以下、カイエ基本版を(ある意図があって?)示す。
全能の構造は、母のなかにある、つまり原大他者のなかに。…それは、あらゆる力をもった大他者である。la structure de l'omnipotence, […]est dans la mère, c'est-à-dire dans l'Autre primitif… c'est l'Autre qui est tout-puissant(ラカン、S4、06 Février 1957)
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原初に何かが起こったのである、それがトラウマの神秘の全て tout le mystère du trauma である。すなわち、かつてAの形態[ la forme A]を取った何かを生み出させようとして、ひどく複合的な反復の振舞いが起こる…その記号「A」をひたすら復活させようとして faire ressurgir ce signe A として。(ラカン、S9、20 Décembre 1961)
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現実界は…穴=トラウマを為す。le Réel […] ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)
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対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S16, 27 Novembre 1968)
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ここでは神秘的な架空の主体S(原主体 sujet primitif)を「享楽の主体 sujet de la jouissance」と呼ぶ。…
享楽の主体 le sujet de la jouissance は、不安 l'angoisse に遭遇して、欲望の主体(欲望する主体 sujet désirant)としての基礎を構築する。constituer le fondement comme tel du « sujet désirant »、(ラカン、S10、13 Mars 1963)
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で、不安に遭遇して(あるいは「トラウマの神秘のすべて」)とラカンは言っているけど、次のようになるわけ。
ああ、なんたるトラウマ! くっついていたときはとっても居心地がよかったのに。でもちょっと狭かったから、足蹴しちゃってごめんなさい、おっかさま。
ーーで、このトーラス円図は、究極的には「喪われたオッカサン」を取り戻そうとする「生きている存在には不可能な」運動を示している図だよ。
私は常に、一義的な仕方façon univoqueで、この対象a を(-φ)[去勢]にて示している。(ラカン、S11, 11 mars 1964)
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享楽は去勢である la jouissance est la castration。(ラカン Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
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ーー原初に喪われた対象としての対象aは、「去勢」とされたり、「穴(=トラウマ)」とされたり、「享楽控除=斜線を引かれた享楽」(後述)とされたりするけど同じこと。
で、もう少し説明的に記せば、ラカン曰くの原初の「不安との遭遇」、つまり原不安とは出生による母からの分離(原去勢)。
去勢ー出産 [Kastration – Geburt]とは、全身体から一部分の分離 die Ablösung eines Teiles vom Körperganzenである。(フロイト『夢判断』1900年ーー1919年註)
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人間の最初の不安体験は、出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
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蚊居肢子の意に反して、いくらかムズカシゲな引用を試みるべきでアロウカ?
リビドー控除=享楽控除
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不死の生vie immortelleとしてのリビドーは、有性生殖のサイクル cycle de la reproduction sexuée に従うことによって生物l'être vivantから控除されるsoustrait。…例えば胎盤 le placentaという個体が出生の際に喪うl'individu perd à la naissanceこの自らの一部分 cette part de lui-même を、即ち、最も深く喪われた対象 le plus profond objet perdu を象徴するsymboliser 。 (ラカン、S11, 20 Mai 1964、摘要)
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(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(J.-A. MILLER , Retour sur la psychose ordinaire, 2009)
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ラカンは、フロイトがリビドーとして示した何ものかを把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽である。Lacan a utilisé les ressources de la langue française pour attraper quelque chose de ce que Freud désignait comme la libido, à savoir la jouissance. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
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これだってカンタンすぎる・・・でもいまさらムズカシクするのはとってもコンナンである・・・
ようは、誰でもおわかりのように、出生とともに不死の生(永遠の生)は喪われてしまったのである。みなさんご存知の通りである。ああ、なんという不幸な人生であろうか。
「永遠に喪われている対象 objet éternellement manquant」の周りを循環する contourner こと自体、それが対象a の起源である。(ラカン、S11, 13 Mai 1964)
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母という対象 Objekt der Mutterは、欲求Bedürfnissesのあるときは、「切望sehnsüchtig」と呼ばれる強い備給Besetzung(リビドー )を受ける。……(この)喪われている対象(喪われた対象)vermißten (verlorenen) Objektsへの強烈な切望備給 Sehnsuchtsbesetzung(リビドー )は絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle と同じ経済論的条件ökonomischen Bedingungenをもつ。(フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)
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次のたぐいは繰り返してきたので、ここではエキス三文のみ。
問題となっている「女というもの」は、「神の別の名」である。その理由で「女というものは存在しない」のである。La femme dont il s'agit est un autre nom de Dieu, et c'est en quoi elle n'existe pas, (ラカン、S23、18 Novembre 1975)
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「大他者の大他者はある(べき)」という人間にとってのすべての必要性。人はそれを一般的に神と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、神とは単に「女というもの」だということである。La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». (ラカン、S23、16 Mars 1976)
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〈母〉、その基底にあるのは、「原リアルの名」である。それは、「母の欲望 」であり、「原穴の名 」である。Mère, au fond c’est le nom du premier réel, DM (Désir de la Mère)c’est le nom du premier trou(コレット・ソレールColette Soler, Humanisation ? , 2014)
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「女が欲することは、神も欲する。Ce que femme veut, Dieu le veut.」(ミュッセ、Le Fils du Titien, 1838)、これは「母が欲することは、神も欲する Ce que la maman veut, Dieu Ie veut」と読み換えるべきである。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, new studies of old villains, A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex , 2009)
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なお、ムズカシ版がお好きな方は、「モノ=斜線を引かれた母なる大他者 LȺ Mère」を見られたし。