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2020年3月5日木曜日

カイエ基本版

以下、カイエ基本版を(ある意図があって?)示す。


全能の構造は、母のなかにある、つまり原大他者のなかに。…それは、あらゆる力をもった大他者である。la structure de l'omnipotence, […]est dans la mère, c'est-à-dire dans l'Autre primitif… c'est l'Autre qui est tout-puissant(ラカン、S4、06 Février 1957)
原初に何かが起こったのである、それがトラウマの神秘の全て tout le mystère du trauma である。すなわち、かつてAの形態[ la forme A]を取った何かを生み出させようとして、ひどく複合的な反復の振舞いが起こる…その記号「A」をひたすら復活させようとして faire ressurgir ce signe A として。(ラカン、S9、20 Décembre 1961)
現実界は…穴=トラウマを為す。le Réel […] ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)
対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S16, 27 Novembre 1968)






ここでは神秘的な架空の主体S(原主体 sujet primitif)を「享楽の主体 sujet de la jouissance」と呼ぶ。…

享楽の主体 le sujet de la jouissance は、不安 l'angoisse に遭遇して、欲望の主体(欲望する主体 sujet désirant)としての基礎を構築する。constituer le fondement comme tel du « sujet désirant »、(ラカン、S10、13 Mars 1963)

上のセミネール10の図をトーラス円図化すれば、もともと神秘的な主体Sは母なる原大他者Aとくっついていたわけだ。





で、不安に遭遇して(あるいは「トラウマの神秘のすべて」)とラカンは言っているけど、次のようになるわけ。





ああ、なんたるトラウマ! くっついていたときはとっても居心地がよかったのに。でもちょっと狭かったから、足蹴しちゃってごめんなさい、おっかさま。

ーーで、このトーラス円図は、究極的には「喪われたオッカサン」を取り戻そうとする「生きている存在には不可能な」運動を示している図だよ。


私は常に、一義的な仕方façon univoqueで、この対象a を(-φ)[去勢]にて示している。(ラカン、S11, 11 mars 1964)
享楽は去勢である la jouissance est la castration。(ラカン Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)



ーー原初に喪われた対象としての対象aは、「去勢」とされたり、「穴(=トラウマ)」とされたり、「享楽控除=斜線を引かれた享楽」(後述)とされたりするけど同じこと。

で、もう少し説明的に記せば、ラカン曰くの原初の「不安との遭遇」、つまり原不安とは出生による母からの分離(原去勢)。


去勢ー出産 [Kastration – Geburt]とは、全身体から一部分の分離 die Ablösung eines Teiles vom Körperganzenである。(フロイト『夢判断』1900年ーー1919年註)
人間の最初の不安体験は、出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)


以上、我ながらじつにわかりやすい・・・こんなにシンプルに記してよいものだろうか? これでは信用されないのではナカロウカ。世間には小難しくフロイトラカンを語るやつばっかりなのだから。

蚊居肢子の意に反して、いくらかムズカシゲな引用を試みるべきでアロウカ?

リビドー控除=享楽控除
不死の生vie immortelleとしてのリビドーは、有性生殖のサイクル cycle de la reproduction sexuée に従うことによって生物l'être vivantから控除されるsoustrait例えば胎盤 le placentaという個体が出生の際に喪うl'individu perd à la naissanceこの自らの一部分 cette part de lui-même を、即ち、最も深く喪われた対象 le plus profond objet perdu を象徴するsymboliser (ラカン、S11, 20 Mai 1964、摘要)
(- φ) le moins-phi は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance(- J) を表すフロイト用語である。(J.-A. MILLER , Retour sur la psychose ordinaire, 2009
ラカンは、フロイトがリビドーとして示した何ものかを把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽である。Lacan a utilisé les ressources de la langue française pour attraper quelque chose de ce que Freud désignait comme la libido, à savoir la jouissance. J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011

これだってカンタンすぎる・・・でもいまさらムズカシクするのはとってもコンナンである・・・

ようは、誰でもおわかりのように、出生とともに不死の生(永遠の生)は喪われてしまったのである。みなさんご存知の通りである。ああ、なんという不幸な人生であろうか。



「永遠に喪われている対象 objet éternellement manquant」の周りを循環する contourner こと自体、それが対象a の起源である。(ラカン、S11, 13 Mai 1964)
母という対象 Objekt der Mutterは、欲求Bedürfnissesのあるときは、「切望sehnsüchtig」と呼ばれる強い備給Besetzung(リビドー )を受ける。……(この)喪われている対象(喪われた対象)vermißten (verlorenen) Objektsへの強烈な切望備給 Sehnsuchtsbesetzung(リビドー )は絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle と同じ経済論的条件ökonomischen Bedingungenをもつ。(フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)



次のたぐいは繰り返してきたので、ここではエキス三文のみ。



問題となっている「女というもの」は、「神の別の名」である。その理由で「女というものは存在しない」のである。La femme dont il s'agit est un autre nom de Dieu, et c'est en quoi elle n'existe pas, (ラカン、S23、18 Novembre 1975)
「大他者の大他者はある(べき)」という人間にとってのすべての必要性。人はそれを一般的に神と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、神とは単に「女というもの」だということである。La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». (ラカン、S23、16 Mars 1976)
〈母〉、その基底にあるのは、「原リアルの名」である。それは、「母の欲望 」であり、「原穴の名 」である。Mère, au fond c’est le nom du premier réel, DM (Désir de la Mère)c’est le nom du premier trou(コレット・ソレールColette Soler, Humanisation ? , 2014)


あの母胎でかくまってくれたオッカサマが原初の神でないわけがないのである。




「女が欲することは、神も欲する。Ce que femme veut, Dieu le veut.」(ミュッセ、Le Fils du Titien, 1838)、これは「母が欲することは、神も欲する Ce que la maman veut, Dieu Ie veut」と読み換えるべきである。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, new studies of old villains, A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex , 2009)

以上、蚊居肢子はすべての女性に大いなる敬意を払っている理由がオワカリニナラレタデショウカ。あなたがたには常に信仰のない者の祈りを捧げているのです。






なお蚊居肢版のトーラス円図は次のものですが、そろそろ世界的に広めていただきたいものです。





なお、ムズカシ版がお好きな方は、「モノ=斜線を引かれた母なる大他者 LȺ Mère」を見られたし。