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2017年10月27日金曜日

夏の設楽女


(侯孝賢、童年往事、1985年)

ーーきっと夏休みだ。この景色だけでひどく魅せられてしまう。

わたくしの場合は、樟だったが、往時の祖父の屋敷には、見事な姿をしたこの喬木が揺らめき、梢をきらめかせていた。

ーーふと探ってみると、侯孝賢の「黃金之弦」La Belle Epoqueという2011年の短編作品の冒頭は「なんと!!」樟のゆらめきで始まる(この作品は日本での紹介はまったくないようだ)。




彼の作品の多くはこよなく美しい映像で始まる。たとえば『戀戀風塵』(1987年)の冒頭の汽車がトンネルをくぐりぬけていく、山あいの風景の美しさといったら! あのトンネルは「童年往事」に向かうトンネルに決まっているのだ(Dust in the Wind)。

そしてトンネルの向こうには少女辛樹芬が現われる。



ま、ようするにわたくしは田舎者であって、少年時代は海に向かう渥美線、山に向かう飯田線をよく使った。飯田線に乗るとあのトンネルの風景がまさにあった。高校時代の夏休み、ふだんは海の近くの学校の傍に下宿していた豪農の娘ーー名は夏子といったーーの故郷、 茶臼山近くの北設楽郡設楽(シタラ)町  にわたくしの「辛樹芬」に会いに行ったのである。シタラ、シタラと誘われたつもりでいったが、彼女の両親のいる古めかしい屋敷、あの村といってもよい小さな町で、そんなことがうまくはいくはずはない・・・

このようにして、わたくしは鬱蒼とした喬木や山あいの風景にいまでもひどく弱い。

他には? たとえば「縁側」、あるいは「渡り廊下」。この言葉を文章のなかに見出すだけで、過去が匂いさざめく。

三歳の記憶   中原中也

縁側に陽があたつてて、
樹脂が五彩に眠る時、
柿の木いつぽんある中庭は、
土は枇杷いろ 蝿が唸く。


「縁側に陽があたつてて」--、これだけでいいのである。少年は縁側で脚をぶらぶら垂し、西瓜の種をぷっと飛ばした。女たちは浴衣を着て、団扇を扇いでいた。祖父がいて祖母がいた。裏庭には夏みかんの木がいつぽんあり、土は鶉糞のにおいがして、虻が飛んでいた。

わたくしの母方の祖父は、戦争から帰って来た後、鶉卵事業で成功し、いまでもときにテレビで紹介されることがあるらしい。四人いた伯叔父たちのうち三人は、祖父の仕事をつぎ、そのうちの一人、生涯独身で通した、母の二歳下の美丈夫の叔父(母が50歳で死んだ後、二年後に同じ50歳で死んだ)は、中古だが美しい形をした銀色のベンツを乗り回していた。三人は伊良湖ゴルフ倶楽部でクラブチャンピオンを争っていた。




そう、あの縁側には井伏鱒二夫妻のような光景があったのである。




風鈴が鳴っていた。蚊遣の匂いもした。

立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。(吉行淳之介『『砂の上の植物群』)

締めの足りない水道の、蛇口の滴が、つと光ってゐたわ。お豆腐屋の笛だって方々で聞えてゐたわ。

閑寂

なんにも訪ふことのない、
私の心は閑寂だ。    
それは日曜日の渡り廊下、    
――みんなは野原へ行つちやつた。
板は冷たい光沢をもち、
小鳥は庭に啼いてゐる。
締めの足りない水道の、    
蛇口の滴は、つと光り!

土は薔薇色、
空には雲雀空はきれいな四月です。    
なんにも訪ふことのない、    
私の心は閑寂だ。




草がちつともゆれなかつたのよ、
その上を蝶々がとんでゐたのよ。
浴衣を着て、あの人縁側に立つてそれを見てるのよ。
あたしこつちからあの人の様子 見てたわよ。
あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。
お豆腐屋の笛が方々で聞えてゐたわ、
あの電信柱が、夕空にクッキリしてて、
――僕、つてあの人あたしの方を振向くのよ、
昨日三十貫くらゐある石をコジ起しちやつた、つてのよ。
――まあどうして、どこで?つてあたし訊いたのよ。
するとね、あの人あたしの目をジッとみるのよ、
怒つてるやうなのよ、まあ……あたし怖かつたわ。

死ぬまへつてへんなものねえ……


ーー「死ぬまへ」に、もういっぺん夜店に連れられて、香ばしい烏賊の串焼きで、お酒といっしょに頬張ってみたいわ


修羅街輓歌 

今日は日曜日  
縁側には陽が当る。  
――もういつぺん母親に連れられて  
祭の日には風船玉が買つてもらひたい、  
空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……


だがわたくしの母は病室に寝ていた。「神経」を患って。一度、台所でナイフが煌いた、祖母めがけて。部屋に入ると《微かに熱のにおいのする薄暗がりが、ぬるい風呂のなかに浸っている時の湯のように全身を包み込み、⋯⋯甘苦い刺激のある薬品と病人の身体から発しているらしい粘り気のある淀んだ熱のにおいが混じりあった重苦しい空気がたなびきつづけていた。》(金井美恵子『くずれる水』)

ああ旨い酒が飲みたし
母さん「蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿」(井伏鱒二)