安永(安永浩)と、生涯を通じてのファントム空間の「発達」を語り合ったことがある。簡単にいえば、自極と対象極とを両端とするファントム空間軸は、次第に分化して、成年に達してもっとも離れ、老年になってまた接近するということになる。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)
いま、「ある意味で決定的」としたのは「精神分析的に決定的」としてもよい、安永も中井も直接的にはフロイト・ラカン派ではないにもかかわらず、すくなくともフロイト・ラカン派観点での精神分析を概観する上でこよなく役に立つ。
ラカン語彙を使って上の図をいくらか書き直そう。
「自極/対象極」を、「主体/大他者」に書き直した。そして「誕生」→「母胎」とし、「母胎と死」を享楽とした(後述)。また出生後の人生を「剰余享楽」とした(この意味は「剰余享楽=おしゃぶりのエンジョイ」を参照)。
「詩人/学者」を「小さな弧/大きな弧」の上ににおいたのは、一般的に「自極/対象極」(主体/大他者)のあいだが狭いのが詩人、広いのが学者だろうということからそう示した。
ちなみにラカンはこう言っている。
ポエジーだけだ、解釈を許容してくれるのは。私の技能ではそこに至りえない。私は充分には詩人ではない。…
Il n'y a que la poésie, vous ai-je dit, qui permette l'interprétation. C'est en cela que je n'arrive plus, dans ma technique, à ce qu'elle tienne. Je ne suis pas assez poète. Je ne suis pas poâte-assez (ラカン、S24. 17 Mai 1977)
ーー(ここでの話題とはやや異なるが挿入的に記せば)上でラカンがポエジーと言っているのは、次の意味合いもある。
詩の吐露 Le dire du poèmeは、…「言語という意味の効果 effets de sens du langage」とララング(=母の言葉)という意味外の享楽の効果 effets de jouissance hors sens de lalangue」を結び繋ぐ fait tenir ensemble。それはラカンがサントームと呼んだものと相同的である Il est homologue à ce que Lacan nomme sinthome。(コレット・ソレール Colette Soler、Les affects lacaniens、 2011)
症状は言語の側にありsymptôme du côté du langage、…サントームはララングの側にある sinthome du côté de lalangue。(Myriam Perrin interviewe Pierre-Gilles Guéguen, 2016)
話を戻そう。
「小さな弧/大きな弧」は、フロイト語彙では「エロス人格/タナトス人格」、つまり「融合人格/分離人格」でもありうる(これは「分離不安人格/融合不安人格」という意味でもある)。
受動性と能動性(女性性と男性性) |
ーーフロイトが「女性性/男性性」というとき、基本的には解剖学的性別ではないことに注意。
………
以下、「母胎と死」にかかわる享楽(エロス)についてのエキス文を、ここでは簡潔に抽出して示す。
大他者の享楽=エロス
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大他者の享楽 jouissance de l'Autre について、だれもがどれほど不可能なものか知っている。フロイトが提起した神話に反して、すなわちエロスのことだが、これはひとつになる faire Un という神話だろう。[Cette jouissance de l'Autre, dont chacun sait à quel point c'est impossible, et contrairement même au mythe, enfin qu'évoque FREUD, qui est à savoir que l'Éros ça serait de faire Un]
…だがどうあっても、二つの身体 deux corps がひとつになりっこない ne peuvent en faire qu'Un。…ひとつになることがあるとしたら、ひとつという意味が要素 élément、つまり死に属するrelève de la mort ものの意味に繋がるときだけである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974)
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大他者の享楽[la Jouissance de l'Autre]…私は強調するが、ここではまさに何ものかが位置づけられる。…それはフロイトの融合としてのエロス、一つになるものとしてのエロスである[la notion que Freud a de l'Éros comme d'une fusion, comme d'une union]。(Lacan, S22, 11 Février 1975)
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JȺ(斜線を引かれた大他者の享楽)⋯⋯これは大他者の享楽はない il n'y a pas de jouissance de l'Autreのことである。大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre のだから。それが、斜線を引かれたA [Ⱥ] の意味である。(ラカン、S23、16 Décembre 1975)
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死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969)
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出生とともに喪われたエロスとエロス回帰運動
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人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズム(自己身体エロス)から、不安定な外界の知覚に進む。haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt (フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)
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人には、出生 Geburtとともに、放棄された子宮内生活 aufgegebenen Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、⋯⋯母胎回帰運動 Rückkehr in den Mutterleibがある。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
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自我の発達は原ナルシシズム(原自己身体エロス)から出発しており、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす。Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.(フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年)
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以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動 Triebe の普遍的性質である。 Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)
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出産による自己身体の喪失(原去勢)
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乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり自己身体の一部分Körperteils の喪失Verlustと感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為 Geburtsakt がそれまで一体であった母からの分離 Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war として、あらゆる去勢の原像 Urbild jeder Kastration であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)
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ナルシシズムの深淵な真理 la vérité profonde de ce que nous appelons le narcissismeである自体性愛…。享楽自体は、自体性愛 auto-érotisme・己の身体のエロス érotique de soi-mêmeに取り憑かれている。そしてこの根源的な自体性愛的享楽 jouissance foncièrement auto-érotiqueは、障害物によって徴づけられている。…去勢 castrationと呼ばれるものが障害物の名 le nom de l'obstacle である。この去勢が、自己身体の享楽の徴 marque la jouissance du corps propre である。(Jacques-Alain Miller Introduction à l'érotique du temps、2004)
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人間の最初の不安体験Angsterlebnis は出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter (子供=ペニス [Kind = Penis] の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)
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享楽は去勢である。la jouissance est la castration. (ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
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去勢は享楽の名である。la castration est le nom de la jouissance 。 (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un 25/05/2011)
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・もういくらかの補足としては、「トラウマ的な「女性の享楽=サントーム」」を参照されたし。
・古代ギリシア語彙「ゾーエー[Zoë]」とニーチェの思考における同様な観点は「ゾーエーと享楽」を参照されたし。
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