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2020年8月30日日曜日

グルダとコヴァセヴィッチ





前回のガボットに引き続き、このグルダのバガテルもとってもいい。グールドのよりずっといい。でもグールドってのはボクにとってあらゆる意味でーー音楽に限らず少なくとも20世紀以降の全芸術のなかでーーナンバーワンだということは言っておかなくちゃな、ボクにとっては。

ピアノを愛するというなら、そのためには、別の時代からやってきて、つねに完了形で語っているようなアルトゥーロ・べネデッティ=ミケランジェリのピアノがあるだろう。あるいはまた近年のリヒテルのようにある種の期待が告げられるようなピアノがある。期待、すなわち近頃リヒテルが登場すると、一緒にそこにあらわれるあの未来のノスタルジーだ(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える。)しかしながら現在形で演奏するグールドの姿は決定的な光をもたらし、無垢あるいは天使という使い古された語を唇にのぼらせる。(ミシェル・シュネーデル『グレン・グールド 孤独のアリア』)

話を戻せば、ほかのひとの演奏はどうだろうといくつかきいてみたら、アルゲリッチの三人目のだんながやってるや。





好みのテンポで繊細さもあり悪くないんだが、ここでやっぱり音が宙に伸びてゆく感じがわずかなんだな





二番目のだんなはデュトワでよく知られているだろうがーーデュトワの浮気が発端になって離婚ーー、最初のだんな亮声の写真を拾ったので貼り付けておこう。




マルタ・アルゲリッチは三人の娘がすべて種違い等、奔放な愛の女という印象があるが、それは印象だけではないか。真摯に愛に生き、愛に苦しみ、愛と闘った女性ではないか。彼女のファンとしてそう錯覚に閉じ籠ることにしている。




10歳下のミシェル・ベロフとも4年間恋愛関係にあったとされるが、次の二人のデュオは煌き輝く愛の結晶のようで実にに美しい。