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2020年8月13日木曜日

遠くからやってくるもの


音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる。(グレン・グールド 孤独のアリア』)


◼️「Wie Aus Der Ferne 遠くからのように」




そのとき肩に手の置かれるのを感じた。技師は彼女の手から本を取り上げ、黙ったまま書棚にもどし、 彼女をソファペッドのほうへと導いた。

テレザにペトシーンでの執行人にいったことばがふたたび浮かんできた。彼女は今それを声に出していった。「でもこれは私の希望ではないんです!」

状況をあっという間に変える魔法の文句だと信じていたが、この部屋ではことばは魔力を失った。それどころか、彼女は男をよりしっかりと決意させたように思える。彼女を引き寄せ、手を乳房に置いた。

不思議なことに、その感触により急に彼女の恐怖感が失せた。技師の手が彼女の身体に触れた瞬間、彼女は彼女が(彼女の心が)問題なのではまったくなく、ただひたすら身体が問題であることを意識した。彼女を裏切り、世間の他の身体の中へと追い出した身体が。

技師はテレザのプラウスのボタンを一つはずすと、残りを自分ではずすように身ぶりで示した。しかし彼女はこの命令に応じなかった。 自分の身体を世間へと追い出したが、そのためのいかなる責任もとりたくなかった。抵抗もしなかったが、彼を助けもしなかった。心は今行われていることに同意しておらず、どっちつかずであると決めたことを、明らかにしようとしていた。

彼は彼女を脱がせたが、彼女のほうはほとんど不動であった。彼がキスをしたとき、彼女の唇は彼の唇の接触に応えなかった。しかし、そのあと急に自分のデルタがうるんでいるのを感じて、うろたえた。Puis elle s’apeçut soudain que son sexe était humide et elle en fut consternée.

自分の意志に逆らって興奮した。それだけより大きな興奮を感じていた。心はすでにおこったことすべてとひそかに同意していたが、その大きな興奮をさらに統けようとするならば、心の同意をロに出してはならないことを知っていた。もしその承諾を口に出していったなら、もし自由意志でラブシーンに加わろうと望むなら、興奮は静まるであろう。なぜなら心が高まっているのは、身体が意志に反して作用しているからで、身体は意志を裏切り、意志はその裏切りを見ているからなのである。

Elle sentait son excitation qui était  d’autant plus grande qu’elle était excitée contre son gré. Déjà, son âme consentait secrétement à tout ce qui était en train de se passer, mais elle savait aussi que pour prolonger cette grande excitation, son acquiescement devait rester tacite. Si elle avait dit oui à voix haute, si elle avait accepté de participer de plein gré à la scène d’amour, l’excitation serait retombée. Car ce qui excitait l’âme, c’était justement d’être trahie par le corps qui agissait contre sa volonté, et d’assister à cette trahison.

技師はテレザのパンティを引きずりおろし、彼女は生まれたままの姿になった。心が、見知らぬ男の腕に抱かれた裸の身体を見て、まるで近くから火星を見ているかのように、信じがたい思いがした。信じがたさという光の中で初めてテレザは自分の身体が陳腐さを失うのを見、初めてそれをうっとりと眺め、身体の前面に身体のあらゆる個性や、ユニークさや、模倣を許さぬ性格があらわれてきた。それは(これまで見てきたような)ごくありふれたものではなく、もっと特別なものであった。心はデルタの毛のすぐ上のところにある丸い、褐色の点、ほくろから目を離すことができなかった。テレザはこのほくろを彼女自身(心)が身体に印したものと見なしていたが、この聖なる刻印の冒滑的ともいえる近さで見知らぬ男の局部が今動きまわっていたのである。

そして、テレザが技師の顔を見たとき、テレザの心は自分のサインをした身体が、知りもしないし、知りたくもない誰かの腕の中で喜ぶのを許したことは一度もないということを意識した。彼女をぞくぞくするような憎悪感が満たした。その見知らぬ男の顔につばを吐きかけるために、ロにつばをためた。その男も彼女を、彼女が彼を観察していたのと同じ熱心さで見ていた。彼は彼女の怒りを認め、彼女の身体の上で動きを速めた。

テレザは遠くのほうから彼女に官能のうずきが迫ってくるのを感じて、「いや、いや、いや」と、叫び始めていた。彼女はやってきつつある享楽をこらえていたが、それをこらえることで、抑えられた享楽がながながと彼女の身体に広がっていった。というのもその官能は静脈に注射されたモルヒネのように彼女の中で広がり、どこへも逃れていくことができなかったからである。彼女は彼の腕の中でもがき、両手を振りまわし、彼の顔につばを吐きかけた。

Tereza, sentant de loin la volupté la gagner, se mit à crier : « Non, non, non », elle résistait à la jouissance qui approchait, et comme elle lui résistait, la jouissance réprimée irradiait longuement dans tout son corps n’ayant aucune issue par où s’échapper ; la volupté se propageait comme de la morphine injectée dans une veine. Elle se débattait dans les bras de l’homme, frappait en aveugle et lui crachait au visage. (クンデラ『存在の耐えられない軽さ』1984年)