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2020年3月27日金曜日

クラスター潰し集中戦略派の穴

いやきみ、「現場で懸命にやってる医師たちを軽んじてはなりません」ってのは当たり前のことだよ。でも懸命にやってるからこそクラスター潰し集中戦略の落ち度が見えなくなってしまったんじゃないかね。少し前引用したけど、次の事態が起こっているように思えてならないな。



◼️中井久夫「危機と事故の管理」より(『精神科医がものを書くとき』所収)

覚醒度の異常向上による大きな穴
事故が続けて起こるのはどういうことかについては、飛行機の場合はずいぶん研究されてるようで、私はその全部を知ってるわけではありませんが、まずこういうことがあるそうです。

一つの事故が起こると、その組織全体が異常な緊張状態に置かれます。異常な緊張状態に置かれるとその成員が絶対にミスをしまいと、覚醒度を上げていくわけです。覚醒度が通常以上に上がると、よく注意している状態を通り過ぎてしまって、あることには非常に注意を向けているけれど、隣にはポカッと大きな穴が開くというふうになりがちです。

集中型注意による柔軟性喪失
注意には大きく分けて二つの種類があって、集中型(concentrated)の注意と、全方向型(scanning)の注意があるわけですけれども、注意を高めろと周りから圧力がかかりますと、あるいは本人の内部でもそうしようと思いますと、集中型の注意でもって360度すべてを走査しようとしますが、そういうことは不可能でありますし、集中型の注意というのは、焦点が当たっているところ以外には手抜きのあるものですから、注意のむらが起こるということです。

注意の性質からこういうことがいえます。最初の事故の後、一般的な不安というものを背景にして覚醒度が上がります。また不安はものの考え方を硬直的にします。ですから各人が自分の守備範囲だけは守ろうとして、柔軟な、お互いに重なりあうような注意をしなくなります。各人が孤立してゆくわけです。

世論によって原因だとされたものだけへの注意の集中と他のものへの不注意
また、最初の事故の原因とされるものが、事故の直後にできあがります。一種の「世論」としてです。人間というのは原因がはっきりしないものについては非常に不安になります。だから明確な原因がいわば神話のように作られる。例えば今ここで、大きな爆発音がしますと、みんなたぶん総立ちになってどこだということと、何が起こったんだということを必死に言い合うと思います。そして誰か外から落ち着いた声で、「いや、今、ひとつドラム缶が爆発したんだけれど、誰も死にませんでした」というと、この場の緊張はすっとほぐれて私はまた話を続けていくと思います。たとえその原因なるものが見当違いであっても暫くは通用するんですね。そして、原因だとされたものだけに注意が集中して、他のものへは注意が行かなくなります。

以上のように、それぞれ絡み合って全体として次の事故を起こりにくくするような働きが全然なくなる結果、次の事故に対して無防備になるのでしょう。



クラスター潰し派の主流感染症専門家たちはひょっとしてdemoralization間近かもよ。あの「専門家会議」なるもののメンバーをいったんすべて即座に入れ替えたほうがいいんじゃないかと思うぐらい。

士気の萎縮
demoralization――士気の萎縮――というのは経験した人間でないとわからないような急変です。これを何に例えたらいいでしょうか? そうですね、こどもが石合戦をしているとします。負けてるほうも及ばずながらしきりに石を放っているんですが、ある程度以上負けますと急に頭を抱えて座り込んで相手のなすがままに身を委ねてしまう。これが士気の崩壊だろうとおもいます。つまり気持ちが萎縮して次に何が起こるかわからないという不吉な予感のもとで、身動きできなくなってくるということですね。(中井久夫「危機と事故の管理」1993年)




--「20が本当につながっていなかったらもう終わりですよ」