同様である、《よいヘーゲルは「切り裂く」ヘーゲルである。すなわち、より高い統一へと昇華し得ない「非対称的矛盾」のヘーゲルである》(Théorie du sujet))。

意識において自我 Ichとその対象である実体 Substanz との間におこる不等性 Ungleichheitは…否定的なもの Negative 自体である。このネガ Negative は両者の欠如 Mangel と見なしうるが、しかし両者の魂 Seele であり両者を動かす。この理由で若干の古人は空虚 Leere をもって動因と解した。もっとも彼らは…このネガを自己 Selbst としてはとらえなかったが。(ヘーゲル『精神現象学』)

いやあシマッタ・・・、ヘーゲルなどまともに読んでいないにもかかわらずもっともらしく引用してしまった。これこそ「もののあわれ」に反する態度である!

すべて男も女も、わろものはわづかに知れる方の事を残りなく見せ尽くさむと思へるこそいとおしけれ(源氏「帚木」)

そもそも冒頭の百頁ほどしか読まずに長いあいだほうったらかしてあった小林秀雄の『本居宣長』をようやく読んだばかりのところでこうやってすぐさま記すのも「もののあはれ」にすこぶる反する振舞いである! これはなにやらと「さわいでいるだけ」の文である。《かぢとり、もののあはれも知らで、おのれ酒をくらひつれば、はやくいなむとて、しほみちぬ、風もふきぬべしと、さわげば》云々(紀貫之『土佐日記』)


2016年12月21日水曜日

シーレとクリムト



ある人物のナルシシズムは、自己のナルシシズムを最大限に放棄して対象愛を求めようとしている他のひとびとにとっては非常な魅力をもつものだ(……)。小児がもっている魅力の大部分はそのナルシシズムや、自己満足や、近づきがたさにもとづいているのであり、われわれのことなぞ眼中いないようにみえるある種の動物、たとえば猫や巨大な肉食獣などの魅力もこれと同じであって、それどころか、極悪人や滑稽家などが文学作品のなかでわれわれの興味をそそるのさえ、それは彼らが自分の自我を傷つける一切のものを遠ざけておくすべを心得ている、ナルシシズム的な首尾一貫性によるのである。これはまるで彼らが幸福な心的状態を保持し、われわれ自身がすでに放棄してしまった不可侵なリビドーの状態を保持していることを、われわれがうらやんででもいるかのような有様なのである。しかしナルシシズム的女性のもつ大きな魅力にも欠点がないわけではない。恋着している男性が感じる不満や、女性の愛に対する疑惑や、女性の本質にひそむ謎に対する嘆きなどの大部分は、対象選択のこのような不一致に根ざしているのである。(フロイト『ナルシシズム入門』)




いやあ実にウンザリするからな、クリムトを眺めていると。好きな人もいるんだろうがね。フロイトが言うように猫好きはナルシシスト好きであるなら、クリムト好きということになるのではないだろうか。

わたくしは明らかに犬派であり、そしてこのクリムトとその弟子シーレの二人をくらべるならエゴン・シーレ好みだ。つまりは自分のナルシシズムを捨てていないってわけさ。





よくこんなに女の趣味が異なる男のもとに弟子入りしたもんだよ、




シーレと荒木はともに"不在"による"存在"を可能にしている。ならば荒木の写真にもシーレと同じように、モデルと作者との間には「のっぴきならない」"関係"が存在するのではないか。(……)

荒木の写真に出てくる女性たちは、たいてい裸である。そのうえ大股を広げたり、尻を突き出したりして性器を露に見せることも少なくない。時にはまさに性交の最中に撮られたと思われる写真もある。写された女性たちの姿は、暴力的なポルノグラフィーの姿とほとんど変わりはない。にもかかわらず荒木の写真がポルノグラフィーではないのは、作者の存在があるからであった。



(……)シーレの絵の中の女性も荒木の写真の中の女性も、彼女たちの視線を向けている方向をみると、自分の目の前に存在する作者のことしか考えていないように思われる。どんなに笑いかけていても、煽情的なポーズをとっていても、彼女たちの視線は「見る」ものの視線を飛び越えていく。モデルたちはカメラに振られていることに対しては充分に自覚的だが、その背後にある写真を見るであろう無数の視線には反応を示さない。自分にとって重要で、意味を成すのは目の前にいる写真家との関係だけだからだ。(「私的な視線によるエロティシズム : 荒木経惟の作品を中心とした写真に関する考察」秦野真衣






荒木経惟というのはバカにしちゃあいけないんじゃないかね、きみたちは女たちにこんな顔させることができるかい? 






これに比べてクリムトの女たち、それに敢えて貼り付けないが、篠山紀信の女たち、わたくしにはウンザリだな。ーーと書けば、浅田クンの雑音がきこえてこないわけではないが。

荒木経惟は、略、しみったれた私の人生の断片を薄汚い私写真として切り売りし、臆面もなく俗情に訴えてみせる。あざとい戦略であったにせよまさしく私への撤退だったわけです。もっとも、勤務先の電通のゼロックスを使って写真集をつくってしまうとか、猥雑表現の検閲と戦いながら穴倉のような小部屋を女性器の写真でうめつくすとか、略、そこには肥大した私へのだらしない居直りだけがのこるんですね。

 その篠山紀信から荒木経惟へ、極端に外在化されたものから悪い意味で内面化、主観化されたものへ、というシフトが起こった。それは一見、商業的なものから私的なものへのシフトのように見えて、実は私的なものこそが商業的により効果的だったという皮肉な落ちがついたわけです。(浅田彰 中平卓馬という事件。2

ーー勝手に言わしておけばよろしい。浅田クンはおそらく女に惚れて徹底的に苦しんだことがないんだろうから。

最近はこんなことまでオッシャッテいるようだが(前後関係はしらないが「成熟」という語が勘に触ったんだろう、きっと)。

@nariyuki_hanyu 小林秀雄『Xへの手紙』の有名な「女は俺の成熟する場所だった」に触れて「こんな恥ずかしいことを書くやつがいるのかと驚いた」「要するに、共通の女をダシにして自分と中原中也の関係を語るというホモソーシャルな話でしょう」(『ゲンロン4』浅田彰インタビュー)というの、身も蓋もなくて笑った

ま、「背が伸びなかったし(笑)」(金井美恵子)、惚れた腫れたの話がひどくキライなのもやむえないさ

人々は批評といふ言葉をきくと、すぐ判断とか理性とか冷眼とかいふことを考へるが、これと同時に、愛情だとか感動だとかいふものを、批評から大へん遠い処にあるものの様に考へる、さういふ風に考へる人々は、批評といふものに就いて何一つ知らない人々である。

この事情を悟るには、現実の愛情の問題、而もその極端な場合を考へてみるのが近道だ。(……)

恋愛は冷徹なものぢやないだらうが、決して間の抜けたものぢやない。それ処か、人間惚れれば惚れない時より数等利口になるとも言へるのである。惚れた同士の認識といふものには、惚れない同士の認識に比べれば比較にならぬ程、迅速な、溌剌とした、又独創的なものがある筈だらう。(……)

理知はアルコオルで衰弱するかも知れないが、愛情で眠る事はありはしない、寧ろ普段は眠つてゐる様々な可能性が目醒めると言へるのだ。傍目には愚劣とも映ずる程、愛情を孕んだ理知は、覚め切つて鋭いものである。(小林秀雄「批評について」)




私はほんとに馬鹿だつたのかもしれない。私の女を私から奪略した男の所へ、女が行くといふ日、実は私もその日家を変へたのだが、自分の荷物だけ運送屋に渡してしまふと、女の荷物の片附けを手助けしてやり、おまけに車に載せがたいワレ物の女一人で持ちきれない分を、私の敵の男が借りて待つてゐる家まで届けてやつたりした。尤も、その男が私の親しい友であつたことゝ、私がその夕行かなければならなかつた停車場までの途中に、女の行く新しき男の家があつたことゝは、何かのために附けたして言つて置かう。 (中原中也「我が生活」)
「保証」は彼女の一番ほしいもので、半ば狂った頭は不貞を犯しても棄てない保証まで、小林に求めるようになる。しかも小林がそこにいるということが、彼女の憎悪をそそるらしく、走って来る自動車の前へ、不意に突き飛ばされるに到って、同棲は障害事件の危険をはらんで来る。

五月上旬の或る夜、泰子が「出て行け」といったら、小林は出て行った。軒を廻って行くのは、いつものように間もなく謝って帰って来る後姿だったということである。しかし小林はそれっきり帰らなかった。

小林は家を出る時、ああ、自分はこの家へはこれっきり帰って来ないなと思ったそうである。……(大岡昇平『中原中也』)
俺は今までに自殺をはかつた経験が二度ある、一度は退屈の為に、一度は女の為に。俺はこの話を誰にも語つた事はない、自殺失敗談くらゐ馬鹿々々しい話はないからだ、夢物語が馬鹿々々しい様に。力んでゐるのは当人だけだ。大体話が他人に伝へるにはあんまりこみ入りすぎてゐるといふより寧ろ現に生きてゐるぢやないか、現に夢から覚めてるぢやないかといふその事が既に飛んでもない不器用なのだ。俺は聞手の退屈の方に理屈があると信じてゐる。(小林秀雄「Xへの手紙」)
俺は恋愛の裡にほんたうの意味の愛があるかどうかといふ様な事は知らない。だが少なくともほんたうの意味の人と人との間の交渉はある。惚れた同士の認識が、傍人の窺ひ知れない様々な可能性を持つてゐるといふ事は、彼等が夢みてゐる証拠とはならない。世間との交通を遮断したこの極めて複雑な国で、俺達は寧ろ覚め切つてゐる、傍人には酔つてゐると見える程覚め切つてゐるものだ。この時くらゐ人は他人を間近かで仔細に眺める時はない。あらゆる秩序は消える。従つて無用な思案は消える。現実的な歓びや苦痛や退屈がこれに取つて代る。一切の抽象は許されない、従つて明瞭な言葉なぞの棲息する余地はない、この時くらゐ人間の言葉がいよいよ曖昧となつていよいよ生き生きとして来る時はない、心から心に直ちに通じて道草を食はない時はない。惟ふに人が成熟する唯一の場所なのだ。(小林秀雄「Xへの手紙」)

小林秀雄が言っているのは、ドゥルーズ=プルーストの愛のシーニュの「習得」ではないだろうかね。小林ファンのわたくしはそう読むよ、「成熟」ではなくて。

習得は本質的にシーニュにかかわる。シーニュは、時間的な習得の対象であって、抽象的な知識の対象ではない。習得することはまず第一に、ひとつの物質・対象・存在を、あたかもそれらが解読・解釈を求めるシーニュを発するものであるかのように考えることである。習得する者の中で、何かについての《エジプト学者》でないような者はいない。材木のシーニュを感知しないで指物師になることはできず、病気のシーニュを感知しないで医師になることはできない。職業は常に、シーニュとの関係による宿命である。われわれに何かを習得させるすべてのものがシーニュを発し、習得Apprendre の行為はすべて、シーニュまたは象形文字 hiéroglyphes の解釈である。プルーストの作品の基礎は、記憶のはたらきの提示ではなく、シーニュの習得l'apprentissage des signesである。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第一章)
真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」の章)

おしゃべり好きの浅田くんだからね、いやそれでも役には立ったよ、彼のおしゃべりは。それを否定するものではまったくない。

そして彼の言わんとしようとすることがスコシはわからないでもない。ゴダールなどの顔を思い浮かべてね。

戦前・戦中の日本が情緒に引きずられたことへの反省から、加藤周一はとことん論理的であろうとした。老境の文化人がややもすれば心情的なエッセーに傾斜する日本で、彼だけは最後まで明確なロジックと鮮やかなレトリックを貫いた。(浅田彰「憂国呆談」

ようは荒木経惟は才能があるのに、芸術のシーニュの創造に向うことを忘れてしまった、ということかもな。

芸術のシーニュが他のあらゆるシーニュにまさっているのは何においてであろうか。それは、他のあらゆるシーニュが物質的だということである。それらはまず第一に、シーニュが発せられていることにおいて物質的であり、シーニュのにない手である事物の中に、なかば含まれている。感覚的性質も、好きな顔も、やはり物質である。(意味作用を持つ感覚的性質が特に匂いであり味であるのは偶然ではない。匂いや味は、最も物質的な性質である。また、好きな顔の中でも、頬と肌理がわれわれをひきつけるのも偶然ではない。) 芸術のシーニュだけが非物質的である。恐らく、ヴァントゥイユの短い楽節は、ピアノとヴァイオリンとから流れでてくるもので、非常によく似た五つのノートがあって、そのうちのふたつが反復される、というように、物質的に分解されるものであろう。しかし、プラトンの場合と同じように、三プラス二は何も説明しない。ピアノは全く別の性質を持った鍵盤の空間的イマージュとしてしか存在せず、ノートは、全く精神的なひとつの実体の《音声的な現われ》としてのみ存在する。《まるで演奏者たちは、その短い楽節が現われるのに要求される儀礼をしているようで、演奏しているようではなかった……》 この点において、短い楽節の印象そのものが、物質なし(シネ・マテリア Sine materia)である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』--社交・愛・感覚・芸術のシーニュ

それにくらべて中平宅馬を見よ、ということなんだろう。





このガソリンの臭いがしてきそうな中平の作品はクラクラすることがあるのを否定するわけでもない。これをシネ・マテリアというのかどうかは別にして。

生活欲はともあれ、若い性欲が世間の活気と、もどかしく立てる唸りと、没交渉であるわけもない。だいぶ年の行ってからのこと、私と同年配の男がごく若い頃のことだがと断わった上で、今ではまともに拭きつけられれば顔をそむける車の排気のにおいも、昔はにわかに人恋しさをつのらせて、その一日の残りをやり過ごしかねたばかりに、幾度、つまらぬ間違いをおかすはめになったことか、ともらした。しばらくばつの悪そうな間を置いてから話をつないで、それよりはまたすこし前のことになるが、車が走りながら油を零していく、その油が路上に虹よりも多彩な輪をひろげて、それが玉虫色に揺れ動く、あれを見るともう、と言って笑うばかりになった。聞いて私は、においと言えば昔、二人きりになって初めて寄り添った男女は、どちらもそれぞれの家の、水まわりのにおいを、いくら清潔にしていても、髪から襟から肌にまでうっすらとまつわりつけていたもので、それが深くなった息とともにふくらむのを、お互いに感じたそのとたんに、いっそ重ね合わせてしまいたいと、羞恥の交換を求める情が一気に溢れたように、そんなふうに振り返っていたものだが、車の排気と言われてみればある時期から、街全体をひとしなみに覆うそのにおいが、家々のにおいに取って代わっていたのかもしれない、と思った。(古井由吉「蜩の声」)  

わたくしにとっては20歳前後うろついた高田馬場の街の記憶が痛みをともなって蘇ってくる。

……青春の日々のことが、鼻の奥に淡い揮発性の匂いを残して掠め去って行った。

その瞬間から、傍らの女の存在が、強く意識されはじめた。それも、きわめて部分的な存在として、たとえば腕を動かすときの肩のあたりの肉の具合とか、乳房の描く弧線とか、胴から腰へのにわかに膨れてゆく曲線とか、尻の量感とか……、そういう離れ離れの部分のなまなましい幻影が、一つの集積となって覆いかぶさってきた。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)




ある種の写真に私がいだく愛着について(……)自問したときから、私は文化的な関心の場(ストゥディウム le studium)と、ときおりその場を横切り traverser ce champ やって来るあの思いがけない縞模様 zébrure とを、区別することができると考え、この後者をプンクトゥム le punctum と呼んできた。さて、いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕 stigmate》)が存在することを知った。もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間 le Temps」である。「写真」のノエマ(《それは = かつて = あった ça—a-été》)の悲痛な強調であり、その純粋な表象 représentation pure である。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

ーーだよ、わたくしにとっては。だが荒木経惟の作品に果たしてそれがないと言えるのだろうか。

失われた時を考えるよう我々を強制する forcent シーニュがある。時の経過 passage du temps・過去にあったものの無化 anéantissement de ce qui fut・存在の交替 altération des êtres を考えさせるシーニュである。それはかつて親しかった人たちに再会したときに顕現 révélationする。なぜなら、彼らの顔は、もはや我々にとって習慣的なものではなくなっているので、純粋な状態での時のシーニュと時の効果 l'état pur les signes et les effets du temps を保っているから。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

それを感じるかどうかは、女に惚れた腫れたの強烈な経験の有無の差さ。

あるいはこう引用してもよい。

《正しい映像などはない、ただの映像があるだけだ》、ゴダールは言った。しかし私の悲しみにとっては、正しい映像、正当でかつ正確な映像が必要だった。ただの映像にすぎないとしても、正しい映像が必要だった。私にとっては、「温室の写真」がそれだった。(ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳)

荒木経惟はこの女のまなざしのまわりをつねにまわっている、それはほとんど間違いない。





もっとも荒木経惟には「牛乳売りの娘」はないといえるかもしれない。

……そんなとき、突然私が目にとめるのは、雨にぬれた路面が日ざしを受けて金色のラッカーと化した歩道にあらわれて、太陽にブロンドに染められた水蒸気の立ちのぼるとある交差点の舞台のハイライトにさしかかる宗教学校の女生徒とそれにつきそった女の家庭教師の姿とか、白い袖口をつけた牛乳屋の娘とかであって、(……)バルベックの道路と同様に、パリの街路が、かつてあんなにしばしばメゼグリーズの森から私がとびださせようとつとめたあの美しい未知の女性たちを花咲かせながら、それらの女性の一人一人が官能の欲望をそそり、それぞれ独自に欲望を満たしてくれる気がする、そんな光景に接するようになって以来、私にとってこの地上はずっと住むに快く、この人生はずっとわけいるに興味深いものであると思われるのであった。(プルースト「ゲルマントのほうⅠ」)
私は窓のところに行き、内側の厚いカーテンを左右にひらいた。ほの白く、もやが垂れて、あけはなれている朝の、上空のあたりは、そのころ台所で火のつけられたかまどのまわりのようにばら色であった、そしてそんな空が、希望で私を満たし、また、一夜を過ごしてから、ばら色の頬をした牛乳売の娘を見たあんな山間の小さな駅で目をさましたい、という欲望で私を満たした。(プルースト「逃げさる女」)

いや、ほんとにそうなんだろうか。





ここで安吾の「牛乳売りの娘」を貼り付けておこう。

勿論かうした山中のことで、美人を予期してゐないのが過大な驚異を与へるわけだが、脚絆に手甲のいでたちで、夕靄の山陰からひよいと眼前へ現れてくる女達の身の軽さが、牝豹の快い弾力を彷彿させ、曾て都会の街頭では覚えたことがないやうな新鮮な聯想を与へたりする。牝豹のやうに弾力の深い美貌の女が山から降りてくるのも見ました。また黄昏の靄の中で釣瓶の水を汲んでゐる娘の姿を、自然の生んだ精気のやうな美しさに感じたこともあるのです。また太陽へながしめを送りかねない思ひのする健康な野獣の意志を生き甲斐にした日向の下の女も見ました。その人たちがその各々の美しさで、僕をうつとりさせたのですね。(坂口安吾「木々の精、谷の精」)

カオリちゃんだって「牛乳売りの娘」か「黄昏の靄の中で釣瓶の水を汲んでゐる娘」だよ、きっと。





記しているうちにシーレとクリムトとは別の話になってしまったが、表題はそのままにしておこう。荒木経惟とか浅田彰とかの名を表題に掲げると、ネットでは蛆虫みたいなやつらがたかってくる場合があるから。

いずれにせよ、浅田彰ーーわれわれの時代の最もすぐれた「知性」の持ち主のひとりであるのは間違いないーーはあのように荒木経惟や小林秀雄を評価したということだけであり、それは彼の「眼鏡」を通したものにすぎない。

私の読者たちというのは、私のつもりでは、私を読んでくれる人たちではなくて、彼ら自身を読む人たちなのであって、私の書物は、コンブレーのめがね屋が客にさしだす拡大鏡のような、一種の拡大鏡でしかない、つまり私の書物は、私がそれをさしだして、読者たちに、彼ら自身を読む手段を提供する、そういうものでしかないだろうから。したがって、私は彼らに私をほめるとかけなすとかいうことを求めるのではなくて、私の書いていることがたしかにその通りであるかどうか、彼らが自身のなかに読みとる言葉がたしかに私の書いた言葉であるかどうかを、私に告げることを求めるだけであろう(その点に関して、両者の意見に相違を来たすこともありうる、といってもそれは、かならずしも私がまちがっていたからそういうことが起こるとはかぎらないのであって、じつはときどきあることだが、その読者の目にとって、私の書物が、彼自身をよく読むことに適していない、ということから起こるのであろう)。

本を読むとき、読者はそれぞれに自分自身を読んでいるので、それがほんとうの意味の読者である。作家の著書は一種の光学器械にすぎない。作家はそれを読者に提供し、その書物がなかったらおそらく自分自身のなかから見えてこなかったであろうものを、読者にはっきり見わけさせるのである。書物が述べていることを読者が自分自身のなかに認めることこそ、その書物が真実であるという証拠であり、すくなくともある程度、その逆もまた真なりであって、著者のテキストと読者のテキストのあいだにある食違は、しばしば著者にでなくて読者に負わせることができる。さらにつけくわえれば、単純な頭の読者にとって、書物が学問的でありすぎ、難解でありすぎることがある、そんなときはくもったレンズしかあてがわれなかったように、読者にはよく読めないことがあるだろう。しかし、それとはべつの特殊なくせ(倒錯のような)をもった読者の場合には、正しく読むために一風変わった読みかたを必要とすることもあるだろう。著者はそれらのことで腹を立てるべきではなく、むしろ逆に、最大の自由を読者に残して、読者にこういうべきである、「どれがよく見えるかあなたがた自身で見てごらん、このレンズか、あのレンズか、そちらのレンズか。」(プルースト『見出された時』井上究一郎訳)

浅田彰の基本スタンスは次の文に収斂している、《明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまって、ギリギリのところで書いていきたい》

浅田彰:批評的立場を選んだからには、徹底して明晰であろうとすべきでしょう。僕は奇妙な形で文学にひかれています。妙に小器用で、他のジャンルのことはよく分かったような気がするのに、文学はどうしても隅々まで理解できない。ただ、そういう不可解なものを語るとき、それをまねるのではなく、明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまって、ギリギリのところで書いていきたい。それが、自分にとって本当に分からないものの発見につながると思っていますから。 (平成2年5月1日朝日新聞夕刊  対談 大江健三郎&浅田彰

問題は浅田彰のような「芸術好き」がたとえば次のプルーストの指摘をどう捉えているかだ。

…というのも、理知が白日の世界で、直接に、透きうつしにとらえられる真実は、人生がある印象、肉体的印象のなかで、われわれに意志にかかわりなくつたえてくれた真実よりも、はるかに深みのない、はるかに必然性に乏しいものをもっているからだ、ここで肉体的印象といったのは、それがわれわれの感覚器官を通してはいってきたからだが、しかしわれわれはそこから精神をひきだすことができるのである。要するに、いずれの場合でも、それがマルタンヴィルの鐘塔のながめが私にあたえた印象であれ、両足のステップの不揃いやマドレーヌの味のような無意識的記憶 réminiscences であれ、問題は、考えることを試みながら、言いかえれば私が感じたものを薄くらがりから出現させてそのをある精神的等価物に転換することを試みながら、それらの感覚を通訳して、それとおなじだけの法則をもちおなじだけの思想をもった表徴 signes にする努力をしなくてはならない、ということであった。(プルースト「見出された時」)

あるいはーー、

美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。(ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』宮川淳訳)



2016年12月1日木曜日

ファストフード的知的消費者向け作文

以下、まずは1902年生の小林秀雄の1936年の文章である。

君にいわせれば、僕は批評的言語の混乱というものを努めて作り出そうと心掛けて来た男だ。そして愚かなエピゴオネンを製造し、文学の進歩を妨害している。そういう奴は退治してしまわねばならぬという。豪そうな事をいうなとは言うまい。しかし、君が僕を眺める眼は大変感傷的なのである。もし僕がまさしく君のいう様な男であったら、僕が批評文で飯を食って来たという事がそもそも奇怪ではないか。批評的言語の混乱に努力し、その努力を批評文に表現する様な人間は、どんな混乱した社会にあっても、存在する事が出来ないのは、わかりきった話だ。僕が批評家として存在を許されて来た事には自ら別の理由がある。その理由について僕は自省している。君の論難の矢がそこに当る事を僕は望んでいたのである。君は僕の真の姿を見てくれてはいない。君の癇癪が君の眼を曇らせているのである。(……)

僕は「様々なる意匠」という感想文を「改造」に発表して以来、あらゆる批評方法は評家のまとった意匠に過ぎぬ、そういう意匠を一切放棄して、まだいう事があったら真の批評はそこからはじまる筈だ、という建前で批評文を書いて来た。今もその根本の信念には少しも変わりはない。僕が今まで書いて来た批評的雑文(謙遜の意味で雑文というのではない、たしかに雑文だと自分で思っているのだ)が、その時々でどんな恰好を取ろうとも、原理はまことに簡明なのである。原理などと呼べないものかも知れぬ。まして非合理主義だなぞといわれておかしくなるくらいである。愚かなるエピゴオネンの如き糞でも食らえだ。(……)

君は僕の文章の曖昧さを責め、曖昧にしかものがいえない男だとさえ極言しているが、無論曖昧さは自分の不才によるところ多い事は自認している。又、以前フランス象徴派詩人等の強い影響を受けたために、言葉の曖昧さに媚びていた時期もあった。しかし、僕は自分の言葉の曖昧さについては監視を怠った事はない積りである。僕はいつも合理的に語ろうと努めている。どうしても合理的に語り難い場合に、或は暗示的に或は心理的に表現するに過ぎぬ。その場合僕の文章が曖昧に見えるというところには、僕の才能の不足か読者の鈍感性か二つの問題しかありはしない。僕が論理的な正確な表現を軽蔑していると見られるのは残念な事である。僕が反対して来たのは、論理を装ったセンチメンタリズム、或は進歩啓蒙の仮面を被ったロマンチストだけである。(……)

僕等は、専門語の普遍性も、方言の現実性も持たぬ批評的言語の混乱に傷ついて来た。混乱を製造しようなどと誰一人思った者はない、混乱を強いられて来たのだ。その君も同様である。今はこの日本の近代文化の特殊性によって傷ついた僕等の傷を反省すべき時だ、負傷者がお互いに争うべき時ではないと思う。(小林秀雄「中野重治君へ」昭和十一年四月二日―三日『東京日日新聞』初出)

実に美しい文章だ。「豪そうな事をいうな」、「批評文で飯を食って来た」、「癇癪が君の眼を曇らせている」などの生きた言葉遣い、あるいは、《僕が反対して来たのは、論理を装ったセンチメンタリズム、或は進歩啓蒙の仮面を被ったロマンチストだけである》という対句。

論理を装ったセンチメンタリズム
啓蒙の仮面を被ったロマンチスト

ーーところで、この21世紀、これ以外の批評の書き手などいるんだろうか・・・

《専門語の普遍性も、方言の現実性も持たぬ批評的言語の混乱》などという問いさえもとっくの昔に何処かに行ってしまった(これは加藤周一がいった「雑種文化」にもかかわるはずだが、問いが消えたのは雑種文化が定着したってことだろうか)。

こういったこととは別に、あのような時代もあったのだ、という感慨が沸き起こってくる。

小林秀雄は《批評的言語の混乱に努力し、その努力を批評文に表現する様な人間は、どんな混乱した社会にあっても、存在する事が出来ないのは、わかりきった話だ》と言っているが、これは或る意味で、当時の知識人階級をいまだ信頼していたからこそこう言えたのだろう。そして小林秀雄のこの勇ましい断言は甘すぎるとする観点もあるはずだ。たとえばここでプルーストの文章を引用してみよう。

批評は、何一つ新しい使命をもたらさない作家を、彼に先立った流派にたいする彼の横柄な口調、誇示的な軽蔑のゆえに、予言者として、祀りあげる。批評のこのような錯誤は、常習となっている(プルースト『見いだされた時』)

この有様が「批評文で飯を食って来た」書き手の常道だったのは、かつてからだったといえる。少なくとも「馬鹿」を相手にする大衆文化が生まれて以降は。

……一八六三年の二月一日に一部五サンチームで売り出された小紙面の『ル・プチ・シュルナル』紙は、その安易な文体と情報の単純さによって、日刊紙としては初めて数十万単位の読者を獲得することに成功する。一八五〇年当時、パリの全日刊紙をあわせても三十万程度であったことを考えれば、一紙で三十五万の読者を持つ『ル・プチ・シュルナル』紙の創刊は、言葉の真に意味でマス・メディアと呼ばれるにふさわしいものの出現を意味することになる。(……)ここでの成功が、みずからの凡庸さを装いうるジャーナリストの勇気に負うものだという点を見落としてはなるまい。人類は、おそらく、一八六三年に、初めて大量の馬鹿を相手にする企業としての新聞を発明したのである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

だがインターネットが普及した現在ーーつまりは大量の馬鹿が書くようになった時代ーーには、「批評的言語の混乱に努力」する批評家が大手をふるって存在できるようになった。いや批評はそうでなくては読まれない。もちろん批評だけではない。《いいものは売れなくて当然》(蓮實重彦)は昔からだったかもしれないが、《愚かさは進歩する!》(フローベール)のだから、いまではいっそうそうだ。

つまり比較的よく読まれている書き手の文章とは馬鹿向けの寝言だと疑わなくてはならない(これはツイッターでの大量RTの囀りをすこしでも垣間見れば歴然としている)。

ここでジジェクのジョン・グレイ罵倒を掲げよう。現在の批評とはこの程度のものだということを示すために。

あなたは、あなたが批評しているところの著作がどのようなものであるかを全く無視している。あなたは論争の道筋を再構成する試みを全く放棄している。その代わりに、曖昧模糊とした教科書的な通則やら、著者の立場の粗雑な歪曲、漠然とした類推、その他諸々を一緒くたにして放り投げ、そして自身の個人的な従事を論証するために、そのような深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えているのだ(「見ろ!あの著者は新たなホロコーストを主張しているみたいだぞ!」といったように)。真実など、ここでは重要ではない。重要なのは影響力である。これこそ今日のファストフード的な知的消費者が望んでいたものだ。道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式である。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせるのだ。(スラヴォイ・ジジェク:彼の批判に応答して)

ーーこれはジョン・グレイの『LESS THAN NOTHING』 (ジジェク 2012)『Living in the End Times』(同)の書評「The Violent Visions of Slavoj Žižek」(John Gray)に対するジジェクの反論の断片である。

ジョン・グレイ(1948~)は、イギリスの政治哲学者であり、オックスフォード大学教授を経て、現在、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授。1949年生れのジジェクと同世代ということになる。

グレイの著作は、バラードなどにも賞賛されたことがある。

《Gray’s work has been praised by, amongst others, the novelists J. G. Ballard, Will Self and John Banville,etc》(Wikepedia)

だがジジェクの反論は明らかに正しい。このそれなりに名高い政治哲学者のジジェク批判は、ジジェクの著書をまともに読んでさえいなくて書かれており、まさに「ファストフード的な知的消費者」向けのものである。

そして、いま日本のネット界に流通する「批評」などというものはーーほんの僅かの例外を除いて、と一応留保しておこうーーさらにいっそう、ファストフード的な知的消費者が望んでいるもの、《道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式……人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせる》ものでしかないのは明らかだろう(書いている本人はそのつもりがなくても)。

その書き手が信頼されるのはすぐれた批評を書くせいではまったくない。記号の記号の流通の海を巧みに泳いでいる者のみが信用される。それが知の大衆化現象である。

大衆化現象は、まさに、そうした階層的な秩序から文化を解放したのである。そしてそのとき流通するのは、記号そのものではなく、記号の記号でしかない。(……)読まれる以前にすでに記号の記号として交換されているのである。したがって、まだ発表されてさえいない作品の作者たる人物が、そこで交換されているものの特権的な発信者とは呼べないだろう。

(……)聴衆が競いあってオッフェンバックの喜歌劇の切符を買い求め、読者が先を争ってポンソン・デュ・デラーユの連載小説の載る『ラ・プチット・プレス』紙の予約購読を申し込むのは、ぜひともその作品に接したいという欲望とはまったく別の理由からである。それは、みずからも、記号の記号としての固有名詞の流通に加担したいという意志にほかならない。

この意志は、隣人の模倣に端を発する群集心理といったことで説明しうるものではない。そこに、流行という現象が介在していることはいうまでもないが、実は流行現象そのものでもない。問題は、欠落を埋める記号を受けとめ、その中継点となることなのではなく、もはや特定の個人が起源であるとは断定しがたい知を共有しつつあることが求められているのである。新たな何かを知るのではなく、知られている何かのイメージと戯れること、それが大衆化現象を支えている意志にほかならない。それは、知っていることの確認がもたらまがりなす安心感の連帯と呼ぶべきものだが、マクシムが苛立っているのも、まさにそれなのだ。そこにおいて、まがりなりにも芸術的とみなされる記号は、読まれ、聴かれ、見られる対象としてあるのではない、ともにその名を目にしてうなずきあえる記号であれば充分なのである。だから、それを解読の対象なのだと思ってはならない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

蓮實重彦がこう書いたのは、1980年代である。いまではこういったことさえ全く念頭にない読み手が、そこらじゅうを大手を振るって歩き回り頷き合っている。

ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなけらばならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)




2016年10月12日水曜日

哲学と友情

……というのは、彼といっしょにしゃべっているとーーほかの誰といっしょでもおそらくおなじであっただろうがーー自分ひとりで相手をもたずにいるときにかえって強く感じられるあの幸福を、すこしもおぼえないからであった。ひとりでいると、ときどき、なんともいえないやすらかなたのしい気持に私をさそうあの印象のあるものが、私の心の底からあふれあがるのを感じるのであった。ところが、誰かといっしょになったり、友人に話しかけたりすると、すぐ私の精神はくるりと向きを変え、思考の方向は、私自身にではなく、その話相手に移ってしまうので、思考がそんな反対の道をたどっているときは、私にはどんな快楽もえられないのであった。ひとたびサン=ルーのそばを離れると、言葉のたすけを借りて、彼といっしょに過ごした混乱の時間にたいする一種の整理をおこない、私は自分の心にささやくのだ、ぼくはいい友達をもっている、いい友達はまたとえられない、と。そして、そんなえがたい宝ものにとりまかれていることを感じるとき、私が味わうのは、自分にとって本然のものである快感とは正反対のもの、自分の薄くらがりにかくれている何かを自分自身からひきだしてそれをあかるみにひきだしたというあの快感とは正反対のものなのであった。(プルースト『花咲く乙女たちのかげにⅡ』)

プルーストの悪評(?)高い友情否定であり、ニーチェの友情をめぐる態度さえ批判している。

……つまり、友情はきわめてとるに足らぬものであるというのが私の考えかたなので、なんらかの天才と称せられる人たち、たとえばニーチェなどが、これにある種の知的価値を賦与するといった、したがって知的尊敬にむすびつかなかったような友情はこれを認めないといった、そのような素朴な考をもったのは、私の理解に苦しむところなのだ。

そうだ、自己への誠実さに徹するあまり、良心にとがめて、ワグナーの音楽と手を切るまでになった人間が、本来つかみどころがなく妥当性を欠く表現形式であり、一般的には行為であるが個別的には友情であるこの表現形式のなかに、真実があらわされうると想像した、またルーヴルが焼けたというデマをきいて、自分の仕事をすてて友人に会いに行き、その友人といっしょに泣く、といったことをやりながら、そこに何ほどかの意味がありうると想像した、そんな例を見ると、私はいつもあるおどろきを感じてきたのである。

私がバルベックで若い娘たちとあそぶことに快楽を見出すにいたったのも、そういう考えかたからなので、つまりそんな快楽は、精神生活にとって友情よりも有害ではない、すくなくとも精神生活とはかかわりがないと思われたのであって、そもそも友情なるものは、われわれ自身のなかの、伝達不可能な(芸術の手段による以外は)、唯一の真実な部分を、表面だけの自我のために犠牲にするという努力ばかりを要求するのであり、この表面だけの自我のほうは、もう一つの真実の自我のようには自己のなかによろこびを見出さないで、自分が外的な支柱にささえられ、他人から個人的に厚遇されていると感じて、つかみどころのない感動をおぼえる、そしてそういう感動にひたりながら、この表面的な自我は、そとからあたえられる保護に満悦し、その幸福感をにこにこ顔でほめたたえ、自己のなかでなら欠点と呼んでそれを矯正しようとつとめるであろうような相手の性癖のたぐいにも、目を見張って関心するのである。(『ゲルトマントのほうⅡ』 井上究一郎訳)

ドゥルーズはプルーストの「友情」をめぐる考え方について次のように言っている(ドゥルーズは最後までガタリとは TU を使うことはせず、VOUS で呼び合っていたそうだ)。

哲学者には、《友人》が存在する。プルーストが、哲学にも友情にも、同じ批判をしているのは重要なことである。友人たちは、事物や語の意味作用について意見が一致する、積極的意志のひとたちとして、互いに関係している。彼は、共通の積極的意志の影響下にたがいにコミュニケーションをする。哲学は、明白で、コミュニケーションが可能な意味作用を規定するため、それ自体と強調する、普遍的精神の実現のようなものである。プルーストの批判は、本質的なものにかかわっている。つまり、真実は、思考の積極的意志にもとづいている限り、恣意的で抽象的なままだというのである。慣習的なものだけが明白である。つまり、哲学は、友情と同じように、思考に働きかける、影響力のある力、われわれに無理やりに考えさせるもろもろの決定力が形成される、あいまいな地帯を無視している。思考することを学ぶには、積極的意志や、作り上げられた方法では決して十分ではない。真実に接近するには、ひとりの友人では足りない。ひとびとは慣習的なものしか伝達しない。人間は、可能なものしか生み出さない。哲学の真実には、必然性と、必然性の爪が欠けている。実際、真実はおのれを示すのではなく、おのずから現れるのである。それはおのれを伝達せず、おのれを解釈する。真実は望まれたものではなく、無意志的である。

(……)われわれは、無理に、強制されて、時間の中でのみ真実を探求する。真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは、天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらくは創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密な圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともの、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」の章)

…………

ロゴスの中には、どんなに隠されていても、それによって知性が常に前に来るような、それによって全体がすでに存在しているようなひとつの側面がある。それは、それを適用するものを前にして、すでに知られている法則である。つまり、あらかじめ与えられてあったものを再発見するだけであり、あらかじめ置かれてあったものを取り出すだけの、弁証法的手品である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチロゴス」の章)

このアンチロゴス/ロゴスは、ラカン的観点からは、非全体の論理/例外の論理と相同性があるように思う。あるいは遇発性(テュケー)/偶然(オートマン)をめぐっている、としてもよい。

ラカンは、よく知られたセミネール11 の講義にて、偶然(経験上の偶発性)と絶対的遇発性とのあいだの区別をしている。…アリストテレスの『自然学』第4、5章から引用して、彼は二種類の偶然性、 automaton と tyche があると主張している。

オートマンはシニフィアンの論理(象徴界)に属し、この水準では、恣意性は究極的に常に見かけにすぎない。というのは共時的構造が、通時性のなかに「選択的効果 effets préférentiels」を促し、定まったカードで主体を戯れさせるだけだから。

テュケーは現実界に結びつけられる。よりよく言えば、象徴構造への現実界の侵入にかかわる。それは純粋で無条件的(絶対的)である。

しかしながら、科学とは異なり精神分析は、言語は非全体 pas-toutであり全体化されえないと仮定する。したがって、シニフィアンのネットワーク内部での蓋然的偶然としてのオートマンは、テュケーによって可能・支えられていると同時に、テュケーによって土台を崩される。すなわち、物質的原因として理解されなければならない構造の穴の絶対的遇発性によって。 (ロレンツォ・キエーザ、 2010, Chiesa, L., ‘Hyperstructuralism's Necessity of Contingency',PDF

メイヤスーが正しく指摘したように、科学は偶然 chance を基礎にして機能しており、偶発性 contingency を基礎にしていない(参照:偶然/遇発性(Chance/Contingency))。

メイヤスーが唯一の必然性としての遇発性を主張したとき、…彼の誤謬はラカンの性別化の公式における男性の論理に従って遇発性を心に抱いたことだ。つまり普遍性とその構成的例外の論理に従っている: すべては遇発的である。遇発性自体を例外にして、と。そこでは、遇発性は絶対的に必然的なものであり、したがって必然性は、普遍的遇発性の外的(メタな)支柱となる。

我々が遇発性のこの普遍化に反対すべきことは、必然性の普遍化ではない(必然的なものすべては遇発的だ、必然性自体の例外にして、というような)。そうではなく、遇発性の「女性の論理における」非全体pas-tout である:遇発的でないものは何もない。それが非全体が遇発的であるという理由である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)

メイヤスーは最終的にはラカン派により上のように批判されるがーーほかにも(わたくしの知る範囲でさえ)ロレンツォ・キエーザ、ジュパンチッチに同様の批判があるーー、科学への問いをめぐってラカン派に強い刺激を与えたことは間違いない。そして科学の時代とはロゴスの時代だろう。

科学的言説だけではなく、哲学的言説、合理的思考は、おおむね偶然をのみ基盤にしている。アンチロゴス/ロゴスには、ほかにも種々の変奏があるだろう、事前/事後、イディオス・コスモス/コイノス・コスモス(エリオット=ヘラクレイトス)……。

なるほどこの世には在りそうな事しか起こるものではないが、逆に、起こるもの、現にあるものは、皆在りそうもない事ばかりである。観察とはすべて事後の観察である。観察によって知る代わりに、生きて知るという心掛けで眺めるなら、人生には在りそうもない事だけが起こっている。(小林秀雄『作家の顔』)

ドゥルーズの《哲学者には、《友人》が存在する》で始まる上に掲げた文のあとには、次のような文もみられる。《思考を強制するものは、シーニュ Ce qui force à penser, c'est le signeである。シーニュは、ひとつの出会いの対象 l'objet d'une rencontreである。しかし、思考させる必然性を保証するものは、まさにこの出会いの遇発性 contingence de la rencontre  である。》

この遇発性が、ラカン派のいう遇発性=テュケーとまったく同じものだというつもりはない。

ただし、ドゥルーズ=プルーストなりに、遇発性(テュケー)/偶然(オートマン)に近似した対比がなされている、と言ってよいだろう。

テュケーの機能、出会いとしての現実界の機能 fonction de la τύχη [ tuché ]… du réel comme rencontre ということであるが、それは、出会いとは言っても、出会い損なうかもしれない出会いのことであり、本質的には、「出会い損ね」としての「現前」« présence » comme « rencontre manquée » [ in abstentia ]である。このような出会いが、精神分析の歴史の中に最初に現われたとき、それは、トラウマ traumatisme という形で出現してきた。そんな形で出てきたこと自体、われわれの注意を引くのに十分であろう。(ラカン、セミネールⅪ、邦訳よりだが一部変更)

トラウマ traumatismeについて、ラカンは後年(S.21)、troumatismeとの表現もしている(参照:「 レミニサンス réminiscence」と「穴馬 troumatisme」)。

…………

『失われた時を求めて』は、一連の対立の上に築かれている。プルーストは、観察には感受性を対立させ、哲学には思考を、反省には翻訳を対立させる。知性が先に立ち、《全体的な魂》というフィクションのなかに集中させるような、我々のすべて能力全体の、論理的な、あるいは連帯的な使用に対して、我々がすべての能力を決して一時には用いず、知性は常にあとからくることを示すような、非論理的で、分断された能力の使用がある。

また、友情には恋愛が、会話には沈黙した解釈が、ギリシャ的同性愛には、ユダヤ的なもの・呪われたものが、言葉には名が、明示的意味作用には、暗示的シーニュ・巻き込まれた意味が対立する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチロゴス」の章)

小林秀雄の文に「生きて知る/「事後の観察」の対比があったことに注意して、あるいはラカンの「遇発性(テュケー)/偶然(オートマン)」とともに(当面)わたくしはこのドゥルーズの文を読む。

・感受性 sensibilité/観察 observation
・思考 pensée /哲学 philosophie
・翻訳 traduction/反省 réflexion
・愛 amour/友情 amitié
・沈黙した解釈 interprétation silencieuse/会話 conversation
・名 noms/言葉 mots
・暗示的シーニュ signes implicites/明示的意味作用 significations explicites

プルーストはいたるところで対立させる、「シーニュ・症状の世界/属性の世界」、「パトスの世界/ロゴスの世界」、「象形文字・表意文字の世界/分析的表現・表音文字・合理的思考の世界」を。

Partout Proust oppose le monde des signes et des symptômes au monde des attributs, le monde du pathos au monde du Logos, le monde des hiéroglyphes et des idéogrammes au monde de l'expression analytiquc, de l'écriture phonétique et de la pensée rationnelle.
いつも拒絶されるのは、愛・知・対話・ロゴス・声といったギリシャ人から継承した大きなテーマである。

Ce qui est récusé constamment, ce sont les grands thèmes héri tés des Grecs : le philos, la sophia, le dialogue, le logos, la phoné. (Gilles Deleuze, Proust et les signes, DEUXIÈME PARTIE LA MACHINE LITTÉRAIRE CHAPITRE 1 Antilogos)

《シーニュ・症状(徴候)の世界 monde des signes et des symptômes /属性の世界 monde des attributs》とは、《暗示的シーニュ signes implicites/明示的意味作用 significations explicites》と同じことを言っている。


2016年10月7日金曜日

愛を語るときに生まれる「演出」

人間は、自身で経験した事件についてさえ、数日後には噂話に影響された話し方しかしないものだ。 (小林秀雄「ペスト」『作家の顔』所収)

…………

僕が、はじめてランボオに出くわしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何の準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。しかも、この爆弾の発火装置は、僕の覚束ない語学の力なぞ殆ど問題でないくらい敏感に出来ていた。豆本は見事に炸裂し、僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様に思われる。文学とは他人にとって何んであれ、少なくとも、自分にとっては、或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ現実の事件である、と、はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様にも思われる。(小林秀雄「ランボオ Ⅲ」『作家の顔』所収)

蓮實重彦は、この小林秀雄のランボー小論に「嘘」が混じっていると指摘しているのは比較的よく知られているだろう(高橋悠治による小林秀雄のモーツァルトにおけるメロドラマの指摘と同様に。--《小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない》)。

……高橋(英夫)氏が引用するのは、いうまでもなく、「僕が、はじめてランボオに、出くはしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いてい た、と書いてもよい。向こうからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである」で始まる一節である。だがそれにしても、これが「一種の狂暴 な〈出会い〉として一挙に起こったのだ」という点に注意すべきだとする高橋氏が、すかさず「精神が精神に触れ合う危機」を語り始めるとき、ここで小林氏が 嘘をついているという事実になぜ気づこうとしないのだろう。というより、小林氏は嘘をつくべく強いられているのだ。「神田をぶらぶら歩いていた、と“書い てもよい”」の、動詞「書く」がフランス語の譲歩による語調緩和の「条件法」に置かれている点を見逃してはなるまい。それに続く瞬間的な衝撃性の比喩とし ての「見知らぬ男」の殴打、「偶然見付けたメルキュウル版」に「仕掛けられてて」いた「爆薬」、「敏感」な「発光装置」、「炸裂」などの比喩は、事件としてあったはずのランボー体験を青春の邂逅の光景としてしか語りえない「貧しさ」に苛立っていた言葉が、「書いてもよい」を恰好な口実として一挙に溢れだして小林氏を裏切り、ほとんど無償に近い修辞学と戯れさせてしまったが結果なのであり、問題の一節にあって「条件法」的語調緩和の余韻をわずかにまぬがれている文章は、最後に記される「僕は、数年の間、ランボオといふ事件の渦中にあった」という一行のみである。つまり、真の小林的ランボー体験は、その装われ た性急さにもかかわらず、徐々に、ゆっくりと引き伸ばされ、時間をかけて進行した事件だったのである。わざわざ「『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」とことわっている小林氏は、書物の言葉をかいくぐって一挙に「精神が精神に触れ合う危機」などを演じてしまうほどに、「精神」を信用してはおらぬ、それとも高橋英夫は、小林氏が言葉にもまして「精神」を尊重していたとする確かな証拠でも握っているのであろうか。(……)

……だが、多少とも具体 的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出会うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ 察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではな い環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりし まい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会 い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色 調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批評宣言』所収)

こういった「メロドラマ」とは、蓮實重彦が制度(あるいは物語)という言葉で批判しつづけてきた言説のあり方である。

制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在はしないが機能する装置なのである。(蓮實重彦『物語批判序説』)
「制度」…。本当はそんな身振りを演ずべき必然性などどこにも見当たらないのに、誰もがついついそんな身振りを演じてしまうことで支えられたかりそめの葛藤劇。それは、かりそめとはいえ、かりそめであるが故に可能な執拗性を帯びている。「制度」が恐ろしいのは、そのかりそめの執拗性という奴が唯一の基盤であるからだ。(蓮實重彦『表層批評宣言』)

なかんずく、人は愛を語ろうとすると、こういった現象に陥りがちだろう。もっと一般的に、 《主体の最も深刻な疎外は、主体が我々に彼自身について話し始めたときに、起こる》(ラカン、E.281)、あるいは《人はつねに愛するものについて語りそこなう》(ロラン・バルト)と言ってもよい。

ところで蓮實重彦は、2003年の国際シンポジウムで、ロラン・バルトへの愛を口頭で(仏語によって)語っている(後に、自ら日本語訳して「文學界」(2006、01)に発表された)。

それはとても「美しい」文であり、とくにその冒頭箇所はーー下記に引用するがーーロラン・バルトファンのわたくしにとって鍾愛してやまないものである。

とはいえそこには、《二五年の余も、バルトを論じることなくすごしていた》とある。ロラン・バルトが《パリ街頭での自動車事故で呆気なく他界》したのは、1980年である。1980年以降、25年のあいだバルトを論じることなくすごしていた、と言っていることになるのだが、1985年に出版された『物語批判序説』の結論部分にはプルーストをめぐる叙述のあとに「Ⅲ ロラン・バルト あるいは受難と快楽』という章があり、247頁から306頁までがそれに当たる(初出は1984年の『海』)。

ーーというわけで、やはり蓮實重彦もロラン・バルトへの愛を「美しく」語ったとき、なんらかの「演出」をしている、あるいは物語の制度に囚われてしまっていると言ってよいだろう。

長いこと、バルトについて語ることを自粛していた。パリ街頭での自動車事故で呆気なく他界してから、その名前を主語とする文章をあえて書くまいとしてきたのである。いきなり視界にうがたれた不在を前にしての当惑というより、彼自身の死をその言葉にふさわしい領域への越境として羨むかのような文書を綴ったのが一九八〇年のことだから、もう二五年の余も、バルトを論じることなくすごしていたことになる。とはいえ、その抑制はあくまで書くことの水準にとどまり、バルトを読むことの意欲が衰えたことなどあろうはずもない。

二〇歳ほどの年齢差にもかかわらず彼との同時代を生きえたわたくしにとって、ロラン・バルトは語の最良の意味における「批評家=エッセイスト」と呼ぶべき存在にほかならない。彼は、「現在」というとりとめのない瞬間に、そのつどほんの思いつきといった身軽さで、しかも、これしかないという鮮やかな身振りで触れてみせる希有の才能に恵まれていた。そのとき、言葉とともにあろうとする彼の身振りのえもいわれぬものやわからさを、その場で気持ちよく「消費」していればよかった。彼のテクストは、大量消費社会が奇蹟のようにもたらす贅沢きわまりない「消費」の対象だったとさえいえる。その言葉を心地よく「消費」しようとする姿勢を、彼自身なら「くつろぎ」《 aise》という言葉で肯定してくれることだろう。

さいわいなことに、この「批評家=エッセイスト」は、あくまで「消費」されることをこばむ「芸術家」などではついぞなかった。読まれることの「現在」と「永遠」との修正しがたいひずみにどこまでも無頓着な「理論家」でもなかった。バルトは、あくまで「現在」に生きるジャーナリスティックな「批評家=エッセイスト」だったのであり、それは、プロに徹した純粋なアマチュアともいうべきすぐれて矛盾した存在だったといってよい。その姿勢は、コレージュ・ド・フランスの教授として「文学記号論」を講じ始めてからも変わることがない。実際、「形容詞は一つの商品である」といった言葉で「中性」的なものを位置づけようとするそのディスクールは、講壇批評の厳密さとはおよそ異なる自在さにおさまっていた。

そうしたバルトのテクストが、死のもたらすだろう「永遠」の時間と触れあうための配慮をあれこれ身にまとっていたとはとても思えない。「永遠」という概念ほど、この「批評家=エッセイスト」にふさわしからぬものも想像しがたいからだ。つかの間の移ろいやすさと真摯に触れあうこと。それが、プロに徹したアマチュアとしてのバルトの決定的な「美しさ」だったはずである。新しい「芸術家」も新しい「理論家」も存在しがたい二〇世紀後半におけるバルトの貴重さは、そこにあったとさえいえる。その死を願ってもない好機ととらえたかのように、さまざまな地域のーーとりわけ合衆国のーー大学がやってのけるバルトの学術的な「カノン」化には、ただただ呆気にとられたというのが正直なところだ。「永遠」の時間とは容易に折り合いをつけがたい彼にふさわしい「くつろぎ」の維持に、人々は率先して目をつむっているかにみえたからだ。

死後出版というかたちで流通しはじめたバルトの「新刊」のいくつかには、何よりもまず、その場で「消費」されることへの心遣いが影をひそめており、そのほとんどを読んでも心が揺れなかった。何にもまして、そこに「くつろぎ」にふさわしい配慮を見いだしえなかったからだ。『全集』にいたっては、心もとない撒布状態を生きることで初めて意味を持つそのテクストに惹かれていたわたくしに、「可哀想なバルト ……」とつぶやかせるのがせいぜいだった。「伝記」と呼ばれるものを目にしても、読む意識をバルトのテクストへと向わせる刺激が徹頭徹尾欠けていることに、うんざりするほかはなかった。コレージュ・ド・フランスの「講義録」の新たな刊行に対しては、いまなお態度を決めかねている。『全集』も「伝記」も「講義録」も、書物としては、バルトのおぼつかない「現在」におよそふさわしからぬもので、それと向かい合うには、バルトが嫌った「厚顔無恥」《 arrogance》に陥るほかはないという危惧の念を捨てきれぬからである。この四文字の漢語を「はしたなさ」という和語に置き換えた方がよかろうとは思うが、いずれにせよ、そうしたことが、わたくしに、四半世紀にもおよぶ短くはない沈黙を選ばせたのかもしれない。「はしたなさ」ばかりが跳梁跋扈する世紀末から二一世紀にかけての「文学理論」や「批評」がもたらす苛立ちも、沈黙を破らせることにはならなかった。

いま、その無言状態からふとぬけだそうとすることに、深い理由があるわけではない。あたりにはりつめていた禁止の力学が、ようやくときほぐれ始めたというのでもない。バルトをめぐってたち騒ぐあたりの饒舌を、雄弁な沈黙によっておきかえようと思いいたったのでもない。そもそも、雑駁きわまりない呼び方で「現代思想」 ――または、店晒しにされた「厚顔無恥」 ――などと分類されたりもするフランスの他の作家たちにくらべてみれば、バルトに対して、人は、あまりにも少なく饒舌だったというべきだろう。

何かを書くというあてもないままの無言状態の中で、わたくしは、好みのテクストにひたすら読み耽っていた。それは、『ミシュレ』であり、『ラシーヌ論』であり、『サド、フーリエ、ロヨラ』であり、『テクストの快楽』であり、『彼自身によるロラン・バルト』であり、『明るい部屋』でもあったりしたのだが、それらを、ちょうどプルーストを読むバルト自身のように、これという確かな方法もなく、一冊のモノグラフィーにも仕立てあがるというひそかな野心もいだかぬまま、読了するという「はしたなさ」をもおのれに禁じつつ、もっぱら贅沢な暇つぶしとして「消費」していただけなのである。暇つぶしとして「消費」しえないことがその価値を高める書物など、現在の地球に、また歴史的にいっても、ごくまれにしか存在しない。

バルトにとってのプルーストが「永遠」の作家ではなく、とだえることのない永続的な「消費」の対象だったように、わたくしにとってのバルトもまた、とだえることのない永続的な「消費」の対象だった。ごく個人的なものにとどまるその「消費」は、あるとき、間違っても刊行されるあてのない不在の書物の構想へとゆきつく。「消費」する者として気ままに思い描いていたわたくしなりのコンテクストにしたがって、この「批評家=エッセイスト」の声のいくつかをよみがえらせてみたいというとりとめもない思いへと誘われたのである。それは、『彼自身によるロラン・バルト』を自在に「リメイク」するという映画のようなフィクションとして、漠たる輪郭におさまることになる。バルトの「全体像」には背を向け、ある任意の一点でバルトを横切るとき、そこにはバルトが書いたわけではないが、バルトの「くつろいだ」声が低く聞きとれるかに錯覚されるフィクションとしての「リメイク」が切りとられるはずだ。

ここに読まれようとしているのは、その「リメイク」の書かれるあてのないシナリオのほんの一部 ――どこかに隠匿されているかもしれない全体の一部ではなく、一部としてしかありえないーーにすぎず、生前のバルトが、ことあるごとに「中性」的な領域に描きだしていた「病気」、「失敗」、「倦怠」という三つの光景をとりあえずの舞台装置として語られることになるだろう。その「シナリオ」は「批評」として読まれることがあってはならず、アマチュアの言葉としてもっぱら「消費」されることのみを願っている。(蓮實重彦「バルトとフィクション 『彼自身によるロラン・バルト』を《リメイク》する試み」)


2016年9月7日水曜日

言語自体がフェティッシュである

人はみなフェティシストである」にて、「言語を使用してコミュニケーション(交換)する動物は、みなフェティシストである」としたが、ジュリア・クリスティヴァが1980年に既に言語自体がフェティッシュféticheではないかと言っている文に出会った、《Mais justement le langage n'est-il pas notre ultime et inséparable fétiche? 》。

しかし厳密に言語自体が、我々の究極的かつ不可分なフェティッシュではないだろうか。言語はまさにフェティシストの否認を基盤としている(「私はそれを知っている。だが同じものとして扱う」「記号は物ではない。が、同じものと扱う」等々)。そしてこれが、言語存在の本質 essence d'être parlant としての我々を定義する。その基礎的な地位のため、言語のフェティシズムは、たぶん分析しえない唯一のものである。(J. Kristeva, Pouvoirs de l’horreur, Essais sur l’abjection, 1980)

ここでのクリスティヴァの議論は、ラカンの友であったオクターヴ・マノーニ Octave Mannoni の名高い「よく知っているが、それでも…( je sais bien, mais quand-même)」のフェティシズムの論理をベースにしている。「よくわかっている、しかし、それでも……」という形式において、「それでも……」以下に語られる無意識的信念へのリビドー備給を示すフェティシズムの定式である。フロイト文脈で言えば、「母さんにペニスがないことは知っている、しかしそれでも…[母さんにはペニスがあると信じている]」ということになる。

だがクリスティヴァはこういった通念としてのフェティシズムの定義を超えて、言語自体がフェティッシュではないだろうか、と問うていることになる。

わたくしが、「言語を使用してコミュニケーション(交換)する動物は、みなフェティシストである」としたのは、ラカン派内では通説となっている次のような主人のシニフィアンS1の議論を元にしており、言語自体がフェティシュでありうることについてまでは思いを馳せていなかった。

…………

《「自己」とは、主体性の実体的中核というフェティッシュ化された錯覚であり、実際は何もない。》(ジジェク、2012)

あなたは、最低限の言語構造をもつために、少なくとも二つのシニフィアンが必要である。だから二つの用語がすでにある。それがS1とS2だ。S1は最初のシニフィアン、フロイトの「境界シニフィアン(境界語表象)border signifier」、「原シンボルprimary symbol」、さらに「原症状primary symptom」とさえ言えるが、特別な地位をもつ。それが主人のシニフィアンであり、欠如を埋めようとし、欠如を覆う過程で支えの役割をする。最善かつ最短の例は、シニフィアン〈私〉である。それは己のアイデンティティの錯覚を与えてくれる。その意味で、S1は “le savoir”、その連鎖に含まれている知の分母denominatorである。 (ポール・ヴェルハーゲ、1995,Paul Verhaeghe、From Impossibility to Inability. Lacan's Theory of the Four Discoursesーー「四つの言説」(ラカン)概説(Paul Verhaeghe))

《〈私〉を徴示(シニフィアン)するシニフィアン(まさに言表行為の主体)は、シニフィエのないシニフィアンである。ラカンによるこの例外的シニフィアンの名は主人のシニフィアン(S1)であり、「普通の」諸シニフィアンの連鎖と対立する。》(ジジェク、Less than nothing、2012)

ラカンは、フロイトの Ich-Spaltung(自我の分割)概念ーーフロイトによって、フェティシズムと精神病の病理的領域に限られた概念--をすべての主体に拡張した。それは、まさに言表内容の主体 sujet de l'énoncé と言表行為の主体 sujet de l'enonciation とのあいだの言語学的区別に言及することによって、である。主体は、《彼が話す限りにおいてのみ主体となるという理由で que le sujet subit de n'être sujet qu'en tant qu'il parle》(E.634)、分裂(分割 Spaltung)をこうむる。

話すことにおいて、そして話すために、主体はけっして十全に自分自身を現しえない。それは、言表内容のなかに現れないのではなく、言表行為によって前提とされ喚起されるものによる(言語の法等々)。(ロレンツォ・キエーザ,Subjectivity and Otherness: A Philosophical Reading of Lacan, by Lorenzo Chiesa 2007 PDF)。

 ………… ,

だがクリスティヴァの洞察を考え直してみると、「真のマルクス読み」は、それが暗示的な言い方であれ、既にとっくの昔から気づいていたと言ってよい。もちろんマルクスの「商品のフェティシズム」分析を読解することによってである。

たとえば27歳の小林秀雄。

吾々にとつて幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与へられた言葉といふ吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。(……)

脳細胞から意識を引き出す唯物論も、精神から存在を引き出す観念論も等しく否定したマルクスの唯物史観に於ける「物」とは、飄々たる精神ではない事は勿論だが、又固定した物質でもない。(小林秀雄「様々なる意匠」1929年)

《遠い昔、人間が意識と共に与へられた言葉といふ吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない》における魔術とは、言葉というフェティッシュの魔術でなくてなんだろう?

貨幣物神(Geldfetischs)の謎は、ただ、商品物神(Warenfetischs)の謎が人目に見えるようになり人目をくらますようになったものでしかない。(マルクス『資本論』)

通念としてのフェティッシュ(足フェチ、下着フェチ、靴フェチ等の謎は、言語フェティシュの謎が人目に見えるようになり人目をくらますようになったものでしかない・・・

本源的なアタッチメントは、身体の上に言語の痕跡を刻印することである。根本的出来事・情動の痕跡化の原理は、誘惑ではない。去勢の脅かしでもなく、愛の喪失でもない。両親の性交の目撃でもなく、エディプスでもない。そうではなく、言語との関係である。 (Miller, J.-A. (2001). The symptom and the body event.)

小林秀雄だけでなく、柄谷行人もとっくの昔から分かっていたとしてよい(以下の柄谷の『マルクスその可能性の中心』は 1978年出版だが、マルクス論自体は『群像』1974-1975に発表されている。33-34歳時に書かれたことになる)。

マルクスは商品の奇怪さについて語ったが、われわれもそこからはじめねばならない。商品とはなにかを誰でも知っている。だが、その「知っている」ことを疑わないかぎり、商品の奇怪さはみえてこないのである。たとえば、『資本論』をふるまわすマルクス主義者に対して、小林秀雄はつぎのようにいっている。

《商品は世を支配するとマルクス主義は語る。だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するといふ平凡な事実を忘れさせる力をもつものなのである。》(「様々な意匠」)

むろん、マルクスのいう商品とは、そのような魔力をもつ商品のことなのである。商品を一つの外的対象として措定した瞬間に、商品は消えうせる。そこにあるのは、商品形態ではなく、ただの物であるか、または人間の欲望である。くまでもなく、ただの物は商品ではないが、それなら欲望がある物を商品たらしめるのだろうか。実は、まさにそれが商品形態をとるがゆえに、ひとは欲望をもつのだ。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』1978年)

…………

以下、資料編としていくらかの文章を引用しておこう。

一見したところ、商品はきわめて明白で平凡な物に見える。だがそれを分析してみると、形而上学や神学の細かな問題が一杯詰まった、ひじょうに複雑な物であることがわかる。(マルクス『資本論』)

マルクスは、ふつうの啓蒙主義的な言説とはちがって、(神秘的で神学的な実体であるように見える)商品が「ふつうの」日常的な過程から生まれるということを主張しているのではない。彼は反対に、批判的分析の仕事とは、一見するとごくふつうの物に見えるものの中から「形而上学や神学の細かな問題」を発掘することだと主張しているのだ。商品の物神崇拝=フェティッシュ(商品は内在的・形而上学的力をそなえた魔法の品物だというわれわれの確信)を、われわれの心の中に位置づけてはならない。つまりそれは、われわれが現実をどう(誤)認識しているかという問題ではない。そうではなく、社会的現実そのものの中に位置づけなくてはならない。いいかえると、マルクス主義者が物心崇拝にどっぷり浸かったブルジョワ的主体と出会ったとき、その主体に対するマルクス主義者の批判は、「商品は、あなたの目には特別な力をそなえた魔法の品物のように見えるかもしれないが、じつは人間と人間との関係の洗練された表現にすぎないのだ」というのではなくむしろ、「商品は、あなたの目には社会関係の単純な具現化に見えると(たとえば金は、自分が社会的産物の一部になるための一種の証明書にすぎないと)思っているかもしれないが、本当はそう見えていないはずだ。あなたは自分の社会的現実の中で生き、社会的交換に参加しているために、本当に商品が特別な力をそなえた魔法の品物のように見えるという不気味な現実を目撃しているのだ」というふうなものであるべきだ。(ジジェク『ラカンはこう読め』原著2006年)
マルクスによる価値形態論は、古典経済学が「高慢に冷笑し」去った、貨幣の呪物崇拝(フェティシズム)を再び正面から見さだめようとする企てである。なぜなら、この呪物崇拝こそ、古典経済学が無視しているにもかかわらず、資本主義の原動力として存続しつづけているからだ。したがって、価値形態論が、貨幣の呪物崇拝を否定しているかのようにみえても、それはけっして啓蒙主義的な批判ではなく、むしろ啓蒙主義=古典経済学への批判なのである。すなわち交換に合理的な根拠があるという考えへの批判にほかならない。

マルクスは、古典経済学が冷笑した“幻想”をこそ重視したのである。価値形態をとりだすということは、価値尺度や流通手段にとどまらないような呪物としての貨幣をとりだすことであり、あるいは交換の非合理性(無根拠性)をとりだすことである。だが、この解明が、貨幣のフェティシズムから商品のフェティシズムのレベルに遡行されてなされるとき、それがもはやいかなる意味でも啓蒙主義的でありえないことに注意すべきであろう。それは、“幻想”を批判しうるような合理的立場にいたるのではなく、商品であれ言語であれ、交換という行為にともなう“悲劇的”な条件を照らし出すことになるからである。(柄谷行人『探求』1986年)
・貨幣とは、言語や法と同様に、純粋に「共同体」的な存在である。

・貨幣共同体とは、伝統的な慣習や情念的な一体感にもとづいているのでもなければ、目的合理的にむすばれた契約にもとづいているのでもない。貨幣共同体を貨幣共同体として成立させているのは、ただたんにひとびとが貨幣を貨幣として使っているという事実のみなのである。

・貨幣で商品を買うということは、じぶんの欲しいモノをいま手にもっている人間が貨幣共同体にとっての「異邦人」ではなかったということを、そのたびごとに実証する行為にほかならない。いささか大げさにいえば、それは貨幣を貨幣としてあらしめ、貨幣共同体を貨幣共同体として成立させた歴史の始原のあの「奇跡」を、日常的な時間軸のうえでくりかえすことなのである。(岩井克人『貨幣論』1993)
21世紀──言語と法と貨幣が生み出す社会の「危機」はさらに激しさを増すはずです。……おそらく人間は、言語や法や貨幣といった異物の介入を嫌悪し、知り合ったもの同士が身を寄せ合っていた、小さく安定していた共同体的な集団に回帰したい願望を、本能的に持っているはずです。だが、……もはや閉じた小さな社会への後戻りは不可能です。すでに人間は「自由」なるものを知ってしまったからです。

自由への欲望は無限です。人間が自由を求める限り、言語と法と貨幣の媒介が必要になります。自由を知った社会的生物としての人間は、いくら母胎回帰の願望が強くても、見知らぬもの同士が同じ人間として関係し合える「人間社会」の中で生きていかざるをえません。そして、それが、必然的に生み出していく人間社会の「危機」を、その場その場で一つ一つ解決していくよりほかにないのです。(岩井克人『経済学の宇宙』2015ーー岩井克人版「人間の真のパートナーは、言語、法、貨幣」)

…………

マルクスと言わずとも、ニーチェも言語のフェティシズムを語っているとしてよいのかもしれない。

なおわれわれは、概念の形成について特別に考えてみることにしよう。すべて語というものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、直ちにそうなるのである。つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験に対して、何か記憶というようなものとして役立つとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合も同時に当てはまるものでなければならないとされることによってなのである。

すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得る何かが存在するかのような観念を呼びおこすのである。つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る原形というものが存在するかのような観念を与えるのである。(ニーチェ「哲学者の本」(『哲学者に関する著作のための準備草案』1872∼1873))
どんなケースにせよ、われわれが欲する場合に、われわれは同時に命じる者でもあり、かつ服従する者でもある、ということが起こるならば、われわれは服従する者としては、強制、拘束、圧迫、抵抗などの感情、また無理やり動かされるという感情などを抱くことになる。つまり意志する行為とともに即座に生じるこうした不快の感情を知ることになるのである。しかし他方でまたわれわれは〈私〉という統合的な概念のおかげでこのような二重性をごまかし、いかにもそんな二重性は存在しないと欺瞞的に思いこむ習慣も身につけている。そしてそういう習慣が安泰である限り、まさにちょうどその範囲に応じて、一連の誤った推論が、従って意志そのものについての一連の虚偽の判断が、「欲する」ということに関してまつわりついてきたのである。(ニーチェ『善悪の彼岸』)

2016年7月29日金曜日

「内面」とは言語の結果である

現実界は、形式化の袋小路においてのみ記される。[…le réel ne saurait s'inscrire que d'une impasse de la formalisation](ラカン、セミネール20)

→《現実界とは、象徴化あるいは形式化の行き詰まり以外の何ものでもない。》(ジジェク、2016(Marx and Lacan: Surplus-Enjoyment, Surplus-Value, Surplus-Knowledge)

主体性の空虚 $ は、「言い得るもの」の彼岸にある「言い得ぬもの」ではない。そうではなく、「言い得るもの」に固有の「言い得ぬもの」である。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING,2012,私訳ーー「言い得ぬもの」はアンチノミーの場にあり、何ら神秘的な意味合いはない

…………

以下、備忘。

このところ柄谷行人によるマルクスの「価値形態論」をめぐる叙述を追っているのだが、上に記したようなラカン派的態度ーーもちろんラカン派だけではないーーと同様な考え方を取っていることに関しては、柄谷行人は一貫している。

いったい私たちはなぜ「書く」のか。「話す」ことによっては、もはやいい足りぬ何かをもつからだ。それこそ、ひとが「内面」とよぶものである。このような「内面」を、文字をもたぬ子供はもたない。「内面」そのものが、文字の結果なのだ。にもかかわらず、文字があたかも「内面」からもっとも疎遠なものであるかのようにひとは考える。その理由は、文字が音声的文字であり、たんに音声を表記しただけのようにみなされるところにある。それゆえに、われわれは、貨幣=音声的文字を、「内部」つまり商品に内在的な価値からではなく、マルクスのいう象形文字としての価値形態から考えねばならない。超越論的な意味や価値を表示するために文字が発明されたのではなく、文字が逆にそれをもたらしたのだ。そしてそのこと自体、貨幣=音声的文字の確立の結果である「意識」にとっておおいかくされる。(柄谷行人『マルクス その可能性の中心』1978 p.47)

この文の細部にはーーわたくしのやや偏った見方?ではーーいくらかの齟齬感をおぼえるが、つまり「書く」と「話す」の区別をしないでもこう言え、もし「書く」/「話す」とするなら、シニフィアン/記号とすべきではないかとは思うが、核心箇所には異和はない、《「内面」そのものが、文字の結果なのだ》。

シニフィアン/記号のラカンの観点は次の通り。

シニフィアン signifiant は記号 signe とは逆に、誰かに何かを表象するものではなく、主体をもうひとつのシニフィアンに対して表象するものである。私の犬はご存知のように、私の印、記号を探し、そして話す。なぜこの犬は話す時に言語を使わないのであろう。それは、私はこの犬にとって記号を与えるもので、シニフィアンを与えることはできないからである。前言語的に存在し得るパロールと言語の違いはまさにこのシニフィアンの機能の出現にかかっているのである。(ラカン、セミネールⅨ「同一化」ーー犬と人間(記号とシニフィアン)

そして、柄谷行人が『探求Ⅰ』1986で、次のように書いたとき、上の1978年の書の記述にかすかにあった異和は消え去る。

ここで、混乱をさけるために、「話す」と「聞く」、あるいは「書く」と「読む」といったいいまわしに注意しておこう。すでにいったように、われわれは、話すとき、それを自ら聞いている。「話す主体」は「聞く主体」なのであり、そこに一瞬の“遅延”がおおいかくされている。

ウィトゲンシュタインは、「動物は考えないから、話さないのではない、たんに話さないのだ」といった。逆にいえば、人間は考えがあるから話すのではなく、たんに話すのである。ロラン・バルトは、「書く」という動詞は他動詞ではなく、自動詞だといったが、「話す」という動詞も同様である。つまり、ひとは何か考えを話すのではなく、たんに話すのだ(たとえば、幼児は“意味もなく”たんにしゃべる)。だが、それをわれわれ自身が聞くとき、その言葉が何かを意味していると思うのみならず、まるで前もってそのような「意味」が内的にあったかのように思いこむ。

デリダが、明証性を「自分が話すのを聞く」ことにあり、そこで“差延”が隠蔽されるのだというのは、いわばこのことである。結局「話す」立場に立つというとき、われわれは実際は「聞く」立場に立ってしまっている。私が「教える」立場という言葉を用いるのは、そのためであって、それは「話す=聞く」立場とまったく異なる。

ところで、このことは、「書く=読む」立場についてもそのまま妥当する。デリダの「音声中心主義」への批判は、まるで書くことや読むことの優位性を意味するかのように受けとられている。しかし、「書く」ことや「読む」ことが、純粋に存在することなどありはしない。

たとえば、われわれは一語あるいは一行書いたそのつど、それを読んでいる。書き手こそ読み手なのだ。そして、書き手の“意識”においては、この“遅延”は消されてしまっている。実際はこうだ。われわれは、一語または一行書くとき、それが思いもよらぬ方向にわれわれを運ぶのを感じ、事実運ばれながら、たえずそれをわれわれ自身の「意図」として回収するのである。書き終わったあとで、書き手は、自分はまさにこういうことを書いたのだと考える。

このような錯誤は、語られ書かれることを、われわれ自身が聞き読んでしまうということに存する。ここでは、他者とはわれわれ自身であり、したがって《他者》ではない。そして、語られ書かれることが、他者にとってはたして「意味している」かどうかは、すこしも疑われない。だが、他者が、あなたは、語り書く以前あるいは過程で、内的にべつのことを意味していたはずだと主張するとき、われわれにはそうではないと証明するすべはない。

このことは、しかし、テクストを「読む」者の、優位性あるいは創造性を意味するわけではない。読む者は、自らの読解を示したければ「書く」ほかない。そうでなければ、彼の読解は「私的言語」にすぎないからだ。そして、彼が「書く」とき、先にのべた過程をたどるほかないのである。(柄谷行人『探求Ⅰ』1986,PP.27-28)

その後、たとえばこう言う。

ハイデガーが「存在者と存在の差異」というのは、たんに文法的にいえば、概念になりうるものと、概念になりえないのみならず、あらゆる概念(主語と述語の位置におかれる)をつなぎ支えるものとの差異である。(柄谷行人「非デカルト的コギト」『ヒューモアとしての唯物論』1993,p.91ーー“A is A” と “A = A”

そして、2001年の書で、カントに依拠しつつ、こう言い放つことになる。

物自体はアンチノミーにおいて見い出されるものであって、そこに何ら神秘的な意味合いはない。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

これらは、ヴァレリー主義者、マルクス主義者ーー主義者という言葉は語弊があるかもしれないがーーとしての一貫性であろう。

作者がある考えや感覚を作品にあらわし、読者がそれを受けとる。ふつうはそう見え、そう考えられているが、この問題の〈神秘的〉性格を明らかにしたのはヴァレリーである。彼は、作品は作者から自立しているばかりでなく、“作者”というものをつくり出すのだと考える。作品の思想は、作者が考えているものとはちがっているというだけでなく、むしろそのような思想をもった“作者”をたえずつくり出すのである。たとえば、漱石という作家は幾度も読みかえられてきている。かりに当人あるいはその知人が何といおうが、作品から遡行される“作家”が存在するのであり、実はそれしか存在しないのである。客観的な漱石像とは、これまで読んだひとびとのつくった支配的イメージにほかならないのだ。マルクス像についても同様のことがいいうる。”真のマルクス”などというものはありはしないのである。

読むことは作者を変形する。ここでは”真の理解”というものはありえないので、もしありえたとすれば、いわば歴史というものが完結してしまう。ヘーゲルの美学がその歴史哲学と同様に、”真の理解”によって完結してしまうのはそのためだ。それは、作品というテクストが、作者の意識にとっても読者の意識にとってものりこえられず還元もできない不透明さをもって自立するということをみないからである。(柄谷行人『マルクス その可能性の中心』pp.79-80)

 ※ヴァレリー自身がどう言っているかについては、「芸術作品とフェティシズム Fetischismus」を参照のこと。


……マルクスは貨幣と商品の関係をつぎのようにいっている。

《ある人間が王であるのは、ただ他の人間が彼に対して臣下として相対するからである。彼らは、逆に彼が王だから、自分たちが臣下でなければならぬと信じている。》(「資本論」)

王(貨幣)は、超越論的なものであるがゆえに王(貨幣)であるかにみえるが、逆にその超越性は諸党派(諸商品)の差異(関係)の消去によって可能なのだ。「価値形態論」における難解な論点は、ボナパルトという一党派が王位につく秘密にすでに示されている。(柄谷行人『マルクス その可能性の中心』p.99)
マルクスが、社会的関係が貨幣形態によって隠蔽されるというのは、社会的な、すなわち無根拠であり非対称的な交換関係が、対称的であり且つ合理的な根拠をもつかのようにみなされることを意味している。物象化とは、このことを意味する。それは、「人間と人間の関係が物と物と物の関係としてあらわれる」とか、関係が実体化されることを意味するのではない。(……)

くりかえしていえば、マルクスは、価値形態、交換関係の非対称性が経済学において隠蔽されていることを、指摘したのである。同じことが、言語学についてもいえるだろう。それは、いわば、教えるー学ぶ関係の非対称性を隠蔽している。非対称的な関係を隠蔽するということは、関係を、あるいは他者を排除することと同じである。それゆえに、言語学は、ヤコブソンがそうであるように、古典(新古典)経済学と同じ交換のモデル、たとえばメッセージ(商品)-コード(貨幣)-メッセージ(商品)というモデルから出発している。それは、共同体のなかでの交換のみをみることである。(柄谷行人『マルクス その可能性の中心』P.17)


「メッセージ(商品)-コード(貨幣)-メッセージ(商品)」は、虚構である。古典経済学(アダム・スミスに代表される)は、この虚構の上の理論である。それはほとんどの哲学も同様である。実際は、「コード(貨幣)-メッセージ(商品)-コード(貨幣)’」なのであり、これが前期ウィトゲンシュタインから後期ウィトゲンシュタインの移行であり、ラカンの例外の論理から非全体の論理への移行である。

ラカンは「性別化の定式」において、性差を構成する非一貫性を詳述化した。そこでは、男性側は普遍的機能とその構成的例外によって定義され、女性側は「非全体」 (pas‐tout) のパラドクスによって定義される(例外はない。そしてまさにその理由で、集合は非全体であり全体化されない)。

思い起こそう、ウィトゲンシュタインにおける「言葉で言い表せないもの」の変遷する地位を。前期から後期ウィトゲンシュタインへの移行は、全体(構成的例外を基盤とした普遍的「全て」の秩序)から、非全体(例外なしの秩序、そしてそれゆえに非普遍的・非全体的)への移行である。

すなわち、『論理哲学論考 Tractatus』の前期ウィトゲンシュタインにおいては、世界は、「諸事実」の自閉的 self‐enclosed、限界・境界づけられた「全体」として把握される。まさにそれ自体として「例外」を想定している。つまり、世界の限界として機能する神秘的な「語りえぬもの」としての「例外」の想定。

逆に、後期ウィトゲンシュタインにおいては、「語りえぬもの」の問題系は消滅する。しかしながら、まさにその理由で、世界はもはや言語の普遍的条件によって統整された「全体」として把握されない。残存しているものはことごとく、部分領域のあいだの水平的連携である。普遍的特徴の集合によって定義されたシステムとしての言語概念は、分散した実践の多様性としての言語概念に置き換えられる。つまり、「家族的類似性」によってゆるやかに相互につながった多様性としての言語概念に。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳ー 「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのの捏造


これをマルクスの図式、C–M–C(商品–貨幣–商品) M–C–Mʹ(貨幣– 商品–貨幣'[貨幣+剰余価値])に則って記されたものが、「快の獲得 Lustgewinn、剰余価値 Mehrwert、剰余享楽 plus-de-jouir」におけるジジェク、2016の文である。

唯一の現実は、もっと貨幣を得るために貨幣を使うという現実である。マルクスが C-M-C(商品-貨幣-商品)と呼んだもの、すなわち別の商品を買うために或る商品(労働力商品も含む)を貨幣に換えるという閉じられた交換ーーその機能は、交換過程の「自然な」基礎を提供するーーは究極的に虚構である。(……)

ここにある基本のリビドー的メカニズムは、フロイトが 「快の獲得 Lustgewinn」と呼んだものである。この概念を巧みに説明している Samo Tomšič の『資本家の無意識 The Capitalist Unconscious』から引用しよう。

《Lustgewinn(快の獲得)は、快原理のホメオスタシス(恒常性)が単なる虚構であることの最初のしるしである。とはいえ、Lustgewinn は、欲求のどんな満足もいっそうの快を生みえないことを示している。それはちょうど、どんな剰余価値も、C–M–C(商品–貨幣–商品)の循環からは論理的に発生しないように。剰余享楽、利益追求と快との繋がりは、単純には快原理を掘り崩さない。それが示しているのは、ホメオスタシスは必要不可欠な虚構であることだ。ホメオスタシスは、無意識の生産物を構造化し支える。それはちょうど、世界観メカニズムの獲得が、全体の構築における罅のない閉じられた全体を提供することから構成されているように。Lustgewinn(快の獲得)は、フロイトの最初の概念的遭遇、--後に快原理の彼方、反復強迫に位置されるものとの遭遇である。そして、精神分析に M–C–Mʹ(貨幣– 商品–貨幣'[貨幣+剰余価値])と同等のものを導入した。》(Samo Tomšič,The Capitalist Unconscious,2014)ーー(ジジェク、 Slavoj Žižek – Marx and Lacan: Surplus-Enjoyment, Surplus-Value, Surplus-Knowledge,2016)

前期ウィトゲンシュタインから後期ウィトゲンシュタインの移行、あるいはラカンの例外の論理から非全体の論理への移行とは、マルクスの貨幣のフェティシズムから商品のフェティシズムへの遡行と等価である。

マルクスによる価値形態論は、古典経済学が「高慢に冷笑し」去った、貨幣の呪物崇拝(フェティシズム)を再び正面から見さだめようとする企てである。なぜなら、この呪物崇拝こそ、古典経済学が無視しているにもかかわらず、資本主義の原動力として存続しつづけているからだ。したがって、価値形態論が、貨幣の呪物崇拝を否定しているかのようにみえても、それはけっして啓蒙主義的な批判ではなく、むしろ啓蒙主義=古典経済学への批判なのである。すなわち交換に合理的な根拠があるという考えへの批判にほかならない。

マルクスは、古典経済学が冷笑した“幻想”をこそ重視したのである。価値形態をとりだすということは、価値尺度や流通手段にとどまらないような呪物としての貨幣をとりだすことであり、あるいは交換の非合理性(無根拠性)をとりだすことである。だが、この解明が、貨幣のフェティシズムから商品のフェティシズムのレベルに遡行されてなされるとき、それがもはやいかなる意味でも啓蒙主義的でありえないことに注意すべきであろう。それは、“幻想”を批判しうるような合理的立場にいたるのではなく、商品であれ言語であれ、交換という行為にともなう“悲劇的”な条件を照らし出すことになるからである。(柄谷行人『探求』pp.91-92)


実際、柄谷行人はジジェクが2012年の書で「家族的類似性」について言ったのと同じことを、1986年にマルクスの価値形態論に依拠しつつ、既に言ってしまっている。

「すべての概念は、等しからざるものを等置するところに発生する」と、ニーチェはいっている。しかし、ウィトゲンシュタインにとっては、事物の多様性が問題なのではない。むしろ、「等置する」ということの実践的な盲目性・無根拠性が忘れさられることが問題なのだ。

理解を助けるために、マルクスの価値形態論を引例しよう。価値形態は、ある商品がべつのものと「等置された」がゆえに付与される形態である。そこに根拠も「共通の本質」もない。そのような商品関係の連鎖を、マルクスは「拡大された価値形態」とよんでいる。これはファミリー・リゼンブランスと同じである。そのような関係の連鎖(交錯)が、一つの商品を排他的に中心とするように組織されると、「一般的価値形態」(貨幣形態)が生じる。貨幣形態の下では、すべての商品は何か「共通の本質」があるゆえに等置されるのだと考えられてしまうだろう。

マルクスの考えでは、「ひとは意識しないが、そう行う(等置する)」のであって、この無根拠性・盲目性こそが「社会的」とよばれている。かくして、社会的関係が、貨幣形態の下では、あるいはわれわれの「意識」のもとでは隠蔽されてしまう。(註2) この意味で、ファミリー・リゼンブランスは、「社会的」関係性にほかならない。(柄谷行人『探求Ⅰ』PP.69-70)
(註 2) マルクスがいう「社会的関係の隠蔽」は、一般に、物象化として、すなわち本来関係的なものが実体化されることとして理解されている。そんなことなら、マルクスでなくても他の人でもいえるだろう。さらに、たとえば、言語にかんして、それが、本来差異的な関係体系(分節化)なのに、物象化されて、世界が“実体的に”そうであるかのようにいられるというたぐいの批判も、それと同じことである(丸山圭三郎)。

ここから一つの“根源的な”批判と治療法が提起されてしまう。だが、それらの理論こそ“社会性”の隠蔽である。われわれは、遡行すべき、共同主観的世界も、分節化をこえた連続的・カオス的世界ももたない。それらは、言語ゲームの外部にあるがゆえに無意味であるか、またはそれ自体言語ゲームの一部にすぎない。それらはたんに物語として機能する。

さらに柄谷行人を続ける。

ソシュールが、言語をシニフィアンとシニフィエの結合としてみたことは、それを意味(概念)と記号(音声)の結合としてとらえるならば、すこしも新しくない。実際に彼がめざしたのは“意味”が積極的なものとしてあるかのような考えを否定することである。そのために、彼は価値という考えをもちこんでいる。

《価値という語をめぐってわれわれがのべたことは、次の原理を措定することにもいいかえることができる。すなわち、言語の中には(つまり一言語状態の中には)差異しかない。差異というと、われわれは差異がその間に樹立される積極的な(ポジティヴ)な辞項を想起しがちである。しかし、言語の中には積極的な辞項をもたない差異しかない、という逆説である。そこにこそ、逆説的真理があるのだ。》(「一般言語学講義」)

だが、誰でも自国語のなかで考えているかぎり、意味が積極的に在るという実感をぬぐい去ることはできない。事実、現象学はこの明証性から出発するのである。ところが、右のような認識は、それを拒否するところからしか生じない。ソシュールは、意味が価値から派生するものでしかないことをいいたかったのだ。マルクスの用語にいいかえると、ソシュールのいう意味は、価値に対応し、価値は価値形態に対応している。価値の概念をもちこんだとき、ソシュールは、いわば言語学に価値形態をもちこんだということができるかもしれない。(『探求Ⅰ』PP.19-20)


そして柄谷行人にとってのヴァレリーやマルクスの向うには、きっと小林秀雄がいる。

マルクスは商品の奇怪さについて語ったが、われわれもそこからはじめねばならない。商品とはなにかを誰でも知っている。だが、その「知っている」ことを疑わないかぎり、商品の奇怪さはみえてこないのである。たとえば、『資本論』をふるまわすマルクス主義者に対して、小林秀雄はつぎのようにいっている。

《商品は世を支配するとマルクス主義は語る。だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するといふ平凡な事実を忘れさせる力をもつものなのである。》(「様々な意匠」)

むろん、マルクスのいう商品とは、そのような魔力をもつ商品のことなのである。商品を一つの外的対象として措定した瞬間に、商品は消えうせる。そこにあるのは、商品形態ではなく、ただの物であるか、または人間の欲望である。くまでもなく、ただの物は商品ではないが、それなら欲望がある物を商品たらしめるのだろうか。実は、まさにそれが商品形態をとるがゆえに、ひとは欲望をもつのだ。(柄谷行人『マルクス その可能性の中心』p.24)

小林秀雄の「様々なる意匠」から、もういくらか抜き出しておこう。

吾々にとつて幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与へられた言葉といふ吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。
脳細胞から意識を引き出す唯物論も、精神から存在を引き出す観念論も等しく否定したマルクスの唯物史観に於ける「物」とは、飄々たる精神ではない事は勿論だが、又固定した物質でもない。(小林秀雄「様々なる意匠」1929年)

1929年、すなわち小林秀雄27歳の論である。

柄谷行人の『マルクス その可能性の中心』は 1978年出版だが、マルクス論自体は『群像』1974-1975に発表されている。33-34歳時に書かれたことになる。

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」『小林秀雄をこえて』1979所収)

蓮實重彦が小林秀雄批判をしたのは、『表層批評宣言』、1979だが、その前に『展望』か『現代思想』かに発表されている。

……つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではない環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりしまい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批評宣言』所収)

もっとも柄谷行人ものちにーー蓮實重彦との対談でーー次のような発言をしている。

柄谷行人) 小林秀雄の有名な言葉で、「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」というのがある。しかし「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう。ぼくは「花」なんて見たことがない(笑)。「この花」と言っても、結局は概念から逃れられない。ものを書くなら、そこで勝負するほかない。とにかく概念がいやなら、いっさい物を言わないことだね。「美はひとを沈黙させる」なんてことも、書くべきではない。(『闘争のエチカ』1988)

…………

冒頭近くに掲げた次の文をもういくらか補足しておこう。


《主体性の空虚 $ は、「言い得るもの」の彼岸にある「言い得ぬもの」ではない。そうではなく、「言い得るもの」に固有の「言い得ぬもの」である。》(ジジェク、2012)

ラカンは、フロイトの Ich-Spaltung(自我の分割)概念ーーフロイトによって、フェティシズムと精神病の病理的領域に限られた概念--をすべての主体に拡張した。それは、まさに言表内容の主体と言表行為の主体とのあいだの言語学的区別に言及することによって、である。主体は、《彼が話す限りにおいてのみ主体となるという理由で que le sujet subit de n'être sujet qu'en tant qu'il parle》(E.634)、分裂(分割 Spaltung)をこうむる。

話すことにおいて、そして話すために、主体はけっして十全に自分自身を現しえない。それは、言表内容のなかに現れないのではなく、言表行為によって前提とされ喚起されるものによる(言語の法等々)。(ロレンツォ・キエーザ,Subjectivity and Otherness: A Philosophical Reading of Lacan, by Lorenzo Chiesa 2007 PDF)。
父性隠喩が成立する以前に、言語(非統合的 nonsyntagmatic 換喩としての)は既に幼児の要求を疎外している。(……)

幼児が、最初の音素を形成し、自らの要求を伝え始めるとき、疑いもなく、ある抑圧が既に起こる。彼の要求することは、定義上、言語のなかに疎外される。…その要求は、必ず誤解釈される。したがって、常に増え続ける欲求不満に陥るよう運命づけられている。( 同上、ロレンツォ・キエーザ 『主体性と他者性』Lorenzo Chiesa、2007)

たとえば、乳幼児は、「寒い、温めて!」と喃語で要求したのに、母はお腹が減ったと誤解釈する。

この観点はラカン派ではほぼ一貫しているはず。たとえば臨床家でもあるヴェルハーゲの文。

乳幼児はおそらく、最初の内的欲動を周辺的な何かとして経験する。どんな場合でも、それは〈他者〉の現前を通してのみ消滅する。〈他者〉の不在は、内的緊張の継続の原因と見なされる。しかし、この〈他者〉が現前して、言葉と行動で応答してさえ、この応答は決して充分ではありえない。というのは、〈他者〉は継続的に子どもの泣き叫びを解釈せねばならず、この解釈と緊張とのあいだの完全な一致は決してありえないから。この点において、我々はアイデンティティ形成の中心的要素に遭遇する。すなわち、欠如・欲動の緊張への十全な応答の不可能…。要求ーーそれを通して子どもが欲求を表現する要求は、残滓が居残ったままだ。その意味は、〈他者〉の要求解釈は決して元来の欲求と一致しないということである。〈他者〉の不十分性は、内的にうまくいかないことの責めを負わされる、常に最初のものであるように見える。(ヴェルハーゲ、Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders: A Manual for Clinical Psychodiagnostics、2004)

人はこのように「言語」を使用することによって、「疎外」される。

主体の最も深刻な疎外は、主体が我々に彼自身について話し始めたときに、起こる。[Car c'est là l'aliénation la plus profonde du sujet de la civilisation scientifique ele sujet commence à nous parler de lui ](Lacan,Ecrits, 28ーー岩井克人版「人間の真のパートナーは、言語、法、貨幣」)

「言い得ぬもの」は、象徴界(快原理)の彼岸にあるのではなく、言語固有のものである。こうして、$(分割された主体の空虚)は、《「言い得るもの」に固有の「言い得ぬもの」》だ、と語られることになる。これは言語を使用する人間の宿命ということになる。


最後に、柄谷行人1978の《「内面」そのものが、文字の結果なのだ》という文を、次の文と「ともに」読んでおこう(L'effet du langageを「言語の効果」と訳したが、もちろんそれは「言語の結果」と等しい)。

言語の効果は遡及的である。まさにそれが展開すればする程、いっそうーー厳密に言ってーー存在欠如を顕す。L'effet du langage est rétroactif précisément en ceci que c'est à mesure de son développement qu'il manifeste ce qu'il est à proprement parler de manque à être.(ラカン、セミネール17、1969-1970)

ーー言語の効果は遡及的である。われわれは話せば話すほど、「内面」が現われる。